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トリックスターが現れました。



「とりあえず、王宮行こうぜ。サールに用事があるんだ」


 まるで、ちょっと飲みに行こうぜ、とでも言うような調子で、正体を明かしたチャラ男が言う。


「サールはおまえが王都にいることを知っているのか?」


 驚いたようにアレウズが言った。


「まあな。本当はもっと早く連絡つけるはずだったんだけど、遅くなったから、あいつ怒ってるかもな。アレウズ、一緒に来てくれるだろ?」


 なるほど。サールはこのアルキルが王都に来ることを知っていたから、ナーヴ商会で会った男の事は当面問題ない、と言ったのか。

 私は納得しつつ、横目でスノール船団の密偵を見ると、彼は、アレウズの背中を笑いながらバシバシ叩いている。

 王太子相手にめちゃめちゃ馴れ馴れしいな! 私が言えた義理じゃないけど。

 結局、私たちは三人で広場を後にし、王宮へ向かう事になった。




「ア、アレウズ。私、やっぱりアルキルの馬に乗るよ」


 街の門にある厩で、私はアルキルの方へちょっと後ずさった。


「駄目だ」


 アレウズがびしり、と言う。

 馬を連れてこなかった私を、アルキルが王宮まで乗せてくれると言ったのだが、途端にアレウズが激しくそれに反対し、自分の馬に乗れと言い出した。

 お忍びとは言え、万が一露見しないとも限らないので、王太子と相乗りはいかがなものかと思ったが、アレウズは聞く耳を持たない。

 結局後ろに乗ることになった。


「おい。もっとしっかりつかまれ。走れんだろう」


 アレウズが背中越しに言う。

 そんな事言われても……。

 バフーク隊長の時はすぐに慣れてしまったが、――というより話すのに夢中で途中からつかまることすら忘れていたが――、アレウズ相手だと、どういうわけか緊張どころか硬直してうまく体が動かない。

 私はアレウズの外套を掴む手に力を込めた。


「こ、これでいい?」


 アレウズが呆れたようなため息をつく。

 その横では、自分の馬に乗ったアルキルが、にやにやしながらこちらを見ている。

 面白いことなんて何も無いと思うんだけど……。

 そう思った途端、アレウズが突然ぐるりと上体をこちらに回したかと思うと、私の体を両手でつかんで持ち上げた。


「え――?」


 驚いている間に、アレウズは無造作に私を抱きかかえると、そのまま自分の体の前に私をおろした。


「ちょ――」


 ちょちょちょちょちょっと!!


「な、なんで?」

「暴れるな」


 アレウズは手綱を持つ両腕で、私の体をぐっと押さえた。


「こうしないと落ちるだろう」

「落ちません! 落ちないから後ろでいいよ!」

「駄目だ」

「あのー、お二人さん」


 アルキルが横から口を出す。


「いちゃつくのもいいけど、そろそろ行きませんかね?」

「「いちゃついてない! ません!」」


 同時に否定すると、アルキルは愉快そうに笑った。


「そういうことに、しといてやるよ」




 結局、アレウズはそのままの状態で、王宮まで馬を走らせた。

 今日はお忍びなのでヤラカイートではないが、それでも殿下の見事な技術で早く快適な乗馬……だったのだろうが、心臓を落ち着かせるので精いっぱいで、ほとんど記憶がない。

 馬から下りたところで、アルキルに「顔、真っ赤だぞ」とからかわれた。

 男子高校生か、おまえは!


