第5部 第14話
レストランの支配人自らが扉の向こうから現れた。
そしてその後ろからは・・・
あれ。
誰も入ってこない。
不思議に思って椅子から軽く腰を浮かすと、
支配人から遅れること約10秒。
ようやく私の待ち人が姿を現した。
が、顔だけをちょこっと扉から部屋に入れ、
怪訝な顔つきで部屋の中をキョロキョロと見回している。
この顔、どこかで見たことあるな・・・
あ!思い出した!
ノエルさんが初めてうちに来た時、
壁に耳を当てて隣の応接室の柵木さんの声を盗み聞きしてた時の顔だ!
さすが姉弟。
「和歌さん。何やってるんですか?早く入ってきてくださいよ」
「マユミちゃん!よかった!私、お店を間違えたのかと・・・」
「入り口で、私と待ち合わせてるって言ったんでしょ?」
「言ったけど・・・すぐに案内してもらえたけど・・・」
和歌さんは言葉を切ると再び部屋の中を見回した。
まあ、確かに2人で使うにはちょっと広すぎる個室だけど、
そんなに驚かなくても・・・
ようやく何かに納得したのか、
和歌さんは私の向かいの席に腰を下ろした。
それを見届けた支配人が、一礼して部屋を出て行く。
(和歌さんの椅子を引くために、和歌さんがキョロキョロしている間待っててくれたのだ・・・)
「あ。オーダーは?」
「予約する時、私がしておきました」
「ありがとう・・・それにしても、凄いレストランね」
「そうですか?レストラン自体はこじんまりしてると思いますけど」
閑静な住宅街にある、一見普通の家のような看板のないフランス料理店。
最近はこういうのが流行で、
どこも「雑誌を見てやってきました!」という手の人で予約がいっぱいらしい。
でもこのお店は違う。
「看板がない」というのはお店の入り口の話だけではなく、
雑誌やメディアに対しても、看板を出していない。
ここを知っているのは、元々このお店を知っている誰かに紹介してもらった人だけだ。
私はパパに一度連れてきてもらって以来、すっかりお気に入りで、
特別な時はここを使うようにしている。
昔はよく「彼氏ができたら、ここでデートするんだ!」って張り切ってたけど、
残念ながら実現したことはない。
だって聖も師匠もお金を持ってなかったから。
というか、どうせ私が支払うんだけど(もちろんパパのカードですけどね・・・)、
聖も師匠もそれを嫌がるような人だったから、このお店には来れなかったのだ。
あ、でも的場とならどちらが払うにしろ来れるかな。
だけど付き合ってる訳じゃないしなー。
青信号は嫌がるだろうしなー。
・・・的場も青信号もどうでもいいんだって。
とにかく今日は、正面切ってこのお店にやってきた。
だって「和歌さんのお祝いをする」という大義名分があるんだから!
パパのカードだって、心置きなく使えるわ!
ソムリエが説明してくれたけど何だかよく分からないシャンパンが入ったグラスを持ち上げる。
「・・・このグラスだけでいくらするのかしら・・・」
和歌さんがグラスに顔が映るくらい大接近してシャンパンの泡を見つめる。
「好きなだけ飲んでくださいね。赤ワインと白ワインもボトルで用意させてますから」
「・・・」
無言だけど、顔にソワソワって書いてある。
「彼氏さんとこういうお店、行かないんですか?」
「行きません。行けません」
和歌さんは、
「そうよ!だから今日はここのお料理とお酒を満喫しなきゃ!」とばかりに、
乾杯と同時にシャンパンを飲み干した。
結構いけるクチらしい。
こういう席ではあまり関係ないけど、私は一応未成年だし、
お酒が好きじゃないから、シャンパンを半分飲んで水に切り替える。
「お祝いが遅くなってごめんなさい。おめでとう、和歌さん」
「ううん、とんでもない。ありがとう。
・・・でも、高校生のマユミちゃんがご馳走してくれるって言うから、
てっきりファミレスかどこかだと思ってたのに・・・そうよね、寺脇家の人だもんね、マユミちゃん」
「そうですよ。だから遠慮なく食べてくださいね」
「うん!スーツで来なきゃよかった!だけど、こういうお店だったらスーツで正解かな?」
「そんなことないですよ。個室だし、どんな服でも大丈夫です」
「そう?だったら、ワンピースの方がたくさん食べれたかなあ」
と、料理前からお腹周りの心配をする和歌さん。
和歌さんがスーツなのは、この食事会のためではない。
去年、見事司法試験に合格した和歌さんは今は司法修習生で、
さっきまで研修を受けていたのだ。
だけどこのお祝いは司法試験に受かったことに対してだけではなく・・・
「正式にはいつ結婚するんですか?」
「司法修習が終わってから。司法修習ってあちこち地方を回ってやるから、
今はたまたま東京だけど、次はどこになるか分からないの」
「へー」
「だから、来年の夏以降かなあ」
そう!ついに和歌さんが結婚するのだ!
