30話 目をつぶって
「……どう? アキトくん大丈夫だよね」
「ああ。ダージュも精神的な疲れが原因だろうと言っていた。このまま目を覚まさないようなら問題だが、穏やかな寝顔をしているから大丈夫だろう」
「アキトくんが懲罰エリアに落とされてたって、ホントなの?」
「そうらしいな。詳しい事情はまだ聞けていないが、ダージュによると、ずいぶん無理をして戻ってきてくれたらしい。私達を助けるために」
「そっか。そうなんだ」
……ボンヤリとした意識の中で、誰かが喋っている。左腕が、何か柔らかいモノでぎゅっと包まれたような気がした。
「ところで、夏秋冬はどうなんだ。もう落ち着いたのか?」
「うん、大丈夫だよ。カノちゃんの身代わりになった後のことは、よく覚えていないんだよね。寝ちゃってたから」
しばしの沈黙の後、少し棘のある声が左から飛ぶ。
「危ないって解ってたのに。カノちゃんが探索を強行したからだよ」
「う……すまない、夏秋冬。まさかあんな事になるとは思わなかったんだ」
「焦る気持ちは解るけどね。カノちゃんはもう少し落ち着いたほうが良いよ」
「その名前で呼ばないでくれ。芋づる式に嫌なコトを思い出すじゃないか」
「あ、そっか。ゴメン。気を抜くとすぐ忘れちゃうんだよね。だってゲームの中でもカノちゃんはカノちゃんだし」
「……まあいい、それよりも、どうしてアキトの腕に抱きついているんだ?」
「ユキちゃんもやれば良いじゃない。そっちはユキちゃん専用だよ」
左の声が止むと同時に、静寂が周囲を支配した。
30秒ほどの間、右の方で、何やらモゾモゾと動いている気配がする。
そして、俺の右腕が柔らかな感触に包まれた。
「……ね? なんだか落ち着くでしょ?」
「あ、アキトが目を覚ましたらどうするんだ」
「ちゃんとお礼を言うよ。ユキちゃんも言うんだよ」
「それは、もちろんだ。しかし、こんな格好で礼を言ったら、ふざけていると思われないだろうか」
「よく似合ってるよ、そのネグリジェ」
「これ、肌の露出が少し多くないか? 布も薄くて、微妙に肌が透けているような」
「うん。それにはちゃんとした訳があるの」
「なんだそれは。私がこんな恥ずかしい格好をしなければならない理由があるのか?」
右の腕に圧力がかかる。触れられている所の温度が若干上がった気がした。
「ユキちゃんは、このゲームをどうしてもクリアしたいんでしょ?」
「それは勿論だ」
「でも、わたしたちだけでクリアするのは難しそうだよね。ヘンな人も居るみたいだし」
「……そうだな、あんな失態を演じてしまったんだ。否定はできない」
「ということは、わたしたちには頼りになる仲間が必要なんだよね」
「ああ。しかし、探すのは難しいだろう。たとえ運良く有能なプレイヤーを発見したとしても、その人が敵だという可能性が無い訳じゃない」
「そうだよね。でも、目の前にいるじゃない。信用できて、とっても頼りになる人が」
左の腕に触れている感触が、やや強くなる。
「アキトが優秀だということは知っている。しかし、アキトは私達の誘いを断っているんだ。無理に頼む訳にもいかないだろう」
「そこで、その格好をしたユキちゃんの出番なんだよ」
「何だそれは。意味がわからない」
「もー、鈍いよユキちゃん。その格好でアキト君を悩殺しちゃえばOKしてくれるって言ってるの」
「バ、バカなことを言うな! 私なんかが頼んだところで――」
「ユキちゃんは自分の容姿を過小評価しすぎだよ。アキト君と別れてから今まで、何度ユキちゃん目当てに声をかけられたか覚えてる? 隣にいるわたしの女の子としてのプライドはもうズタボロだよ」
「夏秋冬だって熱心に誘われていたじゃないか」
「ロリに異常なくらい興奮するようなヒトに好かれても嬉しくないよ!!」
「その容姿を選んだのは夏秋冬自身だろう」
「しゃらっぷ!」
……左腕が痛い。なんだ、なにがどうなってるんだ。俺、いま、どこに居るんだ。
わからない。わからないまま、両脇から聞こえる声はさらにヒートアップしていく。
