26.上司の仕置
男前な上司、鸞を叩きのめす!
夕方、亮子が棒倒しの競技で敵方の棒の先に1番に飛び付く所や、巨大な弁当箱を抱えて大好きな唐揚げを頬張っているところなど、兄がスマートフォンで撮ったものを大量に送ってくれた時、鸞は何度目かのパソコン画面へのヘディングをやらかしていた。
すでに勤務時間は終了に近付いていた。品川埠頭から戻った後の昼飯に、久紀にご馳走してもらったニンニクと背脂増し増し餃子半チャーハン付き野菜大盛りラーメンで満腹になったせいもあり、眠気は午後にはコントロール不能の領域になっていた。
猛烈な眠気を、本日10本めのドリンク剤で誤魔化してはいたものの、画面の中では、変換前の『罪状』の、う、の文字がざっと100個連打されていた。
「罪じょううううううううううう……って、どんだけおねむなの、ランラン」
ヨダレを手の甲で拭いながら、鸞は頭を下げた。
「申し訳ございません」
「夜のお転婆が過ぎるのよぉ、ねぇ」
「課長、それはもう、御勘弁を……」
「うるせえ、5月いっぱいはこのネタでイジるからな、覚悟しくされ」
軽く拳骨を喰らい、鸞は身を小さく縮めた。朝にさんざん叩き付けられた背中が、ヒリヒリと痛んだ。
朝礼が終わるや否や、鸞は久紀に道場に連れて行かれ、スーツのまま投げ飛ばされた。背負い投げられる事10回。投げた方は然程息も乱さず涼しい顔で、転がって気を失いそうに白目を剥く鸞を見下ろした。慌てて組対の面々が助けに駆けつけてきたが、久紀の野太い一喝が、道場の中に入る事を許さなかった。
「そんな細い身体を何度も……課長のタッパから叩き付けたら、係長死んじゃいます!」
「口を出すな。コイツは叩き付けられに来たんだよ。人の寿命を面白ェくらいに縮めくさって、おいっ、鸞っ、立てよオラッ」
荒い息遣いで腹を上下させているその華奢な腰に、久紀が軽く蹴りを入れた。
「課長、ダメですって!」
「スっこんでろっ!」
組対の荒くれ共が押し黙った。それ程、久紀は怒っている。ヤクザもかくやとばかりの迫力は、流石に二十代からマル暴畑で鳴らしただけの事はある。荒い息で倒れている鸞のネクタイを引っ張って容赦なく立たせると、その体を車輪回しに担ぎ上げて叩き付けた。
「いつまで寝てんだコルァ!」
更に手を伸ばそうとすると、組対軍団から悲鳴が上がり、とうとう道場に雪崩れ込み、鸞を庇うようにして久紀の前に立ち塞がった。
「課長ぉ、洒落になりませんから!」
「係長、やらかしたんなら、とにかく詫びをっ」
鸞は呻き声を上げながらも起き上がり、久紀の前にきちんと正座をして手をつき、淀みのない所作で深く頭を下げた。
「ご指導、誠に有難うございました」
「係長……課長、誤字脱字は係長のせいじゃ無いです、俺達の調書がダメダメ過ぎて……」
「俺もです」
「お、俺なんか、コーヒー溢したし」
「ああ⁉︎ 」
必死に鸞を庇う面々を睨め付け、久紀は呆れたようにやっと表情を和らげた。
「お前ら、書類仕事全然ダメだもんなぁ……鸞、5分後に面パトで待ってろ」
「承知致しました」
それ以上は何も言わず、久紀は黙って道場から出て行った。
「係長! 」
先を争うように鸞の顔を覗き込む面々に、鸞は再び頭を下げた。
「御免なさい、心配をかけてしまって」
「何やらかして霧生課長を激怒させたんですか。あの人ね、見た目こそ超がつく2枚目だけど、中身ヤクザですからね。あんなに怒らせちゃダメぢゃないですか」
全身の痛みのおかげで、かえって眠気が醒めた鸞は渾身の微笑みで面々を見渡した。
「護送の報告書、出すの忘れちゃってて」
「忘れちゃって、って……本当にそれだけ? そんなんであの人あそこまでキレないでしょ」
鸞は微笑んだまま、首を横に振った。
「僕のミスで、課長にご迷惑をおかけしてしまったんです。皆のせいでは断じてありませんからね。助けて下さって、有難うございました。とても嬉しかった」
鼻血を垂らしながら鸞の言葉にウットリと耳を傾ける組対の精鋭達をそのままに、鸞は立ち上がって駐車場へと急いだ。
久紀がハンドルを握り、無言で首都高を駆って辿り着いたのは、あの品川埠頭の倉庫であった。港湾の入り口のゲートで久紀が軽く手を挙げると、警戒中の制服警官が敬礼をしてゲートを通した。
「現場には竹内課長がいる。あの人のカンは動物並みだぞ、絶対ヘタ打つな」
「はい」
問題の倉庫は、青空の下ではまるで廃墟のように古びていた。
錆だらけのシャッターは開け放たれ、何台ものパトカーや覆面車が停まっていた。
少し離れた岸壁寄りに車を止め、二人は現場となっている倉庫に立ち入った。
