大砲の威力(not物理)がすごいです。
ズウウンと遠くで地鳴りがした。
私は、はっと目を覚ました。
ぬっ、とゲラニーが目の前に顔を突き出してきた。
「あ、ああ。おはよう。っていうか、ここは……」
私はぼんやりしながら手にあたった布を見た。
黒い外套……。
アレウズ!
私は昨晩の事を思い出して赤面した。幸い、アレウズはもう起きてどこかへ行ったようだ。
思わず外套に顔をうずめた。
ああああ~。
思い出して、無意味にじたばたする。
ゲラニーが私の頭を鼻でつついた。
「あ、ご飯?」
立ち上がった時、また、ズウウンと低い音がした。馬たちが落ち着きなく鼻を鳴らす。人々の悲鳴が聞こえた。
これって……大砲!?
私は外套を投げ捨てて外に走り出た。
城塞の中はパニックだった。
城塞の中央へ逃げようとする避難民たち、逆に城門へ走る兵士たちで中庭は大混乱だった。
私は中庭を抜け、石造りの階段を駆け上がって軍議の間に飛び込んだ。
誰もいない。
また、地鳴りが響き、城の階上から女性たちの悲鳴が聞こえる。
ふいに腕をつかまれた。
「ヴァクル!」
榛色の瞳を大きく見開いたヴァクルがそこにいた。
「馬は大丈夫か?」
「起きた時は、みんなちょっと騒いでたけど、パニックは起こしてないと思う」
「わかった。殿下は西塔にいるから、お前はそっちへ行け」
私が頷くと、ヴァクルは「気を付けろよ」と言って厩舎の方へ走って行った。
塔の上では、アレウズとノールト伯、将軍たちが窓の外を呆然と見ていた。
私はおじさんたちの間を進んで、窓の傍に寄った。
眼下には、草原の向こうまで整然と並ぶバルスクの兵士たちの姿があった。
そして、その中央に小さくて黒い物がある。
え……、もしかして、あれ?
次の瞬間、それが一瞬赤く光ったように見えた。低い地鳴りのような音が響く。
同時に襟首をつかまれて、後ろに引き戻された。
「下がれ、危ないぞ!」
見上げると、この前のスキンヘッド将軍だった。
「どうも」
と言いつつ、私は確かめずにいられなかった。
「大砲って、まさかあの一門だけなんですか?」
部屋にいた全員が、ぎょっとした顔で私を見た。
「あんな物がいくつもあってたまるか!」
ザンターク将軍が怒鳴った。
私はあっけにとられた。
まったくの想定外だ。
私のイメージでは、整然と横並びになった大砲が、端から順番にバンバン火を噴く、という感じだった。
でも、たった一門だなんて、拍子抜けだ。
「来るぞ」
先ほどから窓辺に立って、微動だにしなかった。アレウズが叫んだ。
「西の城壁へ伝令! 突撃に備えろ!」
「は、はい」
ほとんど泣きそうな声が返事をした。見ると、昨日の男の子の一人が、今にも倒れそうな様子で立っている。
「何をしておるか! 早く行け!」
サルドウ将軍が怒鳴った時、また地鳴りが響いた。
「うわああああ」
男の子は、床に倒れるように伏せた。
え、そんなに?
