表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ラグーン  作者:
2/3

第二章:青白い回廊と静寂の恐怖

「……ねえ、ここ、どこなの……? 怖いよ……」


ミカの声は震え、その大きな瞳には明らかな恐怖の色が浮かんでいた。無理もない。さっきまで見慣れた城址公園の頂上にいたはずなのに、今は訳の分からない、不気味な光を放つ構造物の中にいるのだ。状況を飲み込め、という方が無理な話だ。


「落ち着いて、ミカ。パニックになったらダメだ」


私は、自分自身に言い聞かせるように、努めて冷静な声を出した。だが、内心では、ミカと同じように、得体の知れない恐怖と不安で押しつぶされそうになっていた。


まず、現状を把握しなければならない。私たちは、おそらく何らかの地下空間にいる。落下したという感覚は確かだったが、どれくらいの距離を落ちたのか、そしてどうやってこの場所に辿り着いたのかは全く分からない。怪我は、幸いなことに打撲程度で済んでいるようだ。ミカも、少し頭を打ったようだが、意識ははっきりしている。


「スマホは……ダメか」


ミカのスマホも、私のスマホも、完全に電源が落ちていた。充電切れというわけではない。まるで、強力な磁場か何かで、電子機器が機能を停止させられたかのようだった。外部との連絡手段は絶たれた。


「……出口を探そう。じっとしていても仕方ない」


私はミカの手を取り、立ち上がらせた。彼女はまだ少しふらついていたが、私の言葉にこくりと頷いた。


私たちが最初にいたのは、比較的広い、ドーム状の空間だった。壁一面に青白い光を放つ幾何学模様が刻まれ、まるで生きているかのように、ゆっくりと明滅を繰り返している。その模様は、どの文化にも属さない、完全に異質なデザインだった。


「こっちに行ってみよう」


ドーム状の空間には、いくつかの通路らしきものが繋がっているように見えた。私たちは、その中で最も幅の広い、そして奥から微かに風の流れを感じる通路を選んで、慎重に足を踏み入れた。


通路もまた、同じ黒曜石のような素材でできており、壁には同様の幾何学模様が続いている。天井は高く、私たちの足音だけが、不気味なほど静かな空間に吸い込まれていく。光源は壁の模様そのものであり、影というものがほとんど存在しない。それが、かえって方向感覚を狂わせ、不安を増幅させた。


「ねえ、これ、本当に人間が作ったものなのかな……」


ミカが、小声で囁いた。


「……分からない。でも、私たちの知っている文明のものじゃないことだけは確かだね」


通路は、まるで迷路のように複雑に入り組んでいた。私たちは、壁に目印をつけながら(幸い、ポケットにチョークの欠片が入っていた)、できるだけ同じ場所をぐるぐる回らないように気を付けて進んだ。だが、どこまで行っても景色は変わらず、人の気配は全く感じられない。あるのは、ひたすら続く青白い回廊と、耳鳴りのような静寂だけだった。


(失踪した三人も、もしかしたら、この場所に迷い込んでしまったのかもしれない。そして、今もどこかを彷徨っているか、あるいは……)


不吉な考えが頭をよぎる。だが、今はそれを振り払うしかなかった。


どれくらい歩いただろうか。数時間か、あるいは半日か。時間の感覚も曖昧になっていた。疲労と空腹、そして何よりも精神的な消耗が、私たちを襲い始めていた。


「もう……歩けないよ……」


ミカが、ついにその場に座り込んでしまった。彼女の顔は蒼白で、目には涙が滲んでいる。


「ごめん、ミカ。もう少しだけ頑張ろう。きっとどこかに出口があるはずだから」


励ます言葉も、だんだんと空虚に響き始める。私自身、この永遠に続くかのような回廊に、絶望感を抱き始めていた。


その時だった。


ふと、遠くから、微かに何かの音が聞こえてきたような気がした。


「……今の、何……?」


ミカも、その音に気づいたようだった。私たちは顔を見合わせ、息を殺して耳を澄ます。


それは、音というよりも、振動に近いものだった。規則的な、低い唸りのような……何かが動いているような、そんな気配。


「行ってみよう」


疲労も忘れ、私たちは音のする方へと慎重に進んだ。音は、徐々に大きくなっていく。そして、いくつかの角を曲がった先、私たちは信じられない光景を目の当たりにした。


そこは、これまで通ってきた回廊よりも、さらに巨大な空間だった。体育館ほどの広さだろうか。そして、その中央には、巨大な、まるで機械の心臓部のような装置が、ゆっくりと回転しながら、青白い光と低い唸り声を発していた。装置の表面には、無数のパイプやケーブルのようなものが複雑に絡み合い、壁の幾何学模様と繋がっているように見える。


(これは……何かの動力源? それとも、この施設全体の制御システム……?)


