40話 竜追い祭5
雪羽と色々なことを話している内に、時刻は16:00を過ぎていた。開始時には高かった太陽も今はかなり傾いている。いつしか心地良い風が裏庭にまで届くようになり、このまま寝てしまいたくなってきた。木々が揺れる音を聞くと眠くなるのは何故なんだろう。1/fゆらぎにでもなっているのだろうか。
そんな癒しに満ちたような空間で、雪羽はまだ不機嫌そうに唇を尖らせていた。
「どうしてそんな顔をしているんだ。ただ気が変わっただけだ。私だって、たまには甘いものを食べても良いじゃないか」
「別にダメだなんて言ってないですよ。それじゃ、このイベントが終わったら行ってみます?」
彼女は小さく頷いて、俺に向けていた視線をまた逸らす。
「……私のことを、子供っぽい奴だと思っただろう」
「い、いや、そんなことはないですけど」
どうやって答えようか考えながら黙っていると、雪羽はコロコロと表情を変えながら自分の発言を弁明しだした。その様は俺の彼女に対する勝手なイメージとは合わないけれど、何だかとても癒される。逃走中だということを忘れそうなくらいに平和な光景だった。
しかし、そんな時間も、もう終わりのようだ。
「――んっ」
まだ言い足りなさそうな口を手で覆う。
目を見開いた雪羽に無言で「静かに」と訴える。顔を赤くした彼女にも聞こえたのか、すぐにその表情が鋭くなった。
誰かが歩く音がする。
木々が揺れる音に隠されて殆ど聞こえないけれど、複数の人物が正門から入り、まっすぐこの裏庭に向かってきている。このままでは見つかるのも時間の問題だ。
どうしよう。素直に裏口から逃げるか、宿を囲む広葉樹の隙間を抜けるか、それとも上に逃げようか。
それぞれの手段が抱えるリスクを確認していると、風に乗って幼い声が流れてきた。
「ねえねえ、いま、まっ黒すけが喋ってたよね?」
「ボクには何も聞こえませんでしたが」
どこかで聞いたことのある声。ひとりはアリス、もうひとりは……ダージュっぽい気がする。
さらに意識を集中すると、もうひとつ別の声が聞こえてきた。
「そ、そうそう。気のせいだってアリスちゃん。さっき確認したけど誰も居なかったもん」
この丸い声は夏秋冬に違いない。何かを隠そうとしているのがバレバレで、なんだか俺まで緊張してしまう。
息を潜めながら彼女たちのやりとりに耳を傾けていると、裏庭に向かっていた足音がピタリと止まる。そして、小さなほっぺを膨らませたような声でアリスがまた口を開いた。
「うー、そうだった?」
「ええ。それに、もう北東ブロック一斉捜索の時間です。これ以上遅刻したらササメさんに怒られてしまいますよ」
さすがと言うべきか、ダージュは当然のように落ち着き払っていた。あんな堂々とした態度を見せられると俺まで騙されてしまいそうだ。
「あっちはササメ姉さんひとりで十分だよ。たとえ相手が1000人いても【拘束する糸】を使えばお終いだもん。わたしはまっ黒すけを捕まえるの!」
「それなら、もう少し南にある【ガトリーガーデン】に行ってみたらどうかな? まっ黒すけって天魔系の人だよね?」
「……さっきから、どうしてじゃまするの?」
幼い声のトーンが急落する。
わりと緩かった空気が一気に緊張する。夏秋冬の声が気圧されたように上ずり、尻すぼみになる。
「そ、そんなコト無いよ? アリスちゃん」
「だったらそこを退いてよ。絶対にまっ黒すけの声が聞こえたもん!」
「その、えーと……」
きっと俺たちを庇ってくれているのだろうけれど、アリスの態度は頑で、もう何を言っても止められそうにない。言葉に詰まった夏秋冬が広げていた腕を下ろすと、アリスは一直線に裏庭へと走っていった。
「まっ黒すけ、かくご……あれ?」
アリスがきょろきょろと周囲を見渡す。あちこちを走り回ったり、ベンチの下や木箱の中に頭を突っ込んで俺を探し回る。やがて「あれー?」ともう一度首をひねった小さな女の子は、ダージュたちに連れられて宿屋の敷地から退場していった。
