12話 合流
ネイムドモンスター【ジャイアントブラック】
筋骨隆々とした身体の腰まわりを原始人のように獣皮で巻いている。手にしている棍棒はグリーンゴブリンのそれと同じ形だが、サイズが笑えるくらいに違う。身の丈は目算で10メートルは下らない。その巨体は淡く発光していて、周囲に禍々しい気配を振りまいている。
「冗談だろ……」
こんな巨大なモンスターと戦うなんて、想像もしなかった。大人と子供どころか、人間とビルくらいの体格差があるのだ。
ゴブリンはギョロリと血走った目をむいて、ガパッっと口を大きく開けた。
凄まじい咆哮に空気が震える。
周囲の草がざわざわと揺れ動く。俺の肌がビリビリと痺れる。
黄ばんだキバが鈍く光る口は、人を丸呑みにできそうな程大きい。そこから零れたヨダレがビシャリと垂れる。ジュウ、と嫌な音がして草原の一部が溶けるように消滅した。
唖然、呆然、絶句、愕然。
あまりの光景にポカンと口を開けてしまう。
いくらなんでもコレは無いだろう。これこそバグなんじゃないか、とどれだけ思っても目の前のバケモノは消えてくれない。
胃が異常なほど冷たく、熱くなっている。口の中がカラカラに乾いている。
ゲームだから怖くない? そんな発言をした俺を過去に戻ってぶん殴ってやりたい。「お前これ見た後でも同じこと言えんの?」って問い詰めてやりたい。死ぬとか死なないとか関係なく恐怖は感じるものだということを、ハッキリと思い知らされた。
「周りに助けを求めるのは……ひょっとしてムリなんですか?」
「……みたいだね。戦闘状態に突入した時点で別空間に招待されちゃったみたい」
今までとは風景の色が変わっている。鮮やかな緑一色だった草原が、まるで全て毒を含んだみたいに紫色に変わっているのだ。遠くに見えていたプレイヤーの姿が全て消えてしまっている。ご丁寧にも舞台を整えてくれたらしい。
あまりの大きさに夏秋冬も動揺を隠せない様子だったが、それでも彼女は杖を握り締めて前に進み出た。
「こーなったらもう覚悟を決めるしかないね。見た感じ動きは鈍そうだし、死角に回り込んで攻撃を繰り返せば何とかなるかも――」
「――待ってください。何か様子が変です」
必死に心を落ち着けてゴブリンを観察した俺は、小さな身体に待ったをかけた。
一直線に向かって来ると思っていた巨体が動かない。鋭い牙を見せ付けながら吼える黒いゴブリンは、どう見てもこちらを向いていない。
どういうことだろう。そんな俺の疑問はすぐに解決した。俺達の他にもう一人、この舞台に巻き込まれていたプレイヤーがいたのだ。
いや、巻き込まれたのは、恐らく俺達の方だ。
「【空震】!」
薄暗い空間の中で影が動く。
数メートルも跳躍してゴブリンの腹に一撃を叩き込む。【妖精王】系のアクションスキルが命中したことを示す青の光がパッと咲いて、一瞬だけ姿が照らし出された。
「あれは……」
思わず言葉が漏れる。俺はその人物に見覚えがあった。
「ユキちゃん!? こんな所で何やってるの!?」
「ユキちゃんって、雪羽さんのことですか? 夏秋冬さんの友達って彼女なんですか?」
「どうしてアキト君がユキちゃんの名前知ってるの? ひょっとして知り合いなの?」
雪羽はゲームの中で俺が最初に会話したプレイヤーだ。もう縁が無いと思っていたが、まさか夏秋冬の友達だとは思わなかった。
顔を見合わせて驚きあう俺達をよそに、雪羽は攻撃を叩き込み続ける。大振りの攻撃を的確に避け、その拳で確実に攻撃を当てていく。
鋭いジャンプから全体重を乗せたヒザ蹴りを叩き込む。そのまま拳を次々に当ててダメージを蓄積させる。とどめに一瞬だけ構えを見せ、すぐさま強烈なストレートパンチをぶち当てる。青い光が小さく灯り、ゴブリンが忌々しそうに顔を歪めた。
「すごい……たった一人であのモンスターに挑むなんて」
巨大なゴブリンに対し、彼女の身長は相手のすねの高さにも満たない。そんな圧倒的な彼我の差を物ともせずに正面から立ち向かう。その姿はまるで映画やアニメの主人公のようで、俺はただただ目を奪われてしまう。
あの勢いならば倒せるかもしれない。
そんな楽観的な感想を抱いた俺とは対照的に、隣の夏秋冬は全く違う感想を持っていた。
「いくらなんでも無茶だよ! どれだけ攻撃したってあまり攻撃が効いていないみたいだし、あの棍棒で一度でも殴られたら即死んじゃう。あのゴブリンが妙なスキルを持っていたら――危ない!」
