20話 紫の空の下で2
この気持ちをどう表現したらいいだろう。ドッキリが終わってホッとしている芸人が一歩踏み出した途端また落とし穴に落ちた時のような気分――ちょっと長い上にズレている気がする。
「どうしました? お兄様」
「……うぅ」
適当なコトを考えて現実逃避していたのだが、やっぱり声が聞こえて思わず体が震えた。
何だろう、どうしようもなく嫌な予感がする。このまま耳を塞いだら無かった事にできないだろうか――
「お・に・い・さ・ま?」
「うぉあああッ!?」
背中をつうっと撫でられて鳥肌がパワーアップした。
どうやらこの怪異からは逃れられないらしい。
覚悟を決めて振り返ると、そこには小柄な男の子が立っていた。
「どうされました? お兄様」
雪のように白い髪と褐色の肌が目を引く。水兵服のような上下は少しぶかぶかで、にこりと笑う顔に敵意は感じられない。
どうみても中学生くらいの子供にしか見えないのに、その姿を見て何故か背筋が寒くなった。
一体何者なんだ。
周囲を警戒していた俺をあざ笑うかのように出現した人物の名を慎重に確認して――彼がプレイヤーだということを知った。
「……ダージュさん、ですか? お兄様って、誰のことですか」
「お兄様はお兄様です。お兄様」
意味がわからない。
念の為に記憶を確認するが俺は一人っ子だ。親が隠していない限り弟なんて存在しない。
「ボクはお兄様を追ってきたのです。まずは話を聞いてもらえませんか」
ダージュは両腕を大きく広げて無邪気に笑う。どうやら自分が無害であることをアピールしているつもりらしい。
どう考えても怪しい人物なのだが、今はとにかく情報が欲しい。
俺が頷くと、彼は「立ち話もなんですから、落ち着ける場所に行きましょう」と背を向けて歩き出した。
* * *
俺達は少し歩いて、状態のよさそうな石造りの家に入った。薄暗い部屋の中はカビ臭くてお世辞にも快適とはいえないが、こんな状況で贅沢なんて言っていられない。外で長話をしてモンスターに見つかったらそれこそ厄介だ。
都合のいいことにランプが使えるらしく、ダージュは慣れた手つきで火を灯す。リラックスした雰囲気で椅子に座った彼はごく自然に脚を組んだ。
「壊れないですから安心して座って下さい」
糸のように細い目をさらに細くして笑う。外見は子供そのものだが、中の人が子供だとはとても思えなかった。
「さて、何からお話すればいいでしょうか」
「……ここが何処なのか、ダージュさんは知ってるんですか」
「残念ながら、具体的なことは知りません」
「だったら、どうして階段を上った先が行き止まりだと?」
「ボクがこの世界に落ちてきた場所がそこだったからです。上には何もありません。紫の炎に焼かれるだけです」
その言葉が本当なら、下へ向かうしかないのか。
「ここでの行動目的――クエストのクリア条件みたいなものは知っていますか?」
「明確なクリア条件は知りません。ただ、イヴがお兄様をここへ送り込んだ理由は予想がついています」
ダージュは「お兄様の罪を洗い流す為ですよ」と囁くように言った。
「……どういうことですか?」
「ガトリーガーデンの巫女は天魔系のプレイヤーを見守ると同時に監視をしています。踏み外した者を正しい道へと導く為に」
正しい道へと導く?
全く予想外のことを言われて首を捻ってしまう。そんな俺を静かに見つめながらダージュは淡々と説明を続けた。
「道を踏み外す――つまり悪事を働いたプレイヤーは、隠しパラメータである業という値がマイナス方向に変動します」
……そういえば、そんなコトが説明書の端に書いてあったような気がする。
「悪事って、例えばどういうものですか?」
「軽微なものならば、悪意のある嘘をつく、不快にさせる言動をする等ですね。重いものは、直接危害を加えてプレイヤーを殺してしまう……いわゆる【PK】が挙げられるでしょう」
ドキリとする。今朝の出来事を思い出して胃の辺りが少し冷たくなる。ダージュの綺麗な瞳は全てを見透かしているようで、俺は思わず目を逸らしてしまった。
「業は蓄積されるほどにプレイヤーに悪影響を及ぼします。一定以上に達してしまうと、強制的に刑の執行を受けることになります」
「刑、ですか?」
「ええ。逃げることは叶いません。最悪の場合は絶対零度の氷に囚われてしまい、二度と復活できなくなるのです」
まるでその現場を見てきたかのように淡々と肯定する。そして「お兄様も罪を犯してしまったのでしょう?」と当たり前のように問いかけてきた。
「な、なにを――」
「お兄様は【憑依】スキルを使い、モンスターとしてプレイヤーを撃破した。違いますか?」
何を言われても驚くまいと身構えていたのに、その決意を易々と崩されてしまった。
きっとわかり易い顔をしていたのだろう。ダージュは「他言しませんから安心してください」と小さく付け加えた。
