1 黒い魔女との出会い
短めずつですが新連載始めようと思います。2万字前後を目指しています。
のんびりお楽しみくさい。
その時、俺は廊下に蹲っていた。
我が国の第三王子が、その母や姉妹と暮らしている琥珀宮。
煌びやかに装飾された表廊下とは反対側に位置する、主に宮に仕える者たちが行き来する通用路としての廊下。いつもは多くの人間が行き交っているのに、ちょうど昼番と夜番が引き継ぎを行うこの時間は、一日のうちで珍しく人影がまばらな時間帯だった。
俺が蹲る原因を作ったのは、姫君付きの侍女で、とっくに姿を消していたし、たまに聞こえる足音はおそらく書類を見ながら歩いている文官か魔導書を読み耽っている魔導士で、俺のことなんか目に入っていないだろう。
しかし、その時、廊下の奥からコツコツというヒールの靴音が聞こえてきた。
女性の足音だ。
俺は咄嗟に、少しでも憂いを帯びて見えるように体勢を整えた。
先ほどの侍女に装飾品付きビンタと膝蹴りを食らって痛みに耐えているとはいえ、女性にあまり格好の悪いところは見せられない。
琥珀宮一の女たらしと言われる俺だ。あの足音の主は、きっと珍しく一人でいる俺に声をかけるチャンスだと思っているに違いない。
案の定、足音は俺の前で止まった。
少しだけ顔を上げた俺の目に真っ黒なローヒールのパンプスが映る。
ん? 真っ黒な靴?
そっと視線を上げると、真っ黒なロングスカート。俺の背中に嫌な汗が流れた。痛みからじゃない。
そのまま視線をさらに上げると、スカートだと思っていたのは、真っ黒なワンピースの一部だということがわかった。
そしてそんな服装をしている人間は俺が知る限りただ一人。上げていた視線は女性の顔で止まって、俺はぽかんと口を開けてしまった。
「ま……じゃなかった。……えっとポリーヌ師団長」
真っ黒なワンピースに、キツくひっつめた髪と細縁のメガネ。琥珀宮付きでは筆頭の魔術師である琥珀宮魔術師団長ポリーヌ女史だった。
いつも同じような黒い服装とその無表情から、俺と付き合いのあるメイドや侍女などからは「黒い魔女」と揶揄されている。いくつなのか知らないが、かなりの年齢なのに、結婚もせず、女を捨てて出世を選んだ女、といつか付き合った女が噂していた気がする。
「あなた、私の執務室にいらっしゃい」
間抜け面を晒した俺に一切表情を変えることなく、一言だけ告げると「魔女」は踵を返し廊下を戻っていく。
え? 今?
喉元まで上がってきた言葉を飲み込む。
上席者の命には逆らえない。悲しい勤め人の俺は、よろよろと立ち上がり、その後を追った。
「そこに座って」
連れてこられたのは、俺が所属する琥珀宮騎士団長のものとほぼ同じくらいの大きさの執務室だった。魔術師団長と騎士団長は同じ職位なのだから、当然といえば当然か。
だが、装飾も何もない机と椅子と地味なソファがあるだけの騎士団長室とは違い、この部屋は、実に――、言葉を選ばすに言うならば、ごちゃごちゃとした印象だった。
壁一面に棚が設置され、本――はわかるが、本棚に用途を限定していないらしいその棚には、何だかわからない瓶や紙に包まれた草や紙からはみ出した何だかわからないものが並べられている
部屋の奥には執務机とソファもあるが、俺はそこではなく手前の質素な椅子をすすめられた。
部屋の手前側は、医務室のような椅子が並べられていて診察ができるようになっていたのだ。
「魔女」は俺を座らせると向かいに腰掛け、まずは膝蹴りされた腹を治療した。服を脱いでもいないのに、どこが痛むかわかるなんて、透けて見えてでもいるのだろうか。そう思うとぞっとしないものを感じる。
しかし、さすが魔術師団長。かざした杖からの光が患部を温め、あっという間に痛みが消えた。これならあざすら残らないだろう。
次に平手を食らった俺の顔を見上げる。顔を上げた「魔女」は、地味な髪型や服装のせいで老けて見えるが、意外と歳をとっていないことに俺は気づいた。三十路を過ぎるかどうかといったところではないか。まあ嫁き遅れなのは変わらないけどな。
黒づくめの上についている顔は色白でその瞳は澄んだ琥珀色だった。だから琥珀宮付きなんだろうかとぼんやり考えていた俺の顔に、魔女はペタっと何かを貼った。
顔も腹と同じように魔術でちょいちょいと治してもらえるもんだと思っていた俺は戸惑った。
「あのこれは……」
「これで治療はおしまいです。ここまで治せば、職務に影響はないでしょう。もう下がっていいですよ」
「魔女」は立ち上がると、俺を追い出すようにドアを差し示した。
「え? あのこれは……?」
「絆創膏です。傷が良くなれば自然に剥がれるよう魔法をかけてあります。私的な事情であまり宮の廊下を塞がないように」
え? 見られていた?
まあ、件の侍女は、ちょっと遊んだだけで恋人面をして俺が他の女と遊んだことを大声で詰っていた。あれだけの大声だったら聞こえていたかもしれないな。
俺は殊勝な顔を作った。少し目線をずらして俯くのがコツだ。年上の女は、母性本能をくすぐるのが一番だろう。そのまま一礼して頭を下げたまま言った。
「申し訳ありません。……何か行き違いと誤解があったようで。気にかけていただきありがとうございます」
「魔女」だって女だ。大抵の女は俺に甘い。できれば、俺に絆されて、このやたらと目立つ絆創膏を剥がして魔法でチョチョイと顔の傷も治してくれないかな。
そう思って顔を上げたが、「魔女」は俺を見ていなかった。それどころか、奥の執務室に座って何やら書き物をしている。いつの間に?
「あの……?」
「退室を促したつもりでした。言葉が足りなかったかしら。下がりなさい」
「……はい」
既にそちらに関心の移ったらしい書類から顔も上げずに告げる「魔女」に、なすすべもなく俺は退散したのだった。