「馬鹿ですか、あなたは!」


 サールの冷たい声が、相変わらず足の踏み場もない部屋の中にキンと響いた。

 聖庁の人間に見られないように、細心の注意を払って連れてきたアルキルを見た、サールの第一声がこれだった。

 どうやらアルキルの予想通り、連絡が無かったことにお怒りのようだ。

 それにもめげずに、アルキルは無遠慮に机の上に重ねられた羊皮紙をもてあそびながら軽く答えた。


「仕方ねえじゃん。俺にも色々都合があるんだよ」

「着いたらすぐに連絡するように、と伝えたはずですよ。文字も読めないんですか、あなたは」

「いや、読んでちゃんと返事したし。つーか、俺、あんたの部下じゃないんだけど」

「当たり前です。こんな使えない部下を持った覚えはありません。どうせ、女漁りに忙しかったんでしょう」

「ひっでえ言い草だな。否定しないけど」


 否定しないんだ。

 と、思った私を、アルキルが振り返った。


「シャラナル! こいつに言ってやってくれよ。俺がどんなにまじめに情報収集に勤しんでたかって事をさ」

「いや、私たちナーヴ商会で鉢合わせしただけじゃないですか」


 でも、確かにあの細工されていた羽目板の事を考えると、アルキルは一定期間、ナーヴ商会で諜報活動をしていたのだろう。

 そして、そのハイライトともいえるキリタリア商人とマラーフの会合の探索は……私たちの鉢合わせによって、ぶち壊しになった……。


「使えませんね」


 サールが氷のように冷たく言う。


「すみません……」


 しゅんとした私を見てアレウズが言った。


「おい、マーヤは悪くないだろう。悪いのはアルキルだ」

「俺かよ!」


 目を剥くアルキルの前に、サールがどん、とお茶を置いた。


「とにかく、それでも飲んで、さっさとスカヴィアの状況を報告してください」


 私たちの前にも銀製の茶器が置かれたが、その中身を知っている私とアレウズは手を出さない。


「まあ、歓迎してくれとは言わないけどさ。酒くらいねえの?」

「あっても出しませんよ」

「ちぇっ」


 注意しようかどうか迷う間もなく、アルキルはカップを手に取って、ぐいと飲みほした。

 が、一向に平気な顔をしている。

 あれ? 辛くないの?

 試しに飲んでみると、舌がひりひりするほど辛い。

 涙が出そうになっている私の横で、アレウズがサールに聞いた。


「おまえ、いつからこいつと連絡をとっていたんだ?」

「半年ほど前、キリタリアのヴィエネトで式典があった時に再会して、それからです」

「おまえ、ヴィエネトに戻ったのか?」


 呆れたようにアレウズがアルキルを見た。


「戻ったわけじゃねえよ。スカヴィアの代表団として行っただけだ。気が付く奴なんかいないさ」

「私以外は、ですがね」

「おまえ、見つかったら縛り首だろう」


 え、縛り首?

 私が驚いて顔を上げると、アルキルはにやっと笑った。


「あの御曹司、今じゃ親父の跡を継いで商船委員会のメンバーだってな。笑えるぜ」

「クレネス殿はヴィエネトの代表を立派に務めておられますよ。商船委員会の中でも信用に値する人物です」


 ん? クレネス?


「は~、あの泣きべそ坊ちゃんが立派になられましたねえ」

「サール、そういう事ならなぜ俺に言わない」

「だって、あなた嘘が下手でしょう?」


 サールが澄まして言う。


「私がスカヴィアの情報を持っていることを知りながら、枢密院であのマラーフ殿相手に素知らぬ顔ができますか?」

「……できないな」

「おまえ、相変わらずだな」


 アルキルが笑う。


「大体、このイカサマ師の情報が当てになるのかどうかも分かりませんでしたしね」

「おい! イカサマってなんだ」

「あなたの商売のことですよ。十年前だってこの王宮で、学生たちから一体いくら巻き上げたんです?」

「確かに、ここではずいぶん稼がしてもらったけど、詐欺師呼ばわりは気にくわねえな。俺のカードの腕前はイカサマじゃなくて芸術だ」

「あの~……」


 恐る恐る声をかけると、三人が一斉にこちらを向いた。


「さっきから、縛り首とか、イカサマ師とか……。アルキルは殿下の御学友じゃないんですか?」

「また、そんな適当なことを」


 サールが非難がましい目でアルキルを見る。


「いや、別に嘘じゃねえだろ」

「まあな」


 アレウズが何かを思い出したように笑うと、親指でアルキルをさした。


「こいつは、塩の商いで有名なキリタリアの都市ヴィエネトの代表を代々務める、フィルコ家の長子クレネス……の偽物だ」

「はあ?」


 アレウズの説明によると、十年前、ヴィエネトの名家フィルコの息子がアレウズの学友としてこの王宮にやってきた。

 サールの場合は、人質だったが、キリタリアの名家から来る男子はサールとは事情が違い、サラヴァルトとの有力者と関係を築くことを期待して、親が進んで送ってくるのが普通だ。

