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従士は安眠できません。


 結局、サールによるこの世界の常識講座は、そのあと延々と夕方まで続いた。


 分かったのは、サラヴァルト王国は神話時代にアマルナ山脈からアルイール大陸に下りてきた、トルヴァという騎馬民族により建国された、という事だ。彼らは、弓矢と乗馬技術を駆使した高い戦闘能力を持ち、たちまちアルイール大陸の覇者となった。

 敵対するバルスク帝国は、百年ほど前から急速に力をつけ始めたバルスク人たちが、周辺国を侵略して作った帝国との事だった。


 バルスクはアルイールの覇権を得るために繰り返しサラヴァルトを攻め続け、実際にサラヴァルトは国土を幾分か切り取られている。

 その最大の脅威への防壁として、セノンテス辺境伯の領地に対して国庫から莫大な援助金が支出された。その結果セノンテス地帯は栄え、半ば独立国と化している。

 元々辺境という王都から離れた土地であり、民族も違うため、王都の影響力は年々弱まっているらしい。


 政治は大変だなー。

 と思いつつ、ヘロヘロな体&頭で晩餐の席に立った。

 体力だけは自信のある私だけど、さすがにきつい。

 シュルター城主であるノールト伯はじめ、城塞の諸侯たちは殿下の帰還を、それこそ歓喜のあまり涙を流して喜んでいた。


「殿下がおいでくださったからには、もう何も心配ありませんな。鬼神の如きとはまさに殿下の事……」


 延々とお追従が続いている間にも、テーブルには豪華な食事が並べられていく。香りのよい葡萄酒。豪快な羊の丸焼き。果物を盛りつけた大皿。

 アレウズも上機嫌だろう、と思って様子を伺うと、意外にも盃を手に持ったまま、動かずに何かを考えている。


「……というわけで、我らの勝利に乾杯をいたしましょう! 殿下」


 私は慌ててアレウズに近寄ると、お酒を注ぐ振りをして肘でつついた。


「あ、ああ」


 アレウズは、はっと気づくと立ち上がり、酒杯をかかげる。


「サラヴァルトの戦士たちに!」


 おう! と男たちがそれに応え、全員が一気に盃を干した。


「よし、今夜は酒蔵をすべて開けるぞ!」


 ノールト伯が機嫌よく言った。その時、鋭い声が飛んだ。


「いけません! まだ、戦いが終わったわけではありませんよ」


 凛とした女性の声だった。

 ノールト伯の奥方、フイース様だ。

 金色の髪を優雅な白いヴェールで覆い、銀の髪留めでとめている。ドレスは簡素なデザインながらも、蝋燭の下でさざ波のように輝く、美しい生地を使っている。若くはないが、毅然とした印象の美しい人だ。


「民や兵士たちが、支給分の食糧で我慢していることをお忘れなく」


 ノールト伯はあからさまに厭な顔をしたが、それを聞いたアレウズは力強くうなずいた。


「奥方の申されるとおりだ。この苦難の時に、これほどまでの歓迎をご用意くだされた、ノールト伯に感謝する」


 そう言って酒杯を掲げた。騎司たちが次々に「ノールト伯!」と叫んで酒杯を上げた。

 ノールト伯は再び笑顔になると、舞台の上の役者みたいに、方々に頭を下げて席に着いた。


 奥方の言葉もあってか、宴会は見苦しさの一歩手前でなんとかお開きとなった。

 バルスク軍が引き上げた、という報告は入っていないし、まだ戦時に変わりはない。

 それにしても、避難民もこれだけの数がいる中、こんな宴会を開けるなんて、このシュルター城は随分余裕があるようだ。領地は小さい、とヴァクルは言っていたけれど……。

 

 アレウズも退出したので、ヴァクルと私もようやく解放された。

 ノールト伯が、「殿下のお世話は、是非私の従士に!」と言い張ったおかげで、アレウズのお世話は彼らがやってくれる事になった。

 これでやっと眠れる。


 部屋から出たところで、回廊の向こうに、鮮やかな色がふわふわ揺れているのが見えた。

 何だろう、と思って目をこらすと、どうやら奥方の侍女たちのようだ。夜風に軽やかになびくヴェールをかけ、動くたびに長いスカートが踊るように舞っている。


「おい。何見てんだ」


 ヴァクルが眠そうな顔で私の視線の先を見ると、うんざりしたように言った。


「女かよ」


 あれ? ヴァクルの年齢的に、普通はここ、もうちょっとノッてくるところじゃない?

