38話 竜追い祭3
屋根の上から逃げた俺は、再び狭い路地を移動していた。
周囲の気配を慎重に確認する。町をぐるりと囲む外壁の上にも鬼が現れたので、彼らにも注意を払わなければならない。姿勢を低く保ち、鬼の視界から逃げるように静かに歩いていく。
イベント開始直後に比べ、明らかにプレイヤーと接触する頻度が少なくなっていた。皆この南東ブロックから他へと移動したのかだろうか。それとも虱潰しに捜索する鬼に捕らえられてしまったのだろうか。
『3~4時間で全滅』という竜胆ササメの発言は、ただの冗談だったり、やる気の感じられないプレイヤーを発奮させようとした訳ではなく、単に本当のことを告げただけなのかも知れない。だとしたら、652人の参加者があっという間に減らされたとしても不思議じゃない。プレイヤーを楽しませるイベントとしては失格だと思うけれど。
ゲームウインドウを開いて時計を確認する。現在時刻は14:00なので、獲得したポイントは3600。当面の目標にしている15000ポイントまではまだ遠い。
現在地は南東ブロックの西側。目的地はこの町トップクラスの気難しさを誇るNPCの店だ。曲線を描く長い路地を抜けて、突き当たりを左折すれば――
――あ。
前方30メートルの位置に鬼を発見。慌てて引き返そうとしたら、後方にも鬼が現れていた。
緊張に鼓動が少し早くなる。周囲を確認しながら逃げる手を考える。
外壁からの目があるので屋根の上には登れそうにない。近くに木箱や樽が乱雑に置かれているけれど、どれも身を隠すには小さすぎる。残るは壁に立て掛けられた木材の裏くらいだ。
だが、大量の木材でできた壁には僅かな隙間がいくつもある。こんな状態では姿が見えてしまうかもしれないし、そもそも横から覗き込まれたら丸見えになってしまう。
安全な隠れ場所だとは思えない。しかし、他の選択肢を見つける前に2体の鬼がこちらへと向かってきた。
こうなったら仕方ない。
諦めて木材の陰に入る。見つからないように祈りつつ、息を潜めて鬼の足音に耳を傾ける。
石畳の上を歩く音はそれなりに響く。ゆっくり一定のリズムを刻むそれに今のところ変化はない。まだ俺の存在に気付いていないはずだ。
「……ここにはいないか」
隠れてから約40秒後。俺の目の前で、尻尾を生やしたNPCが呟いた。
相手の姿を確認できるということは、向こうからも俺の姿が見えるハズだ。木材の僅かな隙間から見える光景は中々にスリリングだった。
「あ、お疲れ様です」
「やあ。そっちはどう?」
「まずまずです。捕まえたのは100人程度ですけれど、これからが本番ですからね」
目の前で交わされる会話が心臓に悪い。いつでも飛び出せるように準備はできているけれど、できれば何事も無く終わってほしい。
「どうしたんですか? そんなにキョロキョロして」
「いや、誰かに見られているような気がしてさ」
目が合った――気がしたけれど、どうやら勘違いだったようだ。黒っぽい衣装を着ていたお陰か、幸運にも発見されず、そのまま鬼の会話が続行する。
「このブロックにはもう殆ど残っていないと思いますよ。大がかりに捜索しましたから、みんな警戒して別のブロックに移動したハズです」
「作戦は順調ってことかな」
「はい。この南東ブロックから始まって、南西、北西と順番に捜索していけば、自然とササメさんが待つ北東ブロックに集まりますからね」
「メインストリートの監視は?」
「足の遅い何割かは捕まえつつ、ちゃんと北東ブロックに逃げ込み易いようなシフトを取っています。人間は各々がバラバラに動いていますから、今のところ十分対応できていますよ」
「そう。南西ブロックの一斉捜索は何時からだった?」
「ええと、1時間で次のブロックに移動ですから、14:00から……って、ああー! もう始まっちゃってますよ!」
「そ、それはマズいな。ササメさんに怒られてしまうよ」
顔を青くした鬼が頭を抱える。彼らは互いに頷きあうと、ひどく慌てた様子で走っていった。
* * *
武器屋【ドラゴンスレイヤー】は工房と店が壁一枚を隔てて繋がっているため、出入り口が2つ存在する。その事を思い出してこのお店を目指していたのだけど、店の中では相変わらず不機嫌そうな女店主が暇そうに頬杖をついていた。
「……という会話を聞いたんです。鬼も考えて行動しているんですね」
「ふーん。で、そんな情報をアタシに話して何になるんだ?」
ちょっとした世間話のつもりだったのに、女店主は素っ気無い態度でバッサリと切り捨てる。話の途中から磨きだした剣を陳列台に戻し、ワザとらしい溜息を吐いてみせた。
「ったく、迷惑な話だよ。祭りだか何だか知らないが、全然客が来ないから商売上がったりだっつーの」
「客が来ないって、普段と変わらないじゃないですか」
