28話 対峙
「こんにちは」
茂みから姿を現した俺が声をかけると、男2人はギョッとしたように目を見開いた。
チリアットは急所のみを覆うような軽装なデザインの鎧を着ていた。ガッシリした腕や脚は茶褐色の獣毛で覆われている。狼と人間のハーフのような顔には、趣味の悪いデザインの刺青が彫り込まれていた。腰には2つの剣が見える。【獣人】の武器は斧だったはずだが、それを無視して剣を使っているらしい。先端が曲線を描いているので、恐らくサーベルの類だろう。
隣に立つ槍使いの男は、ドクロの絵がいくつも描かれた珍妙な上下を着ていた。胸元に光るネックレスもドクロだ。よく見ると槍の柄にまでドクロが見える。自分で彫ったのだとしたら随分な物好きだ。
名前は……【†フェロウズ@最凶皇帝†】というらしい。よく覚えておこう。
「何だお前。何してんだコラ」
「普通にこのエリアを探索しているだけですよ。地図を見ながら川に沿って歩いていたんですが……あれ、その人どうしたんですか?」
ぐったりしている夏秋冬のことに水を向けると、いきなり鋭い槍の先を突きつけられた。
「動くな」
有名なチリアットに声をかけてくる存在が不気味だったのかもしれない。フェロウズは、構えた槍で俺の眉間に狙いを付けて、精一杯に睨んできた。
コイツは怖くない。問題は後ろでふんぞり返っている獣耳野郎だ。
そんな心の内を悟られないように目を丸くする。相手を睨み返したくなる心を押さえつけて、愛想笑いを浮かべて口を開いた。
「その子、気分でも悪いんですか? 何だか様子が変ですが――」
――槍の切っ先が俺の眉間に突き刺さる、その寸前で動きが止まる。ゲームシステムによって禁止行動と判断され、強制的にモーションを中断させられたのだ。
どうやら考える前に手が出たらしい。フェロウズは口を歪めて舌打ちをすると、忌々しそうに槍を地面に突き立てた。
「お前の知った事じゃねえよ、カスが」
いくら凄まれようとも尻込みはしない。今すぐ怒鳴りつけたいのは俺の方だ。
「良ければ運営に連絡しましょうか? 確か緊急時の連絡先って用意されていましたよね」
「余計な事をするんじゃねえよ初心者。賞金のおこぼれが欲しいなら別のヤツに尻尾を振ってろよ」
鼻先20センチにまで顔を近づけてくる。その鼻っ柱に拳を入れたくなる衝動に駆られるが、奥歯に力を入れて何とか我慢した。
「何だフェロウズ。お前コイツ知ってんの?」
「底辺の初心者だよ。誰からも仲間にしてもらえなくて涙目になってたよなァ? どうしてお前がこんな所にいるんだ? 独りじゃ何もできなくて頭から布団でも被って震えてたんじゃねえのか? ひょっとしてログアウトのやり方すら知らないのかァ? ギャハハハ!!」
……ああ、思い出した。この槍使い、どこかで見た事がある顔だと思ったら、初日に会話したモヒカンのお友達じゃないか。モヒカンとつるむのは止めたんだろうか。
「さっさと消えろよカス野郎。底辺のクセに声かけんな」
「まァまァ、そう言ってやるな」
内心ウンザリしていると、押し黙った俺が気後れしたと思ったのか、チリアットがニヤニヤしながら歩み寄ってきた。
「なァ初心者。最近よく聞くウワサを知ってるか? 渓流エリアで遊んでいたヤツらが誰かに襲われてるってよォ?」
「……ええ、聞いたことがあります。怖いですよね、PKが横行しているなんて本当なんでしょうか」
毛むくじゃらの左腕に抱えられている夏秋冬はピクリとも動かない。感情を押し殺すことがこんなに大変だなんて知らなかった。
「キヒヒ、よしよし、よく知ってたなァ初心者」
言いながら、チリアットが俺の肩に右手を置く。そして鋭い犬歯を剥き出しにして、気持ち悪い笑みを浮かべた。
