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ーアレウズ― 俺の(元)守役の思い出話が長い件。


「バトハーン卿の兵力、ですか?」


 サルドウが、そう言いながらすっかり白くなった顎鬚をなでた。考えをめぐらすときの(じい)の癖だ。


「そうだ。正確な数と、諸侯の中で、叔父上を支持する者がどれほどいるのかを知りたい」

「なるほど……」


 サルドウは髭をなでていた手を止めた。


「承知いたしました、殿下。早速、手の者に探らせましょう」

「冷静だな、爺」


 サルドウがあまりにあっさりと引き受けたので、俺の方が少々驚いた。 

 外にバルスクという強敵を抱える今、王国内でいさかいを起こしている場合ではないと、たしなめられるだろうと思っていたのだ。

 サルドウはそんな俺の考えを知っているかのように、口元を緩めた。


「恐れながら殿下。この爺めは殿下がお生まれになるよりもはるか以前、先王、キジェール陛下の代よりお仕えしてまいりました。多少のことでは驚きませぬ。それに、バトハーン卿がどのような御方かも存じております」

「叔父上に王位への野心があることを、すでに知っていたというのか?」

「野心というよりは」


 サルドウは何かを思い出すように、ゆっくりとした動作で窓の外に顔を向けた。


「何か強大な力。常人の考えの及ばぬ何かを求めておいでだという印象でした」

「何かとはなんだ?」


 こんな話し方はサルドウらしくない。トルヴァの戦士は、茫洋とした物言いなどせぬものだ。

 爺も耄碌したかと思ったが、俺はその考えをすぐに改めた。サルドウの表情には、老いたればこその思慮深さが現れていたからだ。


「差し当たっては王位と申せましょうが、例え王位を手に入れても、あの御方はそれで満足はなさらぬでしょうな」

「どういう意味だ?」


 サルドウは、俺のほうへ視線を戻した。


「なぜトルヴァの王族であるバトハーン卿が、旗下の騎司をほとんど持っておらぬか、陛下よりお聞きになられたことはございますか?」


 通常、トルヴァの王族は候や伯の位を持たない騎司を近衛として身近に置くが、叔父上は王弟であるにも関わらず、それがいない。

 バトハーン卿が連れている近衛は、ほとんどがキリタリアの傭兵だ。それにはもちろん、理由がある。


「エカニア戦役で、多くが死んだからだろう」


 そう言ってから、ふと、古傷に触れられたときのように、胸が痛むのを感じた。エカニアという響きは、俺にレイラ妃とそしてヒシェールを思い出させる。叔父上の部下たちが死んだその戦で、レイラ妃は父上の戦利品としてサラヴァルトに連れ去られ、そして最後には殺された。


「左様。あれは、バルスクに奪われつつあった諸国を、このサラヴァルトに取り戻した()えある戦いのうちの一つであり、また、バトハーン卿が戦場に出られた最後の戦でもあります」


 この戦については、宴席でも滅多に語られることはない。戦われた期間が短く、旗司たちもこれといった武功をあげなかったからだ。


「今では文官らしさがすっかり板についておいでですが、お若い頃は、バトハーン卿も多数の優れた戦士を有し、バルスクとの戦に、たびたび出ておられました。エカニア遠征もそのうちの一つです。しかし、元を正せばこの遠征は、守りの堅いエカニアが目的ではなく、北のアルカラクを陛下御自ら取り戻すためのものでした。その先陣を命じられたのがバトハーン卿です。しかし、卿はアルカラクへの道をそれてエカニアに攻め入りました」

「なぜ、そのようなことを?」

「トルヴァの戦士が戦をするのに、一々理由が必要ですかな?」


 それはそうだが、国王の命令を無視してよいことにはならない。


「今となれば、あの御方なりの理由があったことは明白ですが、とにかく、バトハーン卿は手勢を率いてエカニアに攻め入りました。しかし、寡兵であったうえに、後発隊はアルカラクへの道を行軍しておりましたので、あえなく惨敗し、捕虜となられました」

「な……」


 俺は、危ういところで「馬鹿なのか?」という言葉を飲み込んだ。こんな愚かな戦法は古今の戦話でも聞いたことがない。


「それを知った国王陛下は、直ちにアルカラク遠征のための軍を全てエカニアに差し向け、街を包囲しました。いかに、エカニアが堅固な要塞都市であり、バルスクの庇護を受けていようとも、勇猛な王の率いるズィナーンの蹄を挫くことは容易ではありません。包囲3日にして、エカニア側より、降伏の使者が送られました」

「まさか、叔父上は最初からそれを見越して、わざと捕虜になったのか?」

「左様。バトハーン卿はかねてよりエカニアに並々ならぬ関心を寄せられ、たびたびエカニア攻略を上奏しておられました。しかし、国王陛下も私を含めた騎司たちも、得るものの少ない小国の攻略など愚かな戦であると考えておりました」