その巨大な装置の威圧感と、そこから発せられる得体の知れないエネルギーの波動に、私たちはただ立ち尽くすしかなかった。


そして、その装置の周囲に、私たちは「それ」を見つけた。


「……あれ……何……?」


ミカの声が、恐怖に引きつっていた。


装置の周囲の床に、いくつかの人影のようなものが、横たわっていたのだ。いや、人影ではない。それは、まるでマネキンのように滑らかな質感で、しかし手足や頭部といった、明らかに人間に似た形状をしている。だが、その体表は、壁と同じ黒曜石のような光沢を持ち、関節部分は奇妙な球体で繋がっている。そして何より、顔にあたる部分には、目も鼻も口も、一切の造作がなかった。のっぺらぼうの、無機質な「何か」。


それらは、一体一体が、まるで充電でもするかのように、装置から伸びる細いケーブルで繋がれ、微動だにしていない。


「……まさか……あれが、この施設を作った……?」


私の口から、思わずそんな言葉が漏れた。地球外生命体。人間とは全く異なる形態を持つ、未知の知的存在。その可能性が、脳裏をよぎる。


だが、次の瞬間、その「何か」の一体が、ゆっくりと動き始めた。


ギギギ……という、金属が擦れるような、不快な音を立てながら、その黒いマネキンのような体が起き上がる。そして、のっぺらぼうの顔が、ゆっくりと、私たちの方へと向けられた。


「……ひっ……!」


ミカが、短い悲鳴を上げた。私も、全身の血が凍りつくような恐怖を感じていた。あれは、生きている。そして、明らかに私たちを認識した。


その「何か」は、音もなく、滑るように私たちの方へと近づいてくる。その動きは、どこかぎこちないようでいて、しかし無駄がなく、機械的だった。


逃げなければ。本能がそう告げていた。


「ミカ、走るよ!」


私はミカの手を掴み、今来た通路へと全力で駆け出した。後ろからは、あの「何か」が、無音で追いかけてくる気配がする。振り返る余裕などなかった。


私たちは、必死で走った。息が切れ、足がもつれそうになる。だが、止まるわけにはいかない。あの「何か」に捕まれば、どうなるか分からない。


迷路のような通路を、がむしゃらに走り続ける。どこをどう走っているのか、もう分からなかった。ただ、あの「何か」から逃れることだけを考えて。


やがて、前方に、微かな光が見えた。それは、これまで見てきた青白い光とは違う、もっと自然な、太陽の光に近い色合いだった。


(出口……!?)


最後の力を振り絞り、私たちはその光へと向かって走った。そして、光の中に飛び込んだ瞬間、再び強烈な浮遊感と、意識が遠のいていく感覚に襲われた。


次に気がついた時、私たちは、見慣れた城址公園の、石垣の近くの草むらの上に倒れていた。夕日は既に沈み、空には一番星が輝き始めている。


「……夢……?」


ミカが、呆然とした表情で呟いた。私も、何が起こったのか、すぐには理解できなかった。服は泥と草で汚れ、身体のあちこちが痛む。だが、あの青白い回廊も、巨大な装置も、黒いマネキンのような「何か」も、どこにも見当たらない。まるで、全てが悪夢だったかのように。


しかし、私の手の中には、確かにあの時拾った、ミカのスマホが握られていた。そして、ポケットを探ると、壁に目印をつけたチョークの欠片も、確かに入っていた。


あれは、夢じゃなかった。


私たちは、確かに、あの異質な空間にいたのだ。


「……帰ろう、ミカ」


私は、まだ混乱しているミカの手を取り、立ち上がらせた。何があったのか、今は説明できない。だが、一刻も早く、この場所から離れたかった。


私たちは、ふらつく足取りで山を下り、麓の駐輪場へと向かった。自転車に跨り、家路を急ぐ。振り返ると、城址公園のシルエットが、夕闇の中に黒々と浮かび上がっていた。あの場所の地下に、本当にあんなものが存在するのだろうか。


そして、失踪した三人は、一体どこへ……?


その夜、私は高熱を出し、うなされた。夢の中では、青白い回廊と、無機質な「何か」が、私を追いかけ続けていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