29話 ブルータルドラゴン
乱入者は、まるでオオトカゲと肉食恐竜を合成したような外見をしていた。頭の先から尻尾までの大きさは20メートルを優に超えている。翼こそ生えていないが、緑のウロコで覆われた全身は強烈な威圧感を放っていた。
重量感がある胴体を支える四肢はガッシリしていて力強い。脚だけで俺の身長を超えるくらいに大きく、その先には凶悪な爪が生えている。
口は人間を丸呑みにできそうなほど大きい。内側に生え揃っている牙は鉄を食い千切りそうなほどに鋭い。もしもこんな凶器に襲われたなら、妙なチート能力を手にした獣人であっても無事では済まないはずだ。
「ギ……ふざけんな!? 何なんだコイツはよォ!?」
チリアットから呻き声が漏れる。
突然の襲撃に回避が間に合わず、両手のサーベルで辛うじてドラゴンの牙を受け止めている。しかし、ドラゴンは刃に傷つけられても構わずに口を閉じていく。チリアットの腕が曲がり、怒りに染まっていた顔が徐々に引きつっていった。
「お待たせしました。お兄様」
「……ずいぶん凄いのを連れて来ましたね」
「運が良かったです。渓流のネイムドを偶然発見したので連れてきました」
エリア【青の渓流】に生息するネイムドモンスター【ブルータルドラゴン】。まさかこんなにすぐ出会う事になるとは思わなかった。
「巻き込まれないよう注意してください。レベルこそ20と低いですが、ネイムドだけあって能力は非常に高いです。長い尻尾に殴られただけでも大ダメージを受けてしまいますよ」
そんな相手をよくここまで誘導してこられたと思う。ダージュがどんな魔法を使ったのか気になったが、それを聞くのは後にしよう。
「今のうちに離脱しましょう。このまま西に進めば草原に出られるはずです」
「アキト!」
ダージュに少し遅れて雪羽が駆け寄ってくる。腕の中の夏秋冬はまだ目を覚ましていなかった。
「アキト、すまない。また助けられてしまったな」
「気にしないでください。夏秋冬さんはどうですか?」
「眠らされているだけだから、時間が経てば目を覚ますと思う。ダージュ、キミもありがとう」
「いえ、無事で何よりです」
雪羽からのメールに気付いた後、彼女に作戦内容を教えておいたのは正解だった。細かな打ち合わせをする時間なんて無かったはずだが、見事に成功させてくれた。
「ゆっくりお話したいところですが、日没まで20分もありません。まずは安全な場所まで移動しましょう」
ダージュの提案に雪羽が賛成して、俺も同調する。ブルータルドラゴンに威圧されたのか、周囲にモンスターらしき陰は見当たらない。これなら日没までに渓流エリアを脱出できるだろう。
――グルルァアアアア!
咆哮が空気を震わせる。ドラゴンが発する圧倒的な威圧感が背中に刺さる。
あんなモンスターと正面から戦える気がしなかった。あの凶悪な牙といずれ戦うことになると思うと気が重い。このエリアの攻略もかなり大変そうだ――
「どこへ行こうってんだァ? クソヤロウ共」
――驚くよりも早く、武器を構えて反転した。目前に迫っていた右のサーベルを弾いて体を捻る。さらに左のサーベルを振り下ろそうとする相手にカウンターを決めようと動いて――全身が動かなくなった。
「バカが!」
俺の左肩がサーベルに貫かれる。何が起こったのかを理解するまでの刹那に、今度は腹が突き破られた。
