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18.蠢く

鸞を取り囲もうとする魔の手、逃げる事は出来るか


 組対課の部屋に戻った鸞は、猛烈な勢いで書類と格闘した。

 5日も空けていれば、目を通さなければならない書類、チェックを入れなくてはならない書類、裁可を下さなくてはならない書類、更に自分でないと作成できない書類、などなど、チョモランマもかくやとばかりに溜まっていた。帰国後初めて出勤をした鸞を、部屋のむくつけき男たちが集まってきて気遣った。

「有難う、留守をしてしまってごめんなさい。今日は頑張って書類を片付けちゃうから、皆はちゃんと定時に帰ってね……ただし」

 鸞の五体から怒りのオーラが立ち上り、その漆黒の双眸に殺気が灯った。

「この誤字脱字だらけの提出書類、もう一度作り直してくれるかな。霧生課長はまだ本店だから、帰ってくるまでには再提出してね。出来なかったら、僕とお泊まりしてもらうけど、いい? 」

「あ、志願します!」

「俺もっ!」

「一緒にモーニングコーヒーを……」

「お黙りっ!! 」

 手裏剣の如く、それぞれの署員に書類を撒き散らし、鸞は国語辞書を自分の机に叩きつけた。

「漢字の乱れは心の乱れ! 誤字脱字は許しませんっ! 法律用語もよく確認し直して!! 」

 はいっ、とばかりに全員が机に座り、書類の作成に勤しんだことは言うまでも無い。

 いつもならドスの効いた声での会話で盛り上がる部屋が、ただひたすら、キーボードをカタカタと叩く音に包まれていた。時折、溜息やら呻き声が合いの手のように加わる。

「あン、もう……」

 鸞も、パソコンの変換が上手くいかないだけで苛立つが、その漏れる呟きが何とも色っぽい。

「ウソぉ、バカぁ……」

 其処彼処で、書類に赤い斑点を作ってしまって慌てふためく声が上がった。

「ああもう、マジポンコツぅ……」

 ターコイズブルーのネクタイを忌々しげに解き、鸞はジャケットを脱いで椅子の背もたれに掛けた。顎を上向けるようにして鼻で呻きながらシャツのボタンを開けて胸元を寛げると、署員の脳髄を麻痺させるような芳香が部屋中に発散された。

「おいおい、ウチの連中を戦闘不能にして何やってんの」

 そこへ、本庁の上役達にこってり絞られてきたであろう霧生久紀が、目の下にくっきりとクマをこしらえて部屋の戸口に立っていた。

「鸞、ちょっと」

 係長、と役職で呼ばず、久紀が顎をしゃくるようにして鸞を呼んだ。

「すみません、南昌でのことで、監察に色々詰められたんですよね」

 改めて、鸞は深く頭を下げた。

「右から左だよ、んなの。それに、親父さんが粗方ケツ持ちしてくれたしな。だがな……」

 どうせ孔明とのことでも何か言われるのかと思いきや、連れて行かれたのは鑑識課であり、そこには花束が一つ置かれていた。鑑識課の若手が、添えられていたと思しきカードから指紋を採取しているところであった。

「ちょっと貸して」

 久紀はラテックスを嵌めて、そのカードを手に取り、鸞に見せた。

『私の可愛いレディへ 愛を込めて R』

 鸞の背中に悪寒が走った。

「これ……」

「奴から、だよな」

 可愛いレディ……レイモンド・タンが、熱を込めて鸞をそう呼ぶのだ。間違いない。

「署の入り口に立っている警らが、駐車できなくて困っているお年寄りに対応している間に、置かれていたらしい。置いた人物はわからないし、防犯カメラにもそれらしき人物は写っていない」

 ありがとう、と言って久紀がカードを鑑識員に戻し、鸞を部屋の外に連れ出した。

「マフィアとサツ、格好のネタだぞ。SNSでは美女ってことになってるし、監察でもそれで押し通した。一緒にいるところなんて撮られてみろ、痛くもない腹を探られかねないし、あちら側には良いように利用されるってこともあるんだぞ」

「はい……承知しています」

「全く、厄介な相手に見込まれちまったな。暫くは一人になるなよ」

 ゴクリと固唾を飲んで、それでも鸞は笑顔を作って久紀に向き直った。

「僕は大丈夫です。では、書類の山が残っていますので」

 まだ何か言いたそうな久紀をそのままに、鸞はさっさと刑事部屋に戻って行ってしまった。

「危なっかしいお姫様だねぇ」

 久紀はスマホを上着のポケットから取り出し、通話ボタンを押した。

   


だから、鸞ちゃんお転婆なのよ……

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