黄泉の国から
偽りの神々シリーズ
「自己肯定感を得るために、呪術を勉強し始めました。」記憶の舞姫
「破れた夢の先は、三角関係から始めます。」星廻りの夢
「封じられた魂」前・「契約の代償」後
4作目、「炎上舞台」突入しました。
「炎上舞台」は前作からストーリーが続いています。
やっと本筋のストーリーが動き出しました。
一日一章投稿していきます。
応援よろしくお願いします。
※
同じ頃、煉獄の門をくぐりながら、同じく生きることを誓う者がいた。
ラーディア一族の次期総帥、イドゥス大陸で戦死したと言われた、サナレス・アルス・ラーディアである。
一度は黄泉へ足を運ばせたものの、その途中妹そっくりの魔女と出会い、彼は覚醒した。
しかしもう一度生きるという選択肢を選んだ彼の目の中に入る景色は一面の炎だった。赤く黒い土地。そして天に上る煙。ここを見て、地獄というところはこういうところかと思わずにはいられない。それほど彼の魂がさまよっている場所は、現実とはかけ離れていた。
ここには時というものが存在しなかった。そして今まであったはずのしがらみというものも、何もなかった。広大すぎる火を噴く大地に、幾千万人ものうめき声。魂が炎に焼かれて、風に乗って悲鳴が聞こえる。
自分の身体も実体があるのか、サナレスには定かではなかった。いや、定かではないという意識を保っていた。実際は、大地に焼かれる、他者の真っ黒い亡霊のような姿が無数に見えるが、自分の肉体も煉獄の門をくぐり抜けたその時から、炎で炙られていることを知っている。
見てはいけないのだと思った。
身体が燃えて、ぷすぷすと炙られ、小指の一本が飛んでしまったこと。絹の糸のような金糸の髪が燃え尽き、長い睫すらも焼け、火ぶくれで瞼が垂れ下がり、見えにくくなった視界をやっと保っていることなど、意識してはいけないのだと悟っていた。
いったんその焼かれる恐怖に取り付かれたら、もうこの世界から逃れられないことを、屈強な精神の彼はわかっていた。
だがしかし、何処へ向かえば、この地を去ることができるのか。
徐々に不安が広がりつつある。この肉体がすべて炭のような状態になって崩れ落ちても、ここを脱出する術があるというのだろうか。
銀色の少女が思い出された。
サナレスがここに来た経緯は、ひとえに一族と妹を守るためだった。
『銀の森の魔女を目覚めさせてこい』
そういった話を持ちかけられてから、どれくらいの時間が経ったのかわからなかった。
大切な妹とその恋人から離れ、イドゥス大陸で起こった戦乱の火種を消すために、サナレスはラーディア一族の王子として出陣した。そして戦いを最小限に収めるために、人の子の争いに加担した重視族の長に、単身話をつけに行ったのだ。
一人で出向くなど、死にに行くようなものだと臣下が制止するのもきかずに、重視族の長に会いに行ったのには、彼なりの算段があった。
イドゥス大陸で反映を誇る重視族、キコアイン一族の総帥は、サナレスの母親方の親族だった。だからというわけではないが、サナレス自身その総帥とは何度か面識があった。母によく似た温厚な性格と誠実さで、民の人望の厚い人物だったと記憶していた。
人の子の争いに加担するなど、到底するような人物ではなく、何かの気の迷いだと判じていた。
そう、そのはずだった。
ところが自ら訪ねて、目にした総帥は、かつての面影を微塵も残さない老人であった。うつろな眼光がサナレスを見据えるが、その奥に感情が見えない。底知れぬ闇が、老化のために濁った瞳にのぞくばかりで、サナレスを一瞥するなり、『銀の森の魔女を目覚めさせて来い』と言い放ったのだ。
様子がおかしいと思うのには数秒もかからなかった。老いを知らない一族の総帥が、瞬く間に年をとっているということは、一族の滅びの時が近いことを意味していた。
「世継の君は……?」
このようになるまでに、世代交代がなされなかったことが、不幸の始まりに思えた。だがサナレスが何を言っても、目の前にいる総帥は耳を貸す様子がなかった。何者かに操られているかのように、同じ言葉を繰り返すだけだ。
「銀の森の魔女なんて、実在する者ではありません。この戦を治めてください、テフロ様」
サナレスの訴えは空しく、総帥は玉座に座ったまま、微動だにしなかった。
最初感じた小さな違和感は神殿中に広がっていく。これほど異常な状態の総帥をそのままにしておくという事態は深刻だった。またここに案内された時に目にした神官の数があまりにも少ない。
しばらく来ない内に何かが起こったのだ。その何かが放置されるうちに、一族はここまで落ちてしまった。