夏秋冬の懸念は、すぐに現実のものとなってしまった。
まるで巨大地震のように地面が激しく揺れる。攻撃が当たらないことに業を煮やしたゴブリンが跳躍し、棍棒を地面に叩きつけたのだ。
「ユキちゃん!!」
悲鳴のような叫びは届かず、雪羽は激動する地面に脚をとられて転んでしまう。その瞬間を待ちわびていたゴブリンが黄ばんだ牙を見せながら棍棒を振り上げる。そして、ためらうことなく振り落ろす。
のっそりとした体の動きからは想像できない鋭さで棍棒がうなる。体を投げ出して辛うじて逃げた雪羽をゴブリンが汚く笑っている。
地面が激しく揺れ動くせいで、倒れた雪羽は立ち上がれない。
ゴブリンは両手に持ち替えた棍棒を天高く掲げる。そして、存在ごと叩き潰すように一気に振り下ろそうとする。
「雪羽さん!」
直後に訪れるであろう悲惨な未来。
それを思い描いたと同時に、俺は走り出していた。
怖いと思う暇すら無かった。気づいた時には体が勝手に動いていた。
雪羽までの距離は約50メートル。棍棒が獲物を捕らえるまでの猶予はあと3秒あるかどうか。いくら現実の身体より早く動けるとはいえ、その距離は絶望的に遠い。
それでも、すぐそこに待っている未来を見たくない一心で必死に駆ける。
あと45メートル。40メートル。35メートル。
振り上げた棍棒がゆっくり落下していく。それは一瞬ごとに、必死に走る俺をあざ笑うように速くなっていく。
一歩ごとに、地面の揺れが激しくなる。バランスを崩して転びそうになる。このままではどれだけ頑張ろうとも間に合わない。その事実に絶望しそうになる。
激しく揺れる視界の中で、雪羽は空を見上げたまま固まっていた。まっすぐに上を、巨大な黒いゴブリンの顔をじっと睨んでいた。
その姿を見て、一瞬だけ、もう諦めてしまったのかと思った。
だが、彼女はそんな弱い人間ではなかった。
「【投石】!!」
雪羽が手元に落ちていた小石を投げつける。俺の顔よりも大きな目玉に吸い込まれる。巨体が驚いたように震えて、棍棒の速度がハッキリと落ちた。
だから、ギリギリで間に合った。
ふら付きながらも白い手をしっかり握る。そのまま身体を引っ張り上げ、両腕で抱いて一気にゴブリンの足元を走り抜ける。
「ありがとう。こんな所で逢うなんて奇遇だな」
腕の中でそんなセリフを言われて、俺は驚きを通り越して感心してしまった。
慌てていたのは俺だけで、彼女は最後まで冷静だった。俺がこうする事もちゃんと気づいていたのだろう。
* * *
雪羽を抱いて走る俺には、ホッとするヒマも与えてもらえなかった。
「うわっ!?」
地面を打った棍棒が衝撃波を巻き起こして俺の背中を襲う。壁に体を打ちつけたような痛みを感じる。危うくバランスを崩しかけたが何とか持ちこたえた。マラソンで重い荷物を背負っていたお陰かもしれない。
十分に離れてから体力を確認する。そして今更ながら青ざめた。攻撃の余波を受けただけで体力が2割も削られていたのだ。やはり、あの棍棒に殴られたら一撃KOは確実だろう。
「初日に会って以来ですね」
内心かなり動揺していたが、何とか取り繕って雪羽に挨拶する。
彼女は、なぜか拗ねたような顔をしていた。
「アキト、キミはどこへ行っていたんだ。確かに待っていてと言った筈なのに、勝手にどこかへ行くなんて酷いじゃないか」
「勝手にって、1時間も待っていたのに全然戻ってこなかったじゃないですか」
「……待たせたのは悪かったと思う。でもそれは夏秋冬が悪い」
「ちょっと!? 悪いのは待ち合わせの場所を決めていなかったユキちゃんでしょ!」
遠く離れている夏秋冬から抗議の声が飛んでくる。フレンドチャットはとても便利な機能だ。
「だからと言って勝手にフラフラと町を散策したらダメだろう。探すのにどれだけ苦労したと思っているんだ」
夏秋冬に負けずに雪羽が言い返す。そして改めて俺に視線を向けた。
「やっと夏秋冬を捕まえたと思ったら今度はアキトが消えていたしな。フレンド登録していないとメールも送れないなんて、このゲーム変なところで不親切だ。運営には思いきり悪口を込めた意見を送ってやったぞ」
小さな口をへの字にしている雪羽は、その後も俺を探してくれていたらしい。