 そう思いつつ私は言った。


「奥方のもそうだけど、この国のドレスってなんか、ふわふわしてるんだね」


 男性はみんな毛織物の上衣の下に、みっしりと刺繍のされた胴衣を着ているので意外だった。


「あー、ここの奥方はキリタリア連合国・ティスキアの出身だからな。ああいう、特殊な布織物で稼いだ商人の娘なんだ」


 キリタリア連合国は確か、いくつかの商業都市が集まって国を治めている、とサールが言っていた。

 各都市の最高権力者は総督と呼ばれるが、サラヴァルト王国でいうところの貴族ではなく、皆貿易や工業で財を築いた商人である、という話だった。

 つまり、あの奥方も権力のあるお金持ち商人の娘さんで、自分のところの名産品で侍女たちを飾っている、という事だろう。


「おい、おまえ、いい加減にしろ。気が付かれるだろ」


 じろじろ見すぎたせいでヴァクルに怒られたが、すでに遅かったらしい。侍女たちがこちらに気が付いて近づいてきた。

 やばい、怒られるかな。

 しかし、意外にも侍女たちは皆にこやかで、なかには頬をピンクにしてもじもじしている子もいる。そのうちの一人が、ヴァクルに声をかけた。


「アズニイーブ候家の、ヴァクル様ではありませんか?」


 途端にヴァクルの顔が一気に険しくなった。それにも気が付かず、他の女の子たちも小鳥のさえずるような声で続ける。


「このような辺境で、お目にかかれるなんて光栄です」

「さすがは美麗候のご子息。よく似ておいでですね」


 あ、そうか。ヴァクル目当てなのね。

 ナイス・美少年。と思ってヴァクルをみると、「美麗候」のご子息は、とんでもなくガラの悪い顔つきになっている。


「似てねーです。失礼します」


 ヴァクルはそう言い放つと、あっけにとられている侍女たちに背を向けて、ずんずん歩き出した。


「ちょ、ヴァクル!」


 私は慌てて侍女たちに頭を下げると、ヴァクルに追いすがった。


「態度悪いよ。どうしたの?」

「誰が似てるって? あの女ども!」


 ものすごく機嫌悪くなってる……。

 たぶん、お父さんに似ている、って言われたのが気に障ったんだな。しかし、アズニイーブ候家……候って言ってたな、あの子たち。

 さっきのサール講座で、サラヴァルトにおいて伯は各地の領主を示し、候は王都の政治の成員のことだと習った。

 騎司の頂点であり、王の選定も候が行うため、選王候とも呼ばれる。つまりアズニイーブ候と呼ばれるヴァクルのお父さんは、選王候の一人、という事になる。


 超エリート貴族じゃん!

 私は「ふざけやがって」と、まだ悪態をついているヴァクルを見た。

 うん、黙ってれば十分貴族様だけど、こうなるとなぜか、カチコミ前のヤンキーにしか見えないんだよね。まあ、お金持ちの家にもめごとは付き物なんだろう。

 などと、私は平民らしい偏見で納得しながらヴァクルに続いて、寝室に入った。


「シャラナルさん!」


 途端に部屋全体に甲高い男の子たちの歓声があがった。

 え、ナニコレ?

 目の前におしよせてくる少年たち。その後ろには、部屋の両側に沿って設えられた木の段に、申し訳程度の布らしきものが敷かれているのが見えた。

 ここで寝るの? みんなで?


「シャラナルさん! 俺! 俺のこと覚えてます?」

「天使見ました? あの世ってどうなってるんですか?」

「どうやって生き返ったんですか? 呪文とかあったら教えてください!」


 興奮した男の子たちに詰め寄られる。

 見たところ、全員従士見習いのようだ。

 存在はヴァクルに聞いていたけど、これはいったい……。


「おい、お前らいい加減にしろ!」


 ヴァクルが怒鳴った。


「昨晩の戦からほとんど寝れてねえんだ。シャラナルの事は放っておいてやれ」


 少年たちは、はーい、と返事をして、すごすごと寝床と思われる段に上がった。

 どうやら、私のゾンビ伝説を聞こうと楽しみにしていたらしい。

 最後に残った、小一くらいにしか見えない男の子が、突然私にぎゅっと抱き着いた。


「シャラナル兄ちゃん。無事で良かった!」


 何だこれ! めっちゃ癒される!


「う、うん」


 私はうなずいて、おそるおそるそのフワフワの茶色い毛を撫でた。次の瞬間、男の子は私からぱっと離れて首を傾げた。


「シャラナル兄ちゃん……。本当にシャラナル兄ちゃん?」


 え! うそ! バレた!?

