26話 疑問と不安
「所詮は牛ですね。ちょっと挑発したらこの通りです」
「……ダージュさんを女性だと認識してるみたいですし、いろいろ問題ありそうですよね」
「それはもっと評価されるべきだと思います。お兄様」
少し頬を膨らませたダージュによると、これでやっと体力を2割削ったらしい。今のペースだと先はまだ長そうだ。
「相手のステータスは圧倒的ですが、弱点が明らかになったので勝算はあります。あの異常に硬い身体の秘密もわかってきましたしね。どうやら、息を止めている間だけ身体を硬化できるようです」
俺よりも遠くから観察していたのによく見ている。確かにミノタウロスは攻撃を受ける前に大きく息を吸い込んでいたのだ。
肉体が黒く変色している状態では、どんな攻撃を放ってもダメージを通せない。となると、相手の意表を突いたタイミングで攻撃するしかない。
「とはいえ、弱点への攻撃なら余計なことを考える必要はない、と」
好戦的な笑みを浮かべてダージュが肯定する。どうやら既に筋書きは出来ているようだ。
「隙を突いて、ボクがあと5撃打ち込みます。お兄様はあと1撃。その後にあれを成功させれば、ほぼ全ての体力を削りきれるでしょう」
素早く意見を交換してから愛用のロープを取り出す。少々バクチ要素が強い作戦だが、頭に血が上っている相手にならきっと成功するだろう。
「そういえば、この身体で触れてもロープは燃えたりしないんですね」
「熱量を調節できるようですね。この距離でもボクは大して熱を感じませんし」
……まあいい、細かいことは後で考えよう。今は目の前に迫っている相手に集中だ。
「ゴロすッ! 脳ミソぶちまけやがれァアアア!!」
大上段から振り下ろされる斧を左へ避ける。横薙ぎの一閃を屈んで回避する。頭を半分切られながら袈裟切りをやり過ごして、直後に飛んできた心臓への突きから紙一重で逃げ切った。
さらに俺を狙ってくるかと思ったのだが、血走った目はダージュへと向いていた。
どうも俺は嫌われている。それとも人間の姿をしていないから優先順位が低いのだろうか。予定外の行動に慌ててロープを投げつけた。
それと同時に、ロープの反対側に括り付けておいたフックを割れた石床の隙間に引っかける。千切れないように願いながら両手でロープを掴み、腰を落として衝撃に備えた。
「グ!?」
ダージュに触れる一歩手前でロープが張る。強烈な手応えと共に巨体の前進が止まる。予想外の妨害を受けてギラリと俺を睨んだ牛の横顔へ、至近距離から5つの矢が打ち込まれた。
「何度言わせるんだよ。俺を無視するなっての」
「――――――!!」
泡を飛ばすミノタウロスの叫びは全然聞き取れない。口に穴が開いたのか、舌が焼き切れたのか、理性が吹き飛んだのか知らないが、今度こそ俺に向かって突進してきた。
「クソ野郎がチョロチョロと……ッ!」
何だ、まだ喋れるじゃないか。もっと追い詰めないと倒れないか。
巨体が地団駄を踏んで大地が揺れる。武器を地面に叩きつけて石床の一部を剥ぎ取る。丸太のような腕に血管を幾筋も浮かばせながら、石の塊を力任せに投げつけてきた。
速い。けれど、避けられる――
「――【爆散】しやがれッ!」
狂気に染まった怒声が耳に入ったのとほぼ同時。回避行動に移っていた俺の手前で石が花火のように破裂する。全方向に飛び散った石弾を避けられず、体力が一気に削られてしまう。
システムボイスの警告に従っている暇はない。追撃の刃に頭半分を切り飛ばされながら巨体を駆け登る。頭によじ登って頬に刃を突き刺す。ミノタウロスは目を血走らせながら俺に両腕を伸ばしてきた。
「捕らえろ!」
命令に従ってロープが太い両腕に何重にも巻きつく。ミノタウロスの怪力の前には長く耐えられそうに無いが、数秒の時間稼ぎには十分だ。俺は全身を丸めて小さくなり、泡を吹く口の中へ頭から突っ込んだ。
「モガッ!?」
この身体はコンパクトに折りたためる。具体的に言うと核の大きさ(直径20センチほどの球体)にまで小さくなれる。その特性を利用して口の中へ飛び込んだ俺がこれからどうなるか。きっと牛には最後まで理解できないだろう。
【自爆】発動までの猶予はあと3秒。拘束を外して俺を引きずり出すには、少々短すぎるはずだ。
――2……1……。
異物を噛み砕くべく、ミノタウロスの強靭なアゴに力が入る。
万力に挟まれたような圧迫感を感じる。すぐにも噛み砕かれてしまいそうなほどコアが軋む。しかし、砕け散る前に3秒が経過した。
薄暗い口の中に眩い光が満ちる。視界が真っ白に染まっていく。肉体が膨張する不思議な感覚と共に全身が熱くなる。
そして、地面を揺るがす轟音と共に爆炎が生じた。
* * *
「……うわ、頭がクラクラする」
人間に戻った俺は、妙な気分の悪さを感じていた。三半規管が狂ったような感覚は通常の憑依解除では感じないものだ。ひょっとして、イレギュラーな解除にはペナルティーがあるのだろうか。後で検証しておこう。
まだ少し霞んでいる目に力を入れて前を見つめる。白目になったミノタウロスには僅かに息があったが、これはダージュが計算した通りの結果だ。憑依状態のまま倒すと経験値が半分になってしまうので、人間に戻った状態で倒したかったのだ。