「……なぜ、ダージュさんがそんな事を知っているのですか」
「ボクの眼を使えば、相手の様々な情報を知ることができるのです」
言葉に詰まりながら反撃する俺に対し、彼はそっと自分の目を指し示す。
「名前は勿論のこと、ステータスやスキル、そして業すらも視ることができます。お兄様の業と憑依スキルを見た瞬間にピンと来たのですよ。その現場を目撃した訳ではないのですが……違いますか?」
次々と押し寄せてくる言葉に冷たい汗が噴出してくる。まるで探偵に決定的な証拠を突きつけられた犯人みたいに鼓動が速くなっていく。口の中はカラカラで、ごくりと息を飲んだと同時に鈍い痛みを感じた。
「PK行為は現在システム上で禁止されています。ですから本来は絶対に不可能な行為なのですが【憑依】スキル持つお兄様は結果としてPKを実行してしまった。そして大きな業を背負ってしまったのですよ」
「そんな……」
イヴが言っていた「魂に翳りが見える」って、そういう意味だったのか。
ゲームのシステム上、プレイヤーがプレイヤーに攻撃を当てることは絶対にできないようになっている。
その事実から、俺は、禁止されている行為は実行不可能なのだと思い込んでいた。だから、憑依してプレイヤーと戦闘状態に突入した時点で、相手を倒す行為を【許可された行動】だと考えてしまった。
その判断は大ハズレだった訳だ。
事情を理解した途端に全身から力が抜ける。こんな事になるなんて思いもしなかった。
「……俺は、これからどうなるんでしょうか」
確か、夏秋冬は『ゲーム中の犯罪行為は大抵レッドカードになっちゃう』と言っていた。つまり、そういうことなのだろうか。
「そう肩を落とさないで下さい。効率の良い方法を探ることは間違いではありません。ただ、少々やり方に問題があっただけです」
俺が己の現状を理解したことに満足したのか、ダージュは「どうか落ち着いてください」と表情を和らげた。悪事を働いたプレイヤーが罰せられるのは、MMORPGでは一般的なイベントだというのだ。
「犯罪者全てが死刑になるわけではないように、全てのプレイヤーが氷漬けにされるわけではありません」
ダージュいわく、刑にも段階があり、俺はまだ最悪の状況ではないらしい。
「初犯に対しては文書での警告だけで済ませる場合が多いですから、問答無用でこんな所へ飛ばされるなんて結構シビアな処分だと思いますがね。お兄様は何人くらい殺したのですか?」
そんな殺人鬼みたいに言わないでほしい。あれは正当防衛のつもりだったんだ。
「一人です」
「……それでこんなエリアに転送されるなんて、PKはかなり厳しめに罰せられるようですね。ともあれ、ここで罪を洗い流せば業の蓄積は初期化されて、元の世界に復帰できる筈です」
「罪を洗い流すって、具体的にはどうすればいいんでしょうか」
ダージュがやや困ったように眉根を寄せる。
「推測で申し訳ないですが」と前置きしてから答えを口にした。
「ここから無事に脱出できれば、きっと業の値がリセットされるでしょう。脱出するまでの苦労と時間がお兄様に課せられた刑なのだと思われます」
あくまでも冷静なダージュの声に、熱を帯びていた頭が徐々に冷えていく。心拍数が少しずつ正常に戻っていく。
「ここから出れば良いんですね?」
「はい。復帰が許されないのなら、既に行動不能になっている筈ですからね」
たどたどしく彼の言葉を咀嚼する。
まだ失格になった訳ではないと理解して、少しだけ気が楽になった。
かなりの回り道になってしまうだろうが、ゲームオーバーに比べたら大した問題じゃない。色々と反省することはあるが、まずはここから脱出することに集中しよう。
「力不足かもしれませんが、ボクにも脱出のお手伝いをさせてください」
「それは俺からも是非お願いしたい事ですけれど……ところで、ダージュさんは何故ここにいるのですか?」
今更ながら、ふと思い浮かんだ疑問を投げかけた。
彼の主張が正しければこのエリアは罪人専用だ。そんな場所に来ている彼も俺と同類なのだろうか。
「先程も言いましたが、ボクはお兄様を追いかけてきたのです。本当はここに来る前にお話したかったのですが、イヴに足止めされてしまい叶いませんでした」
……何だか話が断片的で理解できない。
ここに居る理由を最初から話して欲しいと要求すると、彼は素直に頷いた。
* * *
ダージュは、相手の様々な情報を見抜くというスキル【慧眼】を先天的に習得していたらしい。
「ボクはこのスキルを利用して、ゲーム開始直後から優秀なプレイヤーを探していました」
このゲームは両親を選ぶことで能力の方向性を選択できるが、ステータスの高低は運任せな部分が大きい。中には極端に能力が低い人や、逆にかなり優秀な能力を持って生まれた人も存在する。
