19.火消し揉み消し、消失
玄徳パパと亮子が語る、孔明と鸞の関係は?
兄達の人知れぬ思いに触れる亮子に心の変化は……
レイモンド・タン事件の後始末は遅々として進まなかった。いや、後始末などと言うほどのものでは無い、ただの火消しだ。少なくとも、レイモンドと裏で繋がっている者達は、そうして自分の頭に火の粉が降りかかるのを避けようとしていた。
しかし、既に公安部に洗い出されていた身内の裏切り者は、玄徳によって一堂に集められ、処分された。上級階級の者も容赦無く懲戒処分とし、この後の捜査に一切の鼻薬が及ぶことのないように彼らの力を完全に削いだのだった。
霧生警視正を始めとする若手に多くを助けてもらったとはいえ、一気にカタをつけるためには水面下で気付かれずに動くことが肝要である。捜査一課にいた独身時代を思い起こすほどに、骨の折れる作業であった。
今日は鸞も久々の出勤で、溜まった書類仕事を片付けるために果てのない残業となる旨、連絡を受けていた玄徳は、験直しにと亮子を学校近くで拾い、焼肉店で夕食をとることにしたのであった。
家族行きつけの、狸穴町の焼肉店で恐ろしいほどの量を食べ、亮子は更に別腹と称してデザートに顔より大きなパフェを飲み込んでいた。
「亮子よ、美味しいか」
「うん、うまい」
「だろうな。だが、父は本音を言えば、鸞の手料理が恋しい」
亮子が、瞬殺で空になったパフェの容器をテーブルの端に避けた。
「鸞ってさ、何であんなに何でもできるの? おいらは料理も片付けも苦手だし、勉強も取り立てて得意なわけじゃない。兄貴達みたいな凄い能力なんて、おいらにはないよ」
「ないのではない、あいつらは、努力で身につけたのだ」
玄徳はコーヒーを啜ってゆっくりと喉に落とした。
「亮子は二人の兄をどう見る」
「どうって……兄貴は優しい。スゲェ強いし厳しいし、口じゃ何も言わないけど、凄く優しい。時々、ちょっと壁みたいなものを感じることあるけどな……鸞のバカは、図太いんだよ、結構。どっか破天荒ってか、計算女みたいなとこもあるし、でも……あんなに強くはなれないって、おいら思ってる」
娘の的確な意見に、玄徳は満足げに頷いた。
「よう見ておるな。その通りだ。孔明は、やはりどこか、身を引いてしまう癖がある。自分から欲したものを奪い取ろうと言う気概が、あまり強い方ではないな。対して鸞は、自分がこうと思ったことは曲げない、欲するものには自分から手を伸ばす。人間としての芯は存外に太く、警察官は天職だろう。ただ、感情に正直な分、自分を抑えきれず傷だらけにもなる。そこへ行くと孔明は、理性的で感情が表に出にくく誤解も受け易いが、その実、懐は深く、心優しい」
何でそんな話を、と思う一方、そんな兄達はまるで太陽と月だと思った。
「太陽と月……」
「ほう……言い得て妙だな。鸞が太陽で、孔明が月、だろう」
「うん」
「あの二人は、どちらが欠けても生きてはいけまい」
ああ、そのことか、と亮子は得心がいったように頷いた。
「分かってるつもりだよ。最近なんか鸞のヤツ、超あからさまだからな。別においらは何とも思っちゃいねーよ。むしろ、兄貴が黙ってフランスに行っちゃったり、鸞が唐突にピアノやめたり……母上がいなくなったりするより、ずっといい。今のまま、兄貴達と一緒に暮らせるなら、それでいい」
がっしりとした手で、玄徳は亮子の頭を撫でた。歳を取ってから生まれた子だけに、美鳥も玄徳も愛しくてならなかった。こんな風に大人の見識を持って人を見つめることができるまでに成長した姿を見たら、どれ程美鳥は喜ぶことだろうか。
亡き妻に思いを馳せていると、亮子がブスッと頬を膨らませた。
「おいら、ミソッカス感半端ねぇじゃん。すげぇ霞んでる」
前言撤回、まだまだ子供だと、玄徳は心の中の美鳥に訂正し、笑った。
「そんなことはない。おまえは幾らでもこれから花を咲かせる才能を秘めている。いや、おまえの人を見る目は鋭い。それだって、立派な強みではないか」
美鳥を亡くす2年前に、亮子は桔梗原家の家訓を玄徳から知らされた。あの西洋館の地下にはそのための道場があることも、初めて教えられた。母・美鳥は、唯一の娘である亮子の特性を見抜いたのか、ピアノではなく武道の稽古を始めるよう玄徳に進言したと言う。母とオシャレに興じるのは鸞で、ピアノも鸞で……母に見放されたような、そんな思いをずっと抱えていた。
「おまえの精神力はね、実は兄弟の中では最も強いと見ているのだよ、父は」
「そんなこと……」
「おまえの正義感は、いつ何時でも揺るがない。それはね、兄達もよく分かっている。だからこそ母・美鳥は、たとえ男子でなくとも、君を桔梗原家の家訓の通りに育てることを父に勧めたのだ」
鸞がよく言っている、母はジェンダーで何かを決めつけることを嫌う人だと。女は家事・育児、男は仕事、という風な。特性のあるものが特性にあったことをやれば良い。もしくは好きなこと、興味のあることに、男女の別なく挑めば良い、と。
「将来の夢はあるのかね」
亮子は少し考えをまとめるように押し黙り、やがて顔を上げた。
「おいら、父上の後を追いかけたい」
警察官になりたい、そう真っ直ぐな目で告げられ、玄徳は熱いものがこみ上げるまま、大きく頷いた。
いつの間にか、こんな話ができるようになったことが、玄徳には嬉しかった。娘との食事、会話が、これから先どれ程玄徳を慰めてくれることだろう。
「ごめん、トイレ」
レディになるにはまだまだ道のりは遠いが……。
亮子が席を外すとすぐに、副総監付きの秘書官から電話が入った。
レイモンド・タンが本国で消息を絶ったとの知らせであった。
日本でミソをつけた形になったレイモンドを、広東の分家にあたる組織が排除しようと動き始めたとの報は、上海領事館の山口と連絡を取り合っている間に耳にしていた。
鸞への執着は尋常では無いと聞くだけに、胸騒ぎを禁じ得ない。
と、亮子が中々トイレから戻らない。
玄徳は女子店員に頼んで様子を見てくれるよう頼んだ。よく利用する店だけに、店員は顔も良く承知しており、快く引き受けてくれた。
「桔梗原様、どなたもおられませんでしたが」
玄徳は立ち上がった。
亮子、消失……