 そうして、フィルコ家の長子クレネスはやってきた。見るも哀れなぼろぼろな姿で。

 本人の話によると、途中で盗賊に遭い、身ぐるみ剥がれ、供の者たちにも逃げ帰られてしまったとの事だった。しかし、フィルコ家の紋章で封をされた手紙を持っていたので、誰も彼を疑わなかった。


「まったくばかげた話です」


 サールがため息を吐いた。彼の意見によると、明らかに怪しいにも関わらず、いい大人たちが揃いも揃って、まだ少年であるアルキルの巧みな弁舌に騙された、ということだった。


「確かに、よく見なくても、おまえがあのヴィエネトの名家の出とは普通思わないだろうな。何といっても、俺に会って第一声が『金を貸してくれ』だからな」


 アレウズが笑った。

 もちろん、殿下はお金など持って歩いていないので、アレウズは身に着けていた剣帯の飾りから金貨を一枚外して与えた。


「それが間違いです」


 サールが厳しく言った。

 なんと、アルキルはその金貨を元手に、王宮に学びに来ていたお金持ちの子弟相手に賭博カードを始めたのだ。

 気が付いた時には、彼らのほとんどが有り金を巻き上げられていた。


「そこに、本物のクレネス殿が現れたというわけです」


 王宮の人間たちが事の次第を悟った時には、偽クレネスことアルキルは、儲けたお金と共に姿を消していた。

 結局クレネスを襲ってきた盗賊、というのはアルキルのことで、襲われた本物のクレネスは、苦労して国に戻り、再び供の者たちを連れてやってきた、というわけだ。




「とんだ、イカサマ師じゃないですか!」


 そんなのヴィエネトに戻った場合、ただでは済まないのは当然だ。


「面白い奴だろう?」


 アレウズは笑っている。

 いやいや、クレネス殿が気の毒すぎるし……。


「という事は、アルキルさんはこのサラヴァルトでも――」

「お尋ね者さ」


 アルキルは軽く私にウィンクをしてみせる。


「ばらされたくなかったら協力しろ、ってそこの冷徹な司祭様に脅されて、この状況ってわけ」

「私が冷徹なら、あなたはとっくに縛り首です。私は使えるものは使う主義です」

「それ、褒め言葉、ってことでいいのかな?」

「そう思いたいなら、さっさと使えるという事を証明してください」

「へいへい、相変わらずナイフみてえな舌をお持ちで」


 アルキルはため息をつきつつ、たっぷりとした袖に手を入れた。途端に、その手から手品ように細長い布がするすると引き出されたかと思うと、ふわりと宙に舞った。

 私はあわてて、目の前に落ちてきたそれを手に取った。柔らかくて軽い手触りには覚えがあった。シュルター城でフイース様たちが着ていたドレスと同じ織布だ。


「よし、そのまま持ってろよ」


 アルキルはそう言うと、布の端を持ってさらに広げる。

 結構な長さだ。そして、その表面には模様のように文字が書かれている。

 アレウズとサールが同時にそれを覗き込んだ。


「船荷のリストですね」

「すべてティスキアに運ばれた絹糸だな」


 二人が熱心に文字を追っているので私も一応眺めてみたが、頭が痛くなりそうなほど文字が細かい。


「で、これがどうした?」


 早速読むのに飽きたらしいアレウズが顔を上げる。


「まあまあ、もうちょっとよく見なよ」

「さっさとするように、と言いませんでしたか?」


 非難がましい口調で言いながらも、サールは文字から目を離さない。

 活字中毒かな、この人?

 上司に任せきりにするのも何なので、私ももう一度そのリストを眺めた。右側に見慣れない文字が幾つかある。


「涙貝に、銀製の……インク壺??」


 私がそれを読むと、アルキルがぱちん、と指を鳴らす。


「大正解! シャラナル君には俺から特別に熱い抱擁――」


 がしっ、とその顔面を大きな手でつかんで、アレウズが鋭く振り返った。


「マーヤ。おまえ、ルス語を読めるのか?」


 え? ルス語?

