36話 竜追い祭1
平和なまま時は過ぎて、迎えた15日目の12:45。俺が中央広場に到着した時には既に多数のプレイヤーが集まっていた。
どこを見ても腕章を装備したプレイヤーが目に入ってくる。公式発表で652人が参加しているという話だから、このイベントはかなり盛況のようだ。
中央広場には見慣れない円形ステージが出現していて、その上で女性型NPCが声を張り上げていた。
「皆様、ようこそお集まりくださいました。このあと13:00より【竜追い祭】が開始されます。頑張った方は激レアな賞品が入手できますので、全力で挑んでくださいねー!」
艶やかな黒髪を靡かせて愛嬌を振りまいている。そんな彼女の頭には、鹿のような角が2本生えていた。ややつり上った目は金色。笑う口元には鋭い牙が見えていて、レースクイーンを連想させるような衣装が成熟した身体をこれでもかと強調している。下品ではないが、直視を躊躇ってしまいそうな装いだ。
「私は、このお祭りの司会進行を仰せつかりました【竜胆ササメ】です。これでも皆さんを捕まえるドラゴンたちのリーダーなんですよ。容赦なく襲っちゃいますから覚悟してくださいねー」
爬虫類のような瞳の形とウロコに覆われた腕や脚。そして腰の辺りからはドラゴンの尻尾が垂れている。人間とは一線を画す容姿だけれど、かなりの美人だと評価する人が多いだろう。惜しげもなく健康的な肌をさらす彼女は、プレイヤー(特に男)の視線を一身に受けながら笑顔を振りまいていた。
「あのNPC、ずいぶんと挑発的な衣装ですね」
いつのまにか隣に立っていたダージュがくすくすと笑う。その後ろには夏秋冬もいて、俺に手を振ってくれた。
「ドラゴンのコスプレって言うより竜人のコスプレだよね。隣に立っているNPCはアイドルみたいな男の人タイプだし。女の子は皆そっちばかり見てるよ」
「夏秋冬さん、ああいう人が好きなんですか?」
「カッコいいな、とは思うよ」
リラックスした表情で夏秋冬が笑う。その言葉ほどには興味が無いのか、彼女は自分の姿について感想を求めてきた。
夏秋冬はいつもの魔術師ローブではなく、シフォンワンピースのような衣装を着ていた。ドット柄のそれは軽くて動きやすそうだ。絹糸のような銀髪はポーニーテールになっていて、いつものリボンと小さなコサージュがくっついている。
「かわいいですね」
「えへへ、ありがと。お世辞でも嬉しいよ」
「本当ですって。もちろん雪羽さんも似合ってますよ」
「そ、そうか」
少し遅れて登場した雪羽は、いつもと違ってパンツスーツのような出立ちになっていた。シンプルな装飾とシックな黒が凛とした雰囲気をさらに際立たせている。とてもよく似合っていることを証明するように、周囲の多くが彼女に視線を送っていた。
「格好いいです」
「……それは褒めているのか?」
褒めたつもりだったのに、雪羽が不服そうな表情になる。どうやら言葉を間違えたらしい。
「雪羽さんは青色が好きだと思っていましたけどね」
「べつに青しか着ないわけじゃない。今日は黒系の気分なんだ」
「ああ、物陰に隠れやすそうですもんね」
「……そうだな」
また言葉を間違えたらしい。女の子のファッションを褒めるだなんて似合わない事をするんじゃなかった。
「弱った顔をするお兄様も素敵です」
「……ありがとう」
ひょっとしてバカにされているかもしれないけれど、とりあえずそう言っておいた。
「アキトくん、勝負のコトちゃんと覚えてる?」
「覚えてますよ。でも本当にやるんですか」
「もちろんです。お兄様」
力強く頷く夏秋冬とダージュ。その目はやる気に燃えている。何だか2人が本当に最後まで逃げ切りそうな気がしてきた。
「大丈夫です。お兄様が嫌がるような事はしませんから」
どうやら自分の身は自分で守るしかなさそうだ。
「それにしても、ずいぶん人数が集まりましたね」
「初めての大きなイベントですからね。とりあえず参加しておこうと考えている人も多いと思いますよ」
確かに、会場の雰囲気はそんな感じだ。
友達とお喋りしているプレイヤーばかりで、会場はかなり賑やかになっている。そんな俺たちに向かって注意をするNPCを見ていると、何だかテーマパークのアトラクションに参加しているような気分になってきた。
「みなさーん。ちゃんと説明は聞いていてくださいよー。後で文句言われても知りませんからねー」
引率の先生みたいなセリフにも周囲は少しも静かにならない。ササメは諦めたようにもう一段声を大きくした。
