31話 あるGMとの会話
日付が変わって14日目の8:50。運営と会うために宿を出た俺は、メールで指定された建物の前で立ち止まっていた。
「北の大通りにある宿屋からまっすぐ西に歩いたところにある、竜の紋章を掲げた建物……って、ここだよな」
直径30センチメートル程の、円形の紋章を見ながら自問する。
赤い屋根に白いレンガの建物はありふれた外観で、すっかり町に溶け込んでいる。ゲーム内で運営の存在が目立たないようにとの配慮かもしれないが、あまりの地味さに危うく素通りするところだった。
古びた木の扉から中に入ってみる。築数十年は経過していそうなこの建物の内装は、くすんだレンガの色が目立つシンプルなものだった。地味な色合いだが不潔だとは思わない。代々受け継いている建物を丁寧にメンテナンスしながら住んでいる、という感じだ。
あまりに普通の住宅なので、本当にここに運営が待っているのだろうかと少しだけ不安になる。しかし、そんな心配はすぐに消滅した。
「お待ちしておりました。アキト様」
中で待っていた女性が丁寧に一礼してくる。濃紺のワンピースに白エプロンを装着していて、頭にあるのはメイドさんの象徴ホワイトブリム。独特の形をした髪飾りが綺麗な青髪を彩っていた。
丁寧に編みこまれた髪を揺らしながらメイドさんが顔を上げる。彼女はどこか気遣わしげな視線を俺に向けていた。
「わざわざ足をお運びいただいて、有難う御座います」
「こんにちは。マリーさんって、確か初日にお会いしましたよね」
記憶を辿りながら質問すると、彼女は若干目を見開いて、硬い表情を少し柔らかくした。
「覚えていて下さったとは光栄です」
ハウスメイドのマリーさんは初日にアイスコーヒーを運んでくれたNPCだ。こんな所で再び会うとは思わなかった。
「ここに住んでいるんですか?」
「いえ、普段はアクセサリショップの売り子をしております。本日はアキト様をお迎えする為に参りました。どうぞ、お手を」
要求されるままに右手を差し出すと、彼女の細い指先がそっと触れる。そのまま両手で優しく包まれると同時に光が満ちる。
一瞬ホワイトアウトした視界が元に戻った時には、俺は全く別の場所に立っていた。
* * *
移転した先は、まるで西洋の高級ホテルのようだった。
ここはエントランスだろうか。天井がとても高くて開放感がある。大理石の柱に挟まれて並ぶ窓はすりガラス状になって、外の風景はよく見えないが、明るい光がさんさんと降り注いでいる。空間の殆どが白系の色で統一されているせいか、周りの空気までが清浄に感じられて、俺は思わず大きく息を吸い込んだ。
見上げたアーチ型の天井には巨大な絵が描かれている。抜けるような空と輝く太陽、気持ちよさそうに飛ぶ鳥の群れとノンビリ浮かぶ雲。油絵のタッチで描かれているそれは色鮮やかで、どこまでも昇っていけそうな気さえする。
足元に敷かれているのは真っ赤な絨毯。白を基調とした空間の中で一本の赤い線となっている。線は通路の奥までずっと伸びていて、その先には高さ2メートルほどの大きな扉があった。
「アキト様。ご案内させていただいても宜しいでしょうか」
俺の背中に遠慮がちな声がかかる。振り向くと、マリーさんの顔が少し困ったような色に変わっていた。どうやら彼女を待たせてしまったらしい。
「すみません。あの、ここは何処なんですか?」
「申し訳ございませんが、具体的な位置情報をお教えすることはできかねます。この世界のどこか、としか申し上げられません」
控えめな声で答えたマリーさんが背を向ける。背筋をピンと伸ばした姿勢で、少しの音も立てずに歩き出した。
静かな空間に俺の足音だけが響いている。空気が緩やかに流れる廊下には誰の気配も感じられない。
メイドさんの背中を追いながら周囲に目を向ける。白い壁には金の装飾が施されていて、視線と同じくらいの高さには煌びやかな燭台があった。夜になればこの空間を幻想的に照らすのだろうか。
見れば見るほど豪華な建物だという感想しか出てこない。
運営はこんな環境の中でゲームをコントロールしているのか。そう考えると、何だか腹立たしくなってくる。チリアットが暴れていた間、一体何をしていたのか。是非とも納得できる説明をしてもらいたいところだ。
「アキト様」
昨日の出来事を思い出して不機嫌になりかけた頃、マリーさんが再びこちらを向いた。2メートルくらいだと思っていた扉は、3メートル以上もありそうな程に大きかった。
* * *
大きな扉の向こう側は、拍子抜けするくらい小さな部屋だった。黒いアームチェアが2つ並び、簡素なテーブルを挟んでソファーが向き合うように置かれている。目に付くものといえば、申し訳程度に置かれている観葉植物しかない。そんなシンプルを極めたような部屋の中心に、白衣を着た男の人が立っていた。