お相手はもちろん、あのイケメン先生。
「結婚祝い、何がいいですか!?」
意気込む私に和歌さんが驚く。
「ええ?今してくれてるじゃない」
「これは司法試験に受かったお祝いと、婚約祝いです!
結婚祝いは別!」
「ええ・・・そんな・・・」
「一軒家かマンションはどうですか?結婚するなら必要ですよね?」
和歌さんが目を回しそうになる。
「そんなの貰える訳・・・!あ、でも・・・実はね、住む所はもう決まってるの」
「えー?なあんだ」
「彼のお友達が用意してくれてるのよ」
うむぅ。
手強い(何が?)。
「じゃあ、車!」
「私、免許持ってないもの」
「彼氏さんは?」
「持ってるけど、車も持ってる」
「買い替え時です!」
「・・・」
ちょうどウェイターがオードブルを持ってきてくれたので、
しばしその説明に耳を傾けてから、
今度はフォーク片手にバトルを再開する。
「そんなに高いものはいいの。お部屋に飾る観葉植物とかだと嬉しいなあ」
「和歌さん・・・和歌さんは寺脇コンツェルンの次の代表のお姉さんなんですよ?
もっと贅沢なこと言ってください」
しかし和歌さんは聞く耳を持たず、
「なんだろ、これ?」と言いながらテリーヌを口へ運ぶ。
でも、ふと思いついたかのように呟いた。
「そっかぁ・・・ノエル、次の寺脇コンツェルンの代表になるのね・・・
あの失恋してピーピー泣いてたノエルが・・・」
思わずフォークを落っことしそうになったけど、
ギリギリ膝の上でキャッチする。
「失恋してピーピー泣いてた!?ノエルさんが!?」
これは聞き逃せない!!!
すると和歌さんはちょっと困ったように笑った。
「本当に泣いてた訳じゃないけどね。泣きそうなくらいには落ち込んでたわよ」
「うわあ!それ、いつの話ですか!?」
「ノエルが中学生の時。年上の凄く綺麗な女の人と付き合ってたらしいんだけど、
別れた時は相当へこんでたわよ」
・・・あ。それってもしかして、
ううん、もしかしなくても桜子さん、だよね?
さっきまでの興奮とは違った意味で胸がドキドキしだす。
「あのノエルさんがへこむなんて、想像つかないです」
「でしょ?でも、ノエルはかなり真剣に付き合ってたみたいなの」
「・・・彼女の方はどうだったんでしょう?」
その時にはもう、聖と桜子さんは許婚同士だったはずだ。
ノエルさんがそう言ってたんだから間違いない。
当時、桜子さんは聖のことを何とも思っておらず、ノエルさんを好きになったんだろうか?
それとも、軽い気持ちでノエルさんと付き合っていたんだろうか?
「ノエルは中学から全寮制の学校に行ってたし、私も詳しくは知らないの。
休みで実家に帰ってきた時に、話を聞くくらいだったから」
「そうなんですか・・・」
「しかもね」
和歌さんが、とっておきの秘密を話す時の子供のような顔になる。
「やっと失恋の痛手から立ち直った頃に、ノエル、また失恋しちゃったの」
「ええ!?」
「私の友達に一目惚れして、その女の子もノエルに気があるような振りをしたもんだから・・・
あれは私の友達が悪いわ。たっぷりお説教しちゃった」
和歌さんにお説教されて小さくなってる和歌さんの同級生を、何故か簡単に想像できてしまい、
私は思わず笑った。
「さすがにノエルも『もう恋愛なんて面倒だからしない!』とか言ってたけど、
あんなにすぐにナツミちゃんと結婚するなんてね。
マユミちゃんも、気付いたらいつの間にか素敵な彼氏ができてて、すぐに結婚するのよ、きっと」
私は和歌さんの言葉にハッとして顔を上げたけど、
和歌さんは何食わぬ顔してワインを飲んでいる。
和歌さん・・・
お姉ちゃんとノエルさんを通じて何か聞いてるのかな・・・
「・・・私、素敵な彼氏、できますかね?」
「できるわよ。私にだってできたんだから」
「ふふふ、そうですね」
「そうよ」
素敵な彼氏、か。
そうよね。
聖より素敵な人はいない、なんて断言できない。
聖と出会ったのは15歳の時。
きっと30歳までにはもう1人くらい出会える、はず!
私はなんだか楽しい気分になって、
オードブルをパクパクと頬張った。
「そうだ!伴野聖って覚えてます?」
「もちろんよ。遊園地でお世話になった人でしょ?」
「はい。今度、その人が主役で舞台があるんです。
よかったら、見に行ってやってください」
「主役?凄いわね。うん、絶対見に行くわ。彼と一緒に、」
和歌さんは言葉を切ると、腕組みをした。
眉間に皺が寄っていく。
「やっぱり彼はダメね・・・まだ田上沙良さんを取られたことを根に持ってるみたいだから・・・」
「・・・」
男なんて、どいつもこいつも勝手な奴ばっかりだー。
*次回、最終話です。