「やかましいわ!」
ボサボサの赤髪を振り乱してアリーセが絶叫する。触れてはいけない所に触れてしまったようだ。
「ったく。お前何しに来たんだよ」
「素材を手に入れたので、アリーセさんに武器を改造して貰おうと思って」
その一言で、不機嫌一色だった彼女の目がキラキラと輝いた。
急かされるままに素材を並べると、彼女はひとつひとつを手にとって丁寧に品定めしていく。そして不思議そうに首を傾げた。
「火炎核に白光核、魔獣の牙に骸骨、そしてミノタウロスの角か。どれも状態に問題はないが……お前、一体どこに行ったんだ? 草原や渓流じゃこんな素材は取れなかったハズだが」
「ちょっと地獄に行ってきました」
ややきつい彼女の目が丸くなる。怒られるかと思っていたけれど、彼女は「よく帰ってこられたな」と笑っただけで、大した反応は見せなかった。
「巫女が許したのならアタシが言うことは無いからな。それよりも、どうする? アタシはマンゴーシュをベースにした強化がベストだと思うが」
アリーセの説明によると、耐久度がさらに強化されて、さらにステータス補正の効果も発生するという。デメリットも無いらしいので、提案に従って強化してもらうことになった。
「よし。手間賃として2000ジュエル必要だ。問題ないか?」
懲罰エリアでは一切お金が入手できなかったものの、所持ジュエルは30000程度ある。了解の意思を示すと、彼女は「30分くらいで終わるから待っていろ」と言い残して奥へと歩いていって――ひっそりと置いてあった大きな木箱を蹴飛ばした。
「うひゃあ!?」
1辺1メートル程度の立方体から甲高い声が漏れる。アリーセが慣れた手つきでその蓋を開けると、中から茶色い獣耳がピョコンと出てきた。
「そんな所で縮こまっていても退屈だろう。アタシの客の相手でもしていてくれ」
「りょ、了解ッス」
恐る恐る、といった様子で箱の中から出てきたブラウンの目がこちらを向く。
頭の上に表示されていた名前は【黄金☆たると】。黒縁の鼻メガネを装着した彼女は、いかにも甘いものが好きそうな獣人系プレイヤーだった。
「あ、どうも。最近すっかり肩身の狭い獣人ッス。イジメないで欲しいッス」
男の獣人と違い、女性の獣人は人間と大して変わらない。獣耳と細長い尻尾が生えているものの、それらを隠せばほぼ人間のような容姿をしている。ただし耳を隠すと違和感がとても大きいため、帽子などは装着できないらしい。
「肩身が狭いって、PK騒ぎに関係してるんですか?」
「そうッス! 犯人が獣人系だって噂が広がるにつれて周りの反応がちょっと冷やかになったというか、フレが少なくなったというか……とにかく、あの犯人には迷惑してるんス!」
嫌な過去でも思い出したのか、既に泣きそうになっている。話を聞いてみたかったけれど、彼女は大きな耳をペタンと折り畳んでしまった。
「もうこれ以上イジメないで欲しいッス。獣人だって生きてるんス。赤い血が流れてるんス。……見たこと無いスけど」
そんな彼女と改めて自己紹介を交わす。思った通りにタルトが大好きな人だった。どれくらい好きかと言えば、ゲームの開始直後から何よりも先に洋菓子屋を探し、店主に頼み込んでタルトを作らせた程だ。NPCに作り方を1から教えたらしい。
「あのオジサン、中々いい腕をしてるんスよ! 特に私がレシピを渡した【ゴールデンロイヤルタルト】は、食べてサクッな香ばしい生地、柔らかな口どけが最高な果物、そしてふわっふわのクリームが絶品で……その破壊力たるや、一口で昇天しちゃうッス! 北の宿屋からまっすぐ東の所にある【エルドラド】って小さな洋菓子屋で買えるから、ぜひ食べてみて欲しいッス!」
話を聞いているだけで甘い物が食べたくなってきた。このイベントが終わったら買ってみようかな。
「ところで、黄金☆たるとさんは、ずっとこの木箱に隠れていたんですか?」
「フルネームを音読されるのは恥ずかしいッス。たるとで良いッス。私は南西ブロックにある【竜の塒】って酒場に隠れていたんス」
彼女は得意そうにその時の様子を語る。畳まれていた大きな耳がピクピクと動き、ふさふさした尻尾がピンと立った。
「酒場といえば酒樽っス。私はその中に入ってスニーキングしてたッス。偽装は完璧で、誰も正体を見破れなかったんだけど、樽の中に充満していたお酒のニオイに酔っ払っちゃって……気付いたらこの店の箱に入っていたッス」
「……よく無事でしたね」
「ふふん、獣の本能をナメちゃダメッス。それであの小むす、じゃない、アリーセ嬢に改造されそうになるという危機を乗り越えて、そのまま篭城中だったんス。箱入り娘ッス」
いちいちツッコミしていたら話が進まないので全部スルーした。
「それじゃ、外の様子はあまり知らないんですね」