「いやぁ、わざわざお越しいただき感謝します」
言いながら握手を求めてくる。勢いに押されるようにして手を出すと、気弱そうな男は背中を丸めたままホっとしたような表情を浮かべた。
「ああ、ぼ……じゃない、私は【銭型一郎】と申します。ソウルブラッドオンラインのゲーム運営を担当しています。ゲームマスター(GM)の一人と認識していただければ結構です」
ゲームマスターとは、プレイヤーがゲームを快適に楽しめるよう尽力する運営側の人物のことだ。NPCのようにゲーム内でキャラクターとして行動し、不具合や不正ユーザーの対処、プレイヤーからの要望に耳を傾けるなど、多岐にわたる仕事をこなす。夏秋冬の話では色々と苦労が多いポジションらしい。
何だか偽名っぽい名前だけれど、それは彼自身の為なんだろう。「よろしくお願いします」と頭を下げると、ぎこちない所作で着席をすすめられた。
「ええと、アキトさんとお呼びしても良いでしょうか」
確認に対して素直に頷くと、続いて飲み物をすすめられた。あまり気が進まなかったが、断るのも失礼かと思いアイスコーヒーを頼む。マリーさんが静かに頭を下げて音もなく部屋から退出していった。
「ええと。この度はご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありません。運営として、まずはお詫びいたします」
銭型が後頭部に手をやりながら目を伏せる。どうにも頼りなく感じるが不満を言っても仕方がない。ウダウダと謝罪の言葉を並べられても嬉しくないので、速やかに本題に入ることにした。
チリアットとフェロウズが夏秋冬の身柄を拘束していたこと。
彼らに口汚く罵られ、問答無用で攻撃されたこと。
雪羽、ダージュと協力して夏秋冬を奪還したこと。
チリアットに刺されたこと。
ブルータルドラゴンに憑依してチリアットと戦ったこと。
あまり思い出したくもない出来事だが、順を追って話していく。俺が最後のドラゴンブレスを放った後のことは雪羽が教えてくれた。焼け焦げたフィールドに俺だけが倒れていたらしい。
「なるほど……」
話を終えると同時に銭型の手が止まった。右手を口元に置いて何やらブツブツと喋っている。そのまま1分ほど経過した後、彼は慌てた様子で「ありがとうございます」と頭を下げてみせた。
「こちらで確認した記録ともほぼ一致します。大変参考になりました」
「あの時、俺は運営に連絡した筈なんですけどね」
言外に「どうしてあの場に駆けつけてくれなかったんだ」と滲ませる。
「PKについてのGMコールは、様々な方から大量に頂いていまして。その、埋もれてしまったと言うか、その」
この発言で、俺の中の運営評価が50パーセントほど低下した。元々低いから大した変化じゃないけれど。
「他にも質問して良いでしょうか」
「え、ええ。答えられる範囲ならですが。あと、この場で知った内容は絶対に他言しないようにお願いします」
「わかっています。10日目からPKが行われていたと聞いているのですが、今まで運営が何をしていたのか聞きたいだけです」
若干キツい口調になっていたかもしれない。銭型の笑顔が引きつって、ごくりと唾を飲み込むのが見えた。
「あ、その。10日目にPKの目撃情報が寄せられるようになってから、問題の調査を行ってきました。あと、プレイヤーの方々から受けた大量のGMコールの対応もしています。多くがPKに関する苦情でした。その他に、ブラックリスト機能の実装に向けて尽力していました」
「ブラックリスト、ですか?」
「ええ。問題あるプレイヤーをブラックリストに登録すると、会話、メールやボイスチャット、トレードなど、一切のコミュニケーションが取られなくなるんです」
相手の姿が消えてしまう訳ではなく、単純に相手の声が聞こえなくなる。また、ブラックリストに登録された相手は半径2メートル以内に近寄れなくなるらしい。
「こういう機能は初日から実装してほしかったです」
「すみません。事前に、迷惑行為をしないよう重ねてお願いしてありましたし、今回はテスター全員の身元を確認してあります。ですから、大きな問題はそうそう起こらないと考えていたのですが……」
見通しが甘かったです、と頭をたれる。
「プレイヤーが危機を感じた時には、その対象者を自動的にブラックリストに登録するようになっています。また、寄せられた情報を元に、運営が危険だと判断したプレイヤーの情報が即時に全プレイヤーに共有されるようになっています。ああ、もちろん自分で追加することも可能ですよ」
