黒いラセツの正体
今日が体操着を持って帰る日でよかった。こんな血まみれの格好じゃ電車に乗れず、家まで歩いて帰る必要があった。
優は今着ている制服から体操着に着替えようとするとあることに気が付く。
あれ?刺された箇所に穴がない。
それにあんなに血が出ていたのに血がついている個所が残っているのはわずかだ。
・・・一体どういうことだ?
「今は考えるよりさっさとここから離れたほうがいいと思うわよ。他のラセツに遭遇する可能性だってあるわけだし」
鞄に入ったと思ったら、頭だけ出して様子を見ていたのか。
「・・・わかった。けど質問には答えてもらうからな」
「はいはい、わかりましたよー」
紅葉というラセツは軽く了承の返事をしながら再び鞄の中に入っていった。
まったく、よく分からない奴だ。
優は翔馬を殴った時に着いたであろう返り血を浴びたワイシャツだけ着替え、帰宅する。
帰る途中で血の匂いがしたと思ったが自分自身も先ほどまで血まみれであったことから気のせいだと思い、暗い路地裏を抜け、そのまま帰宅した。
帰宅すると鍵を閉めすぐさま閉め、鞄を開ける。
「おい、着いたぞ」
「へーここが優の家ってわけね」
家の中に入るやすぐに鞄から出て、黒い翼を羽ばたかせ、家の周りを見渡す。
紅葉というラセツのテンションはやけに高い。
・・・なんで呼び捨てなんだ。
というよりなんで俺の名前を知っている。
「随分きれいにされているわね」
「・・リビングは誰も使わないからな」
「使わないって、流石に両親は使うでしょ」
紅葉は優に純粋な疑問をぶつける。
「母はいない、俺が生まれて間もなく死んだらしい。俺との関係が良くない父親は家に帰ってくるほうが珍しい」
父親のことは口にするだけで気分が悪くなる。
「ふーん、なるほどね。だからテレビが古かったり、随分前のカレンダーが壁に掛かっているわけね」
紅葉は悪びれることなく観察を続ける。
「もういいだろさっさと部屋に行くぞ」
あまり見られたくない場所であり、紅葉を部屋行くように促すと、紅葉は「はーい」と返事をし、優の後を追う。
部屋に入るとまた紅葉の観察が始まった。
「部屋に何もないのね」
部屋にあるのはベッド、子供の勉強机とその上にある勉強道具と教科書に床に置いてある小さい折り畳みのテーブル。
加えて、投げ捨てるようにある子供サイズの剣道道具一式だけ。
紅葉が色々とベッドの下などを見ていたが当然何もない。
「でも少女漫画とか、美顔ローラーとかあるのは意外かも、一応、女心を学んでいるってわけね」
「違う、それらは友達のだ。勝手に持ってきたは部屋に置いている」
これらは全部日和のだ。
勝手に持ってきては、持って帰るのが面倒くさいと持ち帰らない。
「女友達とかいたんだ以外」
「そんなことはどうでもいい、早く説明しろ」
優は自分のベッドに腰を下ろし、話を聞く態勢になる。
しかし、今度はクローゼットの中を見始める。
「ふーん、種類は少ないけど割とちゃんとした服はあるのね」
優はあきれながらも紅葉の様子を観察する。
部屋の物に何かされるのが嫌なので見張っていることもあるが、不可解な行動をしていないか見ている。
しかし、特別何かをしているわけではなく、普通に部屋内を物色しているだけだった。
「あんまり服とか気にしないタイプだと思ってたけどそうでもないのねー」
「興味はない。友達に勧められているのを買っているだけだ」
実際、日和や涼真が勝手に服をコーディネートして、それを買っているだけに過ぎない。
「ふーん。その友達センスいいわね。このシャツもなかなかいいじゃない」
笑顔で部屋内を見たり、いちいち物に反応したり、ラセツのくせになんでこんなに人間臭いんだ。
程なくして部屋の物色が済んだのか紅葉は黒い翼を消し、優の肩に座り話し始めた。
「二回目の自己紹介なるけど、私の名前は水瀬紅葉。よろしくね」
「ちょっと待て、その前に言いたいことがある。」
「なによ」
「なんで俺の肩に座って話をしようとしてるんだ」
よくわからないやつに自分のパーソナルエリアを侵害され、さも当然のように話されると嫌な気分になる。
「なんでって、ずっと飛んでいたら疲れるじゃない」
「だからって俺の肩じゃなくてもいいだろ」
「こんな小さな体じゃ声を張るのも疲れるの、だから耳の近くに行って話すわけ」
気が利かないわねと強め口調で言われたがこれは俺が悪いのか?
