3 黒い魔女の本当の意味
それから、宮殿を歩いていると、なんだかこれまで俺が思っていたよりも、たくさんの種類の人が行き来していることに気づいた。
文官や魔術師は、一人一人の区別がつかないだけで、歩いていることは認識していたけれど、明らかに外から来ている商人とか、お使いを頼まれているのか、何故か子どもとか、誰に呼ばれたのか婆さんとか、よくよく見ると多種多様だ。
この間、大荷物を持っていた小柄な文官とも何度かすれ違った。
非番の騎士たちと侍女たちが楽しそうに話している横を文官や魔術師たちは仕事の話をしながら通り過ぎていく。文官や魔術師は基本的に夜番がないから、というのもあるだろうが、「魔女」の言うとおり、非番の者たちは皆の邪魔になることもあった。
「魔女」とも2回ほどすれ違った。侍女たちが言うには「地味でお堅い嫌なやつ」だったが、魔術師や文官には慕われているらしい。どちらの時も仕事の相談を受けていた。
――俺とは目も合わなかった。
「何よ。ヴァレリー。最近付き合いが悪いじゃない」
馴染みの女友達には言われたが、最近なんだか遊んでもすっきりしないのだ。剥がれたはずの絆創膏の痕が疼くような気もする。
これはもしかすると……。
そんなことを考えていたある日、魔術師見習いの制服を着た、まだ十代と思しき集団とすれ違った。
普段は、魔術師の訓練棟の周りにしかいないから、琥珀宮の中を歩いるのは珍しい。
「いやあ、さすが『黒い魔女』だったな」
「うん。近くで見せてもらうと違うね」
「『黒い魔女』の技を間近で見せてもらったなんて帰ったらみんなに自慢しよう!」
「――おい」
十代特有のかしましさで、廊下を進んでいるその見習いに、俺は気づけば声をかけていた。
途端、見習いたちはおしゃべりをやめて固まる。
「『黒い魔女』って? 魔術師団長のことか?」
そう聞きながら近づくが、見習いたちはその証である若草色のローブごとプルプルと震えながらひとまとまりに固まるばかりで、返事をしない。
ふと何人かの目が俺の腰に下げた剣を見つめているのに気づいて、俺は両手を肩の高さまで上げた。
「別に、質問しているだけだ。上司をそんなふうに悪く言って大丈夫なのか気になってな」
「……悪く?」
俺の言葉に見習いたちはきょとんとする。
「『黒い魔女』。そう言ってただろう」
俺の言葉の意味を理解したのか、見習いたちはぽかんと開けた口をあわあわと震えさせた。
「え! あ、あの……『黒い魔女』は悪口ではありません!」
「私たちポリーナ魔術師団長のことを尊敬を込めてそう呼んでいます!」
「悪口ではないんです! わかってください」
どうやら、この世間知らずな見習いたちは、上司の悪口を言っていたと誤解された自分達が、通りがかりの騎士に捕縛されるとでも思っているようだ。必死の形相で訴えかけてきた。
「いや。そうなのか。俺は地味なことを揶揄する意味なのかと思っていたが……」
「ええ!? 黒は全ての魔術を極めた者を象徴する色です。だから、黒を冠した呼び名は名誉なことなんです。ポリーナ魔術師団長の魔術は各宮の団長たちの中でもかなり高いんです」
「そ、そうか」
俺の脳裏には、「黒い魔女」と揶揄するように言う侍女たちの顔が浮かんだ。
「黒い魔女」というのは、もともとは魔術師たちが尊敬を込めて呼んでいたのかもしれない。それを聞きかじった侍女たちが勝手に意味を曲解して、陰口として使っているのを俺が聞いたと言うわけか。
俺はなんとも言えない気持ちになって頭をぽりぽりとかいた。
その後は、何と言ったかあまり覚えていないが、とにかく俺に咎められる心配はないようだと理解した見習い集団は、ぺこぺこと頭を下げて去って行った。
