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第三六話 現金一括払い


 ヤクトとヘルメスの間で3億か1億かの応酬が続き、ヤクトが1ムーアも負けない――負けることを知らない子供だったせいで交渉は決裂した。


「ヤクトの坊や! あんたホントにいつか痛い目見るからね! よく覚えときなぁ!」

「いいぞ。覚えた」

「そういう意味じゃないよ!」


 実際のところ、ヤクトの金鉱石に3億ムーアの価値は無い。鑑定人が言っていたとおり1億ムーア相当の品だった。


 がめついヘルメスが適正価格で買おうとしたにも関わらず、ヤクトは毛ほども気にしない。


「お前はなんか嫌だ」

「もうそれでいいよ。そこまで嫌われちゃ買う気も失せるってもんさ」


 野生の勘だけで1億ムーアの即金を蹴ったヤクトだったが、アイゼは何も言わずにポケットマネーの入った通貨魔堰の残高を確認している。


 鑑定料を出してあげることに決めたらしい。


 ヤクトの出生は僕も知らない。あの男は何も言わなかったので、とりあえず満10歳としておこう。

 

 初めは父親かと思ったが、漆黒の髪色だけでそう判断するにはあの男は人から外れ過ぎていた。


「ひぃ、ふぅ、みぃ……6,800,000ムーアか。10歳の鑑定料が……えっと……600万? ほぼ消えるじゃないか……学園での付き合いが……えぇい、構うもんか! いざとなったら狩猟で0ムーア生活だ。樹海の中で2人きり……あぁ……絶対ヤバいってダメこんな所で獣に見られちゃう〜」


 米を貢ぎ、金を貢ぎ、立場を足蹴に身体を使ってヤクトのビビッとを目指すアイゼの侠気に惚れた。


 僕は全力で彼女を応援しよう。何もできないけども。



**********

 


「さて、男爵様。お遊びはここまでにして本題に入ろうか」


 ヘルメスは雰囲気をガラリと変えて、卓上のペンを取った。


 本題は価格交渉ではなかったのかと、男爵を始め皆が怪訝な顔をしている。


「本来なら最初に飲んでもらう条件だったんだがね。ヤクトの坊やのおかげでペースが狂っちまったよ」


『2.14』

『0.88』


 メモ用紙に2つの数字を書いて男爵に差し出すと、ヘルメスは両手を組んで口元を隠す姿勢を取った。


 両膝に肘を突き、軽く曲がった腰が老獪な彼女をさらに老け込ませ、重厚な気配が応接室に満ちる。

 

「うっ……」

「な、何……これ……」


 鑑定人や給仕のメイドが足をフラつかせ、ハリッシュとアユーの顔から脂汗が噴き出した。


 アユーが膝を突きかけた。その時――、


 パァンッ――!


 室内に木霊した柏手(かしわで)の音色が場に満ちる気配を掻き消した。


「ふはぁ――っ!」

「ふぅ――――っ。……何事であるか?」


 応接室にいた者の多くが脂汗を拭い、荒く深呼吸を繰り返す。ハリッシュは呼吸法を駆使して耐えてみせた。

 

「ヘルメス殿……何のつもりだ」


 アイゼにはこの現象が何かわかっているようだ。


「すまないね。昔からの癖みたいなもんだから許しとくれ」


 魔力容量の大きい人間は魔法を行使せずとも異様な力を発揮する。


 俗に『覇気』や『殺気』と呼ばれるものだ。


 心身の弱い者や魔力容量の小さい者はソレに当てられただけで調子を崩し、嘔吐したり、失禁したり、気絶したり、時には死ぬこともある力だが、僕を通じて覇気を知っているヤクトには通用しない。

 

