22話 紫の空の下で4
周囲を探索しながら階段を下り続けて、約3時間が経過した。
現在時刻は18:00。明るさは昼と変わらないが、これから先は夜の時間帯だ。
夜に出現するモンスターはさらに凶悪になる可能性が高い。幸いなことに建物の中ではエンカウントしないようなので、夜をやり過ごす為に適当な建物に入ることになった。
「お兄様、冷めないうちにどうぞ」
男の娘モードのダージュから皿を受け取る。外見も仕草も女の子なのだが、もう性別については深く考えないようにしようと思う。
「ありがとうございます。いただきます」
簡素なテーブルの上に置かれた食事を挟んで手を合わせる。
用意のいい事に、ダージュは食料アイテムを大量に抱えていた。今晩のメニューはパンにたっぷりのチーズとソーセージを挟んだホットドックとコーンスープ。ここでは絶食を覚悟していたので本当に嬉しい誤算だった。
ちなみに調理作業は必要ない。便利なもので、アイテムボックスから取り出しただけでホカホカの作りたて状態になるらしい。
「よくこんな用意をしてましたね」
「経験の賜物ですよ。別ゲームの話ですが、以前ひどい目に遭いまして」
携帯用食事アイテムが販売されていると知った時点でピンときたという。安価に販売されていたこともあって、ダージュはアイテムボックスの限界までストックしていた。
「念の為に買っておいたのですが、こんなに早く使う時が来るとは思いませんでいた。お兄様のお役に立てて嬉しいです」
携帯食とはいえ、ジャンクフードに慣れ親しんでいる俺にとっては十分なご馳走だ。一口齧ればパキッと割れたソーセージからジュワっと肉汁が溢れてくる。粗引き肉の旨みと香草の香りが食欲を刺激して、コンビニで買うようなホットドックとは比べ物にならない。食べるほどに食欲が沸いてくる。俺はあっという間に用意された2つを平らげた。
* * *
コーンスープも飲み終わり一息つく。そして、今後についての意見を交換することになった。
「最下層に辿り着けば、何かが待っていると思います」
食後のお茶を注ぎながらダージュが言う。その根拠のひとつは、地図の代わりに表示されていたあの一文らしい。
「『ここへ堕ちた者は一切の希望を捨てよ』という文は、叙事詩【神曲】に登場する地獄の入り口に掲げられていた文と酷似しています。恐らくここは地獄界を模した場所なのでしょう。少々こじつけですが、逆さにした円錐のような世界だということも似ていますしね」
確かに、ここに出現するモンスターは、地獄に出てくるような気味の悪い姿をしているものが多い。動く骨のモンスターなんて二度と見たくないくらい気持ち悪かった。
「このエリアは下に進む程に周囲が暗く、モンスターが強力になっていく傾向にあります。恐らく最下層にはネイムドが待っているのでしょう。そこを抜ければ脱出できるのではないでしょうか」
あくまで予想ですが、と付け加えたダージュが肩をすくめる。
「現時点で何パーセントくらい踏破したか、予想できます?」
「それは少々難しいですね。【神曲】の地獄界は幾つものエリアに分かれているのですが、ここでその様な違いは見当たらないですから」
ひたすら歩き続けたのに風景は殆ど変わっていない。相変わらずゴールは見えず、違いといえば紫の空が少し遠くなった気がするくらいだ。
「まだ次のエリアに辿り着けていないだけだとしたら、現状は1割も踏破していないことになります」
その予測は外れてほしいけれど、あまり期待は出来ない。歩いても歩いても底が見えないのだ。相当の距離を歩かなければならないことは間違いないだろう。
「焦っても仕方ないです。回復アイテムも無尽蔵ではありませんから、慎重に進んでいきましょう。死んでしまえば元も子もありません」
「……やっぱり、この状況からゲームのクリアを目指すのは相当難しそうですね」
悔しいけれど、ここから無事に出られたとしても、その時には攻略の最前線は遥か先に進んでしまっているだろう。最悪の場合、既に誰かがクリアしているかもしれない。
「どうしてですか? お兄様」
嘆く俺に対し、ダージュが不思議そうに首を傾げる。彼のコップを満たしながら理由を説明したのだが、それでも納得していないようだ。
「ボクは、誰かに先を越されてしまったらそれで終わってしまうとは思いません」
その考えに興味があったので続きを促すと、彼は淀みなく説明を続けた。
「悪竜が一体しか存在せず、誰かが倒した時点で消滅してしまうなら、目標を失ったプレイヤーの多くが積極的なプレイを止めてしまうと思うんです。そんな状態は運営にとって望ましくないと思いませんか」
詳しい金額は知らないが、このクローズドβテストは相当のコストをかけて行われている筈だ。せっかく開催したテストを期間途中で終わらせるようなことをするだろうか。ダージュはそう主張する。
「運営はテストをしているのだから、最後の日までプレイしてほしいと考えている筈です。誰かがクリアしたらそれで終わり、という仕様にはしないのでは?」
「しかし、クリアする人が多くなれば賞金総額がとんでもない数値になりますよね」
俺の知る限り、5日目で草原のネイムドを倒したプレイヤーが存在するのだ。仮にこのペースで残り4体のネイムドと悪竜を倒すとしたら、最速30日でクリアするプレイヤーが出てもおかしくない計算になる。