血は出ていない。体からサーベルが生えただけのような光景は、なんだか滑稽に見える。しかし、体が動かない。間違いなく、俺の体の自由が奪われている。
「ヒヒヒ、い~い感触だァ。この刺さる感じがリアルなんだよなァ。刺された気分はどうだ? マジで刺されたみたいか? ヒヒヒヒヒ!!」
サーベルが俺の体を串刺しにしたまま、傷口を広げるように動く。ぼんやりとした、しかし確実に痛みとわかる感覚が追いついてきて、膝に力が入らなくなる。
「何を驚いてるんだァ? あんなデカイだけのトカゲにオレ様が負けるとでも思ったのかァ? バーカ。お前らとは次元が違うんだよ」
髪を引っ張られる。チリアットは俺の耳元に口を寄せて、ヒヒヒ、と喉の奥で笑った。
「そんなに痛くないだろ? クソゲーだよなァ。せっかく五感をリアルにしてんだから、もっと血がドバッと出たり狂い死ぬくらい痛みを感じればいいのによォ? お前も運営に言っておけよ。もっと痛みを感じたかったです。最強の男に負けた悔しさをもっと感じたかったですってよォ!!」
肩と腹に刺さっていたサーベルが引き抜かれ、その柄で頬を殴られる。背中に強い衝撃を感じる。どうやら背中を蹴られたらしい。成す術なく前のめりに倒されて、地面の土が頬に触れる。草に触れてチクチクする。刃は体から抜けたが、全身が痺れてろくに動かせなかった。
ダージュと雪羽が俺を呼ぶ声が聞こえる。しかし、その音量はひどく小さい。すぐ傍にいるはずなのに、まるで遠くから叫んでいるようにしか聞こえない。何とか顔だけを彼女たちの方に向けた途端、左の頬を強く踏み抜かれた。
足裏の泥が目に入る。口にも少し入ってジャリっと不快な味がした。
うまく力が入らないまま、何とか獣の足を掴もうとする。だが、その手は簡単に振り払われてしまった。
「ヒヒヒヒヒッ! ザマァねえな。ヒーロー」
首を掴まれ、地面から引き起こされて、力任せに振り回されて俺の体が宙を舞う。
乱暴に投げ出されて身体が痛い。閉じていた目を片方だけ開けると、緑色のウロコが目の前にあった。ドラゴンの鋭い牙は何本か欠けていて、胴体はボロボロに切り刻まれていた。
圧倒的な存在感を放っていた巨体はもう動かない。既に力を使い果たしているのか、ドラゴンは微かな呼吸を続けるだけだった。その痛々しい動作も、一呼吸ごとにどんどん弱くなっていくのが見て取れた。
ドラゴンの命がゆっくりと消えていく。もうすぐ全身が光に包まれて、跡形も無く消えてしまうだろう。
「そこでトカゲと一緒に見学してろよ。無敵のオレ様がこのオンナを斬り刻んでやるからよォ……ヒヒヒヒヒヒヒ!」
ふざけんな。誰が無敵だって? ネタだとしても笑えねえよ。
ありったけの薬草を取り出す。震える腕で何とか口に詰め込む。喉に引っかかって吐きそうになりながらも飲み下す。苦味が口いっぱいに広がって身体が熱くなる。
体力は一気に回復したが、それでも身体がうまく動かない。きっと【麻痺】のステータス異常を受けているからだ。あいにく、状態異常を回復するアイテムなんて持っていなかった。
奥歯を強く、強く噛む。
痺れる身体を引きずりながら、ドラゴンの亡骸に近寄る。
頼む、お前の力を貸してくれ。
そう強く念じながら、右手で緑のウロコに触れた。
俺とドラゴンの身体が黒い闇に包まれる。ふわりと浮遊感を感じて、巨体に吸い込まれるように視界が移動していく。視界が全て闇に染まり、意識が途切れて――
――グルルルルォォオアアアアアアッ!!
