10 俺と魔女の戦い
ドンドンドンドン!
その時、ポリーナの家のドアが激しく叩かれた。呼び鈴も鳴る。
「師団長! 伝令です!」
ポリーナが弾かれたように、俺から離れて玄関に向かう。俺も続いた。
伝令は、騎士団の同僚だった。
ポリーナに続いて、玄関に現れた俺に一瞬驚いた顔をしたが、直ぐにポリーナに向き直って、緊迫した声で告げた。
「都の南方にて大規模なスタンピード発生! 明日の朝第一陣、その後四日に分けて出立。全ての宮の騎士団合同で討伐に向かいます! 師団長は、明日の朝から、王宮本殿の本部に詰めていただきたく。……ヴァレリー、お前も、二日後出立だ」
「わかった。準備する」
「師団長?」
ポリーナの顔は蒼白だった。
伝令に、呼びかけられ、はっと我に帰ったようにポリーナは低い声で言った。
「わかりました。明日は、琥珀宮ではなく、直接本殿に向かいます」
ポリーナが了承したことを確認すると、伝令はすぐに去った。おそらく、各幹部を回っているのだろう。
「――大丈夫ですか?」
俺は、ポリーナの顔を覗き込んだ。
顔色が悪い。しかも、小さく震えている。
俺はそっと、ポリーナを抱き寄せた。
抵抗はされなかった。
「――スタンピード?」
小さな小さな声だった。
俺は、一旦体を離して、ポリーナの顔を覗き込んだ。
ポリーナの目は俺を見ていなかった。虚な目で一点を見つめている。
俺は、なんだか怖くなって、呼びかけた。
「師団長、ポリーナ師団長。――ポリーナ!」
ポリーナの目が俺を見る。
我に返ったように、俺から離れようとした。
だかそれは叶わなかった。
ポリーナの手が、俺の袖を掴んでいた。俺も驚いたが、ポリーナの方がよほど驚いた表情をしていた。
「あ。――ごめんなさい」
慌てて手を離して、一歩下がろうとしたポリーナだったが、またもそれは叶わなかった。
俺がポリーナを抱きしめたからだ。
「必ず帰ります。せっかく、ずっと狙ってた女に脈が見え始めたのに、帰ってこないとかありえないんで。俺って、人生イージーモードなんでこんなところで死んだりしないです。大船に乗った気持ちで待っていてください」
「そう。ずっと狙っていた女がいるのね」
「……あなたですからね」
今の俺のミッションは、ポリーナのいるこの国を守り、自分も生きて帰ること。
そう思いながら、俺はポリーナを抱きしめる腕に力を込めた。
ポリーナは俺に大人しく抱きしめられていた。
俺はそれが嬉しくて、ポリーナの肩口に顔を寄せた。そして、その耳元で、信じられない言葉を聞いた。
「やっぱり私も行きます」
……ん?
固まる俺を、思いの外、強い力でポリーナは押し返した。大人しく俺に抱きしめられていたわけではなく、考え事をしていたのだった。まあ、それでこそポリーナとも言える。
「前回のことを考えても後方支援の魔術師の増員はあった方がいいでしょう。明日、本殿で国王陛下に許可をいただきます」
俺をまっすぐ見つめるポリーナは、もういつものポリーナだった。でもすぐに目を伏せた。
「でも、今夜は、……一緒にいてくれますか?」
俺は今度こそ、ポリーナの唇を奪った。
翌日。
宣言通り国王陛下に出陣の許可をとったポリーナは、その次の日に出陣だった俺と同じ隊で出発した。
これほどの戦闘は俺にとって初めてだった。
毎日、誰かが負傷して脱落する。
しかし死者までは出ず、ベテランの騎士たちは皆、十年前よりは状況は良いと口を揃えた。
死者が出ないのは、十年前よりも帯同する魔術師を増やしたおかげでもあった。
ポリーナは自分の出陣だけでなく、魔術師増員も国王陛下に進言し、十年前の悲劇を知る騎士団長、魔術師団長たちは皆賛同したらしい。ポリーナ自ら陣頭指揮を取ることとなって、出陣まで日がないにも関わらず魔術師の志願者が殺到した。
負傷して脱落しても回復魔法がある。何より戦闘に行く前に防御魔法をかけてもらえるから通常よりケガの程度が軽い。
さらには後方から、援護魔法をかけられる魔術師もいる。
騎士たちの負担は格段に軽くなった。
ポリーナの活躍は凄かった。回復魔法が早い。攻撃魔法も使える。流石に最前線には出さなかったが、距離があっても放てる魔法の種類が他の魔術師とは桁違いだった。
俺も後ろにポリーナがいると思うと気合が入った。ポリーナに危険がないように死に物狂いだったとも言う。
魔物は倒しても倒しても減らない。俺は二匹を続けて倒したあと、膝に手をついて息を整えた。
「危ない!」
その声に目をあげると、すぐ目の前に魔物が迫っていた。気配に気づかないなんて気を抜いてた。胃の底が締め付けられるが、半分本能で咄嗟に剣を構えた。
と、目の前の魔物が吹っ飛んだ。
攻撃魔法をかなり遠くから放ったようだ。ポリーナだった。
「気を抜かないで!」
怒られた。結構遠くにいるのに。
でも、ここに来てから言葉を交わす暇もなかったから、声が聞けて嬉しいと思ってしまう俺。だいぶいかれている。
俺はポリーナに片手を上げると、剣を取り直した。
それから数日、そんなポリーナの活躍もあって、俺も頑張ったけど、みんなも頑張ったけど、実際命懸けだったけど、スタンピードは無事収束した。
