52話 贈りもの
渓流エリアで行動を始めてから5日目の深夜。
みんなが寝てすっかり静かになった頃に、俺は今日も自分の部屋からそっと抜け出した。
静寂が支配するリビングは非常に暗く、控えめに存在を主張している暖炉以外はすべて闇に包まれている。念のため気配を探り、この空間に誰もいないことを確認して、足音を殺しつつ前へ進む。個室の防音は非常にしっかりしているのでまず聞こえないと思うが、これは気分的な問題だ。
「そっと、そーっと……」
このまま他の部屋に忍び込んだら間違いなく通報モノだろうけれど、もちろん個室には鍵があるのでそんなコトはできない。いや、もし鍵が開いていたとしても侵入するつもりなんて無いけれど。本当に。
足音を殺してくれる絨毯の上を慎重に歩き、外界とつながっている扉に辿り着く。そっとノブに手をかけて微かな音も出さないよう慎重に右へ回す。自分が通るために必要なだけ扉を動かして隙間に身を滑り込ませる。外からノブをゆっくりと元の位置に戻す。
「……よし」
今日も無事に抜け出せた。そう確信して安堵の息を吐いた瞬間、
「お兄様、どちらに?」
死ぬかと思うくらい驚かされた。
叫ばなかった自分を褒めてやりたい。それほど声をぶつけられたタイミングは容赦なく完璧で、心臓はまだ痛みを感じるくらい荒れ狂っている。そんな俺の前でくすくすと笑っているダージュは、よく見たら普段と全然違う服に身を包んでいた。
「ど、どうしたんですか? その格好」
「少し前に、夏秋冬さんから譲っていただきました。折角ですから1度くらいはご覧いただきたいと思いまして」
そう言うと、彼は両腕を軽く広げて感想を求めてきた。
ロングジャケットと蝶ネクタイ、3つボタンのウエストコートとスラックス、そして革靴まで全てを黒で固めている。胸元に僅かにのぞくシャツだけが白く輝いているので、暗闇のなかで立っていたら生首が飛んでいる様にしか見えないかもしれない。
そんなピントの外れた感想はともかく、この衣装はとてもよく似合っていると思う。正直にそう伝えると、彼は嬉しそうに目を細めた。
「少しだけ執事の真似事をしてみたいと思うのですが、付き合っていただけますか?」
「いや、でも俺は、」
「お願いします。ほんの5分程度ですから」
俺よりも頭2つくらい小さな彼だけれど、堂々とした所作は本物かと錯覚してしまうほど様になっている。導かれるままリビングへ戻ると、円卓の上には陶磁器のコーヒーカップが魔法のように出現していた。
「お兄様のためにご用意したエリーゼブルーです」
いや、俺そんな高級豆の味なんてよく分からないんですけど。
「非常に優しい風味が特徴です。酸味や苦味は控えめなので飲みやすいですよ」
「……そう言われると、そんな気がします」
慎重に飲んでみたものの、どれだけ舌の上で転がしても「美味しい」以外に具体的な褒め言葉が見つからない。知ったかぶりは恥をかくだけだろうし、ここは何とか見逃してもらおう。
「ダージュさん、ずっと起きていたんですか?」
「ええ。眠れなかったもので」
簡潔な答えが返ってきて再びリビングに沈黙が落ちる。手持ち無沙汰になってダージュも座るように言ってみたけれど、「いまのボクは執事ですから」と断られてしまった。
「気をつかっていただく必要はありません」
そう言われても、執事さんと会話する場面なんて想像したことすらなかったので何だか落ち着かない。そんな俺の心のうちを読んだのか、彼は少しだけ苦みを滲ませながら微笑んだ。
「今夜もお出かけになるのですね」
……やっぱり彼にはバレていたみたいだ。わざわざ着替えて俺を待っていたんだから当然か。
「無駄かもしれないとは思っていても、出来ることはしておきたくて。ただの自己満足ですけどね」
このところ、俺は毎晩外に出て行動している。周囲を調査するために走り回る日もあれば、モンスターとひたすら戦うだけの日もあった。
