5話 夏秋冬
師匠に別れを告げて外に出ると、空はかなり暗くなっていた。
等間隔に並んでいる白色街灯に火が入り、宝石のようにキラキラ輝いている。幻想的な灯に照らされて、昼間とはまるで別の町になったみたいだった。
「らっしゃい! 獣肉炭火焼きステーキは絶品ですよ! ぜひロンゴハウスへ!」
「アッサリもコッテリもラーメンは白鳳亭へ! 何杯でもいける美味さだよ!」
「ガッツリ食べたい人は満腹庵へ! 破裂するくらい食べていってちょうだい!」
昼間との違いといえば、先ほどから威勢のいい声が聞こえるように、飲食店がいくつかオープンしていた。肉の焼ける匂いを筆頭に、食欲をそそる香りが大通り中に漂っている。世界観には似つかわしくないメニューもあるみたいだが、現代に生きるユーザーの好みを優先しているんだろう。
「おお、安い」
幸い食事はどれも手ごろな価格だったので、所持金100ジュエルでも十分食べられそうだ。密かに心配していたが本当に助かった。
色々店があるので迷ったが、結局俺はラーメン屋の白鳳亭を選んだ。理由は食べ慣れたものを食べるとホッとするから。あと、一人でも入り易そうだったから。
店内で俺だけが一人だったら目立つかなと思ったが、幸いにも単独で行動しているプレイヤーは他にもいた。おかげで、気兼ねなく食事を楽しめていた。
「お食事中失礼します。お客様、隣の席を使わせていただいても宜しいでしょうか」
「はい、どうぞ」
木造のカウンター席でラーメンを啜っていた俺に、店員から声がかかる。繁盛しているから席が足りなくなっているらしい。しばらくの後、俺のすぐ右隣に座った人物は律儀に頭を下げてきた。
「……あの、何か?」
こちらも軽く会釈を返したが、隣に座った女の子はなぜか俺の顔をじっと見つめていた。悪意があるような視線ではないけれど、何となく居心地が悪い。
彼女は身長がかなり低くて四頭身くらいしかない。やや足の長い丸椅子に座って脚をプラプラさせている様はまるで子供だけど、これはこういうキャラクターなのだ。確か【銀細工師】系の魔術師だったと思う。
艶のある銀髪と同じく大きな瞳は銀色。柔らかそうな頬は少し赤みを帯びている。絹糸のような髪はまっすぐ腰の辺りまで流れていて、その先は球型の髪留めがくっついていた。
白色をベースにした魔術師ローブは全身をすっぽり覆っていて、袖からは白く小さな手の指先だけがちょこんとはみ出ている。足は全て隠れてしまっていた。こんな状態だと歩く度に裾を引きずってしまう筈だが、ローブは少しも汚れていない。こういう所はゲームの良い部分だと思う。
彼女から全体的に幼い印象を受けるのは、きっと表情のせいだろう。大きな目を見開いているその顔は、はじめて外食する子供みたいで落ち着きがない。
「こんにちは。良い匂いだね」
「え? あ、うん、そうですね」
「キミは何を食べてるの?」
「白鳳鶏の極旨ラーメンってやつです。美味しいですよ」
「あ、ここの看板メニューだね! ねえねえ、どんな味なの?」
突然話しかけられて、身体を仰け反らせてしまう。キラキラした瞳で見つめられてキョドってしまう。
えーと、味の説明をしないと。
味。あじ。
……やばい、テンパりすぎて記憶が飛んだ。
「よかったら、ちょっと食べてみます?」
それは無いだろ自分。
言った後で猛烈に後悔する。HENTAIだと思われたらどうしよう。
少なくとも冷たい視線くらいは覚悟していたのだが、見知らぬ彼女の反応は俺の予想斜め上を行った。
「ホントに!? やった! ありがとう!」
言うや否や彼女は俺のレンゲを手にして静かにスープをすする。そしてパっと顔を輝かせた。
「おいしい! 凄くサッパリしているのに味がしっかりしてるね。鶏と野菜の風味がよく出てる。チャーシューも大きいし、とろっとろだし!」
チャーシューを差し上げるとは言ってないんですが!