「何だか物騒な幼女が徘徊してるみたいッスよ。『まっ黒すけー! どこだー!』って叫びながら、バズーカみたいなアイテム担いで街を走り回ってるッス。まっ黒すけはさっさと捕まって欲しいッス」
それは勘弁してください。
「キャッキャウフフ的なイベントだと思いきや、さすがにムーンヴィレッジのイベントだけあって難易度が高いッス……でも、あの竜胆ってコスプレ女にギャフンと言わせるまでは絶対に諦めないッス。秘策でイチコロッス」
「秘策、ですか?」
「ふっふーん。悪いけどこれはトップシークレットってヤツなんス。簡単には教え……ぬああ!?」
彼女の言う【秘策】が気になって身を乗り出したら、たるとが素っ頓狂な声を上げて俺の手を掴んだ。
「な、何ですか?」
「兄さん! アンタ、いや、貴方はもしや草原をクリアしたんスか?」
「はい。皆に助けてもらって何とかクリアしましたけど」
どうやら竜の爪の意味を知っているらしい。乞われるままに当時の事を話すと、彼女は蜜でコーティングされた桃のように目をキラキラさせた。
「凄いっス! 未だにあの馬鹿でかゴブリンを倒せなくて枕を濡らしているプレイヤーが多いのに、そんな涼しい顔で『あ、倒しましたよ』なんて言い放つなんて!」
言ってない。かなり綱渡りな勝利だったと説明したのに全く伝わっていない。慌てて訂正しようとした俺を制して、彼女はひたすら喋りまくる。
「広範囲にスタン効果がある地震と巨大棍棒のコンボは凶悪の一言ッス。鬼畜ッス。悪夢ッス。まさか最初のエリアで詰むとは思っていなかったッス。もう3回もあの棍棒に叩き帰されたッス」
痛みを感じる暇もなく中央広場に戻され続けた結果、彼女の所持金は既にスッカラカンに近いらしい。
「下がった分のレベルを戻すだけでも時間がかかる上に、所持金もアイテムもどんどん減っちゃうし……銀行みたいなお金を預ける施設が無いってのが辛いっスよね。イジワルなゲームッス」
体力が尽きると、その時点で所持金が半分になってしまう。換金率の高いアクセサリや、露天で売りやすい回復アイテムなどに換えておくことで被害を軽減できるとはいえ、それにも限度があるのだ。
「お願いです兄さん! あの馬鹿でかマッチョゴブリンの攻略方法をどうか教えて下さい! もう夜中に草原でレベル上げするのも限界なんス! 夜勤は辛いッス!」
「たるとさんは、いま何レベルなんですか?」
「睡眠のための6時間を除いて、夜中にずーっと草原でワッショイして12レベルまで戻したッス。でも、いくら攻撃しても少しもダメージが通っている気がしないんスよね。あの脳筋マジ厄介ッス」
大きな耳と尻尾が力なく垂れ下がる。
あまりに困っている様子だったので、彼女の言う【秘策】を教えてもらうことを条件に、俺の知っている情報を色々と教えることにした。
「ほうほう、あの脳筋がそんな行動を……え、あの頭のてっぺんが弱点だったんスか!? どうりで5人がかりで足を攻撃しても無駄だったんスね……なるほど。後はどうやって転ばせるかってのが問題ッスが」
「それならアタシが道具を作ってやろうか?」
すっかり話し込んでいたらしい。もう30分が経過したようで、気付けばアリーセが工房から戻ってきていた。
彼女からマンゴーシュを受け取る。刃の色が紫に変わっているくらいで外見に大した変化は見られない。しかし装備してみると、強靭度に30ポイントもボーナスが付与されていた。
「マナに対する抵抗力も上昇している。【火球】や【氷弾】程度の弱い術なら正面から受け止めても無傷でいられるだろう」
「わかりました。ありがとうございます」
アリーセは満足そうに頷くと、隣で目をキラキラさせている獣人に視線を向けた。
「あの、アリーセ嬢。ひょっとして罠アイテムとかも作れるんスか?」
「材料さえ用意できればな。草原で採取できるモノが大半だからアンタでも問題なく集められるだろう。一番厄介そうなのは【モスコプスの卵】だが、運がよければ露店に出ているかもな」
アイテムのイメージは、落とし穴と鳥黐(みたいな物)を利用した罠だという。あのゴブリンは道具を利用して撃破できるように設計されていたようだ。今後のネイムド攻略にも使えるかもしれない。良い事を教えてもらった。
「ううむ。やっぱりレベルを上げてゴリ押しってのは通用しないんスねぇ。でも今度こそあの脳筋を沈めてやるッス。ザビエルさんみたいな髪型にしてやるッス!」
たるとが黒縁メガネをキランと光らせる。弱点に攻撃できればきっとクリアできるだろう。ちょっと良い事をしたような気分になって、なんだか俺も嬉しくなった。
「ところでお前ら。さっきからこの店が包囲されてるんだが」
ほのぼのとした雰囲気がこのまま続けば良かったのに、そんなワケにはいかないらしい。アリーセの一言によって、店内は一気に緊張感に包まれた。