* * *
「何だかすごく馴染んでましたね」
「ああ。ツノも尻尾も、ここからだと本物と見分けがつかないな」
宿屋の屋根上で雪羽と顔を見合わせる。
昨日ダージュは何か準備をすると言っていたが、まさかあの衣装を作っていたのだろうか。思った以上に完成度が高くて驚いた。
「鬼がどんな格好をしているのかなんて知らないハズなのに」
「どうだろうな。案外どこかで情報が流出していたのかもしれないぞ。夏秋冬は友達が多いから、そういった情報をよく仕入れてくるんだ」
雪羽がため息混じりに教えてくれる。あのふたりは思った以上に良いコンビなのかもしれない。うかうかしていると本当に罰ゲームが回ってきそうだ。
「それにしても、ロープを使って屋根に上れるなんて便利なスキルだな」
「師匠にマナの操作方法を少し教えてもらったんですけど、その時の感覚を思い出しながら試している内に出来るようになったんです」
今まで操っていたロープは弱々しくて、とても人を持ち上げるような動きは無理だった。しかし、木材を折った時の感覚を思い出しながらスキルを使ってみたら、ロープで人を持ち上げられるようになったのだ。マナの消費量がかなり大きい上に、ロープに触れていなければならないのだけれど。
ちなみに、ぶっつけ本番だったことは秘密だ。
「そうだ。あの2人にも鬼の弱点について教えてあげてくれないか? 借りは早く返しておこう」
雪羽の言葉に賛成してゲームウインドウを操作する。未確認情報だと注意を加えてメールを送ると、1分もしない内に返事がやってきた。
「あれ、今は2人だけで行動しているみたいですね――」
――うわあああああ!?
――なんだこいつ!? ふざけんな!
――あんなの無理に決まってるじゃない!
ウインドウを閉じようとして、一斉に上がった悲鳴に息を呑む。
何が起きたのか、大量のプレイヤーが北の空に浮いていた。
「――な」
あまりの光景に言葉が出ない。
視界にあるだけでも100人は優に超えている。見ている間にも新たな被害者が次々と空へ打ち上げられ、ゆっくりと下降し始めたかと思うと大気に溶けるように消えてしまう。
大通りには、50体を超える鬼が北東ブロックを取り囲むように行動していた。逃げ出そうとするターゲットに次々と襲い掛かり、虫網やボールを使って動きを封じていく。そしてあえなく捕まってしまったプレイヤーは、同じように跡形もなく霧散してしまう。
悲鳴や怒号に塗れた光景を見守ることしかできない俺の目の前で、蜂の巣をつついたような騒ぎは5分あまり続いた。
そして、再び静かになった時には、町から人の気配が感じられなくなっていた。
《こんにちは、まだ生き残っている皆さん。竜胆ササメです》
唐突に聞こえた声に思わず身体が固まる。
すっかり影が薄くなっていた腕章を通じて、あのNPCが悠然と語りかけてきた。
《現在時刻は16:20です。『4時間以内に全滅する』という私の予想が覆されるまであと40分ほど。そろそろ時間が無くなってきました》
ササメが発表した生存者の数は20人。さっきの騒ぎで一気にその数を減らしたようだ。彼女は心のこもっていない言葉でプレイヤーを褒め称えると、余裕を隠そうともしない声で小さく笑う。
《現時点まで生き残っているような優秀な方々に対し、今までと同じ方法で迫ったとしても望みは薄いでしょう。ですから、今後は違う方法を試すことにします》
まるで「今から本気出す」とでも言いたげなセリフ。
そんな子供じみた宣言がホンモノだと証明するように、俺と雪羽は中央広場に立たさていた。
「清々しいくらいに強引な手段だな」
雪羽の呟きに全面的に同意する。
前兆を一切認識できない、完全に回避不可能な強制転移。転移が完了するまで全く気付けないなんて反則にも程がある。イベント開始時にイヤな予感はしていたが、本当にこんなスキルを使ってくるとは思わなかった。