中央広場で見た彼女が探していたのは俺だったのだ。それを知った途端申し訳ない気分になってくる。あの時に声をかけていれば良かったのだ。
「すみません、そうだったんですか。俺が初心者だから、雪羽さんは俺と係わり合いになりたくない、って考えていると思っていました」
「そうなのか? キミが初心者だなんて情報は今はじめて聞いのだが」
……言われてみればそうだった。色んな人にフられたので混乱していたみたいだ。
「そもそもこのゲームに関しては皆初心者だ。それに今助けられたのは私の方。初心者なんて言ったらかえって嫌味だぞ」
「すみません」
「うわー、助けてもらったのに上から目線になってる。流石はユキちゃんだよ」
「そ、そんなつもりは無い。アキトが助けてくれなければ危なかったのは事実だから、その、感謝してる。本当だぞ?」
落ち着き無く視線を動かす雪羽は、俺と目を一瞬だけ合わせて、すぐに恥じらうように逸らしてしまった。
「だったらいつまでもお姫様抱っこされてないで現実見ようよ。もうゴブリンはカンカンだよ? 黒い顔を真っ赤にさせてお冠だよ? 今も大ピンチ継続中だって解ってる?」
そうなのだ。
冷静な声の夏秋冬が言う通り、ゴブリンのやる気は少しも衰えていない。と言うより、むしろテンションはさらに上昇していた。
大きな影に覆われて周囲がさらに暗くなる。雪羽を下ろして天を見ると、汚い涎を垂らしたゴブリンが野球のスイングをするように大きく棍棒を振りかぶっていた。このまま振り回されたらとても避けられないだろう。
しかし、この状況を離れた場所から把握していた夏秋冬は既に先手を打っていた。ドンッという炸裂音と共にゴブリンの動きが止まる。
「今のうちに早く逃げて!」
夏秋冬の指示に従って走り出す。攻撃が一切届かなくなる30メートルほどの距離を取ったところで、ふたたび声が飛んできた。
「やっぱり【火球】もそんなに効いていないみたい。意識を逸らすくらいが精一杯だよ。今回は諦めて、攻撃力を上げてからまた挑戦した方が良いみたいだね」
夏秋冬が撤退を提案する。
だが、雪羽はそれを即座に拒否した。
「冗談じゃない! 一週間も草原を探し回ってやっと発見したネイムドなんだ。この機会を逃したら次いつ遇えるか判らない!」
「そんなコト言ったって倒せないんだから仕方ないでしょ!? まだレベルが足りないよ。ユキちゃんの攻撃もわたしの【火球】も、ほとんど効いていないんだもん!」
言うまでも無いことだが、俺の攻撃力は夏秋冬の【火球】に比べて圧倒的に低い。それに触れなかったのは、たぶん夏秋冬なりの優しさだ。
「ならば私だけでも続行する。ダメージを与えられない訳じゃないんだ。攻撃を避け続ければ絶対に撃破できるはずだ」
「あーもう! 無茶だって言ってるでしょ!? 急ぎたい気持ちは解るけど、勇気と無謀は違うんだからね!!」
会話の応酬になかなか口を挟めないが、俺も夏秋冬の意見が正しいように思える。
大振りの棍棒は避けられても、巻き起こる衝撃波と地震は回避が非常に難しい。となれば攻撃が来る前に一気に決めてしまいたいところだが、こちらの攻撃がほとんど効いていないので無理だろう。
夏秋冬の【火球】なら遠距離から攻撃できるが、残念ながら大して効いていない。まず間違いなく、体力を削りきる前にマナが尽きてしまう。
「弱点は無いんですか?」
「それが判れば希望はあるかもだけどね。ユキちゃん知ってる?」
「四肢も胴体も攻撃したのに効いた様子は無かった。あるとすれば頭くらいだが……」
「それは、さすがに高すぎるよ。ユキちゃんのジャンプでも届かないし、【火球】は多分避けられちゃう。頭に攻撃するなんて無理じゃないかな」
倒すには単純に攻撃力が足りないんだよと主張する夏秋冬と、それでも逃げる気は無いと譲らない雪羽。間に挟まれた俺ができるコトといえば、ヘナチョコな攻撃とちょうちょ結びを作ることだけ――
「――できる、かもしれません」
ふと、馬鹿馬鹿しいアイデアを思いついてしまった。
「本当? アキト君、ユキちゃんに遠慮しないで、ダメなときはダメだってハッキリ言うことも大切だよ?」
「本当なんです。ところで、雪羽さんはこの草原の地理に詳しいですか?」
「ああ。この一週間は殆どの時間を使って探索を進めていたから、マッピングはほぼ完成しているが」
それがどうしたの? という二対の瞳に向かって、俺の思い付きを打ち明けてみた。