この先どんどん敵が強くなるとはいえ、強くなるのはプレイヤーも同じだ。30日は言いすぎにしても、168日もあれば多数のプレイヤーがクリアするだろう。
「確かに、あまりに賞金総額が膨れ上がってしまえば運営も困ると思います。しかし、このゲームをコントロールしているのは運営です。流動的に難易度を変えたりイベントを追加することで進行状況を調整することも可能でしょう」
「……そんなのアリなんですか?」
「そんな事をしているとは決して認めないと思いますがね」
信じられないのだが、別に珍しい手法ではないらしい。あの手この手でプレイヤーを長期的にゲームに繋ぎ止めることは昔から行われていると言うのだ。
「運営はこの世界の神と同義ですからね。どういう手段をとるかは不明ですが、いくらでもやり方はある筈です。賞金を出してまでプレイヤーを煽っているのですから、最後まで楽しませるような仕掛けを考えていると思いますよ」
そういう考え方もあるのか。運営視点で考えるなんて思いつきもしなかった。
「運営が168日間テストすると宣言した以上、その日数を短縮するとは思えません。まだ序盤と言える現時点で慌てる必要は無いと思います」
だから悲観する必要はありませんよ、とダージュは締めくくった。
少々温くなったお茶を口に含む。芸が細かいことに茶柱が立っていた。
「お兄様はクリアを目指しているのですね?」
「……はい。大それた目標だとは思ってますけど」
賞金が欲しいという気持ちは勿論ある。でも、それ以上に素人だと馬鹿にした連中を見返してやりたいという思いが強い。その結果、気持ちが暴走してこんな状況になっているのは笑えないけれど。
「ダージュさんのように賞金に興味がない人の目には、俺みたいなプレイヤーは滑稽に映るのでしょうね」
「そんなことはないですよ」
黒いリボンが小さく揺れる。
「どのように楽しむかは個人の自由ですし、否定する気は毛頭ありません。ただ、守るべきルールを破ってはならないと思いますが」
「……うぅ、すみません」
涼やかな声が耳に痛い。
「ふふ、お兄様を詰るつもりはありません。ただ、世の中には意図的に禁止行為を繰り返すような人もいるので……そういう人は好きになれません」
無差別にプレイヤーを襲い略奪行為をする、まるで山賊のように振舞う人や、重要な施設を占拠してプレイヤーの進行を妨げる人など。相手が困る行為を繰り返して喜ぶ人間はどこにでもいるらしい。
「このゲームにもそんな人がいるんですか?」
「今のところ、目立った事件は発生していないようです。まだ序盤ということもあって、皆エリアの攻略に目が向いているのでしょう。この先どうなるかは判りませんが」
その言葉はどこか虚しさを含んでいた。まるでこの世界が今後どうなるかを知っているかのように。
「プレイヤーが快適に遊べるように運営は様々な対策を講じています。しかし、いくら手を打とうともシステムに穴があればそれを突くプレイヤーは必ず存在します」
ダージュは、システムの欠陥を利用してゲーム内で迷惑行為を行うプレイヤーが出現することを危惧しているらしい。
「ゲーム攻略に有用なバクを利用するのは褒められた行為ではないと思いますが、非難しようとも思いません。ただし、バグを利用して悪質な犯罪行為をしようとする人は嫌いです」
穏やかだった口調が硬くなる。柔らかそうな頬が少しだけ強張る。そんな表情をすぐに消して、ダージュはいつもの笑みを浮かべた。
「運営がテストプレイに賞金を用意したのは、正式サービス開始の前に抜け穴を徹底的に潰す為なのかもしれませんね」
俺も抜け穴の発見に貢献したのかもしれない。だとしても、少しも嬉しくないけれど。
右手のコップを傾けて、もう空になっていることに気付く。ずいぶん話し込んでしまったようだ。
「早く脱出したいですし、明日は6時からすぐに行動を再開してもいいですか?」
「はい、お兄様。明日からはボクもお役に立てると思います」
ダージュが今日唯一の収穫を手に笑う。俺は使える気がしなかったのだが、どうやら彼がずっと捜し求めていた武器らしい。
「弓が得意な系統なんてありました?」
「無いですよ。ボクも天魔系ですから、サブウエポン扱いになってしまいます。ですから攻撃力には期待できません。しかし、それは些細な問題ですから」
自信ありげなその発言は心強い。今日は何度泣きそうになったか数えるのも面倒なくらい大変だったのだ。
「それじゃ、そろそろ休む準備をしましょうか」
「そ、そうですね」
食事前に周囲を探索したけれど、ベッドなんて上等なものは見つからなかった。硬い床の上で寝るしかないのは……これも罰ゲームのひとつと思うしかないか。
「……あ、あの。お兄様」
「ん? どうしました?」
「実は、寝袋があるのです。ですが、その。一つしか用意していなくて」
「ああ、そうなんですか。だったらダージュさんはそれを使ってください」
遠慮なんかしないでいいですから、と付け加えて周囲を見渡す。せめて枕の代わりになるような物が転がっていないだろうか。
「それで、あの、」
くいくい、とダージュに袖を引っ張られる。落ち着きなく視線をさまよわせた男の娘は、頬を染めて一言。
「一緒に、寝ませんか?」
一瞬返事が遅れたのは、決してその状況を妄想していた訳じゃないんだ。本当だ。信じてくれ運営様。