しかし、部屋の中にいる将軍たちも、まさか床に伏せはしないが、顔が真っ青だ。
余程の恐怖らしい。
「私が行きます!」
思わず叫んでいた。
「駄目だ。お前はここに――」
言いかけたアレウズをさえぎって、私は叫んだ。
「たった一門くらい、怖くありません!」
目を見張る将軍たちを後に残して、私は駆け出した。
城壁の上では、兵士たちが耳をふさいでしゃがみこんでいた。
「伝令!」
私は怒鳴った。
目の前の兵士が驚いて顔を上げた。私は、その胸倉をつかまんばかりの勢いで叫んだ。
「隊長は誰?」
「俺だ」
背後でぶっきらぼうな声がした。
振り向くと、無精ひげを生やした目つきの鋭い男が立っている。
私は彼に大声で言った。
「敵兵の突撃が来ます!」
「了解」
隊長はそう言うと、よく通る声で叫んだ。
「全員、突撃に備えろ! 弓、構え!」
良かった~、冷静な人がいて。
私はほっとして、城壁の狭間から外を見た。
大砲がもう一度火を噴いた。直後、その背後から鬨の声と共に、歩兵が駆け出してきた。
「弓引け!」
隊長の合図で兵士たちは矢じりを天に向けて、弓を引き絞った。
「放て!」
まだ遠い! と思ったが、さすが弓の腕に覚えのあるトルヴァ人の矢は高く天に届くように飛び、迫ってくる兵士たちを大地に縫い留めた。
「弓引け! 放て!」
休む間もなく、第二波を放つ。
この調子ならば足止めはできるだろう。しかし、敵兵の数は尋常ではない。
「投石はどうなってる?」
隊長が苛立ったように叫んだ。
「私が確認します! どこへ行けばいいですか?」
立ち上がって叫ぶと、隊長がうなずく。
「頼む。城門の前庭だ」
私は走り出した。
前庭では、投石機が3基用意されていた。
「伝令!」
私は叫んだ。
「敵軍接近! 投石、お願いします!」
こちらでもやはり耳をふさいでいた兵士たちが、はっとしたように石を乗せ始めた。
みんな、そんなにこの音が嫌なんだ。
たった一門とはいえ、精神に与えるダメージの大きさは認めざるを得ない。
私はまた、城壁の上に向かって走った。
再び城壁から敵兵を見ると、投石は一定の効果があったようだ。敵の足が止まっている。
「ご苦労」
先ほどの隊長の声が背後からした。
「小さいのに肝が据わってるな」
「はい!」
私は振り返って力いっぱいうなすくと、大砲に視線を戻した。沈黙している。どうやら、連射数は限られているようだ。私が思っていたよりも、ずっと原始的な大砲に見える。
「あんなの、当たりませんよ」
私が言うと、隊長は少し考えてから言った。
「この距離では当たらんだろう。しかし、奴らがあと10マルト前進したら、必ず当たる。俺はケントリスの戦いで、城壁が砲に破られるのを見た」
隊長は淡々といった。
「球が一発当たれば石積みの壁はそこからあっという間に崩れる。兵士たちを巻き込んでな。破城槌などとは比べ物にならん」
「じゃあ、近づかせなければいいんですね!」
「まあ、そうなるな」
隊長はちょっと笑ってうなずくと、手を差し出した。
「俺はサルドウ将軍に仕えているバフークだ」
なんだか、初めて戦士と認められたみたいで、ちょっと嬉しくなった。私は彼と握手をした。
「私は――」
「知ってる」
隊長は短く言った。
「‟蘇えりし者”だろ? 会えて光栄だ」
あ、その通称ってもう広まってるのね。私は苦笑いしてうなずくと言った。
「ただの従士ですから、シャラナル、って呼んでください。では、一度殿下の所へ戻ります」
「ああ。その前に、こいつらの士気をあげるのに、協力してくれないか?」
隊長は、親指で背後をぐいっと指した。
兵士たちが、青い顔で大砲を見つめている。
「え、何すれば――」
私の返事を聞くよりも早く、バフークは立ち上がると大声で叫んだ。
「聞け、野郎ども! 女神ネインの守護を受けた蘇りし者が、俺たちに球は当たらないと言った!」
「え?」
「敵をこれ以上寄せ付けなければ、城壁を破ることはできん! だから死ぬ気で守れ! 分かったか」
兵士たちの目が私に集まる。
「ほら、これ持って。何か言え」
バフークが城壁に立っていた旗を私にどん、と押し付けた。
赤地に聖杯と星を縫い取ったシュルター城の旗だ。
兵士たちが、何かを待つ目で私を見ている。
ええい、もうやけだ!