銭型は引きつった顔で「ブラックリスト機能は本日正午に実装されますので、今後は安心してゲームをお楽しみください」と続けた。
「も、もちろんトラブルを未然に防げなかったのは事実ですから、PK被害者の方には賠償を考えています」
若干早口になった銭型が、身振りを大きくして説明を続行する。PK被害者はダウンしてしまったレベルを元に戻してもらえるし、減らされた所持金やアイテムもちゃんと戻ってくるらしい。
「さらに特例として、PK被害者の方が現時点でゲームを中止する場合、所持ジュエルに一定額を加算して、賞金としてお渡しすることになりました。その、非公式にですが。も、もちろん、アキトさんも対象に含まれますよ」
加算額は、殺された人が100万。俺のように直接ダメージを受けた人は20万。
「殺された人のうち、何人がゲームを止めているんですか?」
何気なく浮かんだ質問だったのだが、銭型はなぜか困惑したような顔になる。
どうしたんだろうと不思議に思っていると、彼はやや掠れた声でその答えを口にした。
「現時点では、ゼロです。誰一人としてゲームの中止を望んでいません」
「……被害者の人って、全部で何人なんですか?」
「把握している限り、体力をゼロにされてしまった方は8人です。アキトさんのように一度でもダメージを受けた方を含めると、もう少し数が増えますが」
どうやらチリアットは、襲った相手全員を殺せた訳じゃないようだ。
それにしても、被害者全員がプレイ続行を望んだとは意外だった。
「それって本当なんですか?」
今すぐお金が貰えるのなら、1人くらいはゲームを止める人がいても良さそうなのに。
「ほ、本当ですよ! 理由を確認した訳ではありませんが、もっと多額の賞金が欲しいから続行を決意されたんじゃないでしょうか。なにせ被害者の方は、現時点で早くも【渓流】に進んでいます。悪竜を倒す自信をお持ちなのでしょう」
そうなんだろうか。確かにゲームをクリアすれば、賠償金を遥かに超える賞金を得られるだろうけれど。
話を聞く限り、補償内容に不満があるという訳ではなさそうだし……よくわからない。
「誰もゲームを中断していないなんて意外ですね」
「あ、いえ……あまり言いたくないんですが、PKが横行していると耳にしたプレイヤーが50人ほどゲームを中止しています」
「その人たちにも賠償を?」
「いえ、特に賠償などは提示していないのですが」
彼の困惑がこちらに伝わってくる。俺も似たような気持ちだ。直接的な被害者はゲームを中断せずに、PK行為を耳にしただけのプレイヤーが50人もリタイアしているらしい。どうにも腑に落ちない話だった。
互いが口を閉じたせいか、一気に場が静かになる。
「し、質問は、もうよろしいですか?」
俺は首を横に振った。これで話を終わらせたがっているようだが、聞きたい事はまだ残っている。
「そもそも、チリアットとフェロウズがどうなったのかを聞いていません。大切な友人が被害に遭ったんです。ちゃんと対応してくれましたよね?」
あの2人が野放しになることはあり得ない。当然厳重な処分が行われただろうと思うが、念のため確認しておきたかった。
「フェロウズさんは既にゲームを中止しています。こちらで行動ログを確認し、検討した上で、テストプレイの即時中止をお願いしました」
「チリアットはどうなったんですか?」
銭型の口が止まり、こちらを向いていた視線がふっと何処かに行ってしまう。膝上で握られていた両手が頻りに動きだした。
都合の悪い質問だったようだが、俺だって一応パーティの代表としてここに来ているんだ。どうあっても引き下がる訳には行かない。
無言で待ち続けること3分あまり。とうとう口を開いた彼の言葉は、不可解なものだった。
「【ちりあっと】という名前は、どう表記するのですか?」
「……どういう意味ですか?」
「ひらがななのか、カタカナなのか、漢字なのか、ローマ字なのか、英語などの外国語なのか、それとも若い子の間で流行っているような記号を文字に見立てた物なのか、です」
「普通にカタカナで【チリアット】ですが」
空中に指を走らせて名前を書く。左右反転して書いたので間違っているかもしれないが、意味は通じたはずだ。
しかし、銭型の顔は少しも晴れない。それどころか明らかに困惑したような表情になっている。ちゃんと説明して欲しいと要求すると、彼は「この事は、お友達であっても絶対に教えないでください」と重ねて念を押してきた。
「彼がしたとされる行為は明らかに問題がありますので、我々としても速やかに対処したかったのですが……その、できなかったんです」
できなかった?