「弱いくせに変な気を起こすな。殺しちゃったらどうする」

「……本当に変わった子だよ」


 魔法のキャンセルと同じように、ヤクトは放たれた覇気を手を打ち鳴らすだけで散らしてしまうのだ。


 勘違いした個が全を呑もうとするなんて烏滸がましいにも程がある――とか言っていたが、僕にはどういう意味かわからなかった。


 咳払いを1つ入れて全員に頭を下げたヘルメスだが、これだけは自分でも抑えが利かないと言って男爵に平民たちの退室を求めた。


「金を払うって段になるといつもこうさ。血が抜けるような気分になっちまって……悪い癖がどうしても治らなくてね」

「ならば何も言うまい。1億で手を打とう」

「ヒヒッ……しっかりした男爵様だ。こりゃあ意地でも抑えなきゃねぇ」


 未だ鑑定前のハリッシュとアユーも退出を薦められたが、頑として出て行こうとしない。静かに深く呼吸法を実践しつつ気合を入れた。


「気を取り直してもらったところで、さっきの続きだ。この数字が何かわかるかい?」

「前者は最新の為替である。後者は知らんな」

「どっちもそうさ。2.14はドラン/ムーア。0.88はエン/ムーア」


 ヘルメスの提示する条件はエン硬貨による現金一括払いで決済する事だった。


「今はドランが安すぎてあたしとしちゃあ都合が悪いんだよ。ドラントでエンを手に入れたら、あんたらはニホン国大使館でエンをドランに替えるだろう?」

「そうするであろうな。貴殿にとってどう都合が良いのかわからぬが」

「ドランなんてドラント国内でしか役に立たないんだ。そのくせ外に出ていくもんだから安くなる一方じゃないか。商人組合でも問題視してるよ」

 

 ヘルメスは暫く西南五島に腰を据えて、引き続き鉱石を買い集めるつもりだと言う。


 自前の船を使って大陸まで運ぶためそれだけでも儲かるのだが、どうせならドラン安に歯止めをかける一石となれば尚のこと良い。


「鑑定の儀が近いからね。鑑定料の支払いはドランに限定されてるし、為替はそれなりに反発するはずさ」


 鑑定の儀までの短期間のうちにドラント国内で外貨をばら撒くことで、各国の大使館に保管されているドラン硬貨が吐き出されることになる。


 その結果、他国のドラン保有量が低下してドランは下げ止まり、上昇に転ずると読んでいるらしい。


「自分で両替しに行けばいいじゃないか」

「バカだね姫様。平民が大使館由来のドランを使って鑑定料を支払い、王家に還元することが大事なんだよ。自分で両替したら手数料がもったいないだけじゃないか」

「我が国の民草を利用するのか」

「勘弁しとくれ。あたしにゃ王家から買いたいもんなんざ無いってだけだよ。鑑定の他に売るモノがあるなら買ってやるさ」


 ヘルメスが相当な資産家であることは間違いなく、その気になれば帝国貴族にだって舞い戻れる実力がありそうだ。


「無いようだね」

「有っても貴殿には売らん!」


 いくら性に合っているとは言っても、そのような人物が一商人として星の裏側までやってきて、自ら鉱石の買付けに奔走するだろうか。


 アイゼが気になる点は、大物なのに単身で動くヘルメスと、その背後にいるであろう王家の人間の思惑だった。


「はぁ。無礼な物言いは置いておくとして……ドランが値上がりして貴殿に何の得がある?」

「ヒッヒッヒッ……もう相当量のドランを確保してるに決まってるだろう?」

「ん? それはどういう意味……――あっ! そういう腹か! この銭ゲバめ!」

「イ〜ヒヒヒッ! 最高の褒め言葉だねぇ!」


 一時的に反発したドランが高止まったら、帝国の取引所で一挙に売り抜け、その差額分でがっぽり儲ける。


 安定した通貨だったらこうも簡単に事は運ばないと、ヘルメスは最後までドラント王家を小馬鹿にしていた。


「吐け。誰が貴様を手引きした?」

「そりゃ言えないね。この島に来るためにかなり袖の下を流したんだ」

「複数の王族が関わっているのか?」

「対ブラフマ政策に抜け道を作るんだよ? それを単独でやれるほどの大人物が今の王家にいるかい? だから賄賂が嵩むんじゃないか……あ〜、嫌だ嫌だ」


 要するに、ヘルメスは多数の王族に賄賂を握らせて細かく必要な便宜を引き出し、自らの手腕で上手く利用してみせただけ。


 ドラント王家に大した思惑など無いと、そう言われているような気がしたアイゼは悔しげに唇を噛んだ。



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