37話 竜追い祭2
ボロはしごを登った先は、陽光がさんさんと降り注いでいて暑いくらいだった。
赤い屋根の傾斜角は15度くらいだろうか。足元はしっかりしているので、足を滑らせる心配は無さそうだ。
「あれ、ハシゴは移動できないのか」
鬼が登れないようにしたかったけれど、それは許されないらしい。
音を立てないように気をつけながら屋根の頂上まで登っていく。幸いなことに鬼の姿は見当たらないので暫くは安全に身を隠せるだろう。そう思いながら屋根の反対側を確認すると、気持ち良さそうに寝転がっていたプレイヤーと目が合った。
「よう。いらっしゃい」
右手を上げて挨拶してくる。赤い色が目立つ容姿なので【皇帝】系だろうか。会釈すると、男は小さくアクビしながらゆっくりと身を起こした。
「やっぱりこの場所って良いよな。周囲はやたら騒がしいけれど、ここなら鬼に奇襲されることも無さそうだし」
人懐っこい笑みを浮かべながら静かに近づいてくる。オールバックにしている赤髪を整え直した彼は、ごく自然な動作で俺の隣に腰を下ろした。
「あ、もう見えてると思うけど【特許許可局】ってんだ。よろしくな」
差し出された右手を握り返す。遅ればせながら俺も名乗り返した。
「個性的な名前ですね、許可局さん」
「敬称なんて要らないから、ちゃんとフルネームで呼んでくれ。そして盛大に噛んでオレを笑わせてくれ」
またひとり、変な人と出会ってしまった予感がする。
彼はずいぶん暇を持て余していたようで、嬉しそうに喋りはじめた。
「男のコスプレイヤーに追っかけられちまってさ、慌てて梯子を登って逃げてきたんだ。アンタもそうかい?」
「ええ、まあ。鬼は手強かったですか?」
「んー、どうだろうな。今回はわりと簡単に振り切れた気がする。あの相手なら捕まる気はしねーな。オレを捕まえるのは竜胆ササメたんって決めてるし」
握っていた手を離し、周囲を見回しながら彼が言う。ひょっとしてササメの姿でも探しているんだろうか。
「ササメたん可愛いよなー。あんなコスプレ美女に気が済むまで踏まれたい。割とマジでそう思うんだけど、別に変じゃないよな?」
その判断は医者に任せたい。個人的には病気の可能性も否定できないと思う。
「何だよ黙っちまって。ノリが悪いな初心者くん。せっかくのイベントなんだからもっと楽しもうぜ」
「……あれ、俺のことをご存知なんですか?」
「おりょ、自分が有名人だって本人が知らないパターン? オレの周りじゃ【初日から奇天烈なリュックを背負って町を駆け回る将来有望な廃人】だって評判なんだけどな」
渋い顔になった俺を見て、彼は無邪気にケタケタと笑う。
「なあ、アレって何の意味があるんだ? 最初は頭がイカレちまったのかと思って心配してたんだけど、こうして話してみると意外と普通だしさ。何か意味があるんだろ?」
「あれは、ちょっとした準備運動です。NPCの老人に色々教わっているんですけど、日課にするよう指示されていて」
「へぇ、そんなキャラがいるんだ。このゲームって本当に色んなNPCがいるよな。俺が知ってるだけで100人くらいいるけど、全員が何らかのイベントに関わってくるらしいぜ。詳細は全然明らかになってないけどさ」
ごろん、と無防備に寝転がった許可局は、大きなアクビをしながら赤目を細くした。
「このゲームってイベントが町中に転がってるよな。まだ高難易度のイベントには出会ってないけど、退屈しそうになくて良いよ。夜は嫌いだけどさ」
「今のところ、夜はけっこう暇になりますよね。1人だと出来ることが少ないですし」
気軽にログアウトできないこのゲームでは、夜の時間が意外な強敵になる。
運営側の配慮なのか、宿にはあらゆる電子書籍や映画、過去のテレビ番組などの娯楽コンテンツが用意されていて、無課金で自由に見られるようになっている。とても消費しきれない量が用意されているのだが……飽きるものは飽きるのだ。
俺の場合、空いた時間は基本的にレッスンの復習に当てている。それでも時間を持て余すことが間々あるので、夜が嫌いな彼の気持ちはよく理解できた。
「ああ。宿にある動画もマンガも見たことある物ばかりでさ。興味ないジャンルを開拓する気にもなれねーし、でも必要以上に寝るのもバカらしい。運営にさっさと娯楽施設をオープンするよう注文しておいたけど、予定についてはお教えできません、だってさ」
不満を隠そうともしないで嘆息する。運営に文句を言いながらも、彼は普通にゲームを楽しんでいるようだ。そんなことが、俺には少し意外に感じられた。
「PK騒ぎとか、あまり気にならないんですか?」
「ん? ああ。【獣人】系のプレイヤーが渓流で暴れてたってヤツか? そういえばどうなったんだ?」