「ガ……ァ……」
最後まで油断はしない。だらしなく開いた口に刃を突き入れて力を込める。相手が完全に沈黙するまでの間は、今までの騒がしさが夢だったかのように静寂に包まれていた。
《レベルアップしました。おめでとうございます、アキト様》
レベル20到達を告げるアナウンスを確認する。緊張から解放されて全身から一気に力が抜ける。そのまま地面に倒れこみたくなるけれど、グッと脚に力を入れて耐えた。
双葉草を取り出して乱暴に口に入れる。それなりに体力の最大値が増えたので1個ではとても足りない。苦い味を我慢しながら5個連続で飲み込んだ。
「お兄様、大丈夫ですか?」
ダージュが気遣わしげな表情で問いかけてくる。片手を挙げて大丈夫だとアピールしたけれど、彼の顔は晴れなかった。
「せめて、呼吸が落ち着くまでは休憩しましょう。精神を乱していると力を発揮できません」
そうは言うけれど、こうしている間にも彼女達が危険な目に遭っているかもしれない。とてもゆっくり休む気にはなれなかった。
「大丈夫です。体力は回復しましたし、早く行きましょう」
まだハッキリしない頭を覚醒させるために頬を打つ。心配でたまらないという声が聞こえてきそうなダージュに笑いかけて、歩き出そうとして――
「その先に行く必要はありません。アキト様」
――不意に発せられた冷たい声に全身が固まった。
* * *
このエリアで鳥肌が立つのは何度目だろう。
ミノタウロスとの戦いでボロボロになった地面に黒い光の円が生じる。光は段々と上へ伸びて、円筒形の光のカーテンになる。そして、そこに見覚えがあるシルエットが浮かび上がった。
光が徐々に収まっていき、シルエットの輪郭が徐々にハッキリしていく。シンプルながらどこか威厳を感じさせる黒のドレスが風に吹かれたようにはためいた。
「ご苦労様でした」
聞き覚えのある声の主は、予想通りに【黒の巫女】イヴ。俺をこの世界に叩き落した彼女は、優雅に一礼すると、あの時のように微笑んだ。
「ミノタウロスの撃破をもって、アキト様の魂は輝きを取り戻しました」
淡々と告げられる内容を理解するのに時間がかかる。もう一度頬を叩いて、ボーっとする頭を無理やり起こして、やっと半分くらい飲み込んだ。
「あの、このエリアの最下層に行かなきゃいけないんじゃ?」
「それは最も罪深き者の話。各々の罪によって内容は変化するのです。アキト様は自ら私の元に訪れたので、若干ながら刑が軽減されておりますしね」
……どう考えても偶然だけど、ここは話を合わせておこう。このゲームでルールを侵すリスクはもう十分に理解できた。
「それにしても、これほど早く終えられるとは思いませんでした。この場に辿り着くまで2週間以上は必要だと予想していましたが……素晴らしい速度です」
「ああ、それはダージュさんのおかげです。俺だけなら――」
「――お兄様。ボクの話は後回しにしましょう」
珍しく俺の言葉を遮ったダージュがゆっくりと弓を下ろす。彼は静かに歩み寄ると、イヴの正面に立った。
「貴女は……ダージュ様、ですか? ずいぶんと可愛らしい姿になられましたね」
「気にしないでください。これはお兄様の趣味です」
待ってくれ。それまるで俺が変態みたいじゃないか。
そんな心の叫びは当然無視されて、ダージュが要件を口にした。
「最近、誰かが人を襲っているという噂を耳にしたのですが。何かご存知ですか」
突然の質問に驚く様子も見せず、イヴは淡々と首を横に振る。
「重い罪を犯した人間は、系統に関係なくこの地に送られることになっています。しかし、アキト様とダージュ様以外の方がこの地を踏んだという事実はありません。巫女同士で情報を共有しておりますので間違いないと思います」
彼女に質問して、罪を犯した人間がどうなるかを教えてもらった。
罪を犯して業が一定の値を超えたとしても、即座にこのエリアに突き落とされる訳ではない。ゲーム内時間で24時間は【自首期間】として猶予が与えられており、その間に各系統の巫女に罪を告白すれば、少しだけ量刑が軽減されるらしい。
自首しないまま24時間が経過すると、巫女の下に出頭するように警告が送られる。これを無視したままさらに24時間が過ぎると【天罰】なるものが下るらしい。平たく言えば、運営が動いて強制的にこのエリアに突き落とすのだ。
「……あれ?」
雪羽からのメールを見る限り、襲撃犯は10日目の朝の時点で既にプレイヤーを襲っていたはずだ。
ということは、通知メールを無視したとしても、12日目の昼までには天罰が下っていなければならない。にも関わらず、イヴは誰もこのエリアに来ていないと言う。
どういうことだ?
いくら考えても答えは解らない。しかし、心の隅に追いやろうとしていた不安が段々と大きくなっていく。俺だって不可能なはずのPKを実行してしまったのだ。このゲームにどんな抜け穴が存在していても不思議じゃない。
とにかく、まずはここから脱出しよう。
イヴにそう訴えると、彼女は素早く光の円を出現させて俺とダージュを包み込んだ。




