第5話 初めてのソロ
次の日から花梨はRRの軽自動車に乗り始めた。スマホを見てドライブ計画を立てる。山岳地帯の麓に当たるこの小さい町では、道路もややこしい。花梨が住んでいる松本市は城下町であるものの平野部にあるため、少々間違っても右折左折を繰り返すと目的地に近づけるが、この付近は道一本間違えると全然違う方向に行ってしまう。
花梨は目的地をペンションの多いリゾート地区とした。真ん中に国道が走っているのだが、国道に出るまでは山裾を縫うように走る県道を行くことになる。カーブの連続で、かつ峠も越えねばならない。しかし基本は2車線なので、車線と交通量の多い都市部の道路に較べ、気を遣う点はマシなのかも知れない。花梨はスマホの地図アプリをナビモードにして目的地をリゾート地区のカフェに設定した。以前から行ってみたかった店であり気分は高揚する。距離は30キロ前後。1時間で到着できるだろう。
よし、準備完了。花梨はキッチンにいる母の沢子に声を掛ける。
「お母さん。行って来る」
「あー、気をつけてね。ホントに大丈夫かなぁ」
「大丈夫、多分。ガソリンは昨日入れてくれたし、道も何となく判る」
「そう? スマホ見ながら運転したら捕まるからね」
「うん」
花梨はキーを持って外に出た。何やら屋外で作業していた星六が腰を上げる。沢子が自分の車に貼ってあった初心者マークを持ってくる。花梨は車の前後にそれを貼って運転席に座った。昨日祖父に教えられたように、エンジンをかけ、シフトを1速に入れハンドブレーキを戻す。アクセルをじわっと踏むと、軽自動車はくくっと進み出した。沢子が手を振り、その向こうでは星六がよろよろ進み出す軽自動車を見つめている。
「行くよ、ウリボー」
花梨は小声で軽自動車に声を掛けた。そう、花梨はRRの軽自動車を勝手に『ウリボー』と名付けていた。色や模様は全然違うけど、全体のフォルムが『ちっこいくせに突撃してゆきそう』に見えたからだ。
ウィンカーを出し敷地を出ると細い道を進む。2車線の道に乗り入れて花梨は時速を30キロに上げた。
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「沢子、花梨はどこへ行くんだ?」
星六が近づいて来て娘に声を掛ける。
「えーっと、清里のカフェよ、『さとかぜ』ってお店。若い子に人気なのよ」
「さとかぜ…」
「ほら、国道沿いのおっきいほうとう屋さんの隣よ。ログハウスみたいな」
「あー、あれか」
「お父さん知ってるんだ」
「うん、ほうとうが一杯で入れんかった時に時間待ちで入ったことがある」
「えー、浮いたでしょ」
それには答えず星六は納屋の横に置いてある軽トラの方を向いた。
「ちょっと様子見して来る」
「え?」
「花梨、JAFとか入っとらんだろ」
「心配なんだー」
「責任だよ。車の貸主の」
ぶすっと言い残し星六は軽トラに乗り込むと、すぐに出て行った。その姿を見送って沢子も呟いた。
「照れちゃって。でもお願いしますよ、おじいさま」
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ウリボーは時速40キロで県道を驀進していた。後ろに車をずらりと従えている。山間の県道は当然追い越し禁止。初心者マークを貼った年代物の軽自動車を強引に追い越す車はいない。県道は何度かのクネクネカーブを経て、峠にかかっていた。ウリボーの速度は次第に落ちて来る。花梨は前日に祖父がやっていた通り、ギアを2速に落とし、アクセルをベタ踏みした。リアの床下から4サイクル2気筒EK-23型エンジンの咆哮が聞こえる。
頑張れウリボー、花梨はハンドルを握りしめる。あ、そうだ、おじいちゃんクーラー切ってた。花梨は窓を開けてクーラーのスイッチをオフにした。ウリボーは心持ちパワーを回復する。
ようやく峠を越え、時速50キロでウリボーは坂道を下る。県道から国道に左折し、文字通り手に汗を握って『カフェさとかぜ』に到着、花梨は白くて大きなSUVの隣に、やっこらやっこらウリボーを停めた。
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お昼前に着いたので店内は比較的すいていて、花梨は一人ランチを満喫できた。
『美味しかったぁ。SNSの通りだ。ここの高原野菜ペペロンチーノは絶品だわ。牛さんアートのカフェラテだって絵も可愛いし、めっちゃ美味しかったし。やっぱりミルクが新鮮なのかな。居眠り運転しないように気をつけないと…、ってそれはないか。ウリボーお待たせー』
と花梨がウリボーに近づこうとすると、そのウリボーの周りから声が聞こえる。あ、あれは店内でも賑やかだった観光客らしい女の子たち。会話内容からして東京の女子大生グループだ。咄嗟に花梨は足を止め、近くのミニバンの陰に隠れた。