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6.もう一人の兄、激昂

もう1人の怖ーい兄、出動!


 中国の外相が訪日していることは、まだ報道されてはいなかった。日程を変更したため、政府方の会談の準備が整わず、本来の日程まではプライベートの滞在という扱いになっていたからだ。

 本来は、明後日、訪日の予定であった。

 久紀の兄で、警視庁警務部警護課課長である霧生夏輝警視正は、いつもは端然として柔和な物腰であるが、この時ばかりは眉を逆立て、目尻を釣り上げ、正に仁王像さながらの形相で、中国外相の王氏が滞在しているホテルのスウィートに乗り込んできた。ノックもなく、ホテルの人間にマスターキーで開けさせるという、まるで突撃と言わんばかりの訪問であった。

「なんだね、無礼な」

 ダイニングでのんびりと朝食のパンケーキを食べていた王は、弛緩した顔で北京語を放つが、夏輝は歩みを止めることなく真っしぐらに近寄るなり、王の首根っこを片手で掴んでパンケーキの皿に顔を叩きつけた。

「ぐぅぅ……」

 皿は割れ、その破片で顔を切ったか、ガラステーブルに血の雫が滴り落ちる。

 警護していたスタッフが腰の銃に手を添えるが、夏輝の大音声がそれを制した。

「動くな、馬鹿者共がぁ!! 」

「その手を離せ、その人は中国の外相だぞ。国際問題になるぞ」

「ふざけるな。外相の訪日は明後日だ。こいつはマフィアに鼻薬を嗅がされて汚い金で遊びにやってきた薄汚い中年男に過ぎん、そうだろう」

 中国側のスタッフが英語で制止を求めるが、夏輝は眦を上げてそう英語で言い切った。

「まさか共産党がマフィアの巣窟で、言いなりで、国際的な犯罪者をむざむざ自由の身にして、私の大切な部下の命を危険に晒すような真似はしないだろう? どうなんだ? それともおまえの親玉に直接聞こうか」

 王がガタガタと身を震わせ、夏輝の手の下で必死に首を振った。

「こっちはレイモンド・タンとあんたとの通話記録も握ってる。フライトスタッフや中国側の警備スタッフの面も割れてるんだ。どいつもこいつもあの荒鷲野郎に飼われた薄汚い連中だが、中国警察に指示したのは、他でもないあんただな。もう少し脇を固めたほうがいい。こっちはその辺りの通信記録も全部掴んでいるぞ」

 夏輝は部下が差し出したスマートフォンを王の鼻先に置き、首を離した。恐る恐る、目をキョロキョロと泳がせながら上げた顔の額には、パンケーキが血まみれになって張り付いている。額は稲妻型に切れていた。

「中国外務省へのホットラインだ。今すぐ電話をして、こちらの外務省職員を2人、警官を1人、無条件で入国させろ。私の電話ではその職員との通話を繋げておく。1分待たせる度に、あんたを一発殴らせてもらうぞ」

「む、無茶な」

「じゃ、あんたの親分、つまり国家主席に、ここであんたが晒した醜態を一つ一つ……」

「やめてくれ!! ……わかった、わかったから……息子がレイモンドの賭場で大負けして、天文学的な額の借金を背負わされたんだ。主席には、日本で外相と内密に地下資源について話をすると言って出てきている……助けてくれ、ここで全てを明かされたら、私も、私の一族もおしまいだ」

 涙を堪えながら、王は電話を手にした。

「下手な真似をしたら、どうなるかはあんたの想像通りだと思ってくれていい。日本人を甘く見るなよ」

 躊躇する王の耳元に口を寄せ、夏輝が冷たい声で囁いた。王は天を仰いでグッと涙を堪えて歯をくいしばると、意を決したように番号を押した。


 上海虹橋空港の税関で、久紀と孔明、通訳の一名は別室で待たされていた。久紀は便宜上警察官となっている。拳銃携帯を許可してもらうためだ。通訳についてきたのは、元警察庁官僚で今は内閣情報調査室のアジア地域を担当する調査官であり、夏輝の後輩でもある高橋優吾という男であった。

「まだか」

 優吾の携帯が無反応なことに苛立つ久紀が、ここにきて既に30回以上、優吾の手元を覗き込んできた。一方の孔明は、優吾が用意したレイモンドに関する資料をスマートフォンの画面で読み込んでいる。書類で持ち歩くのは危険なため、3人は資料の全てはデータ化して持ち歩いていたのである。

