27.そして、家族
署に帰着後は、かくの如く書類との死闘であった。
ドリンク剤とブラックコーヒーを駆使し、チョモランマが富士山となり、浅間山となり、昭和新山となり、やがて全ての書類の山が提出すべき場所へ旅立った頃、鸞は自販機の前のベンチで、妹が唐揚げを頬張る写真を見ながら絶命していた。本日何杯目かのブラックコーヒーは最早効き目がなく、空のコップを握りしめたまま気絶していた。
「おい、帰るぞ」
普段着の孔明が、白目を剥いて引っ繰り返っている哀れな弟に声をかけたが、ピクリともしない。
「息臭いぞ。どれだけ先輩にニンニク食わされたんだ、おまえは」
最早電車に乗ることもままならないだろうと、久紀が孔明に迎えに来るように連絡をくれたのであった。甘やかすのも大概にしなくてはと思いつつ、やはり心配で迎えに来てしまった。
軽々と横抱きに鸞を抱え上げ、孔明は悠々と署を後にした。途中、キャッとばかりに女性の制服警官に驚かれてしまったが、抱き上げている人物と抱かれている人物を両方見比べるなり、頬を染めて道を開けてくれたものである。
低体重で生まれ、子供の頃から虚弱体質で、小児喘息にもかかり、学校も週の半分行かれれば良い方であった。しかし心だけは強くあってほしいと、母・美鳥は鸞に厳しくピアノを仕込んだ。それはもう、聞いていられないほどの厳しさであった。レッスンを終えると元の優しい母に戻るのだが、こと鸞に関しては、厳しい接し方をする人であった。それだけ、案じていたのであろう。次第にバレエ、器械体操と、体を柔軟にしながら体力をつけていくような習い事をさせ、中学に上がるようになってやっと、まともに通学できるだけの体力がついたのだ。しかし、骨格は女生徒のように華奢なままであった。14を過ぎたあたりから少しずつ武術の手ほどきを受けながら、じっくり成長を待ったものの、高校に入っても伸びるのは身長ばかりで、骨格は一向に逞しくはならなかった。腰を痛めた時に偶々撮ったレントゲンで初めて、骨格がいわゆる一種の奇形で、成長が不完全なまま止まっていることがわかったのだ。肋も長さが足りず、椎骨も5つある筈が4つしかない。骨量にすると、体重50キロ程度の女性と変わらないのだという。
そんな折れそうな体で、投げ飛ばされても叩かれても、父に武術を習い、必死に会得した。その根性は母がピアノを通じて育てたものだ。小さい頃から国際コンクールの舞台に何度も立ち、プレッシャーと緊張とに負けないだけの精神力を身につけた。
お姫様みたい……そう言われて悔し涙を流す弟の姿を、幼い頃から見てきたのだ。今の鸞は、不断の努力の賜物で出来上がっている。ただ、ちょっと一つのことに夢中になり過ぎて、ブレーキの効きがちょっと弱くて、何事も極めなくてはちょっとだけ気が済まないだけなのである。
桔梗原家の西洋館に着くと、エンジン音を聞きつけた玄徳が走り寄ってきた。
「どうだ、鸞は」
答える前に、玄徳は鸞を抱き上げて屋敷の中に入っていった。




