第4部 第15話
机に肘をついて、ぼんやりと窓の外を眺める。
1月の末なので外は寒いけど、
教室の中は暖房が効いてて春みたいにポカポカだ。
でも、今日は教室に私1人しかいないのに、暖房代もったいないよね。
ついそんなことを考えてしまうのは、やっぱり聖の影響かな。
1時間くらいたった頃、教室の下に見える講堂の扉が開いた。
同時に中から沢山の生徒と保護者が出てくる。
あの中にお姉ちゃんとパパとママもいるはずだけど、
余りに人が多くって見つけられない。
だけどそれは今日の目的ではないので、
私も真面目に探そうとはせず、
相変わらずぼんやりと人の波を眺めていた。
今日は堀西高校の卒業式だ。
でも、ほぼ全員の生徒が同じ敷地内にある堀西短大か堀西大学に進むから、
卒業式と言っても形だけ。
涙なんかは一切なく、みんな明日から始まる長い春休みに心ときめかせている。
お姉ちゃんだってそうだ。
今日の夜から早速アメリカにいるノエルさんに会いに行く。
きっと今頃「ノエル君に何を持っていこうかな」なんてソワソワと考えてるんだろう。
友達同士の写真の取り合いっこもすぐに終わり、みんなさっさと学校を出て行く。
昨日雨だったから足元が悪いけど、
歩いて帰る人なんて誰もいないから関係ない。
歩いて帰る人なんて・・・
私は席を立つと教室を出て階段へ向かった。
私の教室は3階にあるから普段はそれより上の階に行くことはない。
でも、今日は一つ上の4階に用がある。
用と言っても、私が勝手に「用」だと思っているだけで、
向こうは何も知らないんだけど・・・
でも、きっといる、
そう思った。
私がいた教室のちょうど真上にある教室の扉が少し開いていた。
そっと中を覗いてみると・・・
ほらね。
やっぱりいた。
「師匠」
「・・・マユミ」
面白いことに、師匠は私がさっき座っていた席の本当に真上の席に座っていた。
正確には、師匠は席ではなく、机の上に座っていたのだけど。
師匠は身軽に机から飛び降りると、
私の方へ近づいてきた。
私も教室へ入り、扉を閉める。
「何やってるんだよ?今日は2年生は休みだろ」
「うん。でも、師匠が待ってる気がして。師匠こそ、1人で何やってるの?」
「・・・マユミが来る気がして」
私達はなんとなく微笑み合った。
ほとんどの生徒が堀西短大・大学へ進む中、
師匠は1人、外部の国立大を受験する。
もう二度と師匠に会うことはないんだ、と思うと、
どうしても最後にもう一度会って話をしておきたかった。
だけど、もし今私がこんな状況でなければ、
とてもじゃないけど師匠に会わせる顔はなかっただろう。
もし、私が今も聖と一緒にいて、師匠に後ろめたさを少し感じていたなら。
もし、私がもう聖のことを好きじゃなくて、師匠とやり直したいと思っていたなら。
でも、3ヶ月経った今も聖とは全然会えなくて、
それでも私はどうしようもなく聖を好きで・・・
だからこそ、師匠と笑顔で向き合える。
皮肉なものだ。
一度足を止めた師匠が、もう一歩踏み出し、
私の目の前まで来た。
そして手で私の前髪をすくう。
師匠と付き合ってた頃は、
前髪は後ろ髪と同じ長さのセミロングだった。
でも今は、ボリュームのあるパッツン前髪だ。
「前から気になってたんだけど・・・どうしたんだよ、この傷」
「気付いてたの?」
「当たり前だろ」
私は苦笑いした。
凄いな、師匠。
師匠のこと全然見かけないと思ってたけど、
師匠はちゃんと私のこと見てたんだ。
しかも、前髪で傷を隠してたのに・・・
傷を隠してるのは、恥ずかしいからというより、
周りが私に気を使うからだ。
私自身は、幸か不幸か、
聖を失ったショックが大き過ぎて、傷なんて全然気にならなかったけど、
やっぱり友達とかは「あの傷、どうしたんだろう?」と思うだろうし、
思ってても聞けないだろうから・・・
と思ったら。
どうやらそれは私の見込み違いだったらしい。
「いいわね、その傷!極道の女って感じよ。
ちょうどいいじゃない。前の彼と寄りを戻しなさいよ。お似合いよ」 by バカ有紗
「これで寺脇も傷モノかー。もう嫁には行けないぞ。こりゃ、俺と結婚するしかないな」 by アホ的場
2人とも、私を慰めるつもりで、敢えてこんなことを言っている・・・
ってことにしておこう。悔しいから。
私はわざと「恥ずかしいからやめてよねー」と言いながら前髪をおろした。
「転んで、石で切ったの」
「ホントかよ。一応女なんだから、顔に傷が付くようなこと、するなよな」
「一応、じゃなくて、ちゃんと女よ。知ってるでしょ?」
私がそう言うと、師匠はちょっと呆れたように笑った。
「それもそうだな。・・・トラ男とは上手くいってんの?」
当然聞かれるだろうと思ってたから、心の準備はできている。
私は、早過ぎず遅過ぎずのタイミングで「うん」と答えた。
こんな嘘が師匠に通用するかどうかは分からないけど、
師匠に対する最低限の礼儀だ。
師匠も、私の言葉を信じたのかどうかはともかく、
「そっか。よかったな」と言った。
「・・・じゃあね、師匠。私、帰る」
「ああ」
「師匠は帰らないの?来月、受験でしょ?勉強しなくていいの?」
すると師匠は、あからさまに顔をしかめた。
あれ。私、変なこと言ったかな?