次に目を開いた時には、俺は巨大な竜になっていた。
* * *
右の前足を前に出す。
続いて左後ろ足を動かす。
さらに左前足を進めて、
最後に右後ろ足。
動きづらい。突然高くなった視界に違和感を覚える。
歩を進める度に腹をこする土の感覚が鬱陶しい。呼吸をすれば底に響くような唸り声になり、軽く吼えるだけで空気が激しく震える。うっかり踏みつけた倒木は崩れて粉々になり、進路を邪魔する大木は身体をぶつけるだけで折れてしまう。
自分とはまるで違う身体。身体の反応が若干鈍い気がするのは、ダメージが抜け切っていないからか。人間状態で体力を回復させておいたとはいえ、この身体にとっては大した回復にはなっていないはずだ。
しかし、そんな事はどうでもいい。目の前の馬鹿野郎に仲間を傷つけられるのだけは絶対に許せない。何としてもコイツを倒してやる。
地獄に行こうが失格になろうが知ったことか。
陽の沈みかけた世界で、言葉にできない気持ちを全て込めて吼える。周囲の草木が共鳴するようにザワザワと揺れ、川面が音を立てて激しく乱れた。
「なんだァ? おいトカゲ。どうしてお前が生きてんだ。そういえば、そこで這いつくばっていたバカが見えないが……もしかして食って回復したのかァ?」
哄笑が耳障りに感じるのはドラゴンになっても変わらない。その口を閉ざすために、四本の足で地面を蹴った。
「どっちが強いのか、まだ解ってねェみたいだなァ? オレ様は今忙しいんだ。さっさと殺し直してやるよォ」
チリアットの剣がゆらりと動く。頭上に高く掲げ、交差させながら勢いよく振り下ろす。その太刀筋をなぞる様に突風が巻き起こり、一直線に襲いかかってきた。
――速い。
障害物が多いこの場所ではうまく逃げられない。覚悟を決めて頭を低くする。緑のウロコに覆われた皮膚にいくつもの傷が生まれて体力が削られる。それでも前進を止めないでチリアットに肉薄。最大の武器である口で襲いかかった。
「チッ」
さすがに噛まれたくないらしく、舌打ちと共に獣人が大きく跳ぶ。同時にチクリと痛みを感じた。
どうやら尻尾を斬られたらしい。幸い先端だったので、身体のバランスが崩れたりはしていないようだ。腹を滑らせながら180度反転すると、チリアットはニヤニヤしながら地面に着地するところだった。
ただでさえこの身体に慣れていない上に、周囲に邪魔な木々が生い茂っているので動きづらい。うかうかしていると一方的に攻撃を受け続けてしまう。相手が余裕を見せている間に一気に決めるしかない。
「……アキト? キミなのか?」
背後に立つ雪羽からの問いかけに言葉を返せないのがもどかしい。早く逃げてくれと願いながら、大きく息を吸い込んだ。
腹に空気を溜める。限界を超えてさらに空気を取り入れる。胴体が膨れるほどに腹を空気で満たしていくと、身体の中心に小さな熱源を感じるようになる。下腹、人間で言うところのヘソの下あたりに力を溜めるイメージを持つ。
【ドラゴンブレス】――竜族だけに許された、無慈悲な破壊をもたらす炎の呼気。
フィールド内を大規模に破壊したら、誰かに怒られるだろうか。
そんな考えが浮かんだが、すぐに頭の隅に追いやった。
限界まで口を開く。その中心に熱源が発生する。星のようだった明かりが一瞬ごとに大きくなり、昼間の太陽よりも強くなっていく。薄暗い周囲が青白く染まっていく。
――グルルルルォォオアアアアアアッ!!
咆哮と共に、炎が爆発的に膨れ上がった。
草木が燃え、岩が焼け焦げて、川の水が激しく沸騰する。
発現した膨大な熱量はさらに勢いを増し、後退する獣を容赦なく飲み込む。膨れ上がる熱量に比例するように光が強くなる。そして、全てが白く染まった。
まだだ。まだ手を緩めるな。
視界がホワイトアウトしてもなお、全て絞り出すつもりで炎を吐き続ける。10秒、20秒、30秒。ブレスは間違いなくターゲットをとらえ、大きな痛手を負わせている。このまま体力を削りきってやれば俺の勝ち。万一にも削れなければ――
「クソッタレがァッ!!」
――視界の右、沸騰している川の中から獣が飛び出した。
鈍い光を放っていた軽鎧が主のダメージを表すようにボロボロになっている。手にしたサーベルも、左手の方は溶けて長さが半分になっている。
