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triangle  作者: 田中タロウ
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第3部 第22話

伴野聖も、私に負けず劣らず大きな口を開けてロールケーキを食べている。


とんでもなく太いロールケーキだと思ってたけど、

男の人の口にかかれば、いい感じに一致している。


「何、ボケッとしてるんだよ?」

「・・・うん」


私はロールケーキを持ったけど、

もはや大口を開けて食べようとは思えない。


「・・・やっぱり、フォーク借りていい?」

「ん?ああ」


もう何度目か分からない。

再び伴野聖がソファから立ち上がって、

メタルラックに引っ掛けてあるお箸立てからフォークを一本持ってきてくれた。


「ありがとう」


私は伴野聖の顔を見ずにフォークを受け取った。

そのくせ、隣に座った伴野聖の横顔をチラチラと盗み見ている。


伴野聖はさっきまでと変わらない様子でロールケーキを食べて紅茶を飲んでいる。

それは私も同じだ。

変わったことと言えば、私がロールケーキを手ではなくフォークで口に運んでいるということだけ。


でもそれは、

フォークという物に初めて出会った人間が、初めてフォークを使って物を食べた、

というくらい、私の中では大きな変化だ。



私、伴野聖のことを好きになったんだ。



日本語でも英語でも「恋」には「落ちる」という表現がある。

「恋に落ちる」「fall in love」。


私は今まさにそれを実感した。


恋はするものじゃなくて、落ちるものだ。


なんで?

何がきっかけだったの?

別に特別なことなんてなかったでしょ?


それなのに、どうして目の前の伴野聖が、

さっきまでとは別人みたいに輝いて見えるの?


紅茶が美味しかったから?

ロールケーキが太かったから?

伴野聖が何度も立ったり座ったりしたから?

私の鼻に生クリームが付いてたから?

このソファが「女用」かもしれないから?

家の内装と家具が全然合ってないから?


思いつく限りの理由を頭の中に列挙してみたけど、

これだと思う答えは一つもない。


なんで・・・どうして・・・?



頭の中のパニックを悟られまいと、

一心にロールケーキと紅茶を食べていると、

私の携帯が鳴った。


そして、携帯のディスプレイを見た瞬間、

私の中の血がスーッという音を立てて引いていった。


「どーした?電話?出ろよ?」

「・・・」


だけど私はそのまま黙って携帯を閉じ、

鞄の中へ入れた。


「出なくていいのかよ?」

「うん・・・非通知だったから」

「ふーん?」


そう。非通知だもん。

師匠とは限らない。


・・・最近、非通知なんて師匠から以外かかってきてないけど。


無理だ。

今は師匠とは電話でも話せない。

鋭い師匠のことだから、すぐに私の中の変化に気付くはずだ。


師匠・・・

そうよ、私には師匠がいるじゃない。

昨日まであんなにラブラブだったじゃない。

私、師匠のこと好きなんじゃないの?

師匠だって私のこと大切にしてくれてるじゃない。


私と師匠は恋人なのよ。

他の男の人に目が行くなんてそんなこと、有り得ない。


その時、師匠の話が頭の中に蘇ってきた。


師匠の「二ィちゃん」が浮気してるって話だ。

師匠は二ィちゃんとネェちゃんのことを慕ってる分、

二ィちゃんの浮気を許せないでいる。


・・・危ない。

私は師匠の二ィちゃんと同じことをしていたかもしれないんだ。


「ご馳走さま。私、帰るね」

「駅までの道、わかるか?それとも車呼ぶか?」

「大丈夫。電車で帰れる」


私はもう何の味も感じられない紅茶を一気に飲むと、

鞄とコートを持って立ち上がった。


もうここに1秒でもいちゃいけない。

もう伴野聖には二度と会っちゃいけない。


二度と?

二度と会えない?


でも、もう会う理由もないから、本当にこれでもう会えないかもしれない。


私は玄関に下りてゆっくりブーツを履くと、伴野聖の顔を見た。

玄関の上に立っている伴野聖の顔は、私より30センチ以上も上にあった。

でも、私にはもっともっと上に感じられる。


「なんか、不安そうな顔してんな。やっぱ駅までの道、わかんねーんだろ?

素直に『送ってください』って言えよ」

「そんなんじゃない。ちゃんと分かるし」

「じゃあ、このマンション出て、まずどっちに進むんだ?」

「えっと・・・左・・・?」


伴野聖はため息をつきながら「右だよ」と言って靴を履いた。






さっきは腕を組んで歩いてきた道を、

一定の距離を保ちながら戻る。


私、さっきどうして平気に腕なんか組めたんだろう。

今はちょっと触れるのも怖い。


だけどもちろん伴野聖に触れることなんて一度もなく、

私達は駅に辿り着いた。


早く駅に着いて欲しいという気持ちと、

ずっとこのまま一緒に歩いていたいという気持ちが私の中で交錯していたけど、

思いのほか駅に早く着いたと感じているということは、

歩いていたいという気持ちの方が強いってことなのかもしれない。


ダメ。

ダメ、ダメ、ダメ。

こんなことじゃダメよ。


私は師匠の恋人なんだから。


私は切符売り場から少し離れたところで足を止めた。


「・・・あんたも相変わらずよね」

「何が?」


伴野聖も足を止め、怪訝な顔つきで私を見ている、気がする。

だって、怖くて顔なんて見れない。


「親元離れて一人暮らしするって言っても結局は親のマンションに住んでるし、

生活費だって親から貰ってるんでしょ?そんなの独立したとは言えないわよね。

単に家の『離れ』に住んで好き勝手やってるだけじゃない」

「・・・」

「大学だって、どうせ行ってないんでしょ?

学費だけ親に払わせて、卒業するつもりなんでしょう?

劇団の人って普通、もっと苦労してるもんなんじゃないの?

あんたみたいな甘甘な坊ちゃんがいるような世界じゃないわよ。

いたところで、どうせ一人前にはなれないわ。

さっさと家に戻って、大人しく伴野建設で働いたら?

ノエルさんに成りすますなんて姑息な方法じゃなくって、

もっとちゃんとした方法で寺脇建設に勝ってみなさいよ」

「・・・」


怖い・・・

誰かに対して、冗談ではなく本気でこんな悪意を向けたことはない。

それがこんなに怖くて勇気のいることだなんて。


でもこれくらいしなきゃ、

自分の中で踏ん切りがつかない。


これで伴野聖に完全に嫌われてしまいたい。



頭の上でため息が聞こえた。


「じゃあな」


え?


私は思わず顔を上げ、振り向いた。


伴野聖の背中が人混みに紛れて小さくなっていく。

だけど私には、それを見つめることしかできなかった。





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