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―アレウズー 俺の(元)従士が無防備すぎる件。


「これがレーシュ鋼か……」

 

 俺は黒光りする刃先に指を触れた。

 外からは、広場の賑やかな声が聞こえてくる。

 この鍛冶屋の徒弟たちも、今日は仕事を早めに切り上げて、祭りの準備に行っているらしい。

 俺はその薄い三日月のように反った剣を振ってみた。


「ずいぶん軽いな」

「踊り子の衣みたいに薄いですからね。しかし、丈夫ですよ」


 研ぎ師のバールが言う。

 目の前の試し切り用の丸太に切り付けると、鋭く風を裂く音がして剣がしなり、一閃で丸太は見事に真っ二つになった。

 噂には聞いていたが、驚くべき切れ味だ。


「見事にしなるでしょう。剛剣をまともに受けることはできませんが、何人相手にしても折れることはまずありません」

「なるほどな」


 俺は、もう一度その切っ先に触れ、刃に浮かぶ模様を見た。

 波が渦を巻くようだ、とスカヴィア人は言うらしい。

 俺は海を見たことはないが、この模様は美しいと思った。


 レーシュ鋼はタイタリア地方の離れ小島で採れる純度の高い鉄の事だが、その鉄で作られる剣もまた、同じ名で呼ばれる。

 特にスカヴィアの戦士は切れ味が鈍らないこの剣を好み、船を奪う際の乱戦に適した形に開発した。


「それで、先月から数えて何本目だ?」

「もう40になりますな」

「40か……」


 多すぎる。

 バールは王都一の腕前を誇る研ぎ師だ。そのためキリタリアの商人は高く売りたい品を、わざわざここまで持ってくるほどだ。

しかし、今までそれはトルヴァの騎士が使う馬上戦闘に特化した剣や、ビサンテの騎士の長剣に限られていた。それが、一月でキリタリアでもまだ珍しいレーシュ鋼40本、というのは尋常ではない。


 キリタリアからイルティスアへの航路が確保されたことで、メアーラ海峡を押さえているスカヴィア人たちとの交易も盛んになった。その事を考えれば、レーシュ鋼の剣が持ち込まれることも不思議ではないが、数が多すぎる。

 つまり、これはスカヴィア人たちが何らかの戦の備えをしており、そこにキリタリアが武器を売る余地があるという事を示唆している。

 

 俺はレーシュ鋼を銀製の鞘に納めた。

 マーヤがナーヴ商会の宿で聞いた、「ランゴル船団」の名が気にかかる。

 スカヴィア人はまとまった国を作らず、いくつかの船団に分かれ、貿易や海賊行為、傭兵稼業で生きている。ランゴル船団はその中でも最大といえる組織であり、スカヴィア人全体はこのランゴル船団、あるいはもう一つの巨大組織スノール船団に直接または間接的に属している。


 あの日、ナーヴ商会に集まっていたキリタリアの商人たちは、このランゴル船団を使って、イルティスアに対し何らかの武力行動に出ようとしているのだろう。そこにマラーフが噛んでいる。

 「貴国の協力」と商人は言ったというのだから、つまり、キリタリアの財力、ランゴル船団の海軍力、そしてこのトルヴァの騎兵力でイルティスアを攻める算段だろう。


 同盟としては悪くない考えだが、現在バルスクから攻撃を受けているサラヴァルトには、強国イルティスアと事を構える余裕はない。

 これが、単なる将来への計画であればそれまでの事だが、マラーフはおそらく、近々これを実現させようと考えているに相違ない。

 そして、この同盟の背後にいるのは、まず間違いなく叔父上、バトハーン卿だ。


「バトハーンは、有能な王になっただろう」


 ふいに、父上の口から漏れた、思いがけない言葉が脳裏によみがえった。


 今朝、柘榴石の塔から戻る途中、俺は王だけに許された通路を通り、父上の伏している寝所へ入った。

 数か月ぶりに見る父上は、直視するのがつらく思えるほどに弱っていた。かつての栄光にあふれた堂々とした姿は影もなく、そこにあるのは骨と皮ばかりになった、小さな肉体だった。