中では、鑑識課も総動員されていた。
「検視が始まる前に、お前に見せておきたかった」
手を引かれて案内されたその場所には、ルイ・タンを始めとするルイの組織の幹部たちが、壁際に頭を押し付けるようにして死んでいた。後ろ手に結束バンドで拘束され、膝立ちにして並ばされ、後頭部から綺麗に2発ずつ浴びていた。壁一面に脳漿が飛び散り、凄まじい血の臭いが充満していた。更に遺体から流れ出た体液が強烈なアンモニア臭を放っている。だが、誰一人、鼻を摘んだり、吐き戻すような事はなく、淡々と作業に没頭していた。鸞も、臍に力を入れ、覚悟を持って死の臭いの中に立っていた。
「処刑スタイル……」
いわゆる、ギャングなどが見せしめにするための殺し方である。
「わかったか、鸞。お前が相手をしようとしたあのスカした野郎の本性は、これだよ」
そうなのだ……所詮、マフィアのボスであり、裏切り者をかくも残酷に殺すことのできる男なのだ。鸞は拳を握りしめた。あんな奴の口車に乗った自分の愚かさが、許せない。少しでも気を許して、唇までまんまと差し出してしまった自分の馬鹿さ加減が、許せない……。
「よく目に焼き付けとけ」
「はい」
鸞が歯ぎしりをして、現場検証の様子をじっと見つめていると、竹内警視が左腕を三角筋で吊るしたまま、駆け寄ってきた。
「霧生くん、桔梗原くん」
会心の笑みで久紀が出迎えると、竹内はそれまで檄を飛ばしていた厳しさから一転、表情を和らげた。
「男前が揃っても掃き溜めに鶴っていうのかしらね。あなた達、メチャクチャ目の保養になるわ」
「それはどうも。課長も相変わらずお美しく、お凛々しい」
芝居がかった事を言う久紀の腕を叩き、竹内が笑った。
「六曜会に渡った武器の捜査も兼ねて乗り込んだけど、クズものばかり。まぁ、レイモンドにしてやられたわ。六曜会はもう中国からは武器を仕入れられないから、途端に立場が弱くなる。マル暴さん、忙しくなるわよ」
「ですよねぇ……お転婆さんのせいで、お休み減っちゃうかしらぁ」
オネエ言葉でチクリと嫌味を言う久紀の横で、鸞が片眉をピクリと上げて固まった。
「何よ、お転婆さんって。ていうか桔梗原くん、顔色悪いわよ」
指摘された鸞が慌てて笑顔を作って竹内に頭を下げた。
「肩のお怪我はいかがですか」
「ああこれ……ちょっと骨掠ってたみたいで、暫くこんなよ。邪魔でたまんないわ。でも、君のおかげで命は拾ったんだから、感謝しないとね。あ、六曜会の武器リストは後で送るから、共有しといて」
「承知いたしました。お手数をお掛け致します」
それだけ言い残すと、竹内はまた何事か指示を飛ばしながら倉庫の中を走り始めた。
「忙しい姐さんだなぁ……行くぞ」
「はい」
捜査に関わっていない二人は、邪魔にならないよう足早に現場から立ち去り、車に戻った。
暫し、窓を開けて海の匂いを吸い込もうにも、生臭くてとても気持ちが良いとは言えない。それでも、あの現場よりはマシだった。
「署まで少し寝ろ」
「課長も、あまり休まれていませんよね……」
「俺はまだそんなジジイじゃねぇ、花も恥じらう32歳だ」
車の振動は、眠気を心地よく助長する。覆面車が港南橋を渡る頃には、鸞の頭は早々と船を漕ぐように揺らぎ始めた。上司の運転で寝てはいけないと戦っている様子が余りに可愛らしく、久紀は笑いを堪えるのに必死だった。これは孔明のヤツが可愛がって仕方ない筈だ、と。
首都高に乗る頃には、鸞はすっかり寝落ちしていた。お姫様のような可憐で無邪気な寝顔には、まるで警戒心がない。レイモンドがよく鸞を犯さずに返したと訝しく思ったりもしたが、この寝顔を見て力ずくで何かをしようとなど、少なからずプライドのある男ならできはしない。しかも、こう見えてかなりの手練れであり『お転婆』だ。
「あの野郎、存外本気なのか、ウチの姫に」
夕方に差し掛かり、四谷ランプの前で少し詰まった。正直、久紀も寝不足ではあるが、2晩・3晩寝ないで張り込みなど、マル暴にはよくある話だ。腹さえ満たせば、まだまだいける。
「ガツンとニンニク増し増しのラーメンでも食うかな」
ここのところ、まともに弟の手料理を食べていない。あのスタミナ一杯の栄養食をたらふく食べられる日はいつになったら来るのだろう……と横を見て、朝投げ飛ばした時の鸞の異様な軽さを思い出した。
骨格も長身の割に細すぎる。南昌で既製品のサイズがなかったくらいだ。こんな細い体にあれほどの武術を叩き込むまでには、相当な努力が必要だった筈だ。
「署に着いたら、ラーメン食いに行くぞ、鸞」
ニンニクに背脂増し増しにして太らせようと画策する久紀であった。
愛のムチ、鸞に沁みる…




