20.ディナー
鸞、妖艶に爆誕
漆黒のサテン地のオールインワンのパンツスタイルのドレス。背中がカシュクール上になっていて、均整のとれた柔らかな筋肉で覆われた華奢な背中が照明に浮かび上がる。パンツスタイルの膝から下にはスリットが入っていて、ゆったりと歩くたびに白く引き締まった脛が露わになる。華奢なヒールのサンダルにしどけなく体重を乗せながら、その足取りはバレリーナのように軽い。ビーズのクラッチバックを持つ手の、ルージュと同色の深紅の付け爪もまた艶めかしい。
六本木ヒルズの高層階。個人所有の一室の入り口から、執事にエスコートされながら近づいてくる女の美しさに目を奪われるがまま、レイモンドは暫くその身のこなしを堪能していた。
今日はヴィダルサスーン・カットとかつてもてはやされた、フェイスラインで切り揃えられた漆黒のアシンメトリーなボブで、強めに引かれたアイラインと、深紅のルージュとが、モードな雰囲気である。
誰も、このちょっと80年代風の美女が警視庁四谷署の銃器薬物係の係長とは、気付くまい。
広いリビングの窓際、一面ガラス張りのその真ん中に、ディナーテーブルがセットされている。女がふと仕切りの向こうに視線を走らせると、ソファセットと大きなベッドがあり、花束が飾られるようにしてベッドの上に置かれていた。
「会いたかった」
立ち上がって出迎えたレイモンドは、恭しく女の手の甲にキスをした。
「よく言うよ、手の込んだ小細工して。言っとくけど、捕まえに来たんだからね」
真っ赤な唇からは、そんな甘やかな男声が発せられた。
レイモンドは椅子を引こうとする執事を下がらせ、自ら立ち上がって美女の背に回った。そして椅子の背もたれに手をかけると見せかけ、そのまま美女を抱きしめた。
「鸞、私の可愛いレディ。今日も念入りに美粧を施してくれるとは。美しいよ、実に美しい」
露わな背筋を指でなぞり、レイモンドの手はそのまま美女……鸞の腰を撫でた。ドレスの下に野暮なボクサーショーツはなく、心許ない紐状の下着があるだけで、レイモンドの手はその引き締まった小さな臀を心ゆくまで堪能した。
「座らせてよ」
体を締め付けないサラリとしたデザインのドレスは、レイモンドの好奇心溢れる手先を自由に泳がせた。その手が前へと滑り、内股を撫で上げるが、涼しい顔をしたままの鸞の其処が変化することはなかった。ならばと、その折れそうな腰を引き寄せて熱いキスをするが、それでも、鸞の体が熱を帯びることはなかった。
「なんだ、気が乗らないようだな、レディ」
「別に。あんたと会っているところをうっかり見られてクビになるのも嫌だから、こんな格好したけど、本当面倒だった。ヒールは痛いし、しかも去年のル・ブタンじゃん。あんたの店、もっとラインナップ工夫してよ」
「随分と御機嫌斜めだな。恋人と喧嘩か? 」
「あんたのせいでしょ、レイ」
苛立ちを眉の端に湛えたまま、鸞がニッコリと芝居がかった笑みを見せた。
四谷署で書類の山と格闘していると、レイモンドが鸞の個人携帯にコンタクトを取ってきた。無視すれば良かったのだが、孔明のことでちょっとイライラしていたこともあり、会って捕まえるついでに文句の一つも言ってやろうと思ったのである。かと言って、素顔で会っているところをSNSにでも上げられたら、それこそ堪らない。すると、レイモンドは傘下のブティックに行くよう指示し、こういう姿が出来上がった。趣味なのか気遣いなのか、おかげで鸞とは解らぬ姿にはなれたものの、また銀座のテーラーで特注して作ってもらったスーツを失うこととなりそうなのが腹立たしくもあった。
「八陽湖の別荘に忘れていった君のスーツと、今日、店に置いていったスーツ、ちゃんと送り返すよ。仕立て屋の名前もタグで分かったしね」
フン、と拗ねたように腰を下ろし、鸞はレイモンドが注いだワインを煽った。
「で、何の用なの」
「危険を冒して愛しい人に会いの来たのだ、もっと優しく笑っておくれ」
「危険を冒してまで……抱きに来たの」
鸞が視線をベッドに走らせると、レイモンドがギラリと目を光らせた。
「ディナーの前に、君を食べたいな」
「ダッサい口説き」
テーブルのカトラリーに、二人が同時に目を走らせる。
レイモンドがナイフを、鸞がフォークをそれぞれ手に取るなり相手の首筋に突きつけた。
「抱かせろ」
「多分、レイのじゃイケない」
「彼のしか、ダメなのか」
「撫でられても、感じなかった。むしろ、彼の手と比べて幻滅しちゃった」
ちっ、とレイモンドが興ざめしたとばかりにナイフを放り捨てた。鸞もフォークを戻し、ククっと笑った。
「解ってる癖に」
ワイングラスを再び持ち上げようとした時、鸞の電話が鳴った。画面を見た瞬間、鸞の両目が釣り上がり、立ち上がるなりレイモンドに強烈な蹴りを見舞った。驚いたレイモンドが寸手で躱して後退るのを許さず、胸ぐらを掴むなり腰を払って床に叩きつけた。そして、レイモンドの鼻面に画面を近付けた。