意味がわからない。詳しい説明を求めると、彼は毒でも飲んだような様子でまた口を開いた。
「う、運営は、ゲーム内にいる全プレイヤーの情報をデータベースに登録しています。しかし、データベースを何度確認しても【チリアット】という名前のプレイヤーが見つからないのです」
本当に【チリアット】というプレイヤーが存在しているかどうか、あろうことか運営が確認できていないという。本来ならば、この場に居ながらにして、プレイヤーを問答無用で罰することも可能らしい。しかし【チリアット】という名のプレイヤーを処分しようにも【そんなプレイヤーは存在しない】というエラーが返ってくるだけだという。
「ログアウトしている訳じゃないんですか?」
「それならそうだと確認が取れるはずなんです。何らかのバグによって名前を変えている可能性を考えて、全プレイヤーの容姿確認も行いました。しかし、やはり目撃情報と一致するようなプレイヤーは存在しませんでした」
服装やアクセサリは変えられても、肉体を自由に整形する機能は実装されていない。全て手作業で確認したが、結果は空振りだったという。
「フェロウズと親しいようでしたが、彼には話を聞いたんですか」
「慎重に確認しましたが、ただ暇つぶしに付き合っていた程度のようです。こちらが知りたいと思う情報は確認できませんでした」
銭型が力なく頭を振る。
「つまり、運営でも手が出せないってことですか? そんな事あり得るんですか? 運営はこのゲームを全て管理しているんですよね?」
運営の力が通じないなんて、悪い冗談にもならない。
「チリアットはゲームプレイを『美味しいバイト』と言っていました。アイツはゲームを盛り上げるために運営が用意したキャストなんじゃないですか? あなた方が【禁止行為の制限を解除するアクセサリ】を用意して、チリアットに渡したのではないですか?」
色々な可能性を考えたが、制限の解除はどう考えてもゲームシステムに関与できる人物でなければ実現できない。だから俺は、この騒動に運営が加担しているとしか思えなかった。
「そ、そんなことしたら大問題だよ! そもそも、そんなアクセサリなんて存在しないはずなんだ。PKを禁止しているゲームなのに、制限を解除するようなアイテムを用意する理由なんて無いだろう?」
「だったら、どうしてチリアットはプレイヤーを襲えたんですか!」
テーブルが激しく揺れる。コップの中の氷がカラン、と音を立てた。
ジンとする両手を膝の上に置く。頭に上った血がなかなか下がらなくて、目の前に座る相手を思い切り睨んでしまった。
「げ、現在、対応を本部と協議中です。あらゆる可能性を疑って調査を行っている最中です」
「あらゆる可能性って、例えばどういったものですか」
「それは、様々な理由からお答えできません」
「このテストを中止する予定は無いんですか」
「申し訳ありませんが、お答えできません」
「だったら、これだけは聞かせてください。あなた方が用意した【ブラックリスト】機能。これは本当に信用できる物なんですか? チリアットにも有効なんですよね?」
問いに対する答えは、最後まで返ってこなかった。