「腕章はちゃんと装備していますかー? この腕章はただの布きれじゃありません。皆様の成績を管理したり、私からのアナウンスを受信する為に必要なんです。くれぐれも落とさないように注意してくださいね。落とした時点で失格になっちゃいますよー!」
それが最後の説明事項だったらしい。竜胆ササメは鋭い歯を見せながらニッコリと笑うと、すらりとした右腕をゆっくりと天に掲げた。
「そろそろ開始時刻です。ボーッとしていたらあっという間に終わっちゃいますよ? せいぜい3時間、長くても4時間程度だろうと思いますけどね」
3~4時間程度って、何のことだろう。
私語でザワついていた中央広場が少しだけ静かになる。
「何の話をしているんだ?」
そんな誰かの質問に対し、ササメはよく通る声で「皆さんが全滅するまでの時間ですよ」と当然のように言ってみせた。
「ぱっと見渡したところ、まだまだヒヨッコばかりですからねー。負ける要素なんてこれっぽっちもありませんしー。おっと、これは言っちゃダメなんでしたっけ」
会場の空気がにわかに硬くなる。
広場を支配していたざわめきが消え、参加者の視線がササメに集まった。
「おや? 皆さんどうしました?」
トボけた台詞がクリアに聞こえる。攻撃的な視線を涼しげに受け流す彼女は「それではスタート位置にご案内いたしますね」と告げて、掲げた手の中に光を灯した。
今から案内? もうすぐイベントが始まるのに? そもそも、この場からスタートするんじゃないのか?
恐らく全員に浮かんだであろう疑問。その答えをササメはすぐに示して見せた。
「それでは行きますよー!」
彼女がパチンと手の指を鳴らす。何かが地下を走ったような気配がして、その直後に現場が白い光に包まれた。
会場から驚きの声が次々と上がる。
周りが一気に騒がしくなったというのに、ササメの声は驚くほどクリアに聞こえていた。
* * *
俺のスタート位置は南門の前らしい。
各人のスタート位置はバラバラになっているようで、雪羽たちの姿はどこにも見えなかった。あれだけの人数を一瞬で転送させてしまうなんて、あのNPCは随分便利な能力を持っているようだ。
強制転移による悪影響が無いことを確認しながら周りを観察する。そしてすぐに、町の様子が明らかに普段と異なっていることに気付いた。
参加者らしきプレイヤーの姿はポツポツと見えるものの、それ以外のプレイヤーの姿が一切見当たらない。南門の付近はいつもプレイヤーで賑わっているのに、まるで夜中のように閑散としているのだ。
町がこんな状況になっているということは……イベントに参加していないプレイヤーが避難させられたか、俺たち参加者が隔離されているのか。普通に考えれば後者だと思うけれど、目の前に広がる光景は、人の数を別にすればいつもの町なのだ。一体どんなカラクリなんだろう。
《もしもし、私の声が聞こえているでしょうかー? 竜胆でーす。これから18:00までの5時間の間、みな様は参加者と私たちドラゴンの姿、そして一部の人物しか見ることができません。関係者だけがこの町に存在する、と考えていただければ結構です。どれだけ暴れても問題ありませんので、心ゆくまで楽しんでくださいねー》
腕輪を通してクリアな声が聞こえてくる。驚くほど静かな町の中で嬉々とした声だけが飛び回っている。
《そうそう、私からのアナウンスは腕輪を装備したご本人にしか聞こえないようになっています。声によって発見される心配はありませんので、ご安心下さいね》
思い出したかのような説明が終わり、イベント【竜追い祭】の開始が宣言された。
* * *
この町のカタチは正方形とほぼ同一になっている。1辺の長さは約1000メートル。町の中心に中央広場があり、そこから東西と南北をつなぐメインストリートが十字に走っている。メインストリートはそれぞれ町の端にある門にまで繋がっている。
メインストリートによって町は北東、北西、南東、南西の4ブロックに分けられている。俺の現在地は南門のすぐ近く。【南大通り】と呼ばれるメインストリートの南端だ。
こんな見通しの良い場所に立っていたら簡単に発見されてしまう。そう考えて即座に東へと進み、南東ブロックにある建物の陰に身を隠した。
さて、これからどう逃げようか。
この町は中心部に近いほど店や施設が多い。また、メインストリートに面した場所にも店や施設が多い。裏を返せば、それら以外の場所は店や施設が少ないので、人通りも少なくなっている。