 私が首を傾げていると、やっとの事でアレウズの手を引きはがしたアルキルが怒鳴る。


「何すんだ!」

「マーヤに近付くな」

「おまえ、さっきからマーヤ、マーヤって何なんだよ! そいつはシャラナルだろ?」

「マーヤはマーヤだ」


 騒ぐ二人を差し置いて、サールがこちらを見る。


「まさかとは思っていましたが、ルス語まで読めるとは驚きですね」

「え?」

「気が付いていたのか、サール?」


 まだ何やら怒鳴っているアルキルを無視して、アレウズが言った。

 サールはもう一度、ちらりと私を見ると言った。


「シャラナルは、今まで私が渡したシャンミーヤ語の資料も、ビサンテ語の典礼も、エカラク古語の文献も問題なく理解していました」

「それは……すごいな」


 アレウズが呆然としたように言う。


「え……?」


 今更そんなに驚かれる方が意外なんだけど。

 今まで、サールから渡される資料や文献の文字の形状が違うことはわかっていた。しかし、読めてしまうのだから仕方ない。

 そもそも、この世界(?)に来てから、言語は自然にサラヴァルトのハイルク語に移行していたし、理由は不明だが、シャラナルが知っていた言語は自然に身についているんだろう、くらいにしか思っていなかった。


「ふーん。おまえ、やっぱり女だろ」


 アレウズたちの会話を聞いていたアルキルが、出し抜けに言った。


「何ですか、いきなり? 男ですってば!」


 思わず大声で否定する。

 ん? この響き……。


「どうやら、読むだけじゃなくて話す事もできるみたいだな。発音はちょっと変だけど」


 アルキルが笑う。


「今の……」

「ルス語だよ。それもイルティスア北西のカテナ地方の方言だ」


 アレウズもサールも目を丸くして私を見ている。

 そんな驚くことないような……。そもそも、私、異世界人だし……。

 私の事情を知らないアルキルの方が、却ってごく自然にこの事実を受け入れている。


「多言語使いなんて、便利でいいじゃん。俺もそうだけど」

「そうなのか?」


 アレウズがさらに驚いたようにアルキルを見た。


「まーね。アルイール大陸とイルティスアの言語は大体わかるぜ。おかげで今まで生きてこれたんだ」


 そうなんだ。異世界チートが発動しているっぽい私はともかく、このアルイール大陸だけでも何言語もあるだろうに、イルティスアの言葉までわかるというのは、かなりすごい事だと思う。


「言語にずば抜けて長けた人間というのが、ごく稀にいることは知っていましたが……」


 サールが何かを考え込みながらつぶやく。

 アレウズも何も言わずに私を見ている。

 なんだ、この空気?


「と、とりあえず、話を戻しましょう!」


 私はアルキルを振り返った。


「それで、貝とか壺がどうしたんですか?」


「ん? ああ」


 アルキルは、改めて織物に書かれた文字を指さした。


「これは、一年前からの数か月間、イルティスアからティスキアに絹を運んだ帆船のリストだ。言っておくが、書き写すのはすげー大変だった」


 サールの方を見ながら最後の一文を強調するが、当のサールは、それがなにか? という顔をしている。

 アルキルはあきらめたように続けた。


「イルティスアのティブレとティスキアの絹貿易の歴史は古いが、こちらの王太子殿下が遣わされた無敵の弓兵が、キリタリアの貿易船に乗るようになってから、帆船の入港が一気に増えた」

「スカヴィアの船に襲われる心配が減ったからな」

「キリタリアは商売繁盛で結構だけど、こっちの上がりは減ってるんだぜ。まあ、その話は後だ」


 アルキルは布の上の文字に視線を戻す。


「で、通常絹糸はドーキアと呼ばれる小型帆船で運ばれる。軽い物しか運べない代わりに、足が速いからうってつけ、と言いたいところだが、惜しいことに一度に運べる量が少ない。需要が増えたからって突然船の積載量が増えるわけじゃないしな。そこで、ランゴル船団傘下のイノークって連中は考えた――」

