第19話:何処ニ向フ命ト彼女
反射的に動かした手は、腰に二本ある鞘の短いほうへと自然に動いた。その刀は銘を織南美と言う。華奢であり美しい曲線を描く刃が姿を現し、闖入者の胴を狙った。
僕の動作よりももっと速く、荒増さんの大太刀も鞘を着けたまま足元を打つ。ほとんど同時に、粗忽さんの長十手が右の脇を。
だがそのどれもが、弾かれ、踏みつけられ、いなされた。どれも素手で。
いやそれはある程度仕方のないことだ。粗忽さんはともかく、声を聞いた時点で僕は気付いていた、その相手なら。突然の事態に身体が勝手に動いてしまって、止められなかった。
「どうしたんですか、四神さん。こんなところへ一人で」
四神八紘。荒増さんが籍を置く、三畏の総代だ。
「知己か」
「あ。はい、すみません。纏占隊の人です」
どいつもこいつも、と苦情を言いたいのだと思う。粗忽さんはやや慎重ながら、すぐに長十手を引いた。それでも小さく、舌打ちだけは忘れなかったが。
「やあ、君が新しい隊員さんかい? 初めまして、僕は四神と言うんだよ。君のお名前は?」
「え、えと。おら、反坂萌花だ」
「萌花ちゃんか! とても可愛らしい名前だ。よろしくね」
人好きのする満面の笑みを浮かべて、四神さんは右手を出した。萌花さんもぎこちなく「へ、へへっ」と笑いながら握手に応じる。大柄な荒増さんと身長だけは同じくらいのこの人が、わざわざ腰を直角近くまで折って視線を下げているのだから、悪い気はしないだろうけど。
「なにを白々しいことを言ってやがる」
「なんのことだい?」
「お前、入隊式に来てたじゃねえか」
「おや、そうだったかな? 也也こそ、僕だと気付いてなお、この仕打ちはないんじゃないかい?」
新入隊式の場に誰か総代も居たと言っていたけれど、四神さんだったらしい。この人がこうやってとぼけるのは基本の仕様なのでいいけども、床と擦れてゴリゴリ言っている大太刀のほうは良くない。僕だって知っていたのに、思わず刃を向けてしまったのだ。
「あの、すみません。僕も……」
「ああ! いいんだよ、久遠くんは。気付きはしても、反射を抑えられなかったんだろう? それも制御出来たほうがいいのはもちろんだけど、いい反応をするようになったね」
「そ、そうですか。どうも――」
大太刀が力をこめて持ち上げられようとしたところに、四神さんはさっと足を外す。さもそれを見越していたとばかりに、荒増さんは滑らかな動作で大太刀を背に戻した。
逆にそうなるように息を合わせているのかというほど、地味に高度なことをじゃれ合いでやってのける二人だった。
「さて、それで?」
「は、はひぃ。おら、反坂の村に居たべ」
「反坂村? それってたしか……」
急に話を戻した四神さんに促されて、萌花さんが口にした地名には覚えがあった。三年ほども前、妖に襲われていたところだ。古木を本体にした奴で、強力な霊殻を持ってはいたものの、耐久性が全くと言っていいほどなかった。
もちろんそれも荒増さんが居たからで、僕だけであればそもそも近付くのにも苦労しただろうけれど。その後の調べで、依代の置かれたお社の中に、青い髑髏が見付かったと聞いている。
「伽藍堂が仕掛けた村ですよね。萌花さんは、あそこの出身でしたか」
「んだ。まんず見た目違ってっけど、おらには分がる。この子だば、あすこに居だのとおんなじ子だ」
言った萌花さんは、足元を転げまわっていた根の切れ端を拾い上げた。まるで赤ちゃんを抱くように、両手で優しく。
四神さんの言い分からすると、それが萌花さんの言う妖の末端であるらしい。腕の中で、釣り上げられた大魚のようにびちびちと跳ねる。
「よぉしよし、ええ子だ。もうなんにもおっかねごど、ねがらな。土っこさけえって、塩梅良ぐなるまで、寝でたらいいべ」
子どもを寝かしつけるように、柔らかな声が被せられる。それで少し、暴れようは治まった。でもまだ逃れようとするのを見て、萌花さんは例の横笛を取り出した。
「聞ぐべ、桜の下」
心地のいい、ゆっくりとした曲が紡がれていく。息をするのを忘れているのかと思うほど、一音一音が長く取られている。
その音色がどこまで行くのか、うっかり辿っていると眠ってしまいそうだ。胸の内が穏やかに、透きとおっていくような曲だった。
「へばな」
別れの声を合図に、木の根はさらさらと崩れ去った。ほんのわずか吹いている、静かな風にさらわれるほど軽くなって。最後のひと粒が飛び去ると、萌花さんは散った先に手を振った。
「お見事」
ぱん、ぱん、と二度。乾いた音を立てて、四神さんの手が打ち鳴らされる。萌花さんへの賞賛と、妖とは言え命の切れ端への鎮魂と、両方の意味で。
「反坂であの子を起ごさったってば、弥勒て名前の爺さまだったべ。おら、聞いでた」
「そうだろうね。これだけ大掛かりなことを出来る実力はともかく、それだけの度胸があるのはね」
「んだどもあの爺さまさ、もう去ねっで。あの子がら言っでだべ」
「ん――伽藍堂はもう居ない、そう言ったのかい?」
んだ。と自信を持って、萌花さんの首が縦に振られる。すると四神さんにしては珍しく、「そうかあ」と思案げな声が落ちた。
「あの、なにか気になることが? そりゃあ黒幕がもう逃げているっていうのは、良くないでしょうけど」
「うん、まあね。国分くんがね、行方が分からなくて」
「へえ、国分さんが……って、ええ⁉」
ちょっとトイレに行っている、くらいの感覚で言われて聞き流しそうになった。
四神さんが独自に連絡を取ろうとしても捕まらない、というくらいならそうは言わないだろう。きっと本部や他の隊員たちの誰も、現在の居場所が分からないのだ。
「国分。というと、國分流の?」
「ええ、そうです。その人です」
国分さんの家が継いでいる剣術の流派を、粗忽さんは口にした。初手の総代という立場は知らなくとも、國分流の名は知っているようだ。
その次期継承者が、もしもこの事案のどさくさで身柄を拘束されたとすれば。敵の思惑が全く分からなかった。またそこに、どれだけの人員や装備を投入したのか。あの国分さんが、多少のことでむざむざと拘束されるとは、どうにも考えにくい。
そういったことは、この人も考えているのだろう。四神さんの言葉を聞いてからずっと、荒増さんは顔をしかめている。
「もしも国分さんが人質にでもされたら、難しい事態になるんでしょうか」
ただ纏式士が一人拘束されたというだけなら。救出の手立ては行ったうえで、それが不可能となれば見殺しになるだろう。任務と隊員の命を天秤にかけた時、任務のほうが重くなるのが纏占隊だ。
しかし国分さんは、兵部や衛士にも武芸を教える家系の人間だ。個人の情を無視したとしても、色々と忖度は働くことだろう。
そんな計算をしていては、下衆と言われるのかもしれない。けれども現状を多方向から正確に認識するのは、なによりも大切だ。それは戦いに身を投じる者として、正しい行いだと僕は信じている。
だがそれは、思わぬ方向から否定された。四神さんは薄っすらと笑って、頭を掻きながら言う。
「いやね。君たちの言ってた内通者。彼女がそうじゃないかって、そういう話になっているんだよ」