顔を背けたくなるのを我慢していると、奥の茂みが不自然に揺れたことに気付く。その直後に何かが一瞬キラリと光った。
背を向けている連中は気付いていない。獣人は耳をピンと立てて俺の胸を小突いた。
「そのPKな、犯人がオレ様だとしたら、どうだ?」
「冗談は止めてくださいよ。PKが不可能だってコトくらい、初心者の俺だって知ってますよ」
「ヒヒ、信じられないかァ?」
チリアットが右手でサーベルを引き抜く。先端の3分の1が両刃になっているその切っ先を、俺に見せ付けるようにゆっくりと上げていく。そして、
「だったら、今すぐに理解させてやるよ」
俺の左肩に狙いを定めて振り下ろしてきた。
なめんな。
金属音を鳴らしたサーベルの軌道が変わり、左肩の数センチ横を通り過ぎていく。
地面を抉ったサーベルがザクリと音を立てる。刀身が湿気の多い土で汚れる。呆けたような顔で自らの武器を見たチリアットの眉が、少しだけ動いた。
「……あン? お前、いま何をしやがった」
だらしなく緩んでいた表情が鋭くなる。小石を蹴って遊んでいるような雰囲気が明らかに硬く変化した。
「いきなり斬りかかられたら、初心者だって逃げますよ」
「逃げた? 違うだろ。オレ様の剣を受け流しやがったよなァ?」
得物にこびり付いた汚れを振り払いながらチリアットが目を細くする。泥が跳ねる小さな音は、声にかき消されて聞こえなかった。
「お前、オレ様がPKしていた事を知ってたな?」
「そんなことありませんよ」
「しらばっくれンじゃねえよ。フェロウズに刺されそうになっても微動だにしなかったくせによォ。オレ様の剣が本当に斬れるってコトを知ってたんだろ? じゃなけりゃ、咄嗟に受け流すなんざ絶対に無理だからなァ」
その自信はどこから来るんだろう。本当に謎だ。
「女の子を抱えたまま振り回したところで、大した剣速は出ないですからね。受け流すと言っても、そんなに難しい芸当じゃありませんよ」
「……ヒヒ、面白ェ。生意気なことを言うじゃねえか……おいフェロウズ!」
怒声のような呼び声を浴びせられ、背後でポカンとしていた男が目を白黒させる。チリアットは「逃がすなよ」と短く告げて夏秋冬を乱暴に放り投げた。
「彼女をもっと丁寧に扱ったらどうですか」
「あ? なにお前、バッカじゃねーの? たかがゲームで正義感出しちゃってんの?」
ニヤニヤと笑みを浮かべていた獣の顔が急に険しくなる。何が気に障ったのか、チリアットは唾を吐いて不快感をあらわにした。
「女に優しいオレカッケー、ってか? ギャハハハハ! いいねェ、まさか正義の味方気取りとこんなに早く遊べるとは思わなかったぜ。どうやって殺してやろうかと考えたら楽しくなってきちまうよォ……ヒヒヒッ」」
粘度の高い視線が気持ち悪い。ミノタウロスよりもはるかに耳障りな声が鬱陶しい。声が少々乱暴になったのは、そんな理由からだ。
「正義の味方? 誰がですか?」
「テメェだろうが! オレはテメェみたいな野郎を叩き潰したくて遊んでるんだよ。特に弱いクセに優等生ぶってるヤツは許せねえ。存在が罪ってヤツだ」
知るか。俺が誰かを勝手に決めるな。
「つまり、チリアットさんは気に入らない相手を潰したいんですか?」
「ヒヒ、そうだよォ。よくわかってるじゃねえか」
「ええ。俺も同じ気持ちですからね」
獣人特有の鋭い牙がギラリと光る。獲物を前にした肉食獣のように瞳孔が大きくなり、全身の毛が針のように逆立った。
「ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!! 面白ェ!! その口に手を突っ込んで舌を引きずり出して切り刻んで魚のエサにしてやるよ! そんなコト不可能だと思ってるんじゃねえだろうな!? オレ様だけに許された能力を使えばリアルに出来るってコトをキッチリ教えてやるから逃げんじゃねえぞ!!」