「自前のドーキア船で、海賊から荷運び屋に転身したんですね」


 ため息をつくようにサールが言った。


「ええ?」


 私は唖然とした。


「元海賊に荷物預ける人なんて、いるんですか?」


 アルキルは、当然というように頷いた。


「スカヴィア人を野盗の類と一緒にしてもらっちゃ困るぜ。契約して、金さえちゃんと払ってくれりゃ、メアーラ海峡で最も信頼できる味方になるのさ。スカヴィアの戦士は信義を重んじ、契約を決して違えないからな」

「まあ、そうですね。あなたが言うと胡散臭いですが」

「どういう意味だ?!」


 アルキルがサールに食って掛かっている横で、アレウズがルス語で書かれた文字を指でたたいた。


「なるほど、つまりこいつは密輸品だな」

「密輸品?」


 首を傾げると、アレウズがこちらを見る。


「ティスキアとティブレは一年前から、絹の取引に限り関税を免除する協定を結んでいる。つまり、絹しか運ばないドーキア船は港でも水門でも、荷の検分を受ける必要がない」

「密輸にはもってこいですね。そういう旨味がなければ、スカヴィアの連中がカタギの仕事なんてするわけありません」

「おまえ一々ハラ立つな。でも、まあそういう事だ」


 つまり、本来輸入する際に税金がかかる貝やら銀製品やらをただで持ち込んで、荷運び料の他にも儲けを出している、というわけだ。契約は違えないにしても、ロクでもない人たちだな。


「おいおい、シャラナル。考えてることが顔に出てるぜ」


 アルキルがこちらを見て苦笑いする。


「ま、いいや。ここからが本題だ」


 そういうと、スカヴィアの黒豹さんは居住まいを正した。


「ドーキア船は軽い物しか運べない、とさっきは言ったが、これはティブレやティスキアの船乗りの場合だ。イノークにかかれば、同じ船でも積載量はぐんと上がる」

「なんで?」


 私が目を丸くすると、アルキルは得意げに笑った。


「スカヴィア人は海の民だぜ。技術が違う。大陸の連中が操舵に10人必要だとしたら、その半分の5人で充分。荷物だって、積み方と航路の選び方でいくらでも乗るようになるのさ」

「すごい!」

「うんうん、もっと褒めていいぞ。まあ、無限に積めるわけじゃないけどな。でも、すげー重い物でも一個くらいなら積める」


 アルキルの茶色い目が光った。


「例えば、大砲とかな」


 アレウズとサールの顔に緊張が走った。


「ドーキア船で、大砲をイルティスアからキリタリアに運んだのか?」

「イノークがそれを白状したのですか?」


 同時に勢い込むように問いかける。

 アルキルは冷静に続ける。


「イノークはランゴル船団の傘下だ。俺に情報を流す義理もないし、そもそも契約がある以上、上層組織の命令でもスカヴィアの戦士の誇りに掛けて、積み荷を明かすような真似は絶対にしない。けど、俺はその()()()()()()()が誰の依頼で運ばれたかを突き止めた」

「誰だ?」

「イルティスアの高貴族バルトマンド家の当主だ」

「まさか……」


 サールが眉をひそめた。


「知っているのか、サール?」


 アレウズがサールの方へ顔を向ける。


「イルティスアで最も古い家系の一つです。広大な所領を持ち、イルティスアの宮廷内で最も富裕ですが、その財力はもっぱら芸術に関する分野で行使されています。政治的に有力ということは聞きませんし、ましてや軍事や金儲けに関心があるとは思えません。なぜその家の当主が大砲をキリタリアに……」

