13.真情
苦しいのは、鸞? それとも……
銃を持った背の高い男が、レイモンド・タンが捨てた美女を抱きかかえてカンテックホテルから姿を消した。
南昌当局にもたらされたのは、そんないい加減な情報であった。レイモンドの行方についても追求する動きは特段見られなかった。領事館からの情報提供の要請にもどこ吹く風とばかり、それどころか日本からの警護チームを早く帰したいとばかりに、上海を経由せずに南昌から直線帰国させる提案をするばかりで、暖簾に腕押しの状態であった。
孔明は鸞を抱きかかえて久紀の運転する車で八陽湖の畔にある小さなホテルに身を隠した。
久紀がダブルベッドの部屋を調達し、湖に面したバルコニーから鸞を抱いた孔明を引き入れた。
ベッドに横たえた時、鸞は右肩を脱臼していた。久紀に体を押さえさせ、孔明が一撃で肩を元に戻した。枕を噛んで激痛に耐えた鸞だが、その体には他にもダメージがある筈であった。
「着替えを調達してくるまで、ここで少し休んでいろ。絶対に動くな」
レイモンド側がどんな接触をしてくるかわからない、当局がどんな暴挙に出るかもわからない。まずは鸞を警官の姿に戻し、動ける状態に戻す必要があった。
日本のプチホテルのような設備はなく、ただ、がらんとした殺風景な部屋から湖を眺めることができるだけの空間で、久紀を見送った孔明は中々お湯が出てこないシャワーを出しながら、鸞のドレスを脱がせた。
「立つのは辛いか?」
まともに立てない程にダメージを受けている鸞の為に、結局孔明も服を脱ぎ、抱きかかえるようにしてシャワー室に入った。鸞は、ほんの一刻とて孔明から離れることができない。今も、孔明の胸に顔を埋めたままである。
少し、ぬるくなったシャワーを背中にかけてやり、孔明は優しく鸞の体を洗った。鸞が日本を発つ前夜に自分がつけた赤い印は、薄くはなっているものの、まだその白い肌に刻まれている。身体中に痛々しく刻まれた拳の跡以外、体の接触を感じさせる痕跡は見つからなかった。
「抱かれてはいないよ」
シャワーの水音に消されてしまいそうな小声で、鸞が呟いた。
「この印がお守りになって、僕を救ってくれた」
内股の赤痣を、鸞が愛おしそうに撫でた。
自分が何を気にしているのかを、傷ついた鸞に言い当てられたことが恥ずかしく、孔明は抱きしめたまま何も答えられなかった。
「薬打たれて、寝てる間にやられたと思って……あの湖に身でも投げて死のうと思った」
「鸞……」
「でもレイモンドは、僕を抱かなかった。人の手垢がついた男に興味は無いって。スカした奴でしょ。でも、嘘ではないよ」
自嘲気味に、鸞がククッと喉を鳴らして笑った。
「んん、嘘だと思うよね。あんなドレス着せられて、ディナーとか言ってるんだもん……兄上、本当は怒ってるんでしょ」
怒る?いや、怒るとしたら自分に対してだと、孔明は鸞を抱いたまま、シャワー室の壁に背中を滑らせるようにして崩れ落ちた。
「違う……私は」
鸞の重みを確かに腕に感じながら、孔明は改めて弟の全身を抱きしめた。
「お前を……喪うのが怖かった、とてつもなく恐ろしかった……やはり私は、矮小で狭量だ……お前を守れもしなかったくせに、無事なお前を見た途端、レイモンドに触れられたのかと狼狽えた……無様だ、無様だ……お前の事となると、私は到底まともではいられない」
「兄上……泣かないで」
顔を手で覆い隠して嗚咽を漏らす孔明を、鸞が濡れた両腕でしっかりと抱きしめた。自分の身体をすっぽりと包んでしまう程の見事な孔明の体躯が、子供のように小さくなった。
「ねぇ、自惚れていい? 僕は兄上に世界一愛されているって」
「本当は呆れているのではないか、お前を守れぬ情けない私を……」
「そんなことない。兄上はいつも僕を守って、助けて、愛してくれるの。そう決まっているの」
「鸞……キスをくれ」
シャワーが孔明の涙を隠す。濡れたその顔に、鸞は全身全霊のキスを捧げた。
帰ろう……




