海
一日一章投稿しています。
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偽りの神々シリーズ
「自己肯定感を得るために、呪術を勉強し始めました。」記憶の舞姫
「破れた夢の先は、三角関係から始めます。」星廻りの夢
「封じられた魂」前・「契約の代償」後
「炎上舞台」
シリーズの4作目になります。
※
軽装に身をつつんだリンフィーナは、どちらかというと少女というよりは少年のように見えた。未だ発育不足の細くて長い四肢には、胸の開いたドレスより、むしろ軽装の方が似合っていたくらいだが、本人にはそれがコンプレックスである。自らが軽装を望んだとはいえ、こう似合ってしまうと不本意だと、リンフィーナは内心恋人には見せられない姿だと思った。
ラーディオヌの総帥、自分の元婚約者であるアセスのことを思うと、癒えない傷に鈍痛を覚えたが、何時までも嘆いていては同行者に心配をかけると、リンフィーナは表面には出さないようにしていた。
一つ目滞在した街を離れ、街道を進んで行くと黄的という、活気のある街についた。この街に着いて、リンフィーナが感じた違和感は、街の匂いだった。
「ラディ、どうしてここはこんなにおかしな匂いがするの?」
風に乗って漂ってくる何ともいえない匂いは、潮の匂いというものだとラディが教えてくれた。
「しお?」
「ここは漁師街ですから、もうすぐ見えてきますよ。匂いの元が」
きょろきょろと珍しいものが目に入るたびに落ち着かない視線を送っていたリンフィーナだが、坂道の頂上付近に来たところで、町全体の景観の向こうに、大きく広がる青いものを見て、感嘆の声をあげた。
「……すごい、すごいわラディ!」
物語や話では聞いたことがあったものが、目の前に広がっているのは、リンフィーナにとって信じられない驚きだった。
「ああ、……」
お兄様、と言をつむぎそうになって、彼女は言葉を発するのをやめた。代わりに、心の中で叫んでみる。
お兄様、すごいわ。
兄様に聞いてきた海! 私、本当に海に来たのよ。
感動することがあると一番に自分の兄に伝えるのが習慣になってしまっているリンフィーナは、側に居ない兄に心の中で話しかけた。
人というのは不思議なもので、二度と会えないと思えば塞ぎ込んで立ち上がることも出来ないのに、また会えるのだと信じることで生きていける。更に、これはあまりいい思考回路ではないのかもしれないが、あたかもそこに居ることを想像して、相手を側に感じると、心の中は随分と穏やかになっていく。
前に進むためになら、なんだって構わなかった。もうずっと前から政務に忙しい兄を思い出して、側に居るように話しかけてきたのだから、おかしな習慣の常習だった。
お兄さまが昔、船乗りになりたかったなんておっしゃっていたのを思い出したけれど、あの時は海ってものが想像できなかった。
でも本当に、「海って大きいのね」。リンフィーナは瞳を輝かせた。
「こんなに大きいのだから、さぞかし大きなお魚がいるんでしょうね」
子供のような感想に、ラディは笑った。
同時に、こんなに世間知らずという鳥かごの中で育ってきたリンフィーナが、この先やっていけるのか。自分が護っていかなければならない、という思いが膨らんでくる。
「姫様、この町には私の弟が住んでいるんです。ですのでどうか、旅の疲れをゆっくり癒して、たっぷり大きな魚をお食べくださいな」
ラディが優しい目を向けて笑うので、リンフィーナはことさら嬉しそうにうなづいてみせた。
考えてみればラディの故郷のことなど、自分は聞いたことがなかった。もともと、彼女の養育係は二人いて、双見と呼称され、貴族の子供の付き人として存在するだけだった。もう一人いるはずの双見は、リンフィーナをかばって命を落とし、ラディもまた、今リンフィーナを護るために神殿を裏切ることになってしまっている。
一族を出た貴族など、貴族ではないのだ。だからラディの職は、本来解かれているも同然だった。こうして自分と居てくれていること自体が、彼女の好意に他ならない。
けれどここで、殊勝なことを言って詫びたりはしないと、リンフィーナは決めていた。自分という厄介者のせいで迷惑をかけてすまない、と誤ることは、何の意味もないことだった。卑屈になるよりも、前を見なければと、本来の前向きさで笑顔をつくる。
「ありがとう、ラディ」
「炎上舞台8」:2020年10月20日