「これからが本番、みたいですね」
周囲には大勢の竜人。各々が道具を構え、5メートルの間合いを保ったまま俺たちの動向を観察している。準備万端で待ち構えていたってコトは、ターゲットがこの地点に跳ばされると知っていたらしい。
「……15体か」
包囲に穴は存在せず、どの方向に走ろうとも鬼が待ち構えている。転移直後を狙われなかっただけマシかもしれないが……運営は本当にクリアさせる気が無いのかもしれない。必死に逃げ回る参加者をあの豪華な宮殿から眺めて笑っていたりして。
そう考えると、俄然やる気が沸いてきた。我ながら子供っぽい精神構造だ。
「アキト、どうする?」
頼もしいことに、雪羽は既にターゲットの選定を始めていた。彼女と一緒に戦った経験はまだ少ないけれど、きっと何とかなる。何とかしてやる。
今回は体力の削り合いではない。鬼の手が身体に触れてしまえば、どれだけ元気でもそれでお終いだ。重要なのは、アウトになる条件が【鬼の手に触れられること】のみだということ。つまり鬼の手にさえ触れなければこちらから攻撃することも可能だし、相手の道具を身体で受け止めてもアウトにはならない。
そのことを改めて確認して、この場から脱出する方法に結論を出す。
「全員を相手にする必要は無いですよね。一点突破で包囲を抜けて、ここから近い南西ブロックに逃げ込みましょう」
雪羽の正面に立つ虫網を構えている鬼を狙おう。余裕があれば弱点を狙ってみても良いかもしれない。
「背後は俺が守ります。雪羽さんは包囲の突破に集中してください」
別に怖気づいた訳じゃない。前衛は彼女の方が適任だからそう決めた。
そのことは彼女も理解しているらしく「わかった」と短い言葉が返ってくる。雪羽が一歩目を踏み出したことを合図に、俺たちは包囲網に向かって全力で走り出した。
* * *
意表を突くような行動を取れば相手は必ず浮き足立つ。それはモンスターだろうがコスプレイヤーだろうが変わらない。
【瞬加速】
雪羽が使うこのスキルは一歩目からトップスピードに移行できる。これを見て驚かない相手はいない。特に初見なら尚更だ。
彼女が影を残す勢いでターゲットに肉薄する。行動開始からコンタクトまでの所要時間は1秒未満。狙われた鬼は度肝を抜かれたような顔で固まったまま動かない。
これなら大丈夫だ。そう判断してその他の動向を確認する。
飛び道具を持つ鬼は5人。その全員から一斉に投げつけられたら最悪だったが、幸いなことに、雪羽の背中に向かうボールの数は2つ。師匠が投げる石よりも遅いスピードだった。この程度なら俺だけで対処できる。
「わっ!?」
慎重に軌道を変えた球が破裂して近くから悲鳴が上がる。白い液体を浴びた鬼は明らかに動きが鈍くなっていた。もしもあんな状態になってしまえばゲームオーバーになるのは確実。絶対に当たるわけにはいかない。
「アキト、こっちだ!」
そんな事を考えている間に、包囲を抜けた雪羽から合図が来る。足元には目を回して倒れこむ鬼が3体。どうやらシッポが弱点だという情報は本当だったようだ。
彼女に続いて包囲の穴を駆け抜ける。5つのボールが一斉に投げつけられるが、一方向からの攻撃なら防御可能だ。
「【テイク】【木箱の蓋】」
前方に木の板を出現させ、投げられたボールを全て受け止める。白ペンキのような液体に塗れた板をアイテムボックスに回収すると、即座に反転して南西ブロックへと逃げ込んだ。
俺たちを追う鬼は、虫網タイプが2体とボールタイプが3体。残りは別のプレイヤーへと向かったのか姿が見えない。追う側と追われる側の足の速さはほぼ互角。1秒に数センチずつくらい引き離している気がするが、このペースでは逃げ切る前に他の鬼と鉢合わせする可能性の方が高い。
だから、ここで鬼を迎え撃つことにした。
「雪羽さん、いいですか?」
「ああ」
丁字路で左右に分かれる。周囲に他の鬼がいないことを確認して反転する。