きっと、このゲームをクリアする為に優秀な人を探していたのだろう。そう思っていたのだが、どうやら違うらしい。
「賞金にはあまり興味ありませんから」
「そうなんですか?」
「はい。ボクは優秀な人に尽くすことに喜びを覚える人種ですから。ボクが仕えたいと思うお兄様を探す為に町中を歩き回っていたのです」
何だか凄いことを言っている気がするが、深く追求するのは止めておこう。
「しかし、なかなか思うようには行きませんでした。慧眼を習得していた対価なのか、ボクは多くの基礎能力が平均よりも劣っています。ですから、気に入るような人に声をかけても誰も相手にしてくれませんでした」
このゲームは報酬をパーティーで均等に分割する方式なので、プレイヤーは極力パーティメンバー数を減らす傾向にある。
同じモンスターを倒したとしても、2人で倒すのと4人で倒すのでは得られる経験値とジュエルが倍も違ってくる。だから可能な限り少人数で進めたほうが効率が良いのだ。
「初日に、異常なほど優秀なステータスを持つ人を見つけたのですが……やはり全く相手にしてもらえませんでしたよ」
苦笑いと共に小さな体が揺れる。
目ぼしいプレイヤーを見つけられなったダージュは、結局平凡なパーティーに所属することになった。
後衛担当として数日間は順調にゲームを進めていたのだが、基礎ステータスの才能に劣る彼は次第にメンバーとの能力差が大きくなっていった。そして、ついにはパーティから外されてしまったという。
「モンスターの能力や弱点が見えるといっても、役に立つのはそれをメンバーに教えるまでですからね。今後は足を引っ張るからとクビになってしまいました。時々便利なアイテム扱いで呼び出されることはありますが」
そうして一人になったダージュは、また新たな仲間を探すことになった。
俺を見かけたのはそんなタイミングだったらしい。
「一目惚れでした」
金色の瞳が怪しく輝く。
思わず体を引くと、ヤツはじわりと一歩近づいてきた。
「見た瞬間、ボクが仕えるのはお兄様しかいないと確信したのです」
「いや、俺のステータスってそんなに優秀じゃない筈ですよ?」
「それは承知しています。でもボクの第六感が激しく痙攣したのです」
【アレ】が何を指しているのか知らないが、それは病院に行った方が良いと思う。
「ここでお兄様に見捨てられたら、もう死ぬしかないとさえ思っています」
「いや、そんな大げさな」
「大げさじゃないですよ。この特殊なエリアで死んだ場合、どんな結果になるのか全く不明なのですから。最悪の場合、罪を洗い流せなかったとして強制退場まであるかもしれません」
でも、だからって手を握るのは止めて欲しい。そんな俺の心の声をまるで無視してダージュはぐっと手に力を込める。そして話を強引に戻した。
「運命の出会いを果たしたボクは、お兄様に声をかけようとストー……後を追いました」
何と言ったのか追求したかったが、わざとらしい咳払いで誤魔化されてしまう。
「途中で酒場に立ち寄ってボクの依頼を手に取りましたよね? あの時は本当に運命を感じて感動しました」
言われてようやく思い出した。【お兄様1名募集!】という妙なクエストの依頼主はダージュという名前だったのだ。
「ああ、そうだったんですか……」
どんな変人かと思ったが、妙に納得してしまった。
「その場で声をかければ良かったのですが、勇気が出なくて……すみません」
その後のことは俺もよく覚えている。何の警戒もしないままガトリーガーデンへ入ってしまったのだ。
「お兄様が警告を受けるという事は予測できていたので、ボクが前もってお教えしていれば混乱されることも無かったと思うのですが……ガトリーガーデンはイヴの支配下らしく、一切干渉できませんでした。それで、せめてお手伝いをしようとお兄様の後を追ったのです」
何も悪くないというのに、ダージュは小さな身体をさらに小さくして頭を下げる。その姿を見ていると何だか申し訳ない気持ちになってきた。
「こうなった原因は俺にあるんです。気にする必要なんて無いですよ」
「お兄様……!」
ダージュが「ふう……」と熱っぽい息を吐く。その瞳が若干潤んでいるのは気のせいだと思いたい。
「ボクがここに来た理由、理解してもらえました?」
「な、何となく理解しましたけど」
強烈な視線を受け止めきれずに目を逸らす。
色々と教えてもらっておいて失礼だけど、何だか変な人に目をつけられてしまったようだ。
「それで、『お兄様』ってのは何なんですか」
「お気に召しませんか? ご主人様の方が良いですか?」
良いワケあるか。さらに悪化してるじゃないか。
「俺にはアキトという名前があるんですから、そう呼んでくださいよ」
「嫌です」
ノータイムで言われて絶句する。
何度頼んでも呼び方を変えてもらえず、そのまま彼と共に行動することになってしまった。




