第三章:日常への亀裂と小さな手掛かり
城址公園での不可解な出来事から数日が過ぎた。私とミカは、高熱と悪夢に数日間うなされたものの、幸い他に大きな後遺症はなかった。医者には「夏風邪だろう」と診断された。もちろん、あの地下空間での出来事を話せるはずもなく、私たちは固く口を閉ざした。
日常生活が戻ってきた。だが、私の心の中には、あの青白い光景と、無機質な「何か」の恐怖が、まるでトラウマのように深く刻み込まれていた。ミカも同様で、以前のように明るく笑うことは少なくなり、時折、何もない空間を怯えたように見つめることがあった。私たちは、互いにあの日の出来事について話すことを避けていた。まるで、言葉にすることで、あの悪夢が再び現実のものとなってしまうのを恐れるかのように。
失踪事件は、依然として何の進展もないままだった。警察の捜査も、目撃情報が途絶えた城址公園周辺を重点的に行われているようだったが、新たな手がかりは見つかっていないらしい。学校内でも、最初は事件の話題で持ちきりだったが、時間が経つにつれて徐々に人々の関心も薄れ、日常の中に埋もれていこうとしていた。
だが、私は忘れられなかった。あの地下空間。あの「何か」。そして、失踪した三人のこと。彼らもまた、私たちと同じように、あの場所に迷い込んでしまったのではないだろうか? そして、もしそうだとしたら、彼らは今、どうしているのだろうか?
(私たちだけが、偶然、外に出られただけなのかもしれない……)
そんな考えが頭から離れない。
あの日以来、私は一人で、こっそりと図書館へ通い、郷土史や、この地域の古い伝承、あるいは超常現象に関する本を読み漁るようになった。何か手がかりがないか、あの構造物について、あるいは神隠しのような現象について、何かしらの記述が残されていないか、と。
だが、期待したような情報は、なかなか見つからなかった。城の歴史、合戦の記録、地域の祭りや風習。どれも、あの異質な構造物とは結びつかない。
そんなある日、図書館の郷土資料コーナーの片隅で、一冊の古びた私家版の冊子を見つけた。タイトルは『湊内海奇譚』。著者は、数十年前の地元の郷土史家で、既に故人となっている人物だった。内容は、この地域に伝わる様々な不思議な話や、未確認の現象などを集めた、いわゆるオカルト系の読み物だ。あまり期待せずにページをめくっていると、ある記述に目が留まった。
『……城址の地下には、古より「龍の寝床」あるいは「地の底の回廊」と呼ばれる謎の空洞が存在すると伝えられる。ある者は、そこは異界へと通じる道であると言い、またある者は、太古の神々が残した聖域であると語る。その姿を見た者は稀であり、多くは口を閉ざすか、あるいは正気を失うとされた。近年においても、城址付近で不可解な失踪を遂げる者が後を絶たないのは、あるいはこの「地の底の回廊」と無関係ではないのかもしれない……』
(地の底の回廊……!?)
鳥肌が立った。記述は曖昧で、伝説の域を出ないものだったが、私たちが迷い込んだあの場所のことを指しているとしか思えなかった。著者は、この記述の根拠として、さらに古い時代の文献や、古老からの聞き取り調査を挙げていたが、その多くは散逸してしまっているらしい。
だが、重要な手がかりが一つだけ残されていた。それは、この『湊内海奇譚』の巻末に添えられた、一枚の古ぼけた地図の写しだった。それは、現在の城址公園周辺の、かなり古い時代のものと思われる手描きの地図で、いくつかの寺社や旧街道と共に、城址の特定の一角に、小さな×印と、「龍穴?」という走り書きが記されていたのだ。
(龍穴……。もしかしたら、これが、あの洞穴の入り口を示している……?)
その×印が示す場所は、私が子供の頃に洞穴を見たと記憶している場所や、今回ミカと訪れた石垣の裏手とは、少しだけズレているように見えた。だが、大まかな方角は一致している。
この地図が、どれほど信憑性のあるものなのかは分からない。だが、今の私にとっては、唯一の手がかりだった。
(もう一度、行ってみるしかない……。今度は、この地図を頼りに)
私は、ミカにこの話をすべきかどうか迷った。彼女を再び危険な目に遭わせるわけにはいかない。だが、もし本当に失踪した三人があの場所にいるのだとしたら、一刻も早く助け出さなければならない。
数日間悩んだ末、私はミカに全てを話すことに決めた。図書館で見つけた古い冊子のこと、そこに記されていた「地の底の回廊」の伝説、そして、洞穴の入り口を示しているかもしれない古地図のこと。
「……だから、もう一度だけ、城址公園に行ってみようと思うんだ。今度は、この地図の場所を調べてみたい」
私の話を聞き終えたミカは、青ざめた顔で、しかし意外にも、すぐに反対はしなかった。彼女もまた、あの日の出来事を忘れられず、そして失踪したクラスメイトや先生のことを、心のどこかでずっと心配していたのだろう。
「……分かった。私も行くよ。一人で行かせるわけにはいかないでしょ」
ミカの瞳には、恐怖と共に、強い決意の色が浮かんでいた。私たちは、再び、あの不気味な城址公園へと足を踏み入れることになったのだ。今度は、古ぼけた一枚の地図だけを頼りとして。
目指す場所は、以前私たちが落下したと思われる石垣の頂上ではなく、もっと麓に近い、木々が鬱蒼と茂る、普段は誰も足を踏み入れないような一角だった。古地図と、スマホのGPS機能を頼りに、私たちは藪をかき分け、急な斜面を慎重に進んでいく。
「本当に、こんなところに何かあるのかな……」
息を切らしながら、ミカが不安そうに呟いた。周囲は薄暗く、不気味なほど静まり返っている。時折、風が木々を揺らす音だけが、私たちの緊張感を高めた。
そして、数十分ほど歩き続けただろうか。古地図が示す×印の場所に、私たちは辿り着いた。そこは、巨大な岩が折り重なるようにしてできた、小さな崖のような場所だった。そして、その岩と岩の隙間に、私たちは「それ」を見つけた。
「……あった……!」
思わず、声が出た。そこには、大人が一人、ようやく屈んで入れる程度の、黒々とした洞穴の入り口が、まるで獣の巣穴のように、ひっそりと口を開けていたのだ。それは、私が子供の頃に見た記憶の中の洞穴よりもずっと小さく、そして巧妙に隠されていた。以前探した時には、全く気づかなかったのも無理はない。
(ここだ……。間違いない。あの「地の底の回廊」への入り口……)
私たちは、顔を見合わせた。恐怖と、そして未知への好奇心。二つの感情が、私たちの胸の中で激しくせめぎ合っていた。
「……どうする? 入る……?」
ミカの声が、わずかに震えている。
私は、ゴクリと息を飲んだ。この先に何が待っているのか、全く分からない。再び、あの青白い回廊と、無機質な「何か」に遭遇するかもしれない。あるいは、もっと恐ろしい何かが……。
だが、ここで引き返すわけにはいかなかった。失踪した三人。そして、この街に隠された、途方もない謎。それを解き明かすためには、この暗い穴の中へと進むしかないのだ。
「……行こう」
私は、決意を込めて言った。そして、ミカの手を強く握りしめ、懐中電灯のスイッチを入れた。白い光が、洞穴の奥の暗闇を、わずかに照らし出す。私たちは、ゆっくりと、その暗黒の中へと、再び足を踏み入れていった。
今度こそ、真実に辿り着けるのだろうか。それとも……。
不安と期待を胸に、私たちの、二度目の「地の底の回廊」への探検が始まった。
息抜きで書いているので不定期です