この獣は気付いているだろうか。
己の背後に控えていた仲間が、隙を突かれて夏秋冬を手放していることを。雪羽が小さな身体を優しく抱きしめていることを。それを確認したダージュが、この茶番を終わらせる為の手を打ったことを。
《間もなく、1時の方角から向かいます。かなり凶暴ですので、巻き込まれないようにご注意ください》
狙い通りにコトは進んでいる。後は、この場をさっさと離れればそれで終わりだ。
「ち、チリアット! 例の女だ! ヤツが来やがった!」
夏秋冬を手放してしまった槍使いが慌てた声で叫ぶ。それに反応した獣人が雪羽の姿を認めて獰猛に笑った。
「やっと来やがったかクソ女! お前もまとめてぶっ殺してやるからなァ!!」
聞くに耐えない罵声を浴びせられても雪羽は無言を貫いていた。俺に向かって小さく頷き、フェロウズの腕をひらりと避けて距離を取る。そして、近くにあった木の幹を強烈に蹴りつけた。
「逃げるんじゃー―」
――ぼとぼと。ぼとり。
やや水気を含んだ音がして、槍使いの肩に何かが落ちる。
それはロープのように細長く、片方の端は菱形になっていた。ウネウネと動き、チロチロと細い舌が出入りしているのが見える。全身の色は恐らく紫。光が弱くなったせいで少々黒っぽく見えるその身体には、無数のウロコが生えていた。
名前は【クルーヴァイパー】と言うらしい。全長2メートルを超えるそれが3匹。フェロウズの首を絞めるように巻きつき、鋭い牙から毒液を吐きかけた。
「ひッ!?」
顔が毒々しい液体の色で染まる。全身の肌色があっという間に変色していく。足が震えているのは毒が回ったからか、ヘビに睨まれた恐怖からか。どちらにせよフェロウズはしばらく動けないだろう。
「ナメた真似をしてくれるじゃねェか」
チリアットは俺から完全に視線を外して左腕でもサーベルを引き抜く。二刀を構えて雪羽を睨みつけた。
「オレ様から二度も逃げられるなんて思って無いだろうなァ!? クソ女ァ!!」
絶叫に近い罵声がやかましい。雪羽も同じような感想を持ったらしく、ほぼ無表情だった顔が僅かに険しくなった。
猛然と迫ってくる相手を前にしながら雪羽は動かない。夏秋冬を抱きながら、獣をまっすぐに睨み返している。
右か、左か。
どちらの刃が先に伸びてくるのかを見極めようとしている――わけじゃない。きっと彼女は俺が地面に施した細工に気付いていた。だから動かなかった。
獣人の足先を草のリボンが捕まえる。強度が足りなくてブチブチと千切れてしまったが、相手を転倒させるには十分だった。
「テ……メェ……何をしやがった」
「私は何もしていない」
「ふざけンな!! そのムカツク目玉を抉り出して切り刻んで――」
もういい。もうウンザリだ。こんなヤツとこれ以上関わりたくもない。
そんな俺の心を読んだかのように異変が起こる。大小さまざまな鳥が一斉に羽ばたいて周囲が騒がしくなる。僅かな振動を感じるようになり、それが一瞬ごとに大きくなっていく。メキメキと樹木がなぎ倒される音が近づいてくる。
「――あ?」
喚き散らしていた獣人が上を向いた。ポカンと口を開けたままフリーズした。
正直に告白すると、俺もかなり驚いた。
だって、ダージュが用意したモンスターがドラゴンだとは思わなかったから。
――グオオオオオオオアアアアアアッ!!
まるで突風が吹いたかのように草木が揺れる。咆哮の凄まじい音量に思わず耳を覆う。宙を舞っていた巨体が地を踏みしめて、その衝撃で地面がグラリと大きく揺れた。