 俺が近付くと、父上は目を開けた。

 透き通るように輝く金色の瞳は、トルヴァの王家に代々受け継がれる獅子の目だ。その光が失われていないことだけが、救いだった。


「アレウズか……」


 その声は、皮膚と同様に乾き、力なく響いた。


「父上、お加減は」

「見てのとおりだ。もはや、起き上がることもままならぬ」


 淡々とした口調には自嘲めいた響きもなく、それが単に事実であることを示していた。

 俺は一瞬躊躇したが、すでに待つ時間も少ないことを感じ、単刀直入に言った。


「バトハーン卿に不穏な動きがあります。枢密院を解散してください」


 父上の様子に変化はなかった。

 ただ、俺を映していた金色の瞳が一瞬閉じられ、やがて虚空の一点を見つめた。


「バトハーンは有能な男だ。私ではなく、あれが王になるべきだった」


 思いがけない言葉だった。


「父上、何をおっしゃいます」


 あるいは、意識が混濁しているのかとも思い、俺は父上に一歩近づいた。

 だが、その意識ははっきりとしていた。深く刻まれた皺の中で、この世のものとは思えない透き通った光を放つ瞳が、それを証明していた。


「私は王には向かぬ、凡庸な男だ。愛する者をすら、守ることができなかった」


 俺は胸をつかれた。誰の事を言っているのかは、明白だったからだ。


「だが、私にはおまえがいる。お前は歴代のどの王よりも猛き戦士であり、おまえもまた、この国を治めるのに相応しい男だ。バトハーンが王位に就いて後、おまえを王太子にたてる決意があったのならば、私がこの王座に残る必要はなかった」


 父上は深くため息をつくと、また口を開いた。


「しかし、バトハーンの野心は大き過ぎた」

「今や、その野心がこのサラヴァルトを危険にさらしています。父上、ご決断を」


 俺の言葉を聞いて、父上はまたこちらに顔を向けた。


「枢密院を解散してどうする。誰がこれより先の(まつりごと)を行うのか」

「父上です」


 一瞬、あたりを沈黙が支配した。

 石像のような父上の瞳が、一瞬揺れたように思った。

 その口から、弱々しくため息が吐き出された。


「馬鹿なことを」


 その言葉を聞いた俺は、思わずカッとなった。


「父上以外の誰にこれが務まるというのですか?! お体がつらければ、選王候に補佐をさせれば宜しいでしょう。何のための騎司候です?」

「自分にさせろ、とは言わぬのだな」


 父上が静かに言った。

 俺は憮然として答えた。


「俺はまだ未熟です。戦士としては、この国のどの騎司にも引けを取らぬつもりですが、政は別です。父上のなさりようを見習ってこなかった。まだ勉強が足りません」

「それで、今更この老骨を叩き起こしに来たというわけか」

 