「せめて俺の手のひらに座ってくれ、顔が見えずに話すのは苦手だ」
顔を見ながらの会話であれば嘘をつけば多少なり違和感があるはずだ。
わかったわよと紅葉は渋々了承し、俺の右の手のひらに座った。
俺はせめて声を張らずともいいように右手を顔に近づけると、その行動にくるしゅうないといった態度で満足げな表情をし、話を再開した。
「それで何が聞きたいの」
「このお前からもらった再生能力はどういうことなんだ」
一番聞きたいことは後にする。
嘘をつく必要のない事を聞き、嘘をついていない素振りを観察する。
その後の質問に対し、同じ素振りをしていなかったら疑うことが出来ると考えたからだ。
「素質のある人間がラセツを自分の体に封じ込めることでそのラセツの能力を使えることは知っているわよね?」
優は静かに頷く。
実際そういう超能力的なことができる人間がいることは知っていたが、自分の身にそれが起きると頭がおかしくなりそうだった。
「私の力は再生能力。私が優に力を貸しているから優はどんな傷でもすぐに塞がるの。実際そうだったでしょ。ちなみに服とかの衣類も再生できる優れものよ」
「だから、俺の服も元に戻っていたのか」
「そういうこと。あとは自分から出た血や、切り離された腕といった部分も再生したら消えていくわ」
あの大量の血や内臓がなくなっていたのはそういうことか
「じゃあ次の質問だ。お前の目的はなんだ」
一番はこの質問だろう。
ラセツである紅葉という名のこいつは何の目的で俺を助けたんだ。
単なる人助けではないのは間違いない。
本当のことを言っている時の姿は見た。
もし何か違和感があったら疑ってかかるべきだ。
その質問を聞くと、紅葉の表情は真剣なものに変わる。
「私の目的はただ一つ。人間に戻る事」
「・・・は?」
優は予想をしていなかった言葉が発せられ、驚く。
「ちょっと待ってくれ、それじゃあお前が元々は人間だって言いたいのか?」
「その通りよ」
人間からラセツになっただと。そんなことがありえるのか?
・・・だが妙な納得感はある。ラセツのくせに喋れるし、名前はあるしで所々で人間臭さはあった。
「簡単に言うと私は元々人間だった。けど一年前、ある人物にこんな体にされ、元の体に戻るために、あなたに協力をお願いした」
・・・とうてい信じられる話ではないな
そんな優の困惑する様子を察してか紅葉は話を続ける。
「一から説明すると私をラセツにした人物Xとしましょう。私が人間に戻るには現状このXに人間に戻させる方法しかない。だけどこの体じゃ人から話を聞くことが難しい。だからあなたを使ってXの情報を収集することにしたの」
こいつの話が本当だとすると確かにこの姿じゃ人に話しかけることは難しいだろう。
人間に話しかけようものならすぐさま通報される。
だけどなんでただの高校生の俺に協力なんて求める。
「お前はなんで俺に協力を求めた。俺はただの高校生だぞ。ラセツの研究機関などに事情を説明して直す方法とかは見つけられないのか」
ラセツに関して専門的な知識を持っている専門家に力を借りたほうがいい。
もしかしたら人間に戻る方法が見つかるかもしれない。
わざわざどこの誰かを探すよりも時間はかからない。
「お前じゃない、紅葉だって。」
紅葉は名前で呼ばないことを不服そうにし、顔を膨らましている。
「別にいいだろ呼び方なんて」
「ダメ。私達はもう協力関係なんだよ。だから私も優って呼ぶね」
凄い勢いで距離を詰めてくる奴だな。
だけどここは無駄に抵抗し、話を脱線させ続けるのは良くない。
けど、いきなり下の名前で呼ぶのは抵抗がある。ここは名字で行こう。
「水瀬は、」
「違う、紅葉」
くっ、なかなかハードルの高いことを要求してくるな。
優は一度でき払いし、恥ずかしがりながら名前を呼ぶ。
「も、紅葉はなんで俺に協力を求めたんだ」
くそっ。めちゃくちゃ恥ずかしい。
優の顔には熱がこもり、顔が赤くなる。
そんな優の恥ずかしさをよそに、紅葉は名前で呼ばれたことに満足した様子で大きく頷く。
「まず、後者の質問はXに直接忠告されたから。私みたいに人間とラセツが融合しているのは珍しく、色々実験をされるし、私の能力の場合、生かすことは難しくないから」
随分と親切な犯人だな。いったい何が目的なのだろうか。
「なるほど、だからARSFといった組織に協力をすることができなかったわけか」
「そう、実際に殺されそうになったしね」
こいつも色々と大変な目に会っているんだな。
「話を戻すと、この体でXを探すことは難しい。また、Xが素直に私を人間に戻すことは考えられない。だからあなたの手を借りて情報を聞いて回り、見つけ出して無理やりにでも人間に戻してもらおうと考えたの」
「つまり、情報を得ること以外に争いごとに長けている人が必要で俺を選んだということか」
「そういうこと。元々この地域に来てから優の噂は聞いていたし、実際この目で見てその噂を確信した。だから優に協力してもらうことにしたの」
なるほど。だからここまで俺のことを知っているのか。
「大体分かった。とりあえずお前の・・紅葉の話を信じることにする」
