出会いー成宮そら(1)
「そら!」
名前を呼ばれ、少女は目を開けた。カーテンの隙間から差し込む日差しに目を細める。
「いいかげん起きなさい!」
母親に布団をはぎ取られると、彼女は縮こまって唸った。
「めんどい、、、」
「何言ってんの!」
今日はゴールデンウィークが明けた初日。高校2年生の成宮そらは、死にたいと思った。
またあの地獄が始まるのか。
それはただ単に休みが恋しいと思っているわけではなかった。寝起きの自分を鏡で見る。クマがひどく、顔色も悪い。
あーあ、熱すら出ないのか。
そらはため息を吐くと、あごのラインと同じ高さに切り揃えた髪を手で治し始めた。
「おー、乗ってけ乗ってけ」
そらが身支度を済ませて外に出ると、兄の陽太がバイクに跨ってヘルメットを差し出してきた。
「なんで私のバイク乗ってんの、、、」
そらは嫌そうにしかめっ面を作った。
「かわいい妹が遅刻しないように乗っけてあげる俺、やさしっ」
陽太はそんな彼女を無視して自分を褒める。
「ほんとに無理。うざい、、、」
金髪にサングラス、上下黒ジャージにサンダルという、この世の不真面目さをすべて詰め込んだような陽太の恰好に、そらは思わずため息をついた。
「てかお前、このバイクちゃんと管理してんだな。めっちゃ綺麗になっててビビったわ」
もともと陽太のバイクだったが、彼が上京するタイミングでバイクはそらのものとなった。兄の影響でバイクが好きだったそらは快く貰い、管理が甘かった陽太とは違って掃除・点検を怠らないのは、兄を反面教師としか考えていないからである。
「ほんじゃ行くぞー」
そらが渋々跨ったことを確認して、陽太はバイクを発進させた。
青い空、澄んだ空気、朝日に照る住宅。そらの住む街は都会から数十キロ離れた比較的静かなところで、家と家の間から海が見えることもあるほど海が近い。都会から避暑地としてや、聖地巡礼だので訪れる人が多いらしいが、すぐに帰る。それほど何もないのだ。一番高い建物は学校で、次が展望台である。電車は各駅停車しか止まらず、本数も少ないし、4つ隣の駅に行かなければ遊ぶ施設がないほどである。海は近いが隣街まで行かなければ近くまで行けないし、街の半分以上が森に覆われている。
そらの家は学校から歩いて20分のところにあり、丘に沿って連なる住宅の1つ。学校に行くには丘を降り、一方通行しかできないほどの狭い道をいくらか曲がった先の大通りに出ないとなにも始まらない。
「お兄いつまでこっちいるの」
大通りに出たタイミングでそらは聞いた。受ける風は朝なのでまだ涼しく快適だが、住宅と住宅の隙間から朝日が差してぴかぴかうっとおしい。
「んー、明後日かなー」
陽太はバイク屋で仕事をしているのだが、どうやらゴールデンウィークがあるらしい。
丁字路を左に曲がり、神社の鳥居を横目にバイクは走る。
「そーんなにお兄ちゃんが恋しいのかー。残ってやるぞ?」
「死ね」
そらと陽太は喧嘩はしないものの、仲がいいとは言えなかった。陽太は中学の頃から問題児で、高校でも遊び惚けていた。そらは教師、親、近所の人に、陽太のようにはなるな、と口すっぱく言われていた。そらはそんな大人たちも、そう言わせる兄のことも嫌いだった。
「お前、学校でどーなの?」
陽太のその言葉に、そらは一瞬たじろいだ。
「別にふつー」
「また髪の毛のことで言ってくるヤツいたらちゃんと言えよー」
そらは生まれつき、髪が銀色だった。遺伝なのか病気なのか、はっきりしたことはよくわかっていないが、少なくとも教室という幼いコミュニティの中では異質だった。黒染めをしても部分上手に色が乗らず、費用も高いのでできなかった。兄は除け者にする妹の同級生を片っ端から殴っていったことで、そらの居場所は余計になくなり、小学校高学年はほとんど学校に行かなかった。
中学になると3年に陽太がおり、その仲間によく絡まれていたため、堂々といじめをする人はいなかったが、代わりに陰口がひどくなっていく。「ビッチ」「媚び女」「魔女」何が自分を指しているのかは、意外と分かるものだ。唯一の味方の女子は、陽太の彼女だけだった。彼女からいろいろと教えてもらえなかったら、思春期を生き抜けなかっただろう。
中学を卒業後、そらは偏差値の高い高校へ行った。噂話で自分のことを言いふらす質の悪い人間が、誰もいないところへ行きたかったからだ。
「んー」
そらは現在の高校での自分をあまり考えないようにして返事をした。
やがてそらと陽太が乗るバイクは、そらが毎朝乗るバスの4台後ろに着いた。赤信号で止まる。
「もうここでいいよ」
そらはヘルメットを外そうとした。万が一バスに乗っている同級生に見られたらマズい、そう思ったのだ。
「いや、ここまで来たらもう行くぞ」
そう言うと陽太は脱ぎ掛けたそらのヘルメットを軽くたたいた。
「じゃあ、あのバスに近づかないで。左曲がって」
左の脇道を通れば、バスとすれ違わずに高校まで行ける。
「へーい」
陽太は素直に左折し、脇に入った。ここから長い坂を上がっていけば高校に着く。その途中の駐車場で降りれば大丈夫だろう、とそらは思っていた。
やがて駐車場が見え、今度こそ降りる、と陽太に伝えたそらは、駐車場にバイクが止まるとすぐにヘルメットを取って周囲を窺った。
「んなに警戒しなくても誰もいねーって」
陽太はあきれた様子だが、そらは構わなかった。
「私コンビニいくから。じゃね」
そらは逃げるようにその場を後にする。そしてまた高校に行かなければならないことを考え、ため息を吐くのだった。