しかし、獣の目は獰猛な光を衰えさせていない。呆れを通り越して感心するような罵詈雑言を喚きながら剣を振りまわしてくる。激しい風が巻き起こり、ブレスを吐いて硬直していた身体に強烈な衝撃が走った。
「さっさと、死にッ、やがれッ!!」
それはこっちのセリフだ。いくらなんでも変だろう。あの炎をまともに受けて生きているなんて信じられない。
心の中で悪態をついて、皮膚を切り刻まれながら相手を睨みつける。ブレスを放った反動なのか明らかに身体が重い。でも、まだ動ける。体力は尽きていない。
地面を蹴る。ブレスで周囲が焼け払われたので、大きな身体でも存分に動き回れるようになっていた。
「逃げれられるモンなら逃げてみやがれ! トカゲ野郎!」
連続で襲い来る風の刃を回避しながら機を伺う。こちらの動きを予測して攻撃を放ってくるのが鬱陶しい。大きな身体は小回りがきかない。直撃は避けているものの、少しずつ体力を削られてしまう。
頭を狙ってきた風刃を辛うじて回避。背中を切り裂く一閃に耐えながら一気に接近――
「ヒヒヒ!」
――避けられる。背後からの一撃を受けて体が傾く。身体を滑らせて、180度ターンしながらチリアットの姿を確認――できない。
気配を感じて上を向く。
融けた武器を投げ捨てて、サーベルを両手で握り締めたチリアットを発見する。
ドラゴンの身体は慣性力に囚われていて満足に動けない。
サーベルから荒々しい風が幾重にも生まれ、その全てがドラゴンの身体に吸い込まれていく。
「死ねッ! 死ねッ! 死にやがれッ!!」
滝のように衝撃が降り注ぐ。圧倒的な硬さを誇る竜のウロコが破壊されていく。
口に、頭に、背中に、四肢に風の刃が突き刺さる。このまま攻撃を受け続ければいくらドラゴンでも耐えられない。憑依が解けてしまえば勝つための手段が失われてしまう。
息を吸い込む。限界まで吸い込む。ヘソ下あたりに力を溜めてチリアットを睨みつける。大ダメージ覚悟で口を開け、力を解放する。
暴風が熱風に変わる。熱が一気に膨れ上がってチリアットを飲み込む。ジュウ、と焼け焦げる音とともに周囲が炎に包まれる。
そのまま今度こそ焼き尽くしてやりたかったが、獣人は身体を燃やされながらもブレスの範囲から脱出してしまった。
ドラゴンの無防備な横腹が狙われているのがわかる。サーベルが動き、強烈な風の刃が生まれる、かと思った。
「……チィッ!」
衝撃が襲ってこない。
チリアットの様子を見て、すぐにその理由を理解する。
スタミナ切れだ。スキルを連続して使用し続けたツケが回ってきたのだ。
「……ハァ、ハァ……何で、オレが先にバテてんだ……テメェ、どうしてそんなに動き回れるんだ。さっきは簡単にスタミナが切れてたのによォ!?」
千載一遇の好機。これを逃す手は無い。
重い足を動かして一気に距離を詰める。チリアットは逃げようとしたが、スタミナを使い果たした身体は満足に動かない。スタミナを一度使い果たしてしまうと、元のように動けるようになるまで5秒も必要になる。そして、その間は完全な無防備。ドラゴンが目の前に迫っていても何もできない。
顔を縦に傾ける。大きく口を開く。そして、チリアットの胴体を噛み千切るつもりで牙を突き立てた。
「グ……ク、ソッタレが……」
首から上だけを残して、チリアットが口の中に納まる。5秒が経過して獣人の身体に力が戻るが、もう遅い。いくら毒づこうが暴れようが絶対に離してやらない。
ありったけの力を込めて口を閉じる。そのまま体内に空気を取り入れる。熱源を口の中に発生させる。
「ギ!? おい、ちょっとまて! まさか――」
何を今更慌てているんだ? ようやく捕まえたんだ。最大の攻撃をお見舞いしてやろうと考えるのは当然だろう。
チリアットの身体を炙っていた炎が一気に強くなる。自分にもダメージが返ってくるかもしれない、なんて懸念は無視した。細かいコトは、コイツを倒してから考えよう。
「熱いッ! おいやめろ!! ふざけんな!! 何だこのクソゲー!!」
熱い? 良かったじゃないか。リアルな感触を味わいたかったんだろ? 身体を焼かれる感触を存分に味わってくれ。
腹の底に力を入れる。暴れる獣を押さえ込みながら、力の限りのドラゴンブレスをゼロ距離でぶっ放す。
視界が白く染まっていく。
現実感がまるで感じられない。夢の中にいるような状態のまま獣の断末魔を聞く。
何だか、とても眠い。意識が、どんどん、薄れていって――