「まあ、本命は大砲じゃないかもな」

「どういうことです?」

()()だよ。イノークの連中が密輸品の隠語で貝を使う時は、大抵人間のことだ」

「そうか!」


 突然アレウズが大声を出した。


「大砲の技術者だな」

「そういうこと」

「どういうこと?」


 私が口を挟むと、アレウズがくるりとこちらを向く。


「シュルター城でバルスクの戦いぶりを見ただろう? あんなに連続して大砲を撃つには相当の技術がいる」

「う、うん。そうだね……」


 よく分からないけど……。


「バルスクの砲兵はよく訓練されていた。大砲の製造に関わった者が、直接指導したに違いない」

「やっぱりな。理由はよく分からねえが、多分イルティスアで大砲を作っていた技術者数人がバルトマンド家の助けで、キリタリアに亡命した。で、そこから経路は不明だが、バルスクまで行って、大砲を技術付きで売り込んだ、ってわけだ」


 なるほど、確かに物があっても使い方が分からなきゃ意味ないもんね。でも……。


「そのイノーク?っていう人たちが運んだ大砲が、シュルター城で使われた物と同じかは分かりませんよね?」

「いや、分かる」


 アルキルに即答されて、私は面食らった。


「なんで分かるの?」


 アルキルの茶色い瞳が私を見た。


「だって、それ、俺が借金のカタに巻き上げた大砲だぜ」


 一瞬、アルキルを除く全員の動きが止まった。


「え……?」

「だから、バルスクが使ってる大砲は、俺が賭けカードでボロ負けしたバルトマンド家の若様から、金の代わりに頂いたもんなんだよ」

「じゃ、じゃあ、さっき『盗まれた』って言ったのは……」

「ああ、俺の船から盗まれたんだ。間違いなく、バルトマンドにいた技術者の奴らが盗って行ったのさ。それで、こっちも必死に追ってる、ってわけ」

「…………」


 あまりの成り行きに声も出ない私の横で、サールが、がくっと肩を落とすと低い声で言った。


「つまり――」


 あ、なんかヤバい感じ、と思う間もなく、サールががばっと顔を上げる。


「元凶はあなたですかー!!」


 次の瞬間にはもう、ダークオーラ全開でアルキルを締め上げていた。


「協力する、とか恩に着せておいて、こっちがあなたの尻ぬぐいをしているんじゃありませんか!」

「いや、違うって」

「言い訳は聞きたくありません!」

「ちょ、ちょっとサール様! っていうか、止めてよ、アレウズ!」


 私は暴走するサールを必死に引き止めつつ叫んだ。

 アレウズはと言えば、この騒ぎの中、顎に手を当てて長考モードに入っている。

 こんな時に~!


「アレウズ! アレウズってば!」


 必死の私の呼びかけに、はっとしたアレウズが片手で軽くサールを引きはがす。


「よせ。別にこいつのせいじゃないだろ」


 まだ気が収まらない様子のサールを私に押し付けつつ、アレウズはアルキルの方を見た。


「おまえのような抜け目の無い奴からそれ程の物を盗むとは、技術者連中だけの仕事ではないだろうな」

「そのとおり、さすがは殿下」


 アルキルはちょっと咳き込みながらも、にやっと笑った。


「俺の船を襲ったのは、ランゴルの影猫さ」

「影猫?」

「ああ。ランゴル船団直下の、隠密部隊だ。月の無い夜を狙って船を襲うから、そう呼ばれてる。首領の子飼いらしくてな、スノールでも、そいつらが一体何者なのか、何人いるのか把握できていないくらいだ」

「つまり、ランゴル船団の首領自ら、この大砲密輸の件にかかわっているということだな……」

「そういうこと! で、もちろんその背後にはキリタリアの有力者がいるだろうと踏んで、俺はナーヴ商会に潜んでたってわけだ」

「で、どんな成果があったんです?」


 なんとか怒りを飲み込んだらしいサールが冷たく言った。


「そりゃ、そっちの少年に聞いた方がいいんじゃないか?」

「え?」


 突然話を振られて、私は顔を上げた。

確かに、ナーヴ商会でキリタリアの商人は「我々とランゴル船団の関係」と言っていた。そして、その席にはバトハーン卿の腹心マラーフがいた。


「大砲がバルスクに渡った道筋は、これで大体説明がつくな」


 アレウズが長考ポーズのまま言った。


「じゃあ、バトハーン卿がバルスクに渡ることを見越して、セノンテス伯に大砲を渡したってこと? なんのために?」

「サラヴァルト軍を敗北させるため。そして、あわよくば俺を消すためだ」

「え……」


 大体予測できていたとはいえ、いざはっきりと言われると、やはりどきりとしてしまう。自分の国、自分の甥なのに……。


「殿下が軍を率いるようになってから、サラヴァルトがバルスクに大敗したことはありませんからね。その分、もし、ミレトスを取られ、シュルター城を抜かれていたら、殿下はじめ旗司庁の権威は一気に地に落ちたことでしょう」