 つまり、父上を説得できないことが分かった叔父上は、最後の手段として、自らを使って、無理矢理エカニア攻略を強行させたのだろう。

 ここまで聞いて、やはり叔父上だと思った。

 かつて、父上はバトハーン卿を知略縦横と評していた。しかし、その知略は国のためではなく常に自分のために使われるのだ。


「それほどまでする何が、エカニアにあったのだ?」


 サルドウは一瞬、何かを思うように言葉を切ったが、やがて静かに言った。


「レイラ様です」


 その名を聞いて今度こそ、胸がずきりと痛むのをはっきりと感じた。


「まさか、レイラ妃を得ることが目的だったのというのか?」

「当時はそのように思う者はいなかったでしょう。しかし、今になって、改めてあの戦を思い出すとき、私にはそのように思えてなりませぬ」

「しかし、なぜレイラ妃なのだ?」


 レイラ妃はエカニアの王族でもなければ、領土や戦力を有していたわけでもないはずだ。


「あの御方は、エカニアの神殿の巫女姫であられたのですよ」

「巫女姫……?」


 そう言えば、レイラ妃を裁こうとする聖庁の主張に、そんな言葉が出てきたような気がする。『偽神の巫女』。『異教の魔女』。これはレイラ妃がバルスクと同じ信仰を持つ国の出であることを言っているのだと思っていた。しかし、レイラ妃が俺に残してくれた小さな彫像は、バルスクの神でもなく、ビサンテの神でもない穏やかな笑みをたたえた女神の姿をしていた。


「つまり、エカニアの信仰はバルスクと同一ではないのだな」

「国教としては、バルスクと同様と言えましょう。しかし、エカニアには土地に根差す精霊信仰が残っており、レイラ妃はその信仰に関わる一族の末裔であると、ご自身が言っておられました」

「爺にか?」

「いいえ。国王陛下にです。降伏の使者として陛下のもとに来られた時に、そのように話されておられるのを聞きました」

「レイラ妃が降伏の使者に?」

「我々も驚いたものです。あのような若い女性(にょしょう)が、敵陣に一人で使者として現れるとは思いもよらぬことですからな。しかし、そのご出自ゆえに来たのだと、そう話されておりました。自分がここにいれば、エカニアは決してサラヴァルト軍に刃向かわないと。果たして、そのとおりでした」

「…………」


 俺は、爺の話を聞きながらサールの言葉を思い出していた。

 「レイラ妃こそ『黎明の人々』の末裔なのではないか」。サールはそう言った。


「叔父上は、レイラ妃のことを知っていたのか?」

「おそらくは。そして、エカニアの降伏で戦が終わった直後、バトハーン卿はレイラ様をご自身の天幕に連れ去ったのです」

「馬鹿な……」


 和平の使者として来た、それも女を攫うなど道義にもとる行いだ。しかも、父上の天幕から連れ去るとは、反逆行為も同然である。


「レイラ様が陛下の囚われ人であれば、咎められるべき行いですが……」


 俺の考えを察したように爺が言った。


「実に奇妙なことながら、エカニア側は、レイラ様をバトハーン卿に献じるとわざわざ言って寄こしたのです」

「捕虜だった男にか?」

「左様。卿が捕虜であった間、一体、どのようなことがあったのかは、知るよしもありませぬ。しかし、エカニアがそう言う以上、レイラ様はバトハーン卿の持ち物となるべきでした」

「しかし、そうはならなかったのだな」

「はい。国王陛下は、バトハーン卿に対して大変お怒りになられ、卿にレイラ様を引き渡すようにとおっしゃられました。その使者に立ったのが、このサルドウめでございます」

「しかし、それでは掟に背くことになる」


 かつてトルヴァがヒスターブの草原の民だった頃から、女をめぐる争いは、男たちの間で珍しいことではなかった。しかし、その争いは時に氏族の者同士の殺し合いと長い憎しみを残すがゆえに、王であっても他の者の庇護下にある女に手を出すことは厳しく禁じられることとなった。もし、1人の女を争う場合、それを収める法は当事者同士の決闘のみである。

 サルドウの話が本当ならば、父上は王自ら神聖な草原の掟に泥を塗ったことになる。


「確かに殿下のおっしゃるとおりでございます。しかし、バトハーン卿の行いもトルヴァの戦士として、許されるものではございません。結局、私は旗下の戦士を連れ、バトハーン卿の天幕に向かいました」

「叔父上は、同意したのか?」


 サルドウは首を振った。


「卿は陛下の命令には従えないと仰せられ、結局、我が旗下の者たちと卿の旗司たちとの間での争いとなりました」

「……。父上は、剣を抜くことを許可していたのだな」

「左様。元より、アルカラク遠征の命に反したバトハーン卿には、なにがしかの御沙汰があるものと思われておりましたが、これがそうであったと言えるでしょう。我々には、聖庁のように悠長な裁判など必要ありませぬからな」