 父上の口に一瞬、笑みが浮かんだように見えたが、それも忽ちのうちに消えた。再び石のように固くなった表情で、父上はきっぱりと言った。


「枢密院を解散することはならぬ」

「父上……」


 俺は努めて冷静に言葉を継いだ。


「それでは、サールを枢密院の成員としてください。明晰さならば、あれに並ぶ者はおりません」

「ならぬ」

「なぜですか?」

「あれは、聖庁に捧げられた者だ。生涯、聖庁を離れる事はできぬ」

「しかし……」

「アレウズ」


 思いがけず強い響きを持って、父上が俺の名を呼んだ。

 俺ははっとして、父上を見た。

 屍のように動かなかった身体が、わずかに震え、その細くなった上体が起きあがる。俺は、思わずその背を支えた。

 掌に温もりが伝わり、見上げると父上の金色の瞳から鋭い鷹のような視線が俺に注がれていた。


「よいか、アレウズ。常に大局を見ることを忘れるな。おまえが学ばなければならぬのは、戦術でも政でもない。王たる者の道だ」

「王たる者の道……?」

「次の王はおまえだ。トルヴァの獅子よ。しかし覚えておくのだ。武のみでも智のみでも、このアルイールを治めることはかなわぬ。民のための国を築け」


 そこまで言うと父上の体から、がくりと力が抜けた。


「父上!」


 俺は思わず叫んだ。


「誰か――」

「よせ、アレウズ」


 父上が、細いながらも鋭い声で俺を制した。


「誰にも見られず、同じ通路を通ってこのまま戻れ。常に慎重に冷静にあるのだ。良いな?」


 そこまで言うと、父上は静かに目を閉じた。

 俺は、その体をそっと横たえた。

 寝具を胸元まで引き上げると、弱々しく、しかし確かな鼓動を感じた。


「承知いたしました。……父上」


 俺は、頭を下げて、寝所を後にした。




「次はスカヴィア人と戦ですかい?」


 気が付くと、(かしら)がバールの横で俺のルウサヴォールを持って立っていた。


「それは避けるべきだろうな。こんな武器を持つ連中は手強そうだ」


 俺は答えると、レーシュ鋼をバールの手に返した。


「まあ、大した技術だとは思いますがね。俺たちだって負けちゃいませんよ」

「それは疑っていない」


 俺は笑うと、頭の手からルウサヴォールを受け取った。


 大局を見ろ、か。

 俺は父上の言葉を反芻しながら、ボブイーブ祭前夜の賑わいを見せる広場へと出た。


 ふと、コルルの見事な調べが流れだす。

 この腕前は、ヴァクルのものに違いない。

 広場の中央を見ると、従士たちが街の娘と楽し気に踊っているのが見えた。

 俺は先ほどまでの陰鬱な気持ちを、しばらく忘れる事にした。

 祭りも近い。たまにはこういう日があってもいい。

 そう思った次の瞬間、信じがたい光景が目に飛び込んできた。


「マーヤ?」


 思わず声が出る。

 踊る男女の中に、間違いなく、マーヤの姿がある。そして、その手を取っているのは、あのナーヴ商会の窓からマーヤを追って来た男だ。


 次の瞬間、俺は広場へ飛び出した。しかし、すぐに二人の姿は人ごみのなかに消えてしまった。

 一瞬、幻かと思ったが、俺がマーヤを見間違えるわけがない。

 夢中で人ごみをかき分けてその姿を探す。

 目の端に、建物の影へ吸い込まれるように消える、黒髪が映った。

 次の瞬間、俺の体はその方向へと走り出していた。




「え……。アレウズ?」


 きょとんとしたマーヤが黒い瞳に驚きを浮かべて俺を見ている。


「無事か?」

「なんで――」

「無事だな!」


 俺は必要最低限の事のみを確認すると、薄暗い通路から広場へ向き直った。

 祭りの篝火を背にして、例の旅芸人風の男が、口元に不敵な笑みを浮かべて立ち上がる。確かに投げ飛ばしたと思ったが、手ごたえは無かった。

 軽業師のように身軽そうな体型だが、その隙の無さは間違いなく戦士のものだ。

 俺は剣に手を伸ばした。

 一瞬、男の視線が素早く俺の手に飛んだ。

 抜くか?

 そう思ったが、男は意外にも吹き出すように笑い出した。


「相変わらず馬鹿力だな」


 相変わらず?

 男の言葉に思わず眉を顰める。こいつと会ったのは、ナーヴ商会の路地で、それも一瞬の出来事だったはずだ。


 男がこちらに近づいてきたので、俺は剣に手をかけた。


「おいおい、本当に覚えていないのか」


 男が目を丸くする。俺はその警戒心の無い薄茶色の瞳を凝視した。


「誰だ、貴様?」

「あ~、マジかよ。ちょっとショックだな」


 男は大げさにため息をつくと、驚くべき素早さで懐に手を入れた。俺が剣を抜く間もなく、次の瞬間、その手から金色に光るものが弾きだされた。

 俺は、星の欠片のように、煌めきながら飛んできたそれを、反射的に手に取った。


「長いこと借りてて悪かったな」


 男がにやりと笑う。

 俺は男の動きに用心しつつも、手の中にあるものを見た。

 それは、金貨だった。かなり古いもので、第四代の王とおぼしき横顔が浮き出ている。

 その横顔に、小さなへこみがあった。

 それに気づいた瞬間、脳裏に一人の少年の姿が蘇った。

 俺が投げた金貨を歯でかみ、その少年は、目の前の男と同じように笑って見せた。


「クレネス……」


 俺は呆然としてその名を呼んだ。

 目の前の男は舞台役者のように大袈裟な身振りで、胸に手をあてると一礼した。


「思い出していただき光栄です。殿下」


 俺は思わず駆け寄って、その肩をつかんだ。


「クレネス! 本当にお前なのか?」


 茶色の瞳がいたずらっぽく光った。


「まあ、それは元々俺の名前じゃないけどな」


 それは、まぎれも無く、俺が知っている男だった。長い年月を経て背が驚くほど伸び、ティブレ産の練り絹のように滑らかだった白肌は、真っ黒に日灼けしている。しかし、そのよく感情を表す茶色い瞳は、あの頃と全く変わっていなかった。