 と、税関の職員が、3人のパスポートと外務省が発行した証明書類を手に部屋に入ってきた。

「お待たせしました、どうぞ」

 ここに降り立った時とは雲泥の、丁重な態度で、3人は漸く上海の地を踏むことができたのであった。


 税関を抜けて空港ロビーに出ると、すぐに優吾の元へ1人の日本人が駆け寄ってきた。

「上海日本領事館の山口です。お迎えにあがりました。一先ずこちらへ」

 山口と名乗る職員の後を歩きながら、久紀は夏輝に電話をかけた。

「……兄貴、俺。今、こちらの職員と合流できた……え、マジか。わかった、また連絡する」

 会話を聞いていた孔明が、案じ顔で久紀の顔を見るが、久紀の顔は笑いを堪えるように歪んでいた。

「兄貴の奴、マジで外相の首根っこ掴んでパンケーキの皿に叩きつけたらしいぞ」

「はい? 」

「この世で一番怒らせちゃいけない男だからな……大丈夫だ、必ず助けられる」

「はい」

 車寄せまで出てきたところで、孔明は空を見上げた。日本の空とは違い、青が狭い。晴天にも関わらず、淡い雲のヴェールを纏っているようにも感じる。

 青ではない、鈍色、そんな表現がしっくりくるだろう。こんな重たい空の下、鸞はどうしているだろうか……。孔明は感傷を押し殺すように拳を握りしめた。

「コウ、早く乗れ」

 3人を乗せた黒いSUVは、一先ず上海領事館を目指すこととなった。


 一行は領事館で密かに中国当局の公安担当者と面談をした。

「我国の中央政府にマフィアの影響力が影を落とすことなど断じてない、これが我らの立場です。その後レイモンド・タンがどうなろうと、我らの関知するところではない。但し、協力はさせてもらいます」

「都合がいいな。死んだら死んだで構わんし、逃げたら逃げたらで構わんってか。確かにレイモンドの身柄はもうこの国の司法に預けたも同然、だがそれでは、ウチの警官達の命はどうなる。責任持って対処しろ」

 中国方の言い分に苛立つ久紀の返答を、通訳の高橋が訳した。高橋も怒りを含んだ表情で言葉を伝えている。

「協力どころか、先頭に立って全力を尽くせ。まずは警官達を乗せた飛行機がどこへ着陸したか、正確に掴め。いや、もう解っている筈だ。そこに俺たちを今すぐ連れて行け。ヘリの1台くらい、どうってことねェだろ」

 久紀がいきり立つ前に、孔明が公安担当者の胸ぐらを掴んでいた。

「今すぐ、だ。猶予はない」

 北京語でそう凄み、孔明は担当者の上着のポケットからスマホを取り出して鼻面に突きつけた。

「掛けろ。今すぐ上海から私たちを乗せて、飛ばせ。10分以上待たせる毎に、あんたの指を一本ずつ折ってやる。口先で誤魔化されるタイプの日本人ではないと、肝に命じて手配しろ」

 久紀が思わずひゅーと口笛を吹いた。

 ガタガタと震えながら、担当者はスマホで通話を開始した。1ミリとて目を逸らさず睨み続ける孔明の迫力に押されるがまま、担当者は悲鳴を上げる勢いで何事かを命じていた。

「何て言ってる? 」

 久紀の問いに、通訳の高橋が暫し耳をそばだて、やがて大きく頷いた。

「飛行機は南昌市近くの民間飛行場で見つかっているようです。今すぐ、この先のホテルの屋上にヘリをよこしてくれるそうですから、行きましょう」

「ついでに、現地の警官隊をちゃんと誂えておかないと、あんたらの国の面子は泥に塗れるぞ、と」

 久紀の言葉を、高橋が担当者の会話の合間に伝えた。泣きそうな顔をして首を振るが、高橋が、

「レイモンドを確保する手段を取らないとなれば、ますますこの国はマフィアの手足となっていると世界に喧伝するようなものだ。SNSが発達しているんだから、伝わるのは早いだろうね」

「わ、私の権限では……」

「だったら上役のケツを蹴とばせ!! 」

 散々に脅された担当者は、今度は電話口で怒鳴りだした。

「よし、俺達も準備だ。コウ、銃は使えるか」

「勿論です。オートマチックでもリボルバーでも、何でも構いません」

「分かった。高橋さんも一緒に来てくれ。それと山口さんはここに残って、ケガ人がいる場合の手配など、折衝ごとを一任したい」

「お任せください。ヘリが来るホテルまで、送ります」

 山口は部下に車を用意させ、一本電話をかけた。

「私の友人が上海警察で刑事をやっています。銃器、防弾チョッキなどを持って、ホテルで合流してくれます。必ず身につけて下さい。この国の兵器は軍隊が土台になっていますから、日本のような銃弾規制などありません。面子の為なら場合によってはレイモンドの射殺も有り得るでしょう。気をつけて下さい」

 3人は山口の部下が車寄せに止めた車に飛び乗った。

いざ、上海そして南昌へ!

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