7 黒い魔女の秘密
ニコライ副団長に指定された日に、俺は馬に乗って、ポリーナの家のそばにいた。
ポリーナの家の玄関が見える位置の小高い丘だ。幸い、人通りのある通りからは見上げられにくい場所ではあるとは思うが、これは、かなり怪しいやつだな。
うん、自分でも自覚ある。
そんなことを思っていると、道の向こうから一頭の馬と馬車がやってくるのが遠く見えた。
それと同時にポリーナの家のドアが開く。
今日のポリーナは薄桃色のワンピースだ。落ち着いた桃色で派手な感じはないが、やはり、いつもと雰囲気の違うポリーナの様子に胸がモヤモヤとする。
ポリーナが馬に乗ってやってきたニコライ副団長と話し、馬車に乗り込むとそのまま馬車は出発した。ニコライ副団長が、それにつづけて出発する。振り返ったニコライ副団長に頷いて、俺は少し離れて馬車を追った。
馬車は、王都の中心地から離れて郊外に向かっている。中流階級の屋敷が点在している地区だ。その奥、もうその地区を抜けてそろそろ森に入ろうかという位置で、馬車は止まった。
大きくはないが、落ち着いた雰囲気の屋敷の前だった。
ニコライ副団長からの合図を受けて、俺は馬車との距離を詰めて、ニコライ副団長と並んだ。
馬車から降りてきたポリーナが俺を見て酷く驚いた顔をする。そして、隣にいるニコライ副団長を睨んだ。
「ニコライ」
「謝らないよ。ポリーナが悪い。突き放せないなら、知らせるべきだ」
ニコライ副団長は、ポリーナの態度に全く動じず、そう言った。今までにない真剣な声だった。
ポリーナは、苦しそうな顔をして俯いた。俺は、焦った。やはり着いてくるべきではなかったのではないか。
「あ、あの……」
「あら、玄関先でどうしたの?」
俺が、口を開いたまさにその時、屋敷の玄関が開いた。中からは初老の女性が現れた。
女性は、ポリーナとニコライ副団長を見て、それから俺を見た。
「まあ。――お友達?」
女性は、そう言うと、何故か目を細めて俺を見つめた。
「俺の後輩です。すみません。事前に伝えず」
「まあまあ、いいのよ。大勢の方が賑やかでいいわ」
頭をさげるニコライ副団長にひらひらと手を振って、女性はどうぞと屋敷に招き入れてくれた。
だが、それを断ったのはポリーナだった。
「おばさま、先にお墓に行ってきます。お茶の時間までには戻ります」
「あらそう? じゃあ、準備をして待っているわね」
よくあるやりとりなのか、あっさりと頷いた女性に、はいと答えてポリーナは屋敷とは違う方向に歩き出した。ニコライ副団長も後に続く。
「ほら、あなたも行くわよ」
ポリーナの声に、俺は慌てて後を追った。
その墓は、小高い丘の上に立っていた。一族の墓地なのだろう。新旧様々な墓が点在しているが、その墓が一番新しいものに見えた。
ポリーナは、花束を備えると、墓をそっと撫でた。
墓石には男性の名前が書かれていた。そして、生年と没年。三十数年前に生まれて、ちょうど10年前に亡くなっている。亡くなったのは今の俺くらいの歳だろう。
「……アレクセイ。来たわよ。今日はターニャは来られないの。そろそろ産月だそうよ。代わりにもう一人連れてきたわ」
ポリーナは、墓石にそう語りかけた。
しばらくそのまま墓石を見つめていたが、やがて立ち上がって振り返った。
目があっても、俺は何も言えなかった。
ポリーナはもう一度墓に目をやってから俺に告げた。
「アレクセイ。十年前にスタンピードで亡くなったの。私の婚約者よ」
そうだろうな、とは思ってた。
何も言えない俺にニコライ副団長が声をかける。
「俺の同僚だった。俺が二人を引き合わせたんだ」
その声には苦いものが混じっていた。
十年前、大規模なスタンピードがこの国を襲った。魔獣の群れは、王都に迫り、王都の騎士団はすべからく討伐に向かった。辛くも王都への魔獣の侵入は防げたが、騎士団の被害も甚大だった。
そこからの騎士団立て直しのために、騎士学校は、大幅に定員を増やして、予備生を入学させた。
そのひとりが俺だった。
「先ほどの女性はアレクセイのお母様よ。あそこがアレクセイの実家なの。結婚したら、私もあそこに住む予定だったわ」
ポリーナが毎月向かう場所。黒い服を脱いで、女性らしい格好で向かう場所。
「あなたに話していなかったのは、卑怯だったわね。はぐらかすようなことをして申し訳なかったと思ってる。ごめんなさい」
そう言って、ポリーナは頭を下げた。そういえば、ポリーナが頭を下げる時、それはいつもここが関係していたことに俺は気づいた。
「……今でも、彼のことを?」
「……そうね。彼のこと、――なのかしら」
だが、その答えは、らしくなく歯切れの悪い答えだった。
「私、両親を早くに亡くして、――早くと言っても魔術師見習いの頃だけれど。もともと、兄弟もいなかったし、祖父母や親戚も亡くなったり、縁遠かったり。天涯孤独になったの」
俺の脳裏には先日遭遇した若草色のローブの見習いたちが浮かんだ。
ポリーナはもう一度墓を振り返った。
「そんな頃、幼馴染だったニコライの紹介で知り合ったのがアレクセイだった。騎士学校を卒業して、騎士見習いになったばかりだったわ」
ポリーナの視線を受けて、ニコライ副団長は薄く笑った。
ポリーナは続けた。
「アレクセイは、真面目で、ちょっと生真面目すぎるきらいがあって、――お付き合いを始めると同時に、実家に私を連れていったの。親に黙って付き合うような関係ではいたくないと言って」
ポリーナの声は震えていなかったが、その瞳には薄く膜が張っているように見えた。
「アレクセイも兄弟がいなくて。ご両親は、娘も欲しかったんだと言って、私を可愛がってくれた。身寄りのない私にとって、すぐに、ここが実家のようになったわ。アレクセイが遠征に行っていて不在でも一人で遊びに来たり。……アレクセイの訃報を聞いたのも、ここだった」
ポリーナは眉を寄せて、墓石を見つめた。
「――これは、ニコライにも話していないと思うけれど」
ニコライ副団長に目を向ける。
「アレクセイが亡くなった時、とても悲しかったけれど、とても寂しかったけれど、それよりも何よりも、ここがなくなることがショックだった」
ポリーナは眉を寄せた。
「スタンピードが無事終息したら、アレクセイが戻ってきたら、アレクセイと結婚して、ここが私の家になるはずだったのに……」
目を落として自分の指先を見つめたポリーナは小さく呟いた。
「それが目の前で消えてしまった」
「だから、悲しむおじさまおばさまを慰めるふりをして、私がここに縋っているの」
ポリーナが俺を見る。
「最低よね」
俺はただ首を横に降った。