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今が例え、0だったとしても。

今日は気持ち悪いな。日替わりのカレンダーはもうかれこれ1週間はめくっていなかった。数字が巡っていくのを目で追いたくないから、僕はあれをめくらない。


でもね、別に僕があれをめくらないとしても、日数は着実に進んでいる。どうせまた新しい明日がやってくるし、一昨日のご飯の美味さなんてもう今日の時点に忘れてしまってる。


1日よりも1年の方が断然短く感じるのは、多分、目の前を過ぎていく秒数の中を、とにかく必死になって生きてるからだと思う。


例えばそうだな、課題とか。レポートとか。どれもこれも提出期限のギリギリまで放置をして、大抵部屋のどっかにクチャクチャになってたりするのを発見する。発見したらどうするかって、いかにもやった感を出すことに必死になるに決まってる。


どこ行った、どこ行った、そうやってプリントを探し回る時間も、ネットのどこの馬の骨が書いたかわからない曖昧な記事を引用して、そのままレポートに載せるあの時間も、死にそうな顔をしてるのは周知の事実だ。


「人間ってのは都合が良いんだよ。とにかくさ。」


空になった缶ビールを何度も叩いて、奥に詰まった数滴までしっかりと喉に流し込むとそいつは言った。


「都合がいい、そうですかぁい。」



僕は別にどうと思うこともしないで、とにかく荒くため息をついた。


1週間前の3月23日から変わる様子のない日替わりカレンダー。勘違いしてほしくないのは、めくらないという怠慢は僕のだけのせいではないということだ。


むしろ怠慢という点で言えば、僕はまったく当てはまらないだろう。日替わりのカレンダーを毎日めくっていたのは、そもそもこいつなんだ。意味もなく、「名言で人生と毎日を豊かにしよう日めくりカレンダー」なるものを買ってきては、毎日めくるだけの怠慢。


そうだよ、こいつは考えてみればそれ以外に何もしていない。めくるだけめくって、豊かになりそうな行動なんてなんもしない。


それどころか、自分より遥か上の立場にある人々の様々な名言にすがって、浅はかな知識だけを身につけながら、明日を必死に生きる人間を怠慢だと言い張るこいつは、どんな度胸をしてるんだか。


僕はかれこれ小一時間、こいつの、「人生論」とやらを聞かされていた。片手には、スーパーで1番安かった缶ビールを持って、一人称が自分の名前の、翼、が話す。


「人生っていうのは、好きなように生きなきゃダメなんだよ。つまり、それくらい余裕がないといかんのよね。」



「ふーん、なんで?」



さっきからわざと冷めた口調で返してみたりするけど、多分こいつは、いよいよ僕が相槌を打たなくなっても永遠と好きなように話すだろう。だからもう、半分諦めている。



「なんでって、こんなことも分かんないようじゃ、まだまだ。」


日替わりカレンダーすらめくらないお前にだけは言われたくない。気分悪。


「必死に今日を生き抜くようなやつは、結局、また明日がやってきて、目の前のことにいちいちフルパワーを使うから、息をつくタイミングもない。」


「それに比べたら、やっぱり貧乏でもいいから、好きなことをやって、楽しく余裕に生きるくらいがいいんだよ。」



うーん。正直、さっきからこいつの言う人生論にはやけに納得できる部分が多かった。いや、納得と言うか、誰もがそうしたい、またはそうだと思っていることを、まるで誰もが思いつかない大層なことのように言っているから、そうだな、と考えるしかないのだ。


ただ、僕はこいつを正しいとは、死んでも言いたくはない。好きなように生きるという道が選べるとしたならば、確かにその道を進む人が多いだろう。その点は、間違いはない。


だけど、翼は肝心な部分がなんら分かっていない。そもそも、生まれてからずっと好きなように生きるなど、ほとんど無理に等しい。


よっぽどの金持ちとか、そういう自分たち一般人にはとりあえず想像もできない生活をしている人たちならばわからない。


だとしてもそれは極端な例で、普通は好きなように、自由に生きるためには、まず、誰かが言うような人の常識や、生き方を守りながら努力をしなきゃ、そういう道には進めないんだよ。


人間は都合がいいんだって、さっきそう翼は言ってたけど、僕が思う人間のタチの悪さはこういうところだ。多分、翼と僕との間の絶望的な壁を形成しているのは、些細なようで何よりもでかい、僕にとっての「人生論」だ。