こちらに来た鬼は虫網タイプの2体。俺が木の板でボールを受け止めたことを考慮してのチーム分けだろうか。手加減する気はさらさら無いらしく、2体同時に虫網を振るってきた。
「【テイク】【汚れた木箱の蓋】」
先ほどクラスチェンジした道具を再び呼び出す。ドロリとした液体がたっぷり付着している面を押し付けるように蹴飛ばすと、狙い通りに鬼の動きが鈍くなってくれた。
「わあっ!? ……うぅ」
虫網を回避してシッポに攻撃を加える。彼らは目を回して力なく崩れ落ち、やがて地面に染み込むようにして消えていった。
「雪羽さ――」
――声をかけようとして、思わず息を呑む。
彼女は3体の鬼と対峙したまま静止していた。片足を軽く上げ、相手を射抜くような視線を向けている。圧倒的に有利な立場にあるにもかかわらず、3体の鬼は身体を束縛されたかのように動かない。
どのように攻めても彼女には通じない。そんな確信に近い予感を、彼らも抱いているのかもしれない。
周囲から音が消える。僅かな時間が異常なまでに長く感じる。
窒息しそうなこの空間で最初に動いたのは、雪羽の正面に立つ鬼だった。
「こ、このっ!」
喘ぐようにボールを投げつける。呼応するように左右の鬼も腕を振る。相当のスピードだったが雪羽は慌てない。まるでそれを待っていたかのように彼女の身体が大きく沈み、青いスキルエフェクトが周囲を照らした。
「雷装脚!」
空気が破裂する音とともに鬼が宙を舞う。悲鳴を上げた相手には目もくれず、続いて右の敵を速やかに制圧する。左から投げつけられたボールを冷静に避け、自らの間合いにまで接近した彼女は、最後のターゲットも簡単に攻略してみせた。しかし、
「雪羽さん、屈んで!」
「え――きゃっ」
くそ、間に合わなかった。
屋根の上にさらに1体の鬼が隠れていて、こちらの死角から襲ってきたのだ。
ボーっとして見ていた自分の迂闊さを呪う。『背後を守る』とか言っておきながら何てザマだ。
「これは……くっ」
雪羽の肩が白く汚されてしまっている。明らかに動きが鈍った彼女を捕まえようと犯人が屋根から飛び降りる。その掌がターゲットに届く前に、投げたロープで大きなシッポを捕まえた。
「ッ!? 何だこのロープ!?」
そんな疑問には答えてやらない。
驚く鬼を力まかせに手繰りよせる。そして、即座にシッポに蹴りを入れてやった。
* * *
「雪羽さん!」
索敵を終えて雪羽のもとに駆け寄る。
彼女は唇を噛んだまま、左肩にベットリと付着した白い液体を睨みつけていた。
「う……これは、厳しいな」
細身の身体が頼りなくフラついている。衣服が少し汚れた程度だというのに普段のシャープな動きは見る影も無い。まるで蜘蛛の糸にからめ取られたかのようだった。
自分の迂闊さを謝りながら手を差し伸べる。しかし、彼女は「アキトが気にする事じゃない」と首を振って、俺の手を取ろうとしなかった。
「ここで別れよう。私はこの民家に隠れて汚れを洗い流してみる。確か井戸が使えた筈だ」
「別れよう、って……」
雪羽はそう言うけれど、水で洗ったくらいで落ちるような汚れには見えない。またいつ強制転移をさせられるとも知れないし、とてもこのまま別れる気にはなれない。
「だったら、俺も付き合います」
「ダメだ。足手まといにはなりたくない。そんな情けない姿を見せるくらいなら、」
――いたぞ! こっちだ!
遠くから聞きたくない声が聞こえる。困ったことに1分も休憩をくれないらしい。
これ以上押し問答を続けている時間はない。そう判断して、有無を言わせずに雪羽の身体を抱き上げた。
「待ってくれ、私を連れていたらアキトまで捕まってしまう」
「大丈夫ですから、少しの間しがみ付いていてください」
言葉を遮って強引に腕に力を入れる。こちらを見ていた雪羽はまだ何かを言いたそうな顔をしていたが、すぐに視線を外して俺の背中に手を回した。