――俺らしくもなく、もやもやとした気持ちを持て余し、少し頭を冷やすかと人気の少ない裏庭に向かった。裏庭は区画ごとにあるが、その中でもとびきり人の出入りの少ない庭だ。騎士は見回りをするから場所は知っているが、巡回以外でそれまで足を向けたこともない。巡回の時も人がいるのに出会したこともないような寂れた場所だった。
だが、その日に限って様子が違った。
いつもは、雑草くらいしか生えていないその庭に、何故か色とりどりの花が咲き乱れ、蝶やミツバチが舞っていた。
俺だって騎士の端くれだ。
昨日の報告まで何の異常もなかった裏庭の様子が突然変わったのを見たら、反射的に警戒体制に入った。
とっさに気配を消し、剣に手をかけ、応援を呼ぼうと呼び子の笛を取り出したところで、木の根元に黒いものがモゴモゴと動いているのが見えた。
その黒いものは、モゴモゴとこちらを振り返り、俺がいるのに気づくと、驚いた顔をした。
――そして、それまで咲き誇っていた花々は消え失せ、あたりは見慣れた裏庭に戻った。
「くろ……ポリーナ魔術師団長?」
そこにいたのは、俺がこの庭に向かう原因となったとも言える人物、「黒い魔女」ことポリーナ魔術師団長だった。
どうやら裏庭で一人で、幻影魔術を使って、花々を出していたようだ。
「ま、まあ。あなたは、騎士団の――」
「琥珀宮騎士団所属ヴァレリーです」
「そうよね。……この間、治療させていただいた方よね」
俺のことは、かろうじて覚えている。そんな様子だった。俺は下っ端騎士で、そんなことは、本来当たり前なのだが、彼女にとって俺がそんな軽い存在であることに俺は何故かイラっとした。
「ここで、何を?」
つい、不審者を見つけた時のような堅い声が出た。しまったと思ったが、彼女は意外にも気分を害した様子はなかった。
「――そうね。少し気分転換を」
そう言う彼女の目は穏やかで、どこか遠くを見ていた。
「宮で魔術師をしていると、治癒魔法や防護魔法や実用的な魔法ばかり使うでしょう。でも、たまに何の役にも立たない、でも心が晴れるようなこういう魔法を使いたくなるのよ」
そう言った彼女は、手のひらにポンと一輪の花を咲かせてみせた。
「騎士団の巡回時間は外したつもりだったけれど、ご迷惑だったなら謝るわ。ごめんなさい」
そう言った彼女はどこか寂しそうで、そんな顔をさせてしまったことに、俺は何故か慌てた。
「いえ。俺も気分転換に散歩をしていただけなので。これまで通り、巡回時間以外で使ってもらえれば大丈夫です。俺はこのことを別に誰かに言ったりしないので」
――それに。
「俺は好きですよ。こういうの。綺麗なものって、それだけで役に立ってますよ」
何となく、彼女はここで過ごしていることを誰にも言っていないのではないか。そう思った俺の言葉を聞いて、彼女は軽く目を見開いたあと、目を細めて笑った。
「そう。どうもありがとう」
じゃあ、これはお礼ね。と言って差し出したのは、先ほど手のひらの上に出した花だった。幻影だと思っていた花は、きちんと実体を伴っていて、俺でも受け取ることができた。花の名前なんて知らないけれど、薄い紅色のふわふわとした花だった。
「私はもう行くわ。次はあなたが使って」
以前治療してもらった時よりも柔らかい口調でそう告げると、彼女は去っていった。
裏庭は、最初とはうって変わっていつもの雑草ばかりの殺風景さだったが、俺の手には美しい色合いの花が残った。
部屋に帰って、適当なカップに挿したその花はどういう仕組みか、何日経っても枯れなかった。
認めたくないが認めざるを得ない俺の気持ちのようだった。