どうでもいい、という心の声が聞こえてくるようなトーンで質問を返される。どうやら、彼はあの事件にあまり関心が無いみたいだ。
「いま犯人は姿を消しているみたいです。このまま再登場しなければ良いんですけど」
「ふーん。とうとう運営に怒られたのかねぇ。あの騒ぎでフレがひとり止めちまったよ。『こんなゲームやってられるか! 俺はもう降りるぞ!』ってさ」
勿体無いよな、と許可局がアクビ交じりに感想を呟く。
「やっぱり結構な騒ぎになっていたんですか?」
「うん? お前だってあの騒ぎの事くらい知ってるだろ?」
「あ、いえ。ちょうどその間、町から離れていたんです」
「ふーん。お前も結構頑張ってるんだな」
特に気にならなかったのか、彼は簡単に当時の様子を教えてくれた。
「えーと、確か10日目くらいにPKの噂が出たんだよ。その時は都市伝説みたいな扱いで誰も気にしていなかったんだけど、11日目、12日目と目撃者が多くなってきてな。確か『目の前でフレを殺された!』って騒ぐヤツが現れてから、本格的に噂が広まったような気がする」
彼は記憶を掘り起こすように自分のコメカミに拳を当てる。目を閉じているのは意識を集中する為か、単に眠いからか。
「目の前で殺された? その人は無事だったんですか?」
「ああ。他にも目撃だけして無事だったヤツは何人か居るみたいだぜ。相手が速すぎたせいで、犯人の名前もロクに確認できなかったって嘆いていたな」
チリアットは、遭遇した相手全員を殺している訳ではない。これは運営の話と共通しているみたいだ。
「ひょっとして、殺されなかった人って相当強い人なんですか?」
「そりゃ既に渓流に進んでるんだから弱くはないと思うけどさ。オレが知ってるヤツはレベル15だった」
その目撃者は完全に無視されていたらしい。何だか俺が見たチリアットとイメージが一致しない。しかし、容姿など、それ以外の情報は俺の記憶と同じだった。
「んで、騒ぎのピークは一昨日の13目日だった。『運営仕事しろ!』とか『違反者を厳罰に処せ!』とか、中央広場に結構な人数が集まってGMに文句を言ってたな。補償目当てで騒いでいたプレイヤーもけっこう混ざっていたらしいが」
PKの被害者全員がその集まりに参加していたのだろうか。それを尋ねると、彼はすぐに首を横に振った。
「うんにゃ。オレが知ってる被害者は1人だけなんだけど、そいつは普通にゲーム続行してたぜ。別に気にしちゃいないんじゃないか? PKっつっても本当に死ぬ訳じゃないし、人型のモンスターに襲われたと思えば大した事じゃない。ま、相手にバカにされた上に負けたって考えると確かにムカつくけどさ。ネットゲームなんて、大なり小なりそんなコトは日常茶飯事なんだし」
中にはPK騒ぎを面白がっていたプレイヤーもいるぜ、と許可局が笑う。
「本来不可能な行動ができるプレイヤーが出現したってコトは、つまり致命的なバグが発見されたってコトだろ? 『美味しいバグが存在するかも』って考えたヤツがいて、いろいろ試行錯誤していたな。オレも町一番の高さを誇る【エンジェルガーデン】の天辺に上ったり、中央広場の砂時計に攻撃してみたりしてバグが起きないか試してみたけど……GMに怒られちまったよ」
何をやってるんですか。
「ま、口頭注意で済んだんだけどな。被害に遭っていない外野なんてこんなモンだよ。PKについて騒いでいるヤツは大抵が被害者のフレで、他は特に気にしていないってヤツが多いと思う。オレも今一番の関心事が何かって聞かれたら、迷いなくササメたんのおっぱいサイズだって答えるし……」
不意に、ガタ、と小さな音。
隣の眠そうな目がにわかに鋭くなる。いつでも行動できるよう姿勢を整え、屋根のへりを注目する。
カタン、カタン。
誰かがハシゴを登る音だろうか。聞き逃しそうなくらい小さな音が、風に乗って運ばれてきていた。
「……敵襲か?」
「かも、しれません」
「ササメたんだったら、オレはあの爆乳めがけてダイブしようと思うんだ」
この特許許可局という男、実は大物かもしれない。俺にその発想は無かった。
「捕まっちゃいますよ」
「何だよノリ悪いな、あんなスタイル現実じゃまずお目にかかれないってのに。もっとこのファンタジーな世界を楽しもうぜ? ダイブは冗談にしても、じっくり観察するくらいバチなんて当たらないだろ」
「あんまりジロジロ観察したら怒られる気がしますけどね」
そんな俺の意見は即座に否定された。
「おいおい、何を情けないコト言ってるんだお前は。いいか? 容姿を褒められて気分を害するような娘は滅多にいない。つまり、褒める為にじっくり肢体を観察することは別にダメじゃないんだ」