「そんでよぉ!」


「あのさ、翼。」



何かをずっと話していたようだけど、不思議と僕の耳には一つの話題も耳に入ってこなかった。

小学校のころの先生が、「トンネル耳」という、聞いているようでまったく聞いていない1番タチが悪い、話を聞かないパターンを、僕らに説明してたのを思い出した。


じれったい、早くしてくれと言わんばかりに眉を斜めにした翼に、僕は続ける。



「最近はどうなんだよ、原稿。」



僕がこの話題を出す時は、大抵季節の変わり目と決まっていた。もうすぐ春になるというこの時期だからこそ、出せる話題だ。


というよりも、出さないといけない話題だ。季節が変わり目になると、こいつは書いた原稿を持って、出版社に行く、自称、「小説家」。


小説家、というわりには、僕の家で居候をしているニートにしか見えないのだが、どうやら結構な自信があるらしかった。売れれば、僕に恩返しをしたい、そう言ったあの日から、もう何年が経ったのだろうか。



「俺は売れる。絶対売れるから、しばらくの間、居候をさせてくれ!!」



なんで僕は、翼を引き取ったんだろう。確かにあの日は雨が降っていた。土砂降りだった。

でもそれが、未来がまだまだわからない人間を、わざわざ自分の家に居候させるに足る理由だったろうか。



原稿をいつ、どこで書いてるのかもわからかいのに、なぜか僕は翼を家に置き続けた。今日という日まで、あいつは僕の隣で起き続けたんだ。


毎朝、世界の誰かが残した名言を見て、「絶対諦めないぞ!」と1人呟く翼を見て、僕は少しでも心が救われたことがあったのかな。


やっぱり、僕は変に懐が深すぎるのだろうか。



もう全て、終わりにしないといけない。



「なあ。翼。」



「ん?」



「もしも、次の春の持ち込みで、原稿が通らなかったら、家を出てってほしいと思ってる。さすがに、余裕ないんだ。」



「………わかった。」



そうしてやってきた春。桜がそろそろ満開になるというこの時期に、僕はついにこの話題を切り出したのだった。



「ダメだったよ。また、ダメだった。」



心の中では、分かっていた。だけど、分かっていたからこそ信じたくもなかった。こうして聞いてしまえば、どうやったって現実を受け入れなければならない状況になるのも、また同じように、知っていたのに。



しばらくの沈黙の時間が流れる。翼は、ここ1週間のあたりめくっていなかった日替わりカレンダーを見ながら、僕に言った。



「出ていくよ。」



昔、夜の10時くらいにやっていた家族ドラマのとあるセリフを思い出した。出ていけ、夫役の人が血管が切れそうなまでに顔を赤くして激怒する。息子は、泣くまでもしないで、むしろ冷静に淡々と、


「出ていくよ。」と、そう言い放つ。約束だったからね、なんて別に言わなくてもいいくせに付け足す。



翼もそれは同じだった。



「約束だったからね。」



お決まりのセリフを残した後、翼は空き缶をビニール袋に入れて手で持って立ち上がった。



ついにこいつが出ていくんだ。嬉しさと共に、僕の心にへばりつく寂しさが、徐々に現実味を味わうためのスパイスとなっていった。



多分僕にとっては、いや、社会からすれば、これは異常な数年間だったと思う。僕の変な懐から始まった、翼のニート生活。


何もしていない怠慢なんて心の中ではいつも愚痴っているけど、本当は、自分がお情けをちょっとばかし、かけすぎてしまっているのではないかという心配を無くすためのものだった。


あいつが頑張ってんのも分かっていたし、あいつの夢に対する本気度は、尊敬していた。


翼は、側から見たらただのニート。僕の専属ニート。


でも、そこには誰にも見えない、確かな努力の数年と、人生があるんだ。


成功をすれば、きっとあいつは本当に僕にたくさんの恩返しをしてくれたことだろうし、近所の人たちの1番の話題になっていたことも目に見えてわかる。


成功か失敗か、彼の原稿がもしも飛ぶように売れていたならば、彼の語る「人生論」は、誰かにとっての「名言」になる。


そういう一か八かの中で、あいつは必死に生きてたんだな。



「色々迷惑かけてごめん、またね。」



またね。そう言われたけど、多分もう会うことは二度とないだろう。なぜなら僕は、一か八かで生きようと思わずに、安定を求めて必死に生きる道を選ぶからだ。


「今度のレポート、もう少し、真面目に書いてみよっかな。」



ぼやきながら、部屋の棚に置いてあった、「名言で人生と毎日を豊かにしよう日めくりカレンダー」を1週間後の今日、3月30日、日曜日に合わせた。



アルベルト・アインシュタイン

天才とは努力する凡才のことである。

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