2 魔女の秘薬は効果絶大
絆創膏の効果は絶大だった。
――絶大過ぎたと言える。
まず、どうしても剥がれない。
顔の片側いっぱいに絆創膏を貼り付けた俺は、同僚の騎士たちに、また何かやったのかと呆れられた。いや、それはまだいい。上司に呼び出されて事情を聞かれたのには参った。
それから、時々絆創膏の中がやたらと疼く。
しばらくして、「時々」というのはどうも琥珀宮の中で、狙い目の女に近づこうとする時に限るということに気づいた。
琥珀宮の中でも普通に任務についている時には何ともないし、宮の外で女と遊んでも何ともない。
「これは……」
絶対あの「魔女」の仕業に違いない。
俺は、勢い込んで、先日の部屋に向かった。
勢い込んではいたが、そこは悲しい勤め人。役職もない若手騎士の俺と「魔女」の間には、歴然たる格差がある。
外から見たら、お行儀の良い犬のように、俺は魔術師団長室をノックした。
「どうぞ」
ドアを開けると、「魔女」は今日もまた、顔も上げずに執務机に向かっていた。
「――失礼します」
そんなことに文句を言える立場にない俺は、騎士の略礼を取ってから部屋に入る。
「あら、あなた……」
俺の声にやっと顔を上げた「魔女」に、俺はずいっと近づいた。
「取ってください」
頬の絆創膏を指さして迫る俺に「魔女」は、一瞬、琥珀色の目を瞬かせた。
そして眉を寄せて黙って俯いてしまった。
しまった! 怒らせたか? おかしなまじないがかけてあるとはいえ、仮にも宮内随一の魔術師による治療に文句をつけたのだ。
――俺、早まったかもしれない。
「魔女」は下を向いたまま……震えている?
「ふふっ、ふふふっ、あははは」
なんと怒っているのではなく笑っていた。思ってもみなかった明るい笑い声に、俺は度肝を抜かれた。笑った顔は、年齢を感じさせず、彼女を幼く見せた。
「……ふふっ。効果は絶大だったみたいね」
どうやら、俺の思い過ごしではなく、絆創膏には本当にまじないがかかっていたようだ。琥珀の瞳を細めていたずらが成功した子どものような顔をした。
「わかりました。取りましょう」
そういうとなんの躊躇いもなく、俺の頬に手を伸ばした。細い綺麗な指が俺の頬を触る。
「なっ……」
思わず声を上げた俺だったが、引かれた手にはあの絆創膏がつままれていた。
「はい。これで元通り。ちゃんと傷が治るまじないもかけてあったから、本当に元通りですよ」
澄ました顔でそう言ったが、しかし、すぐに真面目ないつもの「魔女」の顔に戻った。
「でもあなた。たくさん苦情が来ていますよ。宮殿の公共の場で女性と密着したり揉めていたり。あなたの目には、可愛らしい侍女たちとせいぜい同僚の騎士たちしかしか歩いていないように見えるのかもしれないけれど、琥珀宮にはたくさんの人たちが働いています。いい? 働いているのよ。若いんだし、恋愛はたくさんしたっていいけれど、時と場所をわきまえなさい。次は騎士団の方にお知らせしますよ」
なんだよ。それ。俺がいつ誰に迷惑かけたよ。
そりゃあ少し、うるさかったり、通行の邪魔だったりすることはあった、かも、しないけれど。今まで話したこともなかった魔術師にまでそんなこと言われるほどか?
憤まんやるかたない俺だったが、確かに彼女の言うことは真っ当だ。騎士団からもそれとなく何度か注意はされているのだ。渋々「はい」と返事をして、部屋を後にした。
笑った顔はちょっと可愛かったのに、あんな小言ババアじゃ「黒い魔女」の名前が相応しい。
悔し紛れに俺はそう思った。
そして、俺のいつもの日常が戻ってきた。
――はずだった。
その日も夜勤明け、引き継ぎも終えた帰りに、宮殿の廊下で馴染みの侍女を見つけて、俺は近づいていった。何度か遊んだことのある相手だ。
侍女も、俺に気づいてにこやかに手を振る。
だけど、俺はその後ろに、大きな荷物を抱えてよろよろと歩いている文官がいるのを見つけた。小柄な女性の文官だ。
侍女は気づいておらず、道を塞いで、俺に向かって手を振っている。その横を荷物を抱えて通り抜けようとした時に、俺の方に向かって歩き出した侍女にドンとぶつかってしまった。
「あ!」
文官の荷物が、廊下に散らばる。
「あら、ごめんなさい」
侍女は、一瞬振り返り、そう言って謝ったが、そのまま俺に向かって歩いてきた。文官は、荷物を拾い集めている。
「ヴァレリー、ひさしぶりじゃない? 怪我をしてるって聞いていたけど、もういいの?」
「……ああ」
侍女は、楽しそうに俺に話しかけるが、文官はまだ荷物を拾い集めている。うまく積まないと全部持てないらしく、一人で全部一から拾うのは大変そうだ。
俺は、ちょっと待っていてくれと侍女に告げ、文官に近づいた。
「手伝おうか?」
俺が声をかけると、眼鏡をかけた小柄な文官は、何故かギョッとした顔をした。
「い、いえ。大丈夫です。お気遣いなく」
何故か、俺ではなく俺の後ろを見て、オドオドと返事をする。
「でも、一人で拾いきれないだろ――」
なんだか、その態度にイラッときて、俺が、少し声を荒げた時――。
「どうした?」
廊下の向こうから、男性の声がした。女性と同じ文官の制服を着ている。
その男性を見て、小柄な文官は明らかにホッとした顔をした。
「荷物を、落としてしまって。手伝ってくれる?」
「ああ。どこまでだ? 一緒に行こう」
そう言った男の方の文官は、俺を見ると怪訝な顔になった。
「彼女が何か?」
「いや。……別に」
「あの、お手伝いは本当に大丈夫です。騎士の方に手伝っていただくようなことではありませんので。あちらの方もお待ちですし」
女性の文官が、目を向けて言う方を見ると、ちょっと機嫌が悪そうな顔をしたさっきの侍女が立っていた。
文官たちは、俺のことはもう目に入らないようで、二人で話しながら、荷物を拾った。うまく二人で分け合ったようで、重たそうなものは男が持っている。そして、どこまで運ぶのか、とか、この資料、俺のところでも必要かもしれないな、とか、ほかにも俺にはわからないような話をしながら、去っていった。
「ちょっと、ヴァレリー。どうしたのよ。あんな地味な女に声をかけるなんて。趣味を変えたの?」
「そんなんじゃねえし」
そういえば、同じ女でも、お堅い文官を口説こうなんて思ったこともなかったな。別に今回だってそんなつもりで声をかけたんじゃない。
メガネに、地味なひっつめ髪。最近、どこかで見たようなあんな女。
俺はなんだかむしゃくしゃした。
侍女は俺と遊びたそうだったけれど、俺はそんな気分になれなくて、これから訓練だからとか適当に言って、その場を後にした。
実際、訓練場で剣を振ったら、少しスッキリしたから、嘘はついてない。