第14話:彼ノ兵ハ常ニ詭道也
あれが手持ち式のドライヤーだとすれば、三、四人ほども一度に風を送れそうに大きな工具。拳も余裕で入りそうな穴の空いた先端から、ほんの一瞬、赤い炎の吹き出すのが見えた。
炎はすぐに色を失って見えなくなる。でもゴーっと凶悪な吹き出し音は、やんでいない。時にその端に、青い色がちろと見える。国家資格がなければ、使用することの出来ない特殊工具だ。
そもそもはあれで、壁を破るつもりだったのだろう。
「さあ、参りますよぉ」
「この女――式徨か! 纏式士が相手なんて、聞いていないぞ!」
男は戸惑いながらも、向かっていく紗々に炎を浴びせかけた。噴射口から広く遠く離れたことで、温度の下がった部分が白く光る。
紗々の身体の前半分は、炎に包まれた。しかしいかに高温でも、来ると分かっていれば防ぐことは容易だ。彼女の前には目の細かな金色の網が立って、熱の一切を防いでいる。
簡単であっても、紗々は細心の注意を払う。彼女がほんの少しでも炎を後ろに逸らせば、僕や萌花さんの位置へ届いてしまうからだ。
それでも行動を一拍遅らせただけで、紗々の手が攻撃に転ずる。ヨーヨーを宙へ放つような手捌きで、数本の金糸が男へと伸びる。霊の濃い紗々自身ならばともかく、常人には見極められるものでない。
――が、男は避けた。いや見えてはいなかったのだろう。手の動きでなにかが飛んでくると予測して、横飛びに逃げたのだ。
「敵は纏式士だ!」
工具は構えたまま、男はどうやら仲間と通信を行った。そしてすぐ、またあの炎が噴射される。今度も紗々は、それをものともしない。だけど華奢な彼女が、溶鉱炉にでも浸かっているような光景は気味の良いものではない。
ましてそれは、僕が命じたことだ。纏式士自身に出来ることと、式徨に出来ることは違う。それは理解している。だから先人は、式徨やその他の使役体を必要として創造したのだ。
でも結局いつも僕は、紗々という女性を盾に自分の身を守っている。それが正しいことなのか、これまでどれだけ考えても答えが出ない。
「主さま。この者、全くの無傷は難しいかもしれませんよぉ。多少の荒事は良いでしょうかぁ?」
「……ん。あ、ああ! なるべく加減してね」
畏まりましたぁ、と。律儀に返事が返る。その次の瞬間には、工具の真ん中が二つに割れた。それに驚いた男の動きが一瞬遅れて、金糸でぐるぐる巻きに縛り上げられる。
「阡本咬撕!」
あちらでは荒増さんの手から、無数の針が頭上へと放たれた。それは巨大な獣が齧りつくように、屋上を丸く切り落とす。あれだけの威力を持った銃器なのだから、咄嗟に手放すことも出来なかったのだろう。上に居た男も荒増さんの目の前へと落下して、真白の長い爪が喉元に突き付けられた。
「捕縛された――撤退してくれ」
落ちてきた男は、長大な機関銃の下敷きになっている。すぐには動けず、その様子にため息を吐いたもう一人が言った。自分たちは見捨てて、生体配置を捉えられていた五人には逃げろと。
その潔さは、どうも悪人に見えない。祭部を名乗ったのは攪乱のためかと思ったのだけれど、実は本当にそうなのかとも考えられた。
「見ねえ顔だな。新人か?」
「どういうことだ」
問い返したのは、縛ったほうの男だ。しかしそれには僕も同意する。荒増さんの質問は、男たちの素性を知っていて、なんなら知り合いも多くそこに居ると聞こえる。
「主さま。新手が来ますよぉ」
「新手? あ、ほんとだ」
統合情報盤の画面に表示された五つの印のうち、屋外に居た二つはもう消えてしまった。けれど屋内に居た三つは、どうもそのままこの部屋へと向かっているらしい。
生体センサーに対する防備をしていた仲間が居たのだから、自分たちが位置を把握されているのは百も承知だろう。だからこそなのか、待機していた位置からの足取りに迷いがない。ずんずんと豪快に歩く音が聞こえてくるかのようだ。
「衛士府衛士特越隊、塞護支部長は少尉。粗忽である! 本日は、祭部特務室の要請により参上した!」
紗々の切り裂いた壁の向こうから、その人物は姿を現した。薄い藍のジャケットに、同色のスラックス。黒い長靴という出で立ちは、僕にも馴染みがある。
それは当人が言っているように衛士の実働部隊が着用する制服であり、国分さんの普段着だ。あくまで衣服だから似た物はいくらでも作れるだろうが、どうにもこの粗忽と名乗った、荒増さんと同年代くらいの女性は本物としか思えない。
「既に祭部の面々は、制圧された由。この期に及んで悪足掻きはしない! しかしこの状況の説明を願えるならば、ぜひ頼みたい!」
「あ、はい。ええと――」
姿勢も顔も毅然としたこの人の声は、定規で引かれているのかと思えるくらい真っ直ぐに通る。
そのすぐ後ろに控えている、粗忽さんとやはり同年代くらいの人もやはり女性。あちらに取ってはお手上げというところだろうに、ニコニコと緩んだ笑みが絶えない。
さらに後ろに居る若い男性の、小さく縮こまっている姿がひどく涙を誘う。
「祭部って、あの。本当に? 本物なんですか」
「無論。ポケットに手を入れて良いなら、私の身分証もお見せする!」
実際にはあとで確認するとして、そんなすぐにばれる嘘も吐かないだろう。するとこれは、国に仕える公職同士が争ったということだ。
幸いにして人的被害はないものの、萌花さんの私有物件がひどい有り様になっている。
「あの、荒増さん。説明してもらえますか」
「王殿のローカルデータを漁っただけで、ご苦労なこった」
王殿のデータ。つまり先ほど見た防塔の映像やら被害情報などは、王やその側近だけが扱えるデータから盗み見たということか。
例えばそういう、真偽は不明でも重要な情報とか。王の細かい体調や、予定であるとか。
悪用すれば。例えば暗殺計画など企てようとするならば、相当に有益な情報になるだろう。
いくら情報が必要だと言ったって、どうしてそこまでするのか。だいいちどうして、そんな物に触れることが出来るのか。二重の意味でわけが分からない。
そんなものに一般家庭から接続されたとなれば、祭部が飛んでくるのも当然だ。こちらが平身低頭して、申しわけありませんと許しを乞うて当然なくらいだ。
くくっ、と。目を細めて笑う荒増さんが、いつもより一層に恐ろしく思えた。