6 黒い魔女の不審な行動
そんなことがあったあと、寮に帰ってベッドに横になる。
なんだか無性にポリーナに会いたくなった。
俺はやばいことは承知でポリーナの家に行ってみることにした。
ポリーナは、団長クラスの寮、というか独身の団長クラスのための戸建てが並ぶ一角に住んでいる。
ポリーナが俺をそこに呼んでくれることはついぞないが、明日は日勤者は非番の休日だから、家に行ったら会えるかもしれない。突然前触れもなしに訪れる俺への反応は知らないが。
俺は何故か、休日も家にこもった黒づくめのポリーナがドアを開けて俺を見て、驚いた顔をすると信じて疑っていなかった。
次の日、俺の予想は半分当たった。
ドアを開けたポリーナは確かに俺を見て驚いたような顔をした。
だが、ポリーナがドアを開けたのは、俺が呼び鈴を鳴らすよりも前だったし、何より俺の想像していたのとは見た目が全く違った。
「――どこに行くんですか。そんな格好で」
「プライベートよ。心配されなくても、危ないところにはいきません」
俺は、ポリーナの格好を頭の上からつま先まで見たあとでそう聞いた。不機嫌な声だったと思う。そのせいかポリーナも顔を赤くして少しつっけんどんに答えた。突然、俺が訪ねてきて怒っているのかも知れなかったが、俺はそれどころではなかった。
今日のポリーナは、いつもの黒づくめではない。派手ではないが、淡い色のワンピースに同系色の帽子と靴を合わせている。落ち着いた色合いを選んだようだが、なんと言っても普段が普段なので、やけに華やかに見える。
ポリーナの言葉に黙り込んでしまった俺に、今度は少し柔らかい口調で訊ねる。
「見回りなの? おかしいかしら? こういった格好はたまにしかしないので、忌憚ない意見をいただけると助かります」
「おかしくはないです。綺麗です。――どこに行くかが気になっただけです」
「まあ。さすがお上手ね。昔馴染みに会いに行くんです。プライベートなので、詳細はご勘弁ください」
すっと頭を下げられてこちらが焦った。
「ポリーナ!」
俺が何か言う前に聞こえてきたその声に振り返ると、先日中庭でポリーナに声をかけていたあのニコライ翡翠宮副騎士団長だった。
「ニコライ! じゃあ、私は、このまま出かけるので。せっかく来てくれたのにごめんなさいね。見回り気をつけて」
ニコライ副団長に軽く手を挙げたポリーナは、俺に目を移して謝った。絶対見回り中に立ち寄っただけだと信じて疑っていない。
勝手に来たのは俺だ。ポリーナはそのことを怒りもしなかった。申し訳なさそうに眉を下げるポリーナに、なんだかひたすら腹が立った。
「いや別に。俺が勝手に来ただけなので」
つっけんどんに言って俺は、足音を立てて立ち去った。呼び止められることはなかった。
足の裏がジンジンとした。
次の日から、俺は訓練場に篭っていた。
ひたすら剣を振る。
「次!」
肩で息をしながら、それでも俺は声を上げた。
「おいおい、ヴァレリー。どうしたんだよ。もうみんな休憩中だぞ」
同僚の騎士が呆れた声を出す。
俺は、飛び抜けて実力があるってわけじゃない。遊び歩いていた頃に比べれば、ポリーナと出会ってからは、マシになったとは思う。だけど、これだけ打ち合えば、俺の方だってボロボロだ。
「お前も一回休憩しろよ」
同僚はそう言って俺の腕を取る。俺はそれを振り解いた。同僚は、呆れたように肩をすくめて、一人で休憩に向かった。
「……荒れてるねえ」
その声に振り返ると、今一番会いたくないやつがいた。
「暇なんすか?」
「えー? そんなことないよ」
ヘラヘラと笑いながら、近づいてきたのは、翡翠宮の副団長ニコライだ。この間ポリーナと話していた時とはずいぶん様子が違う。そんなことないなら、よその宮なんかにしょっちゅう来るなよ。
「俺が相手になろう」
睨みつける俺のことなんて気にもしていなそうに、そう言って、ニコライ副団長は剣を構えた。
俺も、息を整えて剣を構え直す。
――瞬殺だった。
「うーん。太刀筋は悪くないな。当たり負けしないように、もう少し体重を増やす方向で鍛えたほうがいいかもね」
息一つ切らしていないニコライ副団長が俺の腕を掴んで立たせる。
俺は悔しくて顔があげられなかった。
「でも、仮にも副団長クラスの俺に負けて、それだけ悔しそうにできるなら見込みあると思うよ」
俺の腕を掴んだまま、ニコライ副団長は俺を訓練場の隅に座らせた。自分もすぐ隣に座る。
「――知りたい?」
何を、とは言われなかったし、俺も聞かなかった。
「はい」
「君さあ、何でポリーナにちょっかい出してるの? 結構ババアじゃない? 君からみたら。琥珀宮一のモテ男なんでしょ」
「なんでなのかは、わからないです。ちょっかいのつもりはないです。綺麗だし、笑うと可愛いし、ババアじゃないです。好きな女にモテないなら誰からモテても意味はないです」
「へえ」
ニコライ副団長は意外そうに眉をあげた。
「結構本気なんだね。ポリーナもそれをわかってて今の感じなら、それはあいつが良くないな。あいつの事情はこれまた結構面倒なんだけど、覚悟があるなら、連れていってやるよ」
「連れて行く?」
「ポリーナ、毎月行ってるからさ。また来月の同じ時期の休みに後ろからついて来てもいいよ」
俺は馬だけど、ポリーナは馬車だから、着いてきても気づかないと思うよ。
そう言うニコライ副団長を俺は下から覗き見た。
そんなことをして大丈夫なんだろうか。
あれは俺には事情を話したくない感じだった。勝手に探ったりしてポリーナに嫌われてしまうのではないだろうか。
俺の逡巡は正しくニコライ副団長に伝わったようだった。
「ポリーナは、自分からは言わないと思うな。無理にとは言わないけれど、君がポリーナとの間に、何か見えない壁を感じているなら、そしてそれを破りたいなら。まあ、怒られるのは俺だから大丈夫だよ」
「わかりました」
俺は、立ち上がってニコライ副団長に向かって正式な礼をとった。
ニコライ副団長もそれに正式な形で応える。
お互い覚悟は決まっていることを表すものだった。