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クローズドテスト  作者: hiko8813
3章
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33話 くだまき師匠

 俺の顔を見たら、師匠はどんな顔をするだろう。怒るだろうか。それとも、ものすごく怒るだろうか。どちらにせよ4日間も無断で欠席した以上、タダで済むとは思えない。


 あらゆる嫌な予感が頭の中を駆け巡る。今までのレッスンを思い返しながら、今日はどんな課題を突き付けられるのだろうかと考える。ふと【師匠との6時間耐久スパーリング】という処刑を想像して一気に心が折れそうになった。


 どんどん足が重くなるけれど、ここで引き返す訳にもいかない。とりあえず土下座からはじめれば殺されることは無いだろう、と思いたい。


「……よし」


 毎日くぐってきた扉の前に立ってひとつ深呼吸をする。心拍数が全然下がらないので、追加して5回ほど深呼吸をした。


 さて。

 

 覚悟を決めてドアノブに手をかける。指先に力を入れて、ぐっと引きながらノブを回そうとして――

 

「――あれ?」


 動かない。少し力を入れてもまるで扉が開く気配がない。もしや押して開けるタイプの扉に替えたのかと思ったが、押し付けようが、上下左右にスライドさせてみようがドアはビクともしなかった。

 

「師匠?」


 ドアをノックしながら呼びかけてみる。しかし結果は変わらない。扉の向こうはシンと静かで何の気配も感じられない。

 

 これはまずい、と直感的に思う。師匠が本格的に怒っていらっしゃる予感がする。

 

 普段のレッスンは午前中だとはいえ、この時間なら師匠はまだ起きているはずだ。今まで一度として会えなかったケースなんて無かったのに。


 どうしよう。こんな所で大声を出したら迷惑行為になりそうだ。かといって、このまま素直に帰ったら二度と師匠のレッスンを受けられなくなる予感がする。


「おや? そこの人。ひょっとしてハインドルさんのお弟子さんじゃないかい?」


 どうしたものかと困っていると、町民らしきNPCから声をかけられた。人の()さそうな中年の女性だ。左手に提げたカゴからこんがり焼きあがったバゲットが見えているので、ひょっとして買い物帰りだろうか。

 

「え? ええ。師匠をご存知なんですか?」

「ハインドルさんなら酒場に入り浸ってるよ。行ってみたらどうだい」


 酒場といえば、様々なクエストが紹介されている施設だ。ベルさんという女主人からロープを譲ってもらった覚えがある。なぜ師匠がそんな場所にいるのか不明だけど……何だか嫌な予感がしてきた。


「師匠、どんな様子でした?」

「珍しく悪酔いしてるみたいだったねぇ。あの人お酒は好きなんだけど、普段は昼間になんて飲まないし、あんな風に酔わない人なんだけど」


 嫌な予感がさらに膨れ上がる。どうやら機嫌が悪そうなのは間違いないらしい。烈火の如く怒る師匠の姿を想像したら眩暈がしてきた。


「……そ、そうですか。ありがとうございます」

「いーえ。それじゃあね」


 にこやかに歩いていく彼女を見送る。そして、さらに重くなった足で酒場へと向かった。



 * * *



 師匠の道場から歩いて7分あまり。西の宿屋から南へ直進したところにある酒場【竜の(ねぐら)】は、今日も静かに営業していた。

 

 ここの周囲は相変わらず閑散としている。近辺にも何らかの施設があるようだけれど、まだ条件を満たしたプレイヤーが少ないようで、この狭い通りはいつも静かだ。その静けさが今日に限っては不気味に感じられて、思わず唾を飲み込んでしまう。


 酒場のドアに掲げられているのは火噴き竜。火を噴くほど強い酒が好きな店主がこんな看板を作ったらしいが、そんな酒を飲んだ師匠は一体どうなっているのだろう。


「……行くか」


 覚悟を決めてドアノブに手をかけて、静かに店内に身を滑らせる。

 

 濃厚なアルコールの匂いと、かすかな紫煙の香り。相変わらず薄暗い店内にはたくさんのクエストが並んでいて、奥には様々な種類の酒ビンが並んでいる。実際に飲めるらしいが、割に合わないくらいに高価なのでまだ試したことはない。

 

 狭い店内に居座る客は相変わらず少ない。探すまでもなく、よく知った迷彩柄の背中が視界に飛び込んできた。


「っかしいなァ。今日あたり、フラッと顔を見せに来ると思ってたのによ」


 染みのついた丸テーブルに肘をついてボロ椅子を軋ませる。そんなやや乱暴なスタイルで琥珀色の液体を手にした老人が、女主人(ベル)を相手にくだを巻いていた。


「ちょっと、その位にしておいたらどうだい。昼間からそんなに飲むもんじゃないよ」

「うるへぇ。お前にワシの気持ちが解るかってんだ」

「今日も弟子が帰ってこなかったのかい。いくら才能があるからって、厳しくし過ぎたんじゃないのかい。常人なら死んじまうくらいに厳しくしてたんだろう? イヤになっちまったんじゃないのかねえ」