「俺がここにいる理由なんだけど」
「うん」
「確かにマユミを待ってた。でも、もう1つ理由があるんだ」
「え?」
師匠が手招きをして、私を窓辺に連れて行った。
そこからは、もう誰もいない校庭と、校門へと続くアプローチが見える。
いや・・・誰かいる。
ずっと遠くの校門のところに、女の人らしき姿が見える。
遠目にも分かるくらい、スタイルのいい綺麗な女の人だ。
「あの女の人が、師匠がここにいる理由なの?」
「うん。マユミ、あの女に見覚えない?」
「え?」
私は目をこらした。
見れば見るほど綺麗な人だ。
服装からして、OLか何かだろう。
あんな人、知り合いにいたかな。
でも・・・言われてみれば、見たことがあるような・・・
師匠が声を低め、ため息混じりに言った。
「俺の『二ィちゃん』の浮気相手だよ」
「・・・ああ!そう言えば!」
師匠と別れた日に、
師匠の二ィちゃんと一緒にホテルへ入っていった美女だ!
「って、どうしてその女の人が、堀西に来てるの?」
「さあ。二ィちゃんとあの女はもう別れた。
でも、その前にネェちゃんは子供を連れて出て行ったけどな。
結局二ィちゃんは、ネェちゃんも子供もあの女も失ったんだ。自業自得さ」
「そうなんだ・・・」
師匠が「しまったな」というような顔になる。
「昨日、偶然街であの女を見かけたんだ。
それで俺、思わずあの女に鬱憤をぶちまけちまって・・・
もしかしたら、俺に復讐しに来たのかも」
「ええ。まさか」
私はもう一度、校門の所で1人所在無げに立っている女の人を見た。
前見た時は、いかにも愛人です!って感じの堂々たる風格だったけど、
今日はなんだかソワソワしてて、可愛らしい。
目的は分からないけど、師匠に会いに来たのは確かだろう。
もしかして・・・
「あの人、師匠が高3って知ってる?」
「え?さあ。知らないと思うけど」
「やっぱり。きっとあの人、今日がうちの卒業式って知らずに来ちゃったのよ。
高3以外は学校にいない可能性が高いから、焦ってるんじゃない?」
「ああ・・・なるほどな。
で、あそこで、いるかいないかわかんねー俺をオロオロしながら待ち伏せしてるって訳か。
面白いな。よし、放置しとこう」
「かわいそうでしょー。早く行ってあげなよ」
「そんなことする義理ねーよ。俺にとっちゃ、敵みたいなもんだし」
そうは言いながら、師匠は鞄と卒業証書の入った筒を持ち上げた。
大方、面倒臭い女だな、とでも思ってるんだろう。
でも、そう思いながらも本当には放置しておけないのが師匠だ。
「じゃーな」
師匠が私の方を振り返らず、教室から出て行く。
「うん。受験、頑張ってね」
「ああ」
廊下に出た師匠がふと足を止め、私を見た。
何か言いたげな表情だ。
「なに?」
「いや・・・ちゃんと恋愛するのも悪くないなーと思って」
「え?」
「カッコつけて、女に溺れない振りするのはそろそろ卒業しようかな。
ちょうど卒業式だし」
「・・・あのね」
私が呆れた顔をすると、
師匠は師匠らしい明るい笑顔になった。
そして私に背中を向けて、手を振りながら廊下を歩いていった。