「とにかく、ユキちゃんがその格好でお願いすれば、きっとうまく行くよ。予想成功確率は95パーセントだよ。そのおっぱいを押し付ければ、成功確率はさらに倍だよ」
「この格好を見せるだけでも恥ずかしいのに、さらに胸を押し付けろだって!? バカな、そんな破廉恥な真似できるわけが――」
「――このまま何もしないと、アキト君を別の子に取られちゃうかもしれないよ」
騒がしかった空間に再び沈黙が落ちる。気のせいか、右側が若干寒くなったような。
「……なんだそれは。アキトは他の誰かと仲良くしているのか?」
「ダージュ君だよ」
「ダージュ? 彼は男性だろう」
「うん、そうなんだけどね。これはただの直感なんだけど……あの子のアキトくんを見る目がものすごく真剣っていうか、愛情を感じるっていうか」
「うん? どういうことだ?」
「ひょっとして、ダージュ君って、男の人が好きな男の子なんじゃないかなー、なんて」
「な!? ……た、確かにダージュはアキトを『お兄様』と呼んでいるし、とても懐いているように見えたが……し、しかし。百歩譲って彼がそうだとして、アキトは違うだろう」
「甘いよユキちゃん。吊り橋理論って知ってる?」
「同性愛に目覚めるなんて効果は知らない!」
痛い。右腕がものすごく痛いような気がする。
「ユキちゃん落ち着いて。まだそうと決まったわけじゃないよ。でも、私たちと別れた後、ずっとダージュ君と一緒に行動していたんでしょ? とっても仲良しなのは間違い無さそうだし、ユキちゃんの魅力でアキトくんの目を釘付けにしておかないと……本当に取られちゃうかも」
「なん……だと……」
腕の痛みからは解放されたが、その代わりに強烈な視線を浴びているような気がする。というか、俺、そろそろ目を開けた方が良いような気がする。
でも、今の状況でそうする勇気がどうしても出なかった。
「まーまー、そんなに難しく考えなくてもいいよ。どちらにしても、アキトくんには助けてもらった御礼をするんだから。とにかく、目を覚ましたら、その美少女パワーで迫っちゃえば良いんだよ」
「こ、このまま抱きついてお願いすれば良いんだな?」
「うーん。よく考えたら、それだけだと弱いかも。一度失敗してるんだし、中途半端なアタックだとまた失敗しちゃう可能性も否定できないよ」
「まだ足りないのか!? ならば一体どうしたら……」
「……ほっぺにキスでもしてみる?」
ふと、会話が途切れる。両腕に感じていた熱が一気に膨れ上がった。
「そ、それは、禁止行為の制限に引っかかるんじゃないのか?」
「ん……ほら、できるよ」
不意に、微かな甘い香りを感じて、左の頬が熱くなる。
一瞬の出来事だったのに、その感触がいつまでも残っているような気がした。
「どしたの? ユキちゃん。そんなに顔を赤くして」
「お前だって真っ赤じゃないか! で、できるからといって、実行して良いモノじゃないだろう!」
「あれ、ユキちゃんはしないの?」
「寝込みを襲うような真似なんて私にはできない!」
先ほどの一撃で完全に目が覚めたのだが、起きるタイミングがまるで掴めない。このまま狸寝入りを続行していることがバレたら……どうなるんだろう。
「じゃー、どうするの? アキトくんに戻ってきてもらいたいんでしょ? だったらユキちゃんの【誠意】を見せなきゃダメだよ」
「むぅ……ならば、クリアした時の賞金をアキトに全額譲ると言えばどうだろう。それなりの額になると思うから、悪くない条件提示だと思うぞ」
「お金で問題を解決しようとするなんて、いかにも性格の悪いお嬢様的な発想だよ」
「な!? どうしてだ!? 私は自分の誠意を表そうとしているだけだぞ!」
「違う、違うよユキちゃん。男の子が欲している誠意は、もっと直接的なエロスなんだよ!」
「アキトを色情魔みたいに言うんじゃない!」
「いやいや、男の子ならフツーなんだって。この部屋でやった打ち上げのこと覚えてる? スリットから覗くユキちゃんの白い脚をアキトくんが横目に観察していたコト、気付いてたでしょ?」
「それは、まあ。少しだけ視線を感じたような気がする」