「悪竜を倒せるように育てるなら、あれくらいは必要なんだよ。それにアイツはあの程度で逃げ出すようなタマじゃねえ」


 やや聞き取りづらい会話が漏れ聞こえてくる。背を向けている師匠は俺に気づいていないようだ。

 

 一方ベルさんはすぐ気づいたようで、俺に向けて小さく手招きをしてきた。

 

 かなり怖いが、極めて慎重に気配を殺しながら師匠の背後に忍び寄る。フラフラした声が少しだけ聞き取りやすくなった。


「そりゃあよ、覚えが良いからって無茶なレベルの課題を突きつけた事はあるけどよ。ちょっとくらい顔の形が変わっても良いかと思いながら石をぶつけた事はあるけどよ」


 ああ、やっぱり。


「でもよ、グダグダ言いながらも成長してるんだ。そんな事はアイツだって解ってる筈だ。なのに黙って急に来なくなるってぇのはどういうコトだ! ……ひっく」

「成長したら、ちゃんと褒めてやってるのかい? 指導する側が怒鳴るだけじゃ、生徒は自分が正しい方向に進んでいるのか判らなくなっちまうもんだよ」

「むぐ……そういうもんか?」

「ああ。ほら、直接言ってやりなよ」


 ベルさんの指につられて師匠が振りむく。ややトロンとした青い目と視線がぶつかる。


「あ……お……」


 なんだか気まずい。とっても気まずい。まるで親がこっそり泣いていた場面に出くわしてしまった時のような空気に似ている。


 パクパクと口を開閉している師匠に何か言うべきだろうか。考えがまとまらない。


「ひょっとして、俺のことを心配してくれていたんですか?」


 ついそんな事を言ってみたら、鼓膜が破られそうな勢いで怒鳴られた。



 * * *



「……という訳で、しばらく無断で休んでしまいました。すみません」


 場所を移動して、ここはいつもの道場。閻魔大王のような顔になっている師匠に事情を話し終えると、張り詰めた空気が少しだけ緩んだような気がした。たぶん気のせいだ。

 

 仁王立ちしている師匠の表情は最初から少しも変わらない。目を閉じて、顔のシワを深くしたまま地蔵のように静止している。なのに威圧感がハンパなくて、正座している俺は冷や汗が止まらない。


「ええと、師匠から頂いたマンゴーシュにはずいぶん助けられました。ありがとうございます」


 俺の声が空しく響く。どんな話をしても一切リアクションが無いので、そろそろ心が折れそうになってきた。


 ここはやはり土下座するべきか。それとも身体を投げ出して土下寝(直立した状態のまま床に倒れこむ)をするか。いやいや、師匠相手に土下寝なんてしたら、馬鹿にしていると勘違いされて頭を割られる可能性が高い。


 落ち着け。ここは冷静になって別のアプローチを考えるんだ。

 

 黙ったまま何も言わないってコトは、俺が何かを言い出すのを待っているんだろう。そして師匠が欲しているモノは謝罪なんかじゃない。だって、思いつく限りの言葉を言い尽くしたのに眉ひとつ動かさないんだから。

 

 ならば師匠は何を待っているのだろう。

 

 冷や汗をかきながら必死に考える。

 

 そして10秒後。俺は、天啓を得たかのように一つの可能性を思いついた。


「ひょっとして、お土産が無いから()ねてるんですか?」


 ものすごく怒られた。


「いいからさっさと笑いやがれ! ジジイの情けない姿を力いっぱい笑えばいいんだコンチクショウ!」


 師匠が俺の背後に回りこむ。両方のこめかみを思い切りグリグリされた。


「ちょ、師匠。割れる、頭が割れますってば!」

「やかましい! そのまま記憶を消しやがれ! そして笑え!」

「笑ったりしませんよ! むしろ、俺のことを気に掛けてくれていたって知って嬉しかったです!」


 容赦なくコメカミを責めていた拳の力が少しだけ緩む。師匠はフン、と乱暴に息を吐いた。


「【ウンエー】のトコに出向く前に、まずワシに顔を見せに来やがれ」


 どうやら酒場での話を聞かれた事と、あいさつを後回しにされた事が気に入らなかったらしい。何とか宥めすかして師匠の機嫌を整えて、慎重に言葉を選びながらお伺いを立てた。


「それで、無断欠席の件についてはご容赦いただけるのでしょうか。お師匠様」

「気持ち悪い声を出すなバカタレ。サボりじゃ無いなら怒ったりしねえよ。お前はちょっと厳しすぎるくらいの環境にぶち込んだ方が伸びるタイプだからな。これだけ成長するならもう一度地獄へ行ってみたらどうだ」


 なんて事を言うんですか。


「確かに、レベルが一気に10も上がったのは望外な成果ですけれど」

「2人でとはいえ、ミノタウロスを倒せたんだろ? 順調に成長している証拠だ。ちゃんと毎日練習を続けていたようだし、まあ、その。褒めてやる」

「師匠」

「な、なんだよ」

「そんな無理して褒めなくてもいいですよ?」


 緩んでいた師匠の拳に力が入る。気絶しそうなくらい痛かった。



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