「辛い役目だったな」


 例え王の命令であっても、同じトルヴァ戦士の断罪を行う役目を喜んで引き受ける者はいない。

 爺は俺の気遣いに感謝するように少し微笑むと、少しの間目を閉じ、また話し始めた。


「バトハーン卿旗下の戦士たちはその名に恥じぬ戦いをいたしました。しかし、我が(いえ)の者共は生え抜きの剣士であり、馬を下りての白兵戦にも慣れております」

「叔父上の旗下の者たちが死んだのは、戦のためばかりでは、なかったのだな」

「はい。そして、バトハーン卿ご自身は、レイラ妃のために命を投げうつようなことはなさいませんでした」

「自ら爺に引き渡したということか」

「左様。そして、私がレイラ様を馬の背にお乗せしたとき、かのお方は、明らかに安堵されたご様子でした。私も、求め合う者同士を引き裂いたわけではないと分かり、胸をなでおろしたものです」


 つまり、レイラ妃は叔父上の妻になることを、望んでいたわけではなかったのだ。


「あの時、レイラ様のお美しさを見て、陛下と卿が、このお方を巡って争うのも無理からぬことと思いました。しかし――」


 話し続ける爺の顔に暗い影が差した。


「レイラ様があのように、痛ましい運命をたどられ、また、この齢になって様々なことを見た後では、卿がレイラ様を求められたのは、そのお美しさのみが理由とも思えぬのです」

「どういうことだ、爺? まさか、おまえまでが、レイラ妃は魔女だ、などという気ではないだろうな」

「聖庁に言わせれば『魔女』になるのでしょうが、エカニアに戻れば、『聖なる巫女姫』。そして、このサラヴァルト、いえ、バトハーン卿にとって何になり得たのか。このサルドウめの分かるような話ではございませぬが――」


 サルドウは、また、ゆっくりと空を見上げた。


「私は、あの聖騎士となった少年を見ると、なぜかレイラ様を思い出すのです」


 ガタン、と激しい音がした。

 こちらを向いた爺の顔を見て、立ち上がったはずみに自分が椅子を倒したのだということに気が付いた。

 爺は俺に視線をぴたりと合わせたまま、冷静にうなずいた。


「左様。あの若い従司祭が言うとおり、かの少年は、かつて私が見たことのない奇跡を起こしました。そして、私はあの不思議な輝きを持つ黒い瞳を見ると、あの夜、卿の天幕から出て、私を見つめたレイラ様の瞳を思い出すのです」

「レイラ妃の瞳は青かった」


 なぜ、そんなことを言ったのか分からない。

 だが、俺は覚えている。幼い日、俺を見下ろして、微笑むレイラ妃の瞳は泉の(おもて)のように深い青をたたえていた。


(泉……、そうか……)


 初めて俺の目の前に現れた時、マーヤはあの泉を見たと言った。

 霊峰セラーンに続くアマルナに、人知れず老木を抱いて湧き出る泉がある。俺は、あの畔に、レイラ妃とヒシェールを埋葬したのだ。


(母上……)


 俺は心の中でレイラ妃に呼びかけた。血は繋がっていなくとも、レイラ妃は確かに俺の母であり、ヒシェールは弟だった。

 『ヒシェール殿下、シャラナル、マーヤは、魂とは言わないまでも一つの精霊――つまり、われわれの知らない神秘のようなものを共有しているのではないか?』

 サールの言葉を思い出す。

 そして、レイラ妃もヒシェールも、そしてシャラナルも、俺は守ることができなかった。なすすべもなく流れる血に浸した自分の手を、もう一度見つめる。

 今度こそ、俺は大切な者を守り抜かなければならない。

 

「爺、今の話、誰にも言ってはいまいな?」

「もちろんでございますとも。このような事を不用意に口にして、サルドウは老いぼれて、おとぎ話をするようになったと笑われては、たまりませぬからな。殿下にだけ、こうしてお話しするのです」


 そう言ってから、サルドウは微笑んだ。


「しかし、事実、私は老いたのでしょうな。最近は、昔のことがよく思い出されます」

「馬鹿を言うな」


 俺は爺の肩に手を置いた。


「サルドウ。そなたには、俺が王になるまで、いや、王になった後も長く仕えてもらわねばならん」

「ありがたいお言葉です。殿下」


 爺はそう言うと、さっと頭を下げてから、また笑った。


「まずは、この留守番をしっかりと勤めさせていただきますかな」

「うん。頼むぞ、爺」


 俺が頷くと、サルドウは元の無骨な老将軍の顔に戻り、一礼すると部屋を後にした。

 倒れた椅子を起こそうとして、ふと、壁を飾る大きなタピトスリーの影に人の気配を感じた。


「誰だ?」


 素早く剣に手をかけたが、抜く必要はなかった。


「まったく、じーさんは話が長くて困るよな」


 タピストリーの影からのんびりとした様子で出てきたのは、アルキルだった。

 


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