「妹をどうするつもりだ」
画面の中では、ショートカットの十代と思しき娘が、後ろ手に縛られ、椅子に括り付けられている写真であった。鸞の目は血走り、常軌を逸するほどに殺気に満ちている。
「妹、妹がいるのか」
「しらばっくれるな! おまえ、僕を手に入れるためにここまでやるのかっ、やっぱりマフィアだな、汚いやり口だよ」
「待て、本当に何も知らん。私は本当に君に会いに……」
ぐいっと、鸞が首元を締め付ける力が強くなる。馬乗りになっている鸞の腰を膝で蹴り飛ばし、横手に叩きつけて鸞と上下を逆転し、鸞の細い体に跨って押さえつけたまま、その手の携帯の画面を凝視した。
「私ではない、信じろ。本当に君の妹か」
「そうだ! 父からのメールだ。父との食事中にいなくなってしまった後、30分後には父のアドレスにこの画像が送られてきたそうだ……僕はこんなところで何やってんだ、クソっ……」
「レディがそんな言葉を使うものじゃない。いいか、鸞、この娘の足元に写っている手だが、甲に刺青が見える。つい先日、広東の下部組織を一つ、破門にした。日本で捕まった私の隙をついて、組織を乗っ取ろうとした従兄弟のだ。結果として奴は私の支配圏で息をすることはできなくなった、つまり中国国内で、だ。この刺青は、従兄弟の組織の幹部連中だけが刻むことを許されている毒ヘビの紋章だ」
「だから、何っ」
「聞けって。連中は私に取って代わろうと、六曜会や警察幹部達と新たに手を組む為に日本に来たとの情報がある。私がここに来たのは、君に会う為でもあるが、従兄弟と決着をつける為でもある」
「そんな、それじゃレイの身が……」
その言葉に、レイモンドが一瞬両目を見開き、そして柔和に目尻を下げた。真剣にレイモンドの身を案ずる鸞と視線が交差した。
思わず漏らした言葉に鸞自身が驚いたように顔を背けた。レイモンドは鸞から身体を離し、鸞を起こすべく手を差し伸べた。引き寄せて起き上がった鸞が、ヒールでバランスを崩し、レイモンドの胸にぶつかった。その細い身体を、レイモンドは愛し気に抱きしめた。
「初めて私の心配をしてくれたね、鸞」
優しく髪を撫でるレイモンドの腕の中から、鸞が慌てて身体を離し、髪や服を整えた。
「本当に君って、可愛いな……」
レイモンドが指を鳴らすと、先ほど鸞を迎え入れた執事が、アタッシュケースを三つ持ってきた。テーブルのグラスを全部滑り落とすようにして、そのうちの一つを開けた。パソコンとスマートフォンだ。レイモンドは何某かの番号を打ち込んだ。
「従兄弟の周囲には私の部下を潜入させてある」
画面上の地図でGPSの信号を追うと、レイモンドと初めて会った品川第三埠頭の倉庫街を示していた。すると間も無くアタッシュケースの中のスマートフォンが鳴った。
「先程送ったのは、部下への状況報告を促す信号だ。通話だとバレるからな」
レイモンドは受信画面を鸞に見せた。中国語だが、何となく内容は把握できた。桔梗原を呼び出す為に、娘を拉致して人質に取っている……レイモンドが英訳もした。
「間違いない。警察内部で私との繋がりのある者は皆処分された。ならばと、従兄弟は桔梗原つまりお父上をおびき寄せて、言うなりにさせるか、或いは殺すつもりなのだ。娘を人質に取って」
「信じろって言うの」
「君を愛する私に賭けてみろ」
マフィアにしては知的で深みのある琥珀色の瞳は、真っ直ぐに鸞を見据えた。アジア人離れした体から、レイモンド自身の背景に対する怒りがゆらりと立ち上っている。凛然とした表情で、レイモンドは頷いた。
「嘘だったら殺す」
「喜んで殺されてやる。さぁ、好きな方を取れ」
あと二つのアタッシュケースには、グロック19と92式がそれぞれスペアマガジン2つとセットになって入っていた。
「グロックを借りるよ」
使い慣れたグロックを迷わず手に取ってバックに放り込み、鸞は踵を返した。その背中に呼びかけ、レイモンドは車のキーを放り投げた。
「地下駐車場、Aー3、黒のポルシェ・マカンだ。中にシューズも入っている。私も後から行く」
「着たくないけど、恩に着る」
キーをキャッチして玄関へと走る鸞の背中を追いつき、ドアに手を伸ばす前にレイモンドが手を引いた。
「何! 」
引き寄せるなり、レイモンドが噛みつくようなキスをした。逃げることなく、銃を借りる礼だとばかりに、鸞は這い込んでくる舌を受け入れて、んん、と喉を鳴らした。
「これで貸し借りなし、だ」
「レイ……マフィアには勿体ない」
最後に鸞の方から触れるだけのキスを返し、飛び出していった。
「ディナーは次の楽しみにとっておこう、私の可愛いレディ」
そう呟き、レイモンドはジャケットを脱ぎ、ネクタイを外した。
レイを蕩し、亮子を救いに向かう鸞。その手には黒光りするグロックが……次話、銃撃戦‼️