草原と違い月明かりが届かない場所が多いうえに、モンスターは昼間より強化されているので危険だけれど、もしも勝てない相手と遭遇した場合は逃げてしまえばいいのだ。スタミナにだけは自信があるので、持久戦に持ち込めば負ける気はしない。
「以前にも増して熱心ですね。お兄様の力を疑うわけではありませんが……あまり無理なさらないで下さいね」
「大丈夫ですよ。睡眠もちゃんと取っていますし」
少し冷めたコーヒーの残りをゆっくりと飲み込む。ダージュはまだ何か言いたそうだったが、それを押さえ込むようにしてまた微笑んだ。
「ごちそうさまです。それじゃ、そろそろ行ってきます」
「はい。留守はお任せください」
* * *
そして、渓流エリアでの行動を始めてから7日目の夕方。
予定通りに地図を完成させた俺たちは久しぶりに町に戻ってきていた。
「みんなお疲れさま! そろそろ夕食の時間だけど、どうしよっか」
「それぞれ用事があるだろうし、もう解散で良くないか」
「それで良いと思います」
「ボクも構いません」
「なら、ここで解散しよっか。またメールするね」
マネージャ役がすっかり定着した夏秋冬の一言を合図に、みんなそれぞれの方向へ歩いてゆく。
手に入れたアイテムの整理や買い物など、俺にもやるべき用事は色々とある。みんなを見送りながら何をしようかと考えてみて……やっぱりまずは師匠に会いに行こう。そう思い北西ブロックへ足を運んでみた。しかし、
「……いない。ひょっとして、まだヤボ用が終わっていないのかな」
もう帰ってきているだろうと思っていたのに、師匠は相変わらず不在だった。
念のため更に何度か呼びかけてみたものの、師匠が出てくる気配は全く感じられない。このまま立ち尽くしていても意味が無さそうだったので、伝言を頼んでおいた人物に会いに行くことにした。
「ベルさん、こんばんは」
「おや、あんたか。今日帰ってきたのかい」
現在の時刻は18:00を過ぎたころ。こんな時間でも客がまばらな酒場に顔を出してみると、いつものようにグラスを磨いていた主人は笑顔で俺を出迎えてくれた。
「何か飲むかい?」
「いえ、少し話をしに来ただけですから」
「つれないねぇ。少しは売り上げに貢献しようと思ってもバチは当たらないよ。晴れて二つ爪になったんだ。金だって持ってるんじゃないのかい?」
目ざとく爪を見つけた彼女がニヤリと笑う。そのまま背を向けると、やや乱雑に並んでいた琥珀色のボトルをひとつ手に取った。
「すみません、アルコールは苦手なんです」
「そうなのかい? アンタのお師匠様は酒が入った方が強くなるんだけどねぇ」
あの師匠を基準に考えられても困ります。
「それにしても、ずいぶんアッサリ進んだねぇ。たしか凶暴な竜が相手だったんだろう? 何か秘策でもあったのかい?」
「一度見た相手ですし、動きのクセも弱点も前回と変わっていませんでしたからね。時間は必要でしたけど、大して苦労はしませんでした」
「言うじゃないか。頼もしいねぇ」
会話もそこそこに本題へと水を向ける。彼女はまだ話し足りないのか不満そうに眉を動かしたが、「待っていな」と残して奥の部屋に消えて、1分もしない内にまた戻ってきた。
ドン、と乱暴な音とともに1本の透明なビンを差し出される。一般的なワインボトルの形をしたそれにはラベルも何もない。灯りのせいでウイスキーのような色に見えるけれど、恐らく中の液体も水のように透明だろう。
「これは?」
「良い酒をもらった礼だとさ」
「え? 師匠、戻ってきていたんですか?」
「そうさ。でもすぐに出て行っちまったよ。ヤボ用が長引いていて、まだ町を離れる必要があるんだってさ。アンタから預かっていた酒を渡したら、毒づきながらも嬉しそうにしていたねぇ」
素直じゃないんだから、とルージュに彩られた口元が笑う。
「保有マナの上限が上がるから必ず飲んでおくように、だとさ。ああ、テストは取り止めにするから暫くワシのことは忘れるように、とも言っていたねぇ」
「そう、ですか」
