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⑶『記憶の渋滞と回り道』
⑶『記憶の渋滞と回り道』
㈠
来る日も来る日も、それほ記憶の渋滞なのであって、物事の簡略化を目指さずとも、記憶の渋滞はやってくるのである。イノセントの昇華によって、前進する日々は、どことなく自然で、自然主義的である事は否めないが。
㈡
それでも、時として、回り道をしよう。回り道は、危険ではない。優柔不断なる雑考において、俺が見定めるところの、事実の具体化。そうである、であるからして、闇から光へと、場所を移す時にも、物事は露見するのだ。
㈢
つまり、記憶の渋滞と回り道、という訳なのだが、そのことは随分、俺を楽にしてくれた。ありがたいことだったよ、この侭、突き進んでも、後戻りしても、いつか記憶の渋滞は解決される、気になれば、回り道をすれば良い。