そんな場所は道も狭く造られており、広くてもせいぜい道幅3メートルほど。狭い道は1メートルにも満たない。だから身を隠すには絶好の場所だろう。
……そう思っていたんだけど。
「うわっ! ……なんだ、鬼じゃないのか」
考えることは皆同じらしい。南東ブロックの中心はいつも人通りが少ないのに、今は30秒に1度くらいの頻度でプレイヤーと鉢合わせしてしまう。俺はある程度気配を察知できるので驚かないけれど、相手はみんな心臓が痛そうな顔をしていた。
「アンタ、悪かったな。お互いさっさと身を隠す場所を見つけようぜ」
鉢合わせしたプレイヤーが片手を挙げて走っていく。
鬼は、全員がひと目でそれと理解できる容姿をしているらしい。鬼が何体存在するかも不明なままスタートしてしまったけれど、今のところ大した数が徘徊している訳では無さそうだ。
この調子なら誰か1人くらいは逃げ切りそうな気がする。けれど、あのNPCによると3~4時間後に俺たちは全滅するらしい。
どんな手を使うつもりだろう。まさか、参加者を一瞬で移動させたあのスキルをイベント中にも使ってくるのだろうか。隠れていても一瞬で見つかってしまうとか。
「……それは、さすがに無いよな」
そう願いながら黙々と潜伏場所を探す。
並んでいる民家は大半がシンプルなワンルームになっており、出入り口も1つしかない。ダージュも言っていたが、こんな場所に隠れたら鬼に発見された時点で詰みそうだ。
「あー! 人間みーつけたー!!」
とはいえ、このまま外を歩いていれば遅かれ早かれ見つかってしまう。こんな事ならもう少し真面目に下調べをしておくべきだった。
「あれ? もしもーし。おーい、そこの黒っぽい服の人間さーん」
個人的な目標は17:10まで逃げること。15000ポイントで【古の竜酒】なる高級酒と交換できるのだ。これを師匠にプレゼントしたらきっと喜んでくれるだろう。
「聞いてるのかこんにゃろ-! ドラゴンだぞー! 捕まえちゃうぞー!!」
「ん?」
考え事に夢中になっていると、さっきから甲高い声を出している小さな女の子が怒り出した。
くりくりと丸い緑の目と赤く染まった頬。よく見ると頭には小鹿のようなツノが、お尻からは腕より大きなシッポが地面にまで伸びている。彼女の怒りを表すようにシッポが地面をバシバシと叩き、水玉柄のふわふわワンピースが細かく揺れていた。
「がおー」
どうしよう。
頑張ってドラゴンに成り切ろうとしている彼女の努力は認めたい。でも、夏秋冬より小さな女の子を怖がれと言われても困ってしまう。
「……あれ? ひょっとして、参加者の人じゃなかったですか?」
「え?」
どう対応したものかと考えていると、女の子が突然そんな事を言い出した。俺があまりに無反応だったので無関係なプレイヤーだと勘違いしたらしい。
「あぅ、ごめんなさい。間違えちゃいました」
「いや、その」
「素人さんに手を出すなってササメの姉さんに言われてたのに。また怒られちゃう」
女の子はぺこりと頭を下げると、肩を落としてトボトボと歩いて行ってしまった。
何だか悪いことをした気がする。今度遭遇したらちゃんと怖がってあげよう。
小さな背中を見送りながら反省した俺は、進行方向を変えて民家の扉を開けた。
「……ここもダメっぽいな」
思わず小さくため息が漏れる。
中にあったのは小さなベッドと机のみ。無理やり下に隠れることも可能だけれど、見つかってしまえば抵抗する間もなく捕まってしまう。鬼はひとつひとつ民家の中を捜索しているようなので、とても安全だとは言えないだろう。
諦めて次へ向かう。もう町での生活にも慣れたけれど、さすがに民家全ての内装までは把握していない。一軒一軒よさそうな物件を探す作業はアパートの部屋探しみたいだ。
「せめて出口が2つある場所に隠れたいけど」
希望を口にしたところで業者が案内してくれる訳じゃない。立ち並ぶ民家は外見がほぼ同じなのに、内装が大きく異なるから悩ましい。もう民家は諦めて大きな建物に逃げ込んだ方が良いだろうか。
「そういえば、屋根に上るのってアリなんだっけ」
次の民家に入ろうとして、無造作に壁に立てかけられていた梯子を発見した。
木製のそれに触れてみると【ボロはしご(10m)】とアイテム名が表示される。名前とは違って体重を乗せてもビクともしない。これなら問題なく使えそうだ。
あの女の子と出会った後からポツポツと鬼の姿を見るようになったし、このまま裏道を歩くよりはマシだろう。そう判断した俺は、周囲を確認してから一気に梯子を駆け上った。