こんなに人間臭いラセツがいるとは思えないし、真似することもできないだろう。
それにここまで話してみて嘘をついているようには見えない。
紅葉の振舞から見てもこれが演技だったなら相当な名女優だ。
「はぁ、信じてもらえてよかったー」
紅葉は優の手の上で嬉しそうに胸をなでおろす。
「もう一つ質問なんだが、もし俺が協力を断ったらどうなる」
「残念だけど、そうなるとあなたは死んじゃう」
紅葉は躊躇することなくはっきりと言葉にした。
衝撃的な事実だがこれも何となくだがそんな気はしていた。
一方的に力を借りることなんて都合がよすぎる。
「というと?」
「私が優に力を貸す代わりに、優も私に力を貸すことで契約が成立した。もし優が契約を履行しない場合、心臓が潰れて死亡する。実際、前に契約を破った人はそうやって死んだわ」
前にも協力者がいたのか。
その前の協力者は裏切って死んでしまったのか。
なんとも怖い話だ。
「・・・どうやら逃げられないみたいだな」
「そういうこと。だからお互い仲良く協力し合いましょ」
紅葉は後ろで手を組みながら前かがみになり、笑顔で言い放つ。
なんとも可愛らしい仕草をするものだ。
「私この体にされてからまともに会話なんてできなかった。けどやっぱりこうして人と喋るって楽しいね」
だからやけにテンションが高かったのか。
いくら怪しい奴だからといってこんな姿にされ、人に頼ることが出来ずに一人で生活しているとなると同情してしまう。
「じゃあ私からも質問いいかしら」
「いいけど何か聞くことなんてあるのか」
特別俺自身に何か隠し事がるわけでもない。
紅葉が聞きたいことなんてあるのだろうか。
「あんなことがあったのに随分平気そうにしているけど理由とかあるの」
「俺だって平気じゃない。体を何度も抉り取られるわ、訳の分からないやつに助けられたりして混乱している。けど、無事に帰って来れたことの安堵のほうが大きいだけだよ」
「なるほど、安堵感のほうが強いのね。じゃあ相手はラセツだけど生きてる生物を殺したのになんでそんなに平気なの」
その紅葉の質問にドキリとしたが、少し考えると、別に大したことはないと思った。
・・・そうか俺は初めて昆虫以外の動物を殺したのか。
だけど、猫や犬といった動物を殺したわけじゃない。
殺したのは人しか襲わない化け物だ。
「いやな気分にさせちゃった?」
優が考え込んでいると紅葉から心配そうに聞かれる。
「いや、大丈夫。そうだな、答えるなら相手が人や動物じゃなくラセツだからだと思う。人や動物を相手に暴力を振るったら俺だって罪悪感のほうが強い。けど、相手はラセツだ。別に罪悪感はなかったよ」
素直に返答した。元は人間だとしても今はラセツである紅葉にしたら良い答えではなかったかもしれない。
けれど、本当にそう感じたのだから仕方がない。
「そっちこそ気分悪くしたか」
「ううん、大丈夫。素直に答えてくれてよかったよ。これでこそ協力関係だね」
紅葉からは気にした様子は見れず、笑顔でそう答えた。
「今日はもう遅いし、疲れた。また明日の夜にこの部屋でもいいかしら」
「わかった。俺も一度頭を整理させたい」
解散の流れになり、部屋の窓を開け、紅葉が出ようとする時、優が紅葉に話しかける。
「最後に一つ質問させてくれ」
「なに?」
「もし、俺に力がなかったら助けてくれたのか?」
「それは・・・・」
初めて紅葉が言葉を詰まらせる。
「いや、言わなくていい」
その一瞬の沈黙だけで何となく答えが分かった。
そしてそれを言うことが難しいことも。
だから別に返事をする必要ないと考え、紅葉が言葉にする前に言わなくていいことを伝えた。
しかし、紅葉はそんな気遣いを無視し、返事をする。
「ごめんなさい。優に力がなかったら助けてなかった。力がない人に協力を求めても失敗する可能性が高いし、単なる人助けで助けても私のことを言いふらされるかもしれなかったから」
紅葉は申し訳なさそうにしながらも優の目をまっすぐ見て言い放った。
嘘はついていなさそうだ。
むしろその回答には納得できる。
仮に助けていたといわれたら逆に疑っていただろう。
「そうか、わかった。だけど引け目を感じることはない。今日は助けてくれてありがとう」
「どういたしましてとこちらこそありがとう。この借りは私を人間に戻しことで返してもらうから」
紅葉は笑顔のまま優の部屋から出ていった。
まったくとんでもないことに巻き込まれてしまった。
俺自身の行動に問題がなかったわけではないがそれでも、俺が改善しようとしている暴力行為はこの先必要になってくるのか。
けれど全てを悲観的に考える必要はない。Xが素直に紅葉を人間に戻せばいいだけの話だ。
そしたら、暴力なんて振るわずに済む。
そう、暴力ではなく、対話で問題を解決すればいい。
人間は獣と違い会話を通して意思を共有することが出来る。
もし、話し合いで解決しなかった場合は・・・
今はとりあえずシャワーでも浴びるか。
優は部屋から出て、シャワーを浴び、部屋に戻ると夕飯は食べずにすぐに眠りについた。