サールが言うと、アルキルも何かを考えるように腕を組んだ。


「それに、セノンテスがバルスクと友好関係を結べば、一時的にバルスクの侵攻を止めることだって可能だよな。まさに逆転の発想ってやつだ」

「感心している場合ですか!」

「いや、だって、考えてみろよ。いわば力押しでバルスクに対していたアレウズが失脚した後で、バルスクとの戦を友好的に治めることができたら、そりゃ立派だよな。そのうえ、イルティスア進軍なんてサラヴァルトの悲願を掲げられた日にゃ、聖賢王・アルカーの再来とか言われるんじゃね?」

「聖賢王がなんですか!? 殿下は健国王・アゼカイルと同じ『トルヴァの獅子』と呼ばれているんですよ!」

「いや、そこじゃねえし……」

「でも……」


 思わずサールの後ろから、口を挟む。


「シュルターの戦いは文句なく、殿下の勝利でした。だから、その計画は失敗したんでしょう?」


 私は両手をぎゅっと握りしめた。

 あのガーフの丘の包囲戦で、シュルター城の戦いで、敵は目の前のバルスク軍だけでは無かった。

 自分の国の兵士を、国境を守る民を、自分と血を分けた甥を殺す餌にするなんて、私には想像もできない、したくもない冷酷さだ。

 私はラバナーン平野に倒れた兵士たちを、傷ついた姿で返されたミレトスの女性たちを思った。

 あれら全てが、身勝手な野心のために使われた駒に過ぎないとしたら……。


「マーヤ」


 いつのまにか、アレウズが私の隣に来ていた。肩に手が置かれる気配がする。


「責めは俺が負うものだ。おまえが苦しむな」

「違う!」


 私は思わず叫んだ。


「アレウズの責任なんかじゃないよ! アレウズだって、あの戦いでシャラナルを――」


 その瞬間、アレウズの琥珀色の瞳が何かに突き刺されたように見開かれた。

 私はそれを見て言葉を飲み込んだ。

 アレウズの傷に触れてしまったと思った。

 成り行きを見ていたサールが、静かに口を開く。


「殿下、マーヤの……シャラナルの言うとおりです。我々はシュルターの戦いで奴らの企みを挫き、殿下の名声と民の信望はさらに高まりました。あなたは勝ったのです」

「分かっている。どんな汚い陰謀があろうと、戦は戦だ。戦いに身を捧げた者たちの名誉が、損なわれる事は無い」


 アレウズはそこまで言うと、私のそばからするりと離れて背を向けた。


「だが、俺の不明のために死ななくてよい者たちが死んだ。これも事実だ」

「殿下……」


 サールの言葉をさえぎるように、アレウズが振り向いた。

 琥珀色の瞳に、蝋燭の炎がちらちらと揺れている。


「もはや見過ごすわけにはいかん。バトハーン卿を捕らえる」

「しかし……」


 サールが声を落として言う。


「陰謀を暴くには、あまりにも証拠が足りません。大砲がバルスクに渡った経緯も、証明はできないのです。あの抜け目のないマラーフ殿が尻尾を出すとも思えない。この状態で枢密院がバトハーン卿を渡すわけがありません。却って殿下が叛意ありと見なされる危険すらあります」

「だが……」


 アレウズが口を開こうとした時、場違いに軽い声が言った。


「証拠なら、当てがあるぜ」


 サールが素早く振り向く。


「どういうことですか、アルキル?」

「俺に任せろ、ってこと」


 アルキルはそう言うと、自信ありげににやりと笑った。


「バトハーン卿の邸には、生きた証拠があるんだ」




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