第5部 第7話
真夜中、突然携帯が鳴る。
私は手探りで枕の横に置いてある携帯を取り、
光るサブディスプレイを見る。
月島さん
って、誰だっけ?ノエルさん?和歌さん?
「!!!」
慌てて起き上がって携帯を開き、通話ボタンを押す。
「もしもし、聖!?」
「遅くに悪いな。寝てたか?」
「ううん!」
思いっきり寝てたけど、そんなのはどうでもいい。
私は携帯を強く耳に当てた。
判決を待つ被告人の気分だ。
聖の息遣いが聞こえる。
「会社は辞めたよ、こまわりに戻る。桜子とも離婚する」
「ほ、本当!?」
「ああ」
「・・・」
夢みたい・・・
携帯を持つ手が震える。
「じゃ、じゃあ、これからは・・・」
「マユミと一緒にいるよ」
神様!
夢なら醒めないで。
夢なら・・・
♪あん・あん・あん・とってーも大好き~・ドーラえーーもんー♪
私は枕から顔を上げ、
枕の横で歌う携帯を恨みを込めて睨んだ。
分かってたわよ。
今のは夢。
聖の番号を「月島さん」と登録してたのは、もうずっと前の話だし、
今の携帯番号は知らないし。
でも、どうせ夢なら、もうちょっと楽しませてよ!
しかも、何、この音楽!?
携帯を破壊したい衝動を抑えつつ、携帯を開くと、
笑顔でピースしている青信号が目に飛び込んできた。
アイツめ・・・
私は通話ボタンを押すか、電源ボタンを押すか本気で悩んだ。
あれから1週間。
聖は「考えてみる」と私に言って会社へ戻って行ったけど、
連絡はない。
私を落ち着かせるために「考えてみる」と言っただけで、
実はもう演劇に戻るつもりはないのだろうか。
でも、聖が演劇に未練があるのは事実だ。
それに聖なら・・・
戻るつもりがないのならはっきりそう言って、私をレストランに1人で放置してもおかしくない。
そうしなかったのは、本当に「考えてみる」からだ、と信じたい。
それにしても私、
あんなことよくやったな・・・
思い出すと、今更ながらに顔が赤くなる。
恥ずかしさを忘れようと、思わず通話ボタンをエイッと押した。
「マユミ!」
「ちょっと、青信号。何勝手に人の携帯に着歌と着信画面、設定してるのよ?」
「へへへ、いいだろー?この前会った時、マユミがトイレ行ってる隙に設定しといた」
「・・・」
そういえば、前食事に誘われて一緒に出かけたっけ。
あの時ね?
「それに、こんな時間に何の用?」
そう言いながら、部屋の時計を見た。
夜中の1時だ。
「そうだった!なあ、マユミ!今日、大変だったんだよ!!」
「何が?」
「こまわりに、聖さんが来たんだ!」
「えっ?」
携帯が手から落ちそうになる。
「聖が・・・?」
「うん!もう一度、演劇がやりたいって団長の都築さんに頭下げに来た」
「・・・」
これ、さっきの夢の続き?
違うよね?
現実よね?
「そ、それで?」
「他の劇団も考えたけど、やっぱりこまわりがいいんだって。
会社も辞めたらしい」
「嘘・・・」
「ほんと、ほんと!!」
宙に浮いたように身体が軽くなる。
聖、会社辞めたんだ。
また演劇やるんだ。
また、舞台に立つんだ!
今度は身体の中がカーッと熱くなる。
私はいてもたってもいられず、部屋の中をグルグルと歩き回った。
聖・・・
本当にちゃんと考えてくれたんだ。
私のやったことは無駄じゃなかった。
聖はやっぱり聖だ!
「じゃあ、聖、またこまわりで頑張るんだね!」
「あ、それが・・・」
青信号の声が少し大人しくなる。
「そのことで今までもめてたんだ」
「もめてた?」
「聖さんの復帰を認めるかどうか」
「・・・」
「あんな辞め方だったから聖さんのこと良く思ってない人もいる。
それに、時期も悪い」
時期。
そうだ、確かに今は時期が悪い。
聖が途中で投げ出した「ロミオとジュリエット」が今まさに公演されている。
私も見たい気持ちはあるけれど、
ロミオ役の人を見るたびに聖と重ねてしまいそうだし、
聖の彼女だった、ということで劇団の人に対して引け目も感じる。
(青信号は、気にすることないって言ってくれるけど)
だから見に行っていない。
でも、青信号からの情報によると、劇の評判はいまいちだそうだ。
そもそも、劇団員が劇に熱を入れられていない。
原因はもちろん聖だ。
聖は劇団内オーディションで選ばれて主役のロミオになったのに、
役どころか劇団まで突然辞めてしまい、
残された出演者達はかなり動揺した。
急遽代役を立てて稽古してきたけど、
そういう揉め事があった劇には劇団員も愛着を持てない。
それでもそのまま公演に踏み切ったものの、
劇団員の気持ちはお客さんにも伝わり、劇と劇団そのものの評判を落としているのだという。
そんな時期に聖が「戻りたい」と言って現れた。
歓迎されないのも当然だろう。
「都築さんは、聖さんに戻ってきて欲しいと思ってるみたいだけど、
反対してる人も結構いてさ」
「結構って、どれくらい?」
「半分ぐらい」
半分・・・
かなり多い。
「俺も含めてね」
「え?」
「俺も、聖さんの復帰には反対」
「・・・どうして?」
いつになく青信号の声が真剣に聞こえる。
「聖さんは目立つからさ、
聖さん個人のファンはもちろん、劇団のファンの人も、
聖さんがいなくなったことにすぐに気付いて、結構大騒ぎになったんだ。
人気役者が引退の告知なしに突然辞めるなんてありえない!って
事務所にも問い合わせの電話とか沢山来たりしてさ。
俺達はひたすら謝るしかなかった。それになのに急に復帰して・・・
でも、聖さんのことだから、どうせまたすぐに人気が出るんだ」
「・・・ただの、妬みじゃない」
「そうかもな。でも、実力のある人が妬まれることは確かにあるけど、
今回の聖さんはちょっと違うだろ。
劇はみんなで作ってるんだ。聖さんがいると、上手くいく劇もいかなくなる」
「そんな・・・」
「それに、聖さんはマユミのこと傷つけたし」
「・・・」
どうしてなのか青信号は私に好意を持ってくれているらしい、ということは分かってる。
でも、青信号は私がまだ聖を好きなのを知っているので、
何も言わないでいてくれている。
だけど、聖がまた現れたとなると・・・しかも、劇団に復帰するという形で・・・
ちょっと冷静ではいられないらしい。
私の知る限りでは、聖と青信号は結構仲が良かったと思う。
青信号には聖の力になって欲しいのに・・・
そうは思ったけど、さすがに私からそのお願いをするのは気が引けた。
私のことを抜きにしても、青信号は劇団のために、聖の復帰に反対するだろうし。
私は取り合えず、連絡をくれたことにお礼を言って電話を切り、
机の中から紙を取り出した。
「ロミオとジュリエット」の配役発表の紙だ。
聖がプレゼントだと言って私にくれた紙。
主役のロミオの欄には「伴野聖」とある。
「ロミオとジュリエット」じゃなくてもいい。
主役じゃなくてもいい。
舞台の上で輝いている聖をもう一度見たい。
私は祈るようにして胸の前で紙を握り締めた。