 私は口をパクパクさせながら立ち尽くした。すかさず、ヴァクルの怒声が飛んでくる。


「おい、イエルク! シャラナルは疲れてんだ。甘えるな!」

「は、はい」


 イエルクはしゅん、とすると寝台の端によじ登って、ころん、と転がった。

 あああああ~。

 癒された分、すごいダメージ。

 しかも、アレウズが私をシャラナルではないと気が付いた時よりも、さらにものすごい罪悪感だ。

 私はふらふらと寝台から毛布らしいものを一枚とると、扉に向かった。


「おい、どこ行くんだ?」


 ヴァクルの声がする。私はのろのろと振り返る。


「ゲラニーの所で寝る」

「はあ?」

「明日馬番だし」


 そう言ってそのまま外に出た。

 



 外は思っていたよりも、かなり冷え込んでいた。毛布をぐるぐると身体に巻き付ける。

 外で寝れば死ぬかもしれないけど、厩舎なら、まあ大丈夫だろう。ゲラニーは体温高そうだし。

 なんかゲラニーが頼れる友達みたいになっている。

 手ぶらでは悪いので、明日の朝あげようと思っていたニンジン(というにはえらく小さいのだが)を持って厩舎に入る。


「おう、マーヤ! どうした?」


 私はびっくりして立ち止まった。

 黒い外套を羽織ったアレウズが、ゲラニーの鼻をなでている。


「でん……、アレウズこそ何してるんですか?」


 私がぽかんとして言うと、アレウズは笑った。


「ゲラニーに礼を言っていたんだ。マーヤを守ってくれたからな」


 すると、ゲラニーが私の方を見て、ぶひひんと鼻を鳴らした。


「いいもの持ってるな」


 私ははっとして手のニンジンを見た。実は、晩餐の席にあったものをくすねたので、ちょっとバツが悪い。


「ええと、私も御礼がしたいと思って」

「うん、良かったな、ゲラニー」


 私は屈託なく笑うアレウズの横から、ニンジンを差し出した。


「ちょっとでごめんね」


 ゲラニーは私の手から、お行儀よくニンジンを食べた。


「トルヴァ人が、馬と話せるって本当ですか?」


 私が尋ねると、アレウズはうなずいた。


「ああ、馬は俺たちにとって大切な相棒だ。話すことで心も通じる。もっともアマルナ産の馬に限るがな。あと、二人の時は敬語はいらないぞ」

「え?」

「マーヤは臣下じゃないだろう」


 じゃあ、何なのでしょうか??

 私は首をかしげたが、なんかこうしていると、戦場にいると時と違って王太子然としていないし、まあ、いいか。

 私はうなずいてから聞いてみた。


「アレウズ、疲れてるの?」

「なんだ、いきなり」

「いや、晩餐の時元気なかったな、と思って」


 明るく豪快にふるまっていたけれど、なんだか心ここにあらず、というか、違うことを考えているように、私には見えた。


「大丈夫だ。お前が心配する事じゃない」


 アレウズはそう言うと、私の頭をぽんぽん叩いた。

 また!


「ちょっと! 子供扱いしないでよ」


 私はその手を払いのけて行った。


「あと、そんなふうに突っぱねるみたいに言わないで。一応心配してるんだし。私が臣下じゃないなら、アレウズだって、私の前ではみんなの前で見せるみたいな、完ぺきな殿下でなくてもいいってことなんだからね。心配事とか愚痴とか言えばいいよ」


 ん? これはちょっと図々しいか。

 ぽかんとしているアレウズを見て、私は思った。

 臣下じゃないから友達、ってわけでもないのに、私すぐに調子に乗るから……。

 ゲラニーがまたぶひんと鼻を鳴らした。


「ああ、分かってる」


 アレウズがそっとその鼻を撫でた。

 何が分かったんだろう? っていうか、ゲラニーに相談に乗ってもらってたのかな。それじゃあ、私が邪魔したのかも。


「明日の戦いの事を、考えていた」


 だしぬけにアレウズが言った。


「明日?」


 私は驚いた。


「明日、戦いになるの?」

「なる」


 アレウズはうなずいた。


「昨晩の戦いで、バルクス軍は糧食をかなり失ったはずだ。火を付けたからな。そうなると、遠征を長引かせるのは得策じゃない。俺なら、今日のうちに全軍を動かして、明日の朝にはこのシュルター城の正面に陣を張る」