踵を返して立ち去ろうとしたその瞬間、身体の自由が奪われた。神殿内の空間の一部に亀裂が入り、そのぐにゃりとゆがんだ所から、ターバンを巻いた若い男が困った顔で現れた。
「やはり飾り物では意思伝達も旨くいかないもんだ」
その男はさも不満そうな口ぶりで言うと、サナレスを見据えて揶揄するように笑った。
「何度もお伝えしているとおりなんですが、貴方には貴方の役どころというものがあるのですよ。早く眠り姫を目覚めさせていただきたいのですが」
「おまえは……」
人ではないモノのような気配がする男だった。
ぞくりと背筋が寒くなる。
その男の金色の瞳に宿るのは、好奇心のみだった。明らかに人というものからかけ離れた存在。
丁寧な口調とは裏腹に威圧感のある目つきがサナレスを捕らえる。危険を察知しつつも、何か術でもかけられたのか、身体が動かない。声を出すのがやっとの状態だ。
「私は貴方にここに来ていただくために、わざわざ人の子の諍いにまで参加して火蓋を切った」
「なんだと?」
目の前に居る人の形をした異形のものは、面白そうにサナレスを眺めてくる。
「やはり、私は貴方のことは気に食わない」
いけしゃあしゃあと言う。
「ではお前が、この総帥をたぶらかし、一族を支配している魔物なのだな?」
状況からして、彼は強大な力を持った魔道士なのだと思った。そしてこの魔道士が、わざわざ自分を呼び出すために、何の理由があって戦までしかけたというのか。状況把握が難しく、サナレスはただ目の前の相手を睨んだ。
「そもそも、私に対してそういう口を聞くところが気に食わない。というか口がきけるってことが嫌なんだよなぁ」
独り言のようにつぶやきながら、大きなため息をつき、そして魔道士は聞き捨てならないことを言った、「あの娘の兄貴面しているところも気に入らないし」と。
サナレスの中で、瞬時にしてパズルが組み合わさった。この者の目的は、一族でも人の子の国の争いでも、自分でもない。他でもない、ダイナ・グラムに残してきたリンフィーナなのだと。
「魔道士シヴァールか……」
強大な力を持つ道士など、世界にもそう何人もいない。まして外道に落ちた強力な魔道士など、そうそうお目にかかる存在ではなかった。
リンフィーナが狙われた経緯にかかわっていた魔道士の名を、サナレスは耳にしていた。まさかこれほど遠く離れた地にあって、影で糸をひいていたなんて、とぞっとする思いだ。
「リンフィーナには手出しはさせん」
身体の束縛を解こうと、サナレスは懸命に力を入れる。しかし僅かに筋肉が動くだけで、彼の首筋と眉間が筋張るばかりだ。口を開くのも、力を入れようとするのも、もはや根性以外の何者でもない状態で、サナレスは射殺さんばかりの視線を相手に向ける。
その様子を魔道士は冷めた眼で一瞥しながら、「私も貴方の妹を気に入っているだけなんですが」と言った。
「提案があります、お兄様」
貴様に兄などと言われたくないと睨みつけるサナレスに、魔道士はこう切り出した。
「私はあなたの妹をどうこうするつもりはなく、むしろその運命から彼女を救いたいと思っているのです。だから貴方に、銀の森の魔女、貴方の妹の半身を呼び起こしてきて欲しい。いかがですか、お兄様? 別に悪いことを頼んでいるわけではないでしょう?」
「半身だと!?」
「貴方も父ジウスから聞いたことくらいはあるでしょう。あの娘の出生を」
「ばかな……」
なぜお前がそのようなことを知っているのか、詰問したい気持ちを抑え、サナレスはうめく。
他でもないリンフィーナの出生に纏わることの事情を知っているこの男に、話を続かせたいという気持ちが芽生えた。
そんなサナレスの心中を見透かすかのように、「まあ私、だてに年を食っていませんからね」と魔道士が言った。
「いやしかし、ジウスもさほど貴方を信用してはいなかったと見える」
底知れぬ不気味さをその笑みにたたえ、魔道士はゆっくりとサナレスに近づいてきた。
最高の皮肉は、隠された真実を意味しているようだ。
「それとも、言えない理由でもあったのでしょうかね」
揶揄するような口調は意味ありげで、サナレスはここにきて、父ジウス‘からすべてを聞き出しておかなかったことを後悔した。
足音も無く傍らまで歩み寄ってきたとき、魔道士は右手を前に出し、サナレスの額にその指を触れさせた。サナレスはその場に崩れ落ちる。
「さあお兄様、銀の森の魔女を連れていらっしゃい」
ぞっとするような冷たさが身体の体温を奪ったかと思うと、サナレスは瞬時にして死を覚悟した。
「炎上舞台3」:2020年10月18日