師匠なら大抵の問題は指先ひとつで解決できそうな気がするけれど……ヤボ用って何なのだろう。俺にはまるで想像できない。
目の前に佇む大人な女性に質問してみるが、当然のように答えは返ってこない。そっけなく目を逸らした彼女はカウンターの引き出しに手を入れると、そこにあった小さな布切れで再びグラスを磨き始めた。
「なんだい暗い顔して。順調に進んでいるんじゃないのかい?」
「今のところは。ただ、この先どんなことが起こるのか予想できなくて、ふと不安になってしまって」
「あの人の教え子がそんな弱気でどうするんだい」
突き放すような言葉だけれど、確かに、とも思う。不安があるからって泣いていたら絶対師匠に笑われるだろう。
自分で考えろ。そう言われたような気がして透明のボトルを右手でつかむ。【竜殺し】と表示されたそれを乱暴に傾けると、頭が狂いそうなほどのアルコール臭が鼻から抜けていった。
ひっく、と喉が震える。胸の奥がカッと燃えるように熱くなる。
「……ひょっとして、これってお酒ですか?」
「おや、言わなかったかい?」
「マナの上限がアップするアイテムなんですよね」
「ああ、そういう効果がある貴重な酒だよ。ちなみに効果は永続するから心配は要らないよ」
「いや、そういう心配をしている訳じゃなくてですね、苦手なお酒をがぶ飲みしたってことが問題で」
「酒も飲めないであの人の弟子が名乗れるかい」
何を寝ぼけたことを、とでも言いたげに彼女はグラスを磨き続ける。
「酒だけ飲むからフラつくんだ。なにか食べていきなよ」
うまくハメられたような気がするけれど、世話になった相手に文句を言うのも変なので、ここは素直に頷いておくことにした。
しばらくして出てきたのは、奥の大鍋でじっくり煮込まれていた豆のスープと豪快に炙った肉の塊、そしてやや固めのチーズとライ麦パン。この店が出しているいつものメニューだ。少し多いくらいの量だけれど、急ぎの用事も特に無いので、話でもしながらゆっくり食べていこうと思う。
「最近、何か変わった出来事ってありました?」
「そうだねぇ、あの人がフラッと帰ってきた他には……ああ、神父様がずいぶん忙しそうにしているコトくらいかねぇ」
治療目的で教会に駆け込むプレイヤーが増えているらしい。おそらく渓流エリアに進出する人が増えたことと、麻痺を治すアイテムの数が絶対的に不足していることが影響しているのだろう。
「最初は神父様も張り切っていたんだけど、神の奇跡を何度も発現させるのは大変らしくてねぇ。今やゲッソリしちまってるよ」
この町に住む神父さんは、人の善さそうな笑顔が印象的な男性NPCだ。見た目や物腰から推測するに年齢は50代くらいだろうか。初めて会いに行った時に、親切に対応してもらったことを覚えている。
「麻痺の治療ってそんなに大変なんですか?」
「だと思うよ。ひとり治療するごとに10本は髪の毛が抜けるらしいから」
全滅したら引退すると泣いていたらしい。いつも着用している色鮮やかな司祭服も褪せて見えるらしく、どうやら相当お疲れのようだ。
「ブラックワスプだったかい? あの迷惑なハチを根絶やしにするか、麻痺の治療に効果がある白色漢方をもっと流通させるか。そのどちらかを実現しない限り現状は変わらないだろうね」
よかったら助けてやっておくれよ、と彼女が言う。次のエリア【命の森】でも麻痺させてくるモンスターは出現するだろうし、俺も何とかしたいとは思うけれど……どうすれば良いのだろう。
「漢方がどこで手に入るのか、ベルさんは知らないですよね?」
「アタシが知っているのなら、神父様の髪型はもう少しマトモになっていたよ」
さすがにここでヒントは貰えないらしい。地道に情報を集めるしかないみたいだ。
「腹も膨れただろうし、夜風にでも当たってみたらどうだい。ここでずっと難しい顔をしているよりはマシだろう?」
ホラ、と促されて席を立つ。気づけば周囲のテーブルはみんな客で埋まっていて、ずいぶん騒がしくなっていた。