どうしよう死にたい。いますぐ消えてしまいたい。
あまりの自己嫌悪に気絶しそうになっていると――突然、ベッドが小さく揺れた。
「ん……んっ」
さっきとは少し違う、ほのかなフローラル系の香り。
右の頬に柔らかいものが触れて、そのまま静止する。そして、小さな吐息と共に離れていく。
「こ……これで、どうだ」
「うん。バッチリだよ。まあ、アキトくんは寝てるんだから、いま本当にしちゃう必要は無かったんだけどね」
「それを先に言ってくれ!!」
静かな空間に雪羽の絶叫がこだまする。ふたりが仲良く言い争いをしていると、コンコン、とドアがノックされる音が響いた。
「あ、ダージュ君かな」
「まだ話は終わっていないぞ、まったく……ああ、着替えるから少しだけ待ってもらってくれないか。こんな格好のまま出迎えるのは恥ずかしい」
両腕にあった暖かな熱が遠ざかっていく。ふたりを下ろしたベッドが小さく弾む。
ホッとした気持ちと、少しだけ残念な気持ち。それらがない交ぜになったまま目を閉じていると、夏秋冬の言葉どおりにダージュが部屋に入ってきた。
「夜分遅くにすみません。お兄様の様子はどうですか」
「今のところ特に変化は無いようだ。そろそろ目を覚ましても良さそうだが」
静かな会話が辛うじて聞こえる。そして、ダージュがベッドに近寄ってくる気配を感じた。
「お兄様?」
涼やかな声が近づいてくる。どうしようかと迷いながら目をつぶっていると、顔が耳元にまで近づいてくる気配がした。
「ひょっとして、目を開け辛くなるような事があったのですか?」
囁かれた言葉に心臓が飛び跳ねる。その声は少し笑いを堪えるような色を含んでいた。
「今から彼女たちを中庭にお連れしますので、その間にお目覚め下さい。皆お兄様の声を待ち望んでいますから」
耳元でそう囁くと、ダージュは静かに離れていった。
* * *
「……心臓が止まるかと思った」
ベッドから身を起こして、緊張していた身体をほぐす。
ひと目で狸寝入りを見破られるなんて、ダージュの瞳はどこまで見通せるんだろう。それとも、俺の演技があまりに下手だったのだろうか。
ひょっとしたら、彼女たちにもバレていたのかもしれない……なんて笑えない可能性も考えたが、それは否定した。気づいていたら絶対にあんな事しないだろうし。
なんにせよ、みんなが無事で本当によかった。
まだ頬に残っている熱を感じながらゲームウインドウを開く。時計を確認すると、今は21時を回っていた。
「もう遅いから、ガトリーガーデンに行くのは明日でいいか」
その前に師匠のところへ挨拶に行って、携帯食料を買い付けて、寝袋を用意して、回復アイテムを限界まで買っておこう。いくつか素材を手に入れたから武器を新調するのも良いかも知れない。それから――
TODOを確認していると、軽やかな音と共にメールの着信が告げられた。
なんだろう、こんな時間に。
不思議に思いながらメールボックスを開くと、そこにあったのは運営からのメールだった。
「聞き取り調査ご協力のお願い……だって?」
社交辞令満載なメールの本文を要約すると『今日の出来事を詳しく知りたいから話を聞かせてほしい』ということらしい。
ちょうどいい。俺もこのゲームの運営に直接言いたいことがある。
師匠への挨拶が多少遅くなるのは怖いけれど、カミナリ10発が11発になったところで大した違いはないだろう。提示された日時の中で最も早い時間を指定して、返信メールを送信する。すると、1分もしない内に、運営から了解の旨を伝える返事がやってきた。
ひとつ大きく伸びをして、沈みそうになった気分をリセットする。そして、仲間が待っている中庭へ向かって歩き出した。
お疲れ様でした。今回で2章終了です。
拙作をここまで読んでいただき、ありがとうございます。感想、お気に入り登録、評価をしてくださった方もありがとうございます。
書き溜めた分がすべて無くなったので、次回の更新日は未定です。あまりに長く投稿できない場合は、また活動報告にてお知らせしたいと思います。