あれだけ湧いてくるように尽きなかった魔物は今は影も形もない。魔物たちの暴走と騎士団の伐採で、森だったはずのところは、荒地のようになっていて、遠く王都まで見渡せる。
俺は自分の馬の支度をしながら、仲間たちと無駄口をきいていた。あたりはすっかり静かになり、大きな怪我をした者は輸送し終えて、俺たちも一旦帰宅だ。
このあと土木班が来て、あちこち修繕したあと、また長い年月をかけて森に戻す。街道や近隣の村も再び人が生活できるように整えたら、避難していた住民たちも戻ってくることができるだろう。
「――おい、あれ」
仲間の一人にこづかれて、目線を送った先に見知った顔がいた。下っ端騎士のもとにやってくるなんて珍しい。
俺にまっすぐ向かってくるその人物に俺は声をかけた。
「ニコライ副団長、何か――」
「ポリーナが倒れた」
「……え――?」
「魔力消耗が激しい。限界を超えて魔力を使ったようで、今は意識がない……」
聞くや否や俺はかけだしていた。
「戦闘終了後も残って重傷兵の治療にあたっていたのは聞いている?」
全速力で走る俺の横にピッタリ付いて、余裕の口調でニコライ副団長が話しかける。俺は「は!」なのか「はい」なのかただの呼吸なのかを返すのが精一杯だ。ニコライ副団長ははなから俺の返事なんて期待していないようで、そのまま続けた。
「重症者の搬送が終わった後も痛みだけはと言って軽傷者の治療を続けていたんだ。幼馴染とか言っておきながら、俺もポリーナの魔力量がわかっていなかった。悪かったな」
俺に謝ることないのに。副団長だって臨月の奥さんを残して急遽出陣している。
そんなことは微塵も感じさせない働きぶりだった。
無理をしていない奴なんていない。
俺がポリーナのテントに入ると、ポリーナは魔術師仲間に囲まれて横になっていた。
その中で一番年長らしい魔術師が俺を見ると立ち上がった。
「我々もできる限り手伝ったが、魔力量が足りず、琥珀宮師団長に多大な負担をかけた申し訳ない」
魔術師たちも皆俺に頭を下げる。
だからなんで皆んな俺に謝るんだよ。
それは言葉にせず、俺はポリーナの枕元に座った。目を閉じて、浅い呼吸を繰り返している。
「魔力の使いすぎで体に負担がかかっている。治癒魔法は効かないのでとにかく体を休めるしかない」
「ヴァレリー、許可はとってあるからお前はポリーナに付き添って、帰還してくれ」
俺とポリーナの仲は公然の秘密だったらしく、同じ馬車に乗せられた。俺の馬は仲間が連れて行ってくれるらしい。説教されに通ってたと思っていたんじゃないのかよ。だけどありがたく乗らせてもらう。
馬車の中では、揺れも疲労を増すような気がして、少しでも揺れないよう俺はずっとポリーナを抱きしめてた。水を与えて汗を拭くくらいしかできないけど、抱き上げると少し表情が和らぐ気がした。ただの願望かも。
そして、俺はポリーナを抱きしめながら決意した。
ポリーナは、一旦王宮で診察を受けたたあと、急変の可能性は低いとして、自宅療養になった。
俺は、寮に戻って身支度だけ整えると、診察を終えたポリーナを家まで送り、通いの家政婦に任せると、馬に飛び乗った。
あの家に行こう。俺が思いついたのはアレクセイの家だった。
「俺を養子にしてください!」
アレクセイの父親と母親は、突然訪ねて来て、突拍子もないことを言う俺に驚いたようだが、頭を上げない俺に、とにかくゆっくり話を聞こうと言って、お茶を用意してくれた。
「俺、ポリーナと結婚したいと思っています」
そう言っても、二人は大して驚かなかった。ニコライ副団長がこの家に連れてきたということは、そういうことなのだろうと思っていたそうだ。連れて来られた時は、そういうことになる気配は全くなかったので、少し気まずいが、ニコライ副団長には俺に見えていなかったことが色々と見えていたのだろう。
俺は、まとまらない気持ちをぽつりぽつりと二人に話した。
「思っているだけで、まだ本人には言っていないです。……ポリーナは、この家を実家のように思っています。俺も……、この家は好きです。それと、息子さんとのことも含めてポリーナのことを受け入れたいと思います。それもあって、今のポリーナになって、それを俺は好きになったから。あ、俺の実家は、俺のことは特にいらないんです。この家の息子になって、それで、ポリーナと結婚したら、ポリーナの家もここになって、きっと喜ぶだろうなと思うんです」
二人は、静かな表情で俺の話を聞いてくれた。
俺の話が終わったようだと気づくと、アレクセイの父が静かに口を開いた。静かな表情だった。
「そうか。うちの子になりたいと思ってくれてありがとう。だが、返事は今すぐにはできない。まずはポリーナが回復したら、このことを話してみよう。それに、事情はわかったが、本当にそうしたいなら君の実家にも話をしないわけにはいかないからね。でも、我が家は喜んでいるということは今、伝えられるよ」
「十分です。ありがとうございます」
もう一度、頭を下げる俺の頭に、アレクセイの母の手が乗せられた。温かな手だった。
「……無事に帰って、本当に良かった」
見つめていた床が滲んだ。
肩を震わせる俺の頭を、その手はいつまでも撫でてくれていた。