私は全員に見えるように、城壁の狭間の上に飛び乗って、重い旗を精一杯高く掲げた。
「城壁を守り抜け! トルヴァの戦士たちよ!」
旗が風に翻る。
城壁の上に、兵士たちの雄たけびが響いた。
私はあまりの旗の重さに、城壁から転げ落ちるところだったが、何とか兵の士気を上げることには成功したようだ。
しかし、これから兵士の士気が下がるたびに、毎回、旗振らないといけないんだろうか……。
私はそんなことを思いながら、中庭を突っ切ってアレウズのいる塔へ向かった。
塔に続く階段の扉を開けたとたん、空色の丸いものが落ちていた。
「うわっ!」
「きゃああ!」
丸い物体も、同時に悲鳴を上げる。
それはしゃがみこんだ女の子だった。服装からして、昨晩見た奥方の侍女たちの一人のようだ。イエルクほどではないが、かなり幼い。
「あの、大丈夫?」
私が目線を合わせて尋ねると、女の子は用心しながらもうなずいた。
「他の人はどうしたの?」
「青の塔の祈祷室」
小さい震え声で答える。
「えーと、それであなたはここで何を?」
そう聞くと、女の子はしくしく泣きだしたので、私は慌てた。
「あ、隠れてたんだよね。でもここも危ないから、みんなのところへ――」
「足が――」
「ん?」
「足が痛いの」
ドレスに隠れていて見えないが、くじくか何かしたようだ。もう、仕方ない!
私は女の子に背を向けてしゃがんだ。
「おんぶしてあげるから! 祈祷室の場所は分かる?」
「え、でも男の人だし……」
ああ、もう淑女はめんどくさいな!
私はもう一度女の子に視線を合わせた。
「誰も見てないから大丈夫! それに、ほら、私、怖いおじさんに見える?」
「……。お姉さんに見える」
ほんと? 良かった。
じゃなくて!
「お兄さんだけど、まあいいや。ほら、乗るの? 乗らないの?」
私が言うと、女の子はおずおずと背に体重を預けた。子供とはいえ、小学校高学年くらいだろうし、やっぱりそれなりに重い。ドレスが軽量なだけまだましか。と思いながら立ち上がる。
「じゃ、どっちに行けばいい?」
私が尋ねると、女の子はシュルター城で最も高い塔を指さした。
「あそこ」
マジかよ……。
ほとんど息絶え絶えになりながら、青の塔の祈祷室にたどり着いた私は、侍女たちの歓声に迎えられた。
「姫様! よくご無事で!」
ん? 姫?
私は慌てて女の子を侍女の手に預けた。まさか――。
「セール!」
奥から、凛とした声に動揺をにじませて奥方が現れた。
ノールト伯には姫君がいらしたのか!
私は片膝をついて騎士の礼をした。
「足が痛いと仰せでしたので、僭越ながらお連れいたしました。それでは――」
「お待ちなさい!」
そそくさと帰ろうとすると、奥方の鋭い声がした。
軽々しく背負ったりなんかして、怒られるのではないかと思いつつ、恐る恐る振り返る。すると、意外にも奥方の青い瞳には、うっすら涙が浮かんでいた。
「感謝します」
奥方はそう言って私の右手を両手で包んだ。
「いえ、そんな――」
と照れ笑いをして見せたその時、奥方の表情にいぶかし気な影が差した。
「あなた……」
何かを見通す目で私を見ている。私はぎくりとした。
姫君といい、この城の女の人たちは勘がいいのかな。
慌てて手を引っ込める。
「私は、殿下の従士でシャラナルと申します。お役にたてて何よりです。では~」
扉の方へ足を向けると、奥方がそれを制した。
「お待ちなさい。何か御礼をしますから」
そう言って、侍女たちを振り返った。
「何かありませんか。殿の胴衣でも――」
「申し訳ありません。ここには何も」
貴人の服をもらうことが名誉なのは、時代劇の知識とかでなんとなく想像がつくが、あのおじさんが着た服とか、いまいちありがたくない。
「お気になさらず」
と言おうとしたとき、おろおろする侍女たちの後ろに何か、ふわりと翻るものがあった。
私は祈祷室を改めて眺めた。この城は、どこも石造りの壁が続く不愛想なものだが、ここは侍女たちのドレスとおなじふわふわの布で飾り付けられている。
私は考えた。
これ、使えるのでは?
「奥方様!」
私が予想外に大声を出したので、侍女たちがびくっとする。
「なんでしょう?」
さすが奥方は落ち着いておられる。私はにっこりとほほ笑んだ。
「それでは、お願いがございます」