「貴様、なんだその恰好は? なぜ今頃王都に――?」

「今だから来たんだよ。しっかし、忘れられてたなんて悲しいな」

「忘れていたわけじゃない。そんな(なり)だから分からなかっただけだ。まるでスカヴィア人だな」

「さすがの洞察力だね。お察しのとおり、今の俺はスカヴィア人だ。通り名は――」

「ちょっと、アレウズ!」


 突然、袖を引かれて振り向くと、訝し気な表情のマーヤと目が合った。


「この人と知り合いなの?」

「ああ。こう見えて、俺は殿下の御学友だ」


 俺が答えるよりも早く、クレネスが言った。


一月(ひとつき)程度の事だったがな」


 俺が付け加えると、クレネスは首をかしげた。


「そんな短かったか? 二月はいたと思ってたけどな」

「間違いなく一月だ。ちょうど鷹放しの時期だったからな。よく覚えている」

「さっきまで忘れてたくせに」

「忘れていたのではない、と言っているだろうが」

「ちょっと、ちょっと、ちょっと」


 マーヤが俺たちの間に割り込んできた。


「どういうことか説明してよ。ゴガクユウって言うけど、私、この人にカツアゲされかけたんだからね!」

「カツアゲじゃない、俺は取引を――」

「あんな取引の仕方があるか」


 俺は先ほどの様子を思い出して思わず不機嫌になった。

 それを見ると、クレネスは肩をすくめてマーヤを見た。


「随分気に入られてるみたいだな、少年」

「シャラナルです」

「シャラナルか。俺はアルキルだ。通り名は――」

「おい、馴れ馴れしくするな」


 俺は、マーヤの手を取ろうとしたクレネス、もといアルキルの手をびしりと打った。


「ってえな! 何するんだ」

「手なんか握るな。こいつは俺の従士だ」

「元、ですよ! 今は騎士です」


 また間に割り込んできたマーヤと俺をしげしげと見比べて、アルキルはにやりと笑った。


「なるほどね。分かった、手は出さねえよ」

「いや、前も言いましたけど、私は男で――」

「男か女かは関係ない」

「あ、そうですか……じゃなくて!」


 マーヤが俺の横から身を乗り出した。


「ナーヴ商会で、一体何を探っていたんですか? もしかして、殿下の命令?」


 くるり、とこちらを向くマーヤを見て、俺は首を振った。


「俺は知らん。ついさっきまで、こいつがここにいるなどとは思いも寄らなかった」

「ああ、当然だな。俺、密偵だし。っつーか、今更『殿下』なんて言っても意味ねえから、いつもどおり、アレウズって呼んだら?」


 マーヤがぎくっとした顔になる。

 俺はため息をついて、目の前の男を見た。


「それで、おまえの事は『アルキル』と呼べばいいんだな。一体何の目的でこの王都へ来た?」


 アルキルは、芝居がかった咳ばらいをすると、俺たちに向かい「今度は邪魔すんなよ」と断ったうえで、わざと着崩しているらしい外套をばさっ、とはね上げた。


「コルブマ岬にその人あり、と言われた『ナイフ使いのアルキル』とは俺のこと。100隻もの戦船を指揮するその通り名は、『スノールの黒豹』だ!」

「スノールだと?」


 俺は思わず大声を出した。


「うんうん、いいねえ。その反応を待ってたぜ」


 アルキルがにっこり笑って、俺の方へ片目をつむる。

 相変わらず、よく分からない男だ。


「スノールって何?」


 マーヤがまったくぴんと来ていない顔で俺を見る。

 アルキルが頭をかいた。


「あー、うん、世間知らずなところも可愛いな。スノールってのはな――」

「スカヴィア人の大船団の名前だ」

「いやまあ、そうなんだけど、もうちょっとカッコいい説明が――」


 俺はアルキルを無視して続けた。


「スカヴィア人の船団を束ねる巨大組織は二つある。一つはこいつが今言ったスノール船団。もう一つは、おまえがナーヴ商会で聞いたランゴル船団だ」


 マーヤが目を見開いた。


「え、それじゃあ、この人はスノール船団の密偵ってこと?」

「ご明察」


 アルキルがにっこりと笑ってマーヤを見る。

 俺はその視界に割り込んだ。


「つまり、おまえが探っているのはランゴル船団の動き、という事か?」

「まあ、それもあるけど」


 アルキルの茶色い瞳が不敵に光った。


「俺の獲物は、盗まれた大砲さ」


 マーヤがはっとしたように、俺を見た。

 俺もその瞳に頷き返す。

 どうやら、線が一つにつながり始めたようだ。




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