思わず叫びそうになったが、ふにゃっとした笑顔がとても幸せそうだったので諦めた。食べて良いと言ったのは俺だし。
口をパクパクさせながら呆然としていると、彼女はすぐに店員を呼んで俺と同じラーメンを注文した。この味がよほど気に入ったらしい。まあ、喜んでもらえたのなら何よりだ。
冷たい水をこくこくと飲んだ彼女は、小さく息を吐くと、また俺に話しかけてきた。
「ごめんね、いきなり失礼なことしちゃって。わたしのチャーシュー食べてね」
「いや、気にしないで下さい。種類が多いから迷いますよね」
「うん! こんなお店があったんだねー。今レベル上げから戻ってきたばかりなんだけど、町の様子が変わっててビックリしたよ」
「そう、ですね」
彼女の話に歯切れの悪い言葉しか返せない。まだ外に出たことがないと言ったらバカにされてしまうような気がして。
「キミ……あ、アキト君って呼んで良い?」
「はい。えーと」
彼女を注視して名前を確認しようとしたら、【夏秋冬】と表示された。
「……すみません。名前、なんと読むんですか」
「えへへ、やっぱ読めない? これキラキラネームっていう物の一種なんだけど、これで【ハルナ】って読むの。春が無いからハルナ。おもしろいでしょ」
なるほど、【春夏冬中】と書いて【商い中】と読む、みたいなものか。
「ハルナさん、ですね。わかりました」
「よろしくね。それで話に戻るけど、アキト君は何レベルまで上げた?」
少し回り道をしたものの、結局予想通りの質問が来てしまい心の中でため息をつく。嘘を言っても意味が無いので正直に話すしかない。
「こういうゲームは初めてだから、勝手がわからなくて進んでいないんです。だからまだレベル1のままです」
「うに? そうなんだ」
「はい」
殆ど水の残っていないコップを傾けながら端的に肯定する。それで話は終わると思っていた。
「ねえ、だったらわたしと一緒にレベル上げしないかな?」
だから、彼女からの提案は全くの予想外だった。
しかし、折角の誘いだが、まだ俺はこのゲームについて殆ど何も知らない。だからきっと役には立てないだろう。
「……すみません。俺はまだ戦闘のルールも理解していないですから」
「そんなのは習うより慣れろだよ。大丈夫、弱いのを狙えばレベル1でも倒せると思うよ?」
「これ賞金が懸かっているゲームですよ? 俺みたいなヤツの面倒を見ている暇なんて無いでしょう」
さんざん色んな人に声をかけても全滅だったのだ。だから夏秋冬もきっと同じだろう。
若干投げやり気味に答えた俺に向かって、彼女は何故か照れたように笑って首を振った。
「わたしは、他の人の世話をできるほど強くないよ」
失敗しちゃったせいで誰も仲間にしてくれないんだよね、と夏秋冬がため息交じりに言う。
「失敗したって、どういうことですか?」
「キャラメイクで失敗しちゃったの。このゲームは最初に親を選ぶでしょ? わたしは魔術師プレイがしたかったから両親ともに【銀細工師】系を選んだんだけど、両親が同系統だと高確率でペナルティが発生しちゃうらしいの。それでわたしは案の定ペナルティーを受けちゃって、魔術系以外のステータスが壊滅的になっちゃたの」
知っていたら別の組み合わせにしたのに、あのガイド音声不親切だよね、と彼女は頬を膨らませている。しかしペナルティについては説明されていたはずだ。
「え、それ本当? どのタイミングで説明があった?」
「両親を選んで確定する前です」
「あー、わたし早くプレイしたくて説明飛ばしちゃったかも。失敗したよ~」
こてんと頭をカウンターに乗せて項垂れる。その仕草がなんだか小動物みたいで可愛かった。彼女にとっては笑い事じゃないだろうけど。
「……と、そんな訳で困ってるの。ひとり友達がいるんだけど、あの子とは暫く別行動することになってるから頼れないし。野良でパーティー組もうにも、ステータスを明かしたら誰も相手にしてくれないし」
カウンターで寝ていた彼女の顔がくるりとこっちを向く。チワワみたいに瞳をうるうるさせて「わたしと組んでくれない?」ともう一度言う。
「お昼からひとりで頑張って何とかレベルを1上げたけど、これって相当遅いペースなんだよね。もうレベル5になってる人もいるみたいだし、このままじゃどんどん遅れちゃう」
「でも、俺は本当に初心者ですよ? 何もできないかもしれません」
「それでも良いよ。二人だと敵の攻撃が分散してくれるでしょ? ちょっと酷い言い方になるけれど、盾役になってくれたらそれでOKだよ。わたし体力も強靭度も底辺レベルだから、少し攻撃されただけですぐに死にそうになっちゃって、ちっとも攻略できないんだもん」
話を聞いてみると、俺が敵の注意を引き付けておいて、そのスキに夏秋冬が魔術で攻撃するという作戦らしい。
確かに、逃げ回るだけなら俺でも何とかなるかもしれない。
「もちろんお金とかの報酬は半分こずつ。分けられないアイテムを敵が落とした時は、お店に売ったときの金額で考えようと思ってるんだ。どうかな?」
彼女は小さな両手を合わせて祈るような仕草をする。
悪い話ではない。むしろ、俺にとっても都合の良い話だ。俺を騙そうなんて意思は欠片も見えないし、本当に困っているんだろう。そもそも何も持っていない俺を騙す理由なんて無いだろうし。
これは願っても無いチャンスだ。
「わかりました。俺もいつかは戦わなきゃいけないと思っていましたし、ぜひお願いします」
「やった! 本当にありがとう!」
しゅんとしていた顔がパッと明るくなる。小さな手で俺の手を握った夏秋冬は「それじゃ、さっそくフレンド登録してもらっていい?」とメニュー画面を開いた。
「はい……えーと、フレンド登録ってどうやるんですか?」
「そっか、こういうの慣れていないんだよね。それじゃ、まずわたしが申請するからYESを選んでくれる? 後でやり方教えてあげるから――」
「――ヘイお待ち! 白鳳鶏の極旨ラーメン一丁!」
「きたー! やっと来た! 待ってました!」
このタイミングでやってきたラーメンに中断させられたが、その後フレンド登録は無事完了した。ずっと一人だと思っていたから、ちょっと、いや、かなり嬉しかった。
だから、俺の食べかけラーメンがのびていても泣いたりしない。