反論を許さない勢いでこぶしを振り上げる。眠そうだった目がギラリと光り、彼のやる気が嫌でも感じられた。
許可局は襲撃者を出迎えるように俺の前に進み出る。そして微妙にカッコいいポーズを決めて白い歯を光らせた。
「いいか? オレはまもなく光臨する女神を褒め倒す。彼女はきっと頬を染めて喜んでくれるだろうフヒヒ。シャイボーイはその様を見学して勉強するが良いフハハ!」
ハシゴを登っている人物が美女なのか、そもそも女性なのかすら不明なのに、そこまで言い切るメンタルは俺も学ぶべきかもしれない。絶対口には出さないけれど。
「ところで、ちょっと遅くないですか? そろそろ姿が見えても良さそうなのに」
「うむ。オレっちの美声を聞いて恥らっているのかも知れんな」
すっかりキャラが変わっている彼は気づいていないが、何だか様子がおかしい。ハシゴを登るリズムがひどく不安定だし、時々どこかに身体をぶつけているような音がするのだ。
感覚を研ぎ澄ませてさらに詳細に気配を探る。
……あれ? この感覚、どこかで会った事があるような――
「――んしょ、んしょ。もう、こんなハシゴがあるなんて聞いてないよ。探す範囲が広くなるから大変なのに……って、ああー!」
登場した女の子が丸っこい声を尖らせて叫ぶ。緑色の目を三角にして、小さな指を俺にビシッと突きつけてきた。
「さっきのウソツキなひとだ! 考えたら今この町にいるのは参加者だけなのに、部外者が紛れ込んでる訳ないもん! よくも騙したな!」
ぷんすか怒っている女の子の名前は【羽竜アリス】。彼女はピョンと屋根に飛び乗ると、小さな牙をぎらりんと光らせて叫ぶ。
「かくごしろ、まっ黒すけ! 今度はダマされたりしないもん!」
まっ黒すけって俺の事だろうか。
大きな尻尾がばしばしと屋根を叩いている。騙したつもりは無かったのだけれど、どうやら相当ご立腹のようだ。
「特許許可局さん、ぜひ彼女を褒め倒して下さい。勉強させてもらいますから」
「…………るか」
るか?
俺がリクエストするも返事がない。今こそ彼の話術が輝く時だと思うのに、特許許可局は残念なモノを見るような目をアリスに向けたまま。ウンともスンともピクリとも動いてくれない。
「赤いお兄さん……えーと、とっきょきょきゃきょきゅさん。すみませんが、ちょっとどいて下さい」
アリスは俺しか眼中に無いらしく、許可局に向けてそんな事を言う。しかし彼はやっぱり動かない。瞬きはおろか呼吸すらしていないので段々と心配になってきた。
「……許可局さん?」
「なあ、アキト」
「どうしたんですか」
「おっぱいが無い」
「はい?」
「オレのおっぱいがどこにも無い」
やばい、この人壊れた。なんか身体が芝刈り機みたいにプルプル震えだした。
「言葉で表すならぺたん、だ。たゆん、じゃない。ぺたん、だ」
「ねー、聞いてるの? わたしはあのまっ黒なウソツキ人間に用があるんだから、」
「見ろ! アキト!」
不審者がアリスのワンピースドレスに手をかける。ぐっと手に力をこめて、服を小さな身体に押し付けるように、ふわふわした裾を思いっきり下に引っ張った。
「うにゃあっ!? な、なにを――」
「――こんな事をしても膨らみが全く確認できない! こんなブラジャーもストライキしたくなるレベルのおっぱいなんぞ誰が褒め」
そして、彼は星になった。
轟音と共にくの字になって吹っ飛んで、そのまま弾道ミサイルみたいな勢いを維持したまま空の彼方に運ばれていった。別れを惜しむ暇も無かった。
「アリス知ってる。ああいう人間は【ドへんたい】って言うの。世界の平和を守るためにお掃除しなきゃいけないの」
直径20センチ、長さ1メートルくらいの筒から煙が立ち上っている。
アリスは大きな砲口に「ふっ」と息を吹きかけると、そのまま花柄の兵器を俺に向けてきた。まるで紛争地帯で暴れる伝説の傭兵みたいなオーラを放っている。
「かくごしろまっ黒すけ! おとなしくお縄につきやがれー!」
「あの、いま目の前で人が死んだような気がするんだけど」
「もんどうむよう! くらえー!!」
小さな身体が反動に身構えるように動く。迷いなく指が動いて、砲口から凶悪な弾が発射される――ことはなかった。
「……あれ? あれ? どうして撃てないの? 壊れちゃった?」
「ひょっとして、再装填しないと使えないとか」
「さいそーてん?」
「もういちど弾を込めることだよ」
「あ、ああ! さいそーてんね、さいそーてん。そうなんだ。さいそーてんしなきゃ使えないんだ。教えてくれてありがとう!」
恥ずかしそうに顔を赤らめた彼女は「ちょっと弾を取ってくるね」と言うと、ハシゴを降りてどこかへと行ってしまった。




