第1部 第11話
「おい。寺脇妹」
「あ。師匠。おはようございます」
車から降りて校舎に入ると、私を見つけた師匠が図書室から出てきた。
もう学校に来て勉強してたの?
凄いなあ。
もしかして、外部の国立大とかを受験するつもりなのかな?
お金ないって言ってたし。
「大変みたいだな。大丈夫か?」
「何がですか?」
「何がって・・・ニュース見てないのかよ?見てなくても、自分の家のことだろ」
「え?」
「携帯。貸して」
「?」
師匠は私から携帯を取り上げると、
ピッピッとボタンを押して、ニュースを見れる画面を開いた。
どうやら師匠は携帯を持っていないらしい。
「ほら、これ」
師匠が返してくれた携帯を見ると、
メイントピックスに見覚えのある文字が並んでいる。
「・・・え?寺脇建設・・・?」
「ああ。なんか裏でヤバイ仕事してるって」
「ヤバイ仕事?」
「女子高生とか女子中学生を『紹介』する店の経営に絡んでるらしい」
「うそ!まさか!」
だって、寺脇建設って「建設」会社なのよ!?
どうしてそんなことするのよ!?
ううん、寺脇コンツェルンの中の会社はどの会社も、そんな変なこと絶対しない!
「寺脇建設の社長は否定してるけどな。あと名誉顧問・・・お前の親父さんも」
「・・・」
ママが言ってた「トラブル」ってこれなのね?
なんていい迷惑・・・
仮に本当に寺脇建設がそういうコトに関わっていたとしても、
それは一部の社員が勝手にやったことだろう。
社長にとってはいい迷惑だ。
ましてや、その更に上にいるパパにはもっといい迷惑だ!
「あーあ。一気に勉強する気、失せちゃった」
「こういう時にこそ勉強して、『私が寺脇建設を立て直すんだから!』くらいの意気込みでいけよ」
「あはは、むりー」
師匠はため息をつきながら首を振った。
「娘がこんなんで大丈夫かよ、寺脇コンツェルン。いっそ俺が継いでやりたい」
「じゃあお姉ちゃんか私と結婚して、うちに婿に来てください」
「生憎、俺は博愛主義者じゃないんだ」
訳のわからないことを言いながら、師匠は図書室へ戻って行った。
寺脇建設の「仲介」疑惑の波紋は、
私が思っているより遥かに大きなものとなった。
「退陣?」
「ああ。寺脇建設の社長には退陣してもらう」
一段落ついたから、と言ってパパが家に帰ってきたのは4日後だった。
さすがに疲労の色が濃く、一眠りしてから、今こうやって私とママと一緒に食卓を囲んでいる。
「でも、事実と決まった訳じゃないんでしょ?」
「ああ、今、警察が調べている。
だが何故か、会社の経営陣の中に今回の事件に絡んでいる奴がいる、と警察は思っているようだ」
「そんな・・・」
「『うちの社員はそんなことをしていない。だが、世間を騒がせた責任を取って社長が辞める』、
という形にするんだ」
「そんなことして意味あるの?社長は悪くないんでしょ?」
寺脇コンツェルンの中にはいくつもの会社がある。
寺脇建設もその一つだ。
こういう場合よく、親族の誰かが、会社の社長を務めるらしいんだけど、
パパは「それでは馴れ合いになる」と言って、
社員なら誰でもその会社の社長になれるチャンスを与えている。
寺脇建設の社長も、寺脇一族の人ではない。
とは言え、そんなことで辞めさせられるのかと思うと、社長がかわいそうになってくる。
「もちろん社長が退陣したからと言って、警察の捜査は終わらない。
だが、世間というのはそれで『寺脇建設はそれなりに示しをつけた』と思って、
事件は終わったとみなすものなんだ」
「だけど、社長1人でそんな何もかも背負わなくても・・・」
「下手に何人も退陣したら逆に『ああ、辞めた人間全員が、あの事件に関わってたんだ』と、
思われる。社長1人が『社員を濡れ衣から守るために』と言って辞めた方が印象がいい」
印象がいい?
たったそれだけのために、社長を辞めさせられちゃうの?
そんなのって、理不尽すぎない?
「退陣と言ってもクビじゃない。相談役として残ってもらうさ。
それに、年明けに大きな公共事業の入札がある。それまでにクリーンなイメージにしておきたい」
「・・・」
こういう話はよく分からないから「そうなの」としか言いようがない。
だけど、とにかく社長は「社長」じゃなくなるんだ。
誰がやったのかも分からない、本当かどうかも分からない、噂のせいで。
・・・大人の世界って嫌だな。
「さあ、もうこの話は終わりだ。家での食事の時にまで仕事の話はしたくない。
ナツミはどうしてるかな?後、10日ほどか?あっという間だな」
パパは気を取り直して話題を変えてくれたけど、
これはこれで、私には嫌な話題だった・・・
私とお姉ちゃんには、小さい頃から続けているお稽古がある。
金曜はそのお稽古の日で、お稽古が終わると私は急いで駅へと向かった。
お稽古が行われる先生の家自体は閑静な住宅街にあるんだけど、
駅の近くは結構な繁華街、早い話が、飲み屋街だ。
この通りだけは、何年通っても慣れない。
特にお稽古帰りは時間も遅いので、酔っ払いにぶつかって来られるなんてしょっちゅうだ。
いつもはお姉ちゃんと一緒だけど、前の金曜と今日は1人。
私はできるだけ身を小さくして、足早に人混みをすり抜けた。
お姉ちゃんが帰ってくるのは、次の土曜よね。
ってことは、来週の金曜も1人じゃない!
もう、早く帰ってきてよ!
でも、お姉ちゃんが帰ってきたら月島さんは・・・
自然と足が遅くなる。
お姉ちゃんが帰ってきたら、月島さんは「お姉ちゃんの彼氏」に戻って、
私は「彼女の妹」に戻るんだろうか。
それとも、月島さんは私を選んでくれるんだろうか。
もう幾度となく自問自答したこの疑問。
いや、自問自答じゃない。自問だけだ。自答はない。
だって私には答えはわからない。
答えを知っているのは月島さんだけだ。
もちろん、私が望む「答え」というのはあるけど・・・
でも、それって本当に私が心から望んでいることなんだろうか?
その時、目の前の居酒屋から酔っ払った5,6人の男女の集団が出てきた。
私は近づきたくなくて、さらに歩調を落とす。
その集団は駅に向かって歩き始めた。
私と同じ方向だ。
私は彼らの背中を見ながら、追いつかないように注意して足を進める。
派手な金髪の男が、隣の男の肩を叩きながら、よく通る大きな声で言った。
「悪いなー、奢らせて!」
すると、肩を叩かれた男は首を振った。
「いいですよ。臨時収入があったんで」
「へー。ラッキー」
「また奢ってね!」
「もう無理ですよー?金が尽きました。明日からまたネコマンマ生活です」
「あはははは。嘘付け!」
酔っ払い集団の騒がしい会話はその後も延々と続いた。
でも、私の耳にはその会話は途中からプッツリと途切れたように聞こえなくなった。
『臨時収入があったんで』
この声。
まさか。
私は気付かれないように用心しながら、その声の主に近づいた。
私と彼の間は5メートルほど。
でも、私になんて全然気付いていない。
彼は金髪男に肩を組まれたままゲラゲラと笑い、
ふとした拍子に金髪男の方を見た。
その横顔が私の目に飛び込んで来る。
――― 月島さん!?
私の足は完全に止まり、駅の中へと消えていく月島さんの後姿をいつまでも呆然と見ていた。