 私は丘から見たバルスクの大軍を思い出して、ぞっとした。


「シュルターは小さいが堅固な要塞だ。守るのはそう難しくはないが、ノールト伯はもともと城の貯えにはあまり関心がないうえに、避難民が思っていたよりも多い。こちらの糧食も長くは持たないだろう。加えて大砲だ」


 アレウズはため息を吐いた。

 どうやらシュルター城に余裕があるのではなく、単にノールト伯が浪費家なだけのようだ。

 アレウズは、ゲラニーの首を撫でながら続けた。


「大砲は戦争の姿を変えた。10年前、カルナイン地方がバルスクの手に渡ったのは、大砲によるところが大きい。サラヴァルトの兵士は勇敢だが、大砲は、100年も敵を寄せ付けなかったケントリテスの城壁を、たった2日で破った。勇敢というだけで勝てる武器じゃない」

「城に立てこもる方が、不利だということ?」


 アレウズはうなずいた。


「大砲に匹敵する武器は、現在のところサラヴァルトには無い。セノンテス伯が手に入れた大砲が、どちらの手に渡るかが今回の生命線だった」


 悔しそうにアレウズは言った。


「見誤った……。ギーレク殿を信じすぎた」


 アレウズがうつむく。私は思わず、その頭に手をのばした。

 ぽんぽん。

 アレウズがぎょっとして私を見た。


「お返し」


 私はにっこり笑うと、精一杯背伸びをして、もう一度その頭を撫でた。


「心配するな! 今までだってたくさん危機を乗り越えてきたんでしょ? 将軍たちも戦士たちも、みんな優秀じゃない」


 驚いていたアレウズの顔が、ふっと緩んだ。


「ああ、そうだな」


 ゲラニーがぶひひんと鳴く。


「なんて?」

「ズイナーンの蹄を信じろ、だとさ」

「ズイナーン?」

「トルヴァの英雄、アライアスの馬の名前だ。アマルナの馬は皆その子孫だ。俺たちがアライアスの子らであるようにな」


 ゲラニーが、鼻をアレウズにぐいぐいと押し付ける。


「よせよせ、分かった。お前たちは強い。人間の武器よりな」


 アレウズはそう言うと微笑んだ。

 うん、元気になって何より。


「じゃあ、もう寝なよ。明日からまた大変なんでしょ?」

「ああ、そうするか」


 アレウズはうなずくと、おもむろに、そこに敷いてある干し草の上に転がった。

 え?


「そこで寝るの?」

「ああ」


 アレウズは平気な顔でうなずいた。


「俺は外の方がよく眠れるんだ」


 わ、わいるど~。っていうか、本当に王子様なのか?


「いや、でも、私もここで寝ようと思ってきたんだけど」


 迷惑そうに言うと、アレウズは、ああ、という顔をして体を横にずらした。


「いいぞ」

「はあ?」


 横に寝ろってか!


「いやいや、寒いし、部屋に戻った方がいいよ」

「寒いのか?」

「当たり前でしょ。夜なんだから」


 突然アレウズは、がばっと上半身を起こすと、私の手をつかんで引っ張った。


「うわっ」


 私はバランスを崩して、干し草の上に倒れた。さっとアレウズの外套がかけられる。


「これで寒くない」


 ぎゃああああああ!

 私は心の中で悲鳴を上げた

 何ですか、この状況は!

 この人、私の隣で寝る気なの!?

 無理! と言いかけて私はある事に思い至った。


「もしかして、シャラナルにもこんな事してた?」


 私の問いに、アレウズは不思議そうに首をかしげた。


「寒い時は、体を寄せ合って寝るもんだろ。戦場の常識だ」


 あーもー、はいはい! 従士なんかただの湯たんぽですよ! 猫やカイロと変わりませんよ!

 私はため息をついてアレウズに背を向けた。

 ドキドキして損した。もう寝よう。


 ランプを吹き消すと、馬小屋はぱたりと闇に落ちた。

 ゲラニーも、足を折り曲げて眠ったようだ。

 明日はまた戦、か。

 敵陣を突っ切った時の映像が蘇ってくる。私を刺そうとした兵士。槍に貫かれた兵士。

 駄目だ。やっぱり怖い。

 そう思った時、ふいにアレウズの腕が私を背後から抱きしめた。


「心配するな」


 アレウズはそうつぶやくと、規則的な寝息を立て始めた。

 私は、といえば、危うく心臓が飛び出すところだった。

 やっぱり、